第8話「町内運動会の最終種目とズック洗いの流儀」
「マスター、
抜けるような青空が広がる九月の中旬。地元の小学校のグラウンドで、迷彩服の上に町内会指定のピンク色のビブスを着た身長二メートルの傭兵アーサーが、パイプテントの下で直立不動の敬礼をしていた。
「アーサー、声がデカい。ただの町内運動会のテント張りを大袈裟に報告しないでくれ……」
周囲の家族連れから奇異の目を向けられ、僕は顔を引きつらせながらパイプ椅子に腰を下ろした。
「バカ野郎、気を抜くじゃねえぞ坊主!」
パイプテントの奥から、ちまきを頬張りながら町内会長のシゲオさんが現れた。その頭にはなぜか、赤白帽が二つ繋ぎ合わされたような奇妙なヘルメットが被らされている。
「シゲオさん、なんですかその頭」
「これは脳波ジャミング装置付きの特製キャップだ。いいか坊主、この『秋の町内運動会』ってのはな、ただの親睦イベントじゃねえ。向こう一年間の、このセクター(町内)における銀河間の領土権を決定する『星間代理戦争』なんだよ!」
「はい???」
「見ろ、あの玉入れの競技を」
シゲオさんが指差した先では、お年寄りたちが赤と白の玉をカゴに向かって放り投げていた。
「あれはな、軌道上に展開している対空迎撃システムの照準レーダーを、手動で
「パン食い競走は?」
「空中に浮遊する小型の未確認偵察ドローンを、手を使わずに口だけで捕獲・破壊する高度な対空格闘術の演習だ。ほれ、ヨシコさんを見てみろ」
グラウンドの中央では、副会長のヨシコさん(82歳)が、吊るされたあんパンに向かって凄まじい跳躍を見せ、見えないケブラー繊維の糸でパンを引き寄せながら一撃で噛み千切っていた。
「……相変わらずスケールがおかしくて頭が痛くなるな」
「そういうことだ。お前も広報兼後方支援として、しっかり働きやがれ」
午前中のプログラムは、そんな具合に「日常に偽装された軍事演習」として粛々と進んでいった。会計のタナカさんは、借り物競走で「劣化ウラン弾の薬莢」という紙を引いてしまい、本気でキレながら校長室へ突入していったが、なんとか無事に昼休みを迎えることができた。
「マスター、本日の
ブルーシートの上に座る僕の前に、アーサーが三段重の巨大な弁当箱を展開した。
「おおっ……! すごいじゃないか、アーサー!」
蓋を開けると、そこには見事な運動会弁当が広がっていた。
「第一層は、高密度タンパク質による近接格闘能力の向上を目的とした『多脚型自律機動兵器(タコさんウインナー)』および、黄金のエネルギー・キューブ(甘い卵焼き)です。第二層は──」
「説明はいいよ! めちゃくちゃ美味そう!」
僕は割り箸を割り、タコさんウインナーを口に放り込んだ。パリッとした皮の食感と、ケチャップを炒めた時の香ばしさが口いっぱいに広がる。卵焼きも、絶妙な出汁と砂糖のバランスで、噛むとジュワッと優しい甘さが染み出してくる。
「美味い。母さんの弁当の味と完全に同じだ……」
「マスターの母上様が
懐かしい味がした。子供の頃、運動会は僕にとって憂鬱な行事だった。足が遅く、いつも徒競走ではビリ。周囲の親たちがビデオカメラを回す中、僕は惨めな気持ちで走っていた。でも、母さんだけは違った。
『いけーっ! 腕を振って! 前を見てーっ!』
誰よりもデカい声で、周りの目なんか一切気にせずに僕を応援してくれた。当時はそれが恥ずかしくて、やめてよ! と反発してばかりいたけれど、今思えばあの声援は、戦場を孤独に走る僕の背中を守るための、最大の援護射撃だったのだ。
「……午後も頑張らないとな」
僕が卵焼きを噛み締めていた、その時だった。
上空から突如としてけたたましいサイレンが鳴り響き、グラウンドの砂埃が竜巻のように舞い上がった。
「な、なんだ!?」
強烈なダウンウォッシュと共に、グラウンドのど真ん中に、巨大なプロテインシェイカーの形をした銀色の宇宙船が着陸したのだ。
ハッチが開き、中からぞろぞろと降りてきたのは、全身がメタリックな筋肉で覆われ、お揃いの青いジャージを着た巨大なエイリアンたちだった。
「シゲオさん、あれは……!」
「チッ……来やがったか。宇宙全域のスポーツ大会を荒らして回る、極悪非道のアスリート集団『宇宙体育会系・マッスル星人』だ!」
マッスル星人のリーダー格──胸に『主将』と書かれたゼッケンをつけた巨体のエイリアンが、拡声器を持って叫んだ。
「地球の軟弱な住民どもよ! 我々はこのセクターの覇権を懸けて、貴様らに最終種目での勝負を申し込む! 種目は……町内対抗・スウェーデンリレーだ!」
「リレーだと!?」
グラウンドがどよめいた。
「マスター、奴らの足元を見てください」
アーサーが鋭い視線を向ける。エイリアンたちの足元には、かすかに青い光を放つ特殊なシューズが履かれていた。
「あれは『反重力ホバー・スパイク』……! 接地時の摩擦をゼロにし、空間そのものを蹴って加速するチート装備です。人間がまともに走って勝てる相手ではありません!」
「なんて汚い奴らだ! 体育会系を名乗る資格もない!」
だが、シゲオさんは不敵に笑って立ち上がった。
「上等だ。地球の重力に縛られた人間の
かくして、町内の存亡を賭けたリレー対決の火蓋が切られた。
第一走者はシゲオさん。第二走者はヨシコさん。第三走者はタナカさん。第四走者はアーサー。そして、アンカーは僕だ。
「位置について、よーい……ドンッ!」
号砲と共に、両チームが飛び出した。序盤から激しいデッドヒートだった。シゲオさんは高圧洗浄機の反動を利用したロケットダッシュで食らいつき、ヨシコさんはケブラー繊維をコーナーのポールに引っ掛けて遠心力で加速。タナカさんはレーザー照準で最短のインコースを正確に駆け抜けた。
そしてバトンは、第四走者のアーサーへ。
「我が
アーサーは、装甲車のような凄まじい突進力でグラウンドを蹴り立て、砂埃を巻き上げながらエイリアンと並走した。しかし、マッスル星人の反重力スパイクの加速力は圧倒的だった。アーサーがバトンを僕に渡す頃には、敵のアンカーはすでに十メートル以上先を走っていたのだ。
「マスター! 頼みます!!」
「うおおおおおっ!!」
僕はアーサーからバトンをひったくり、全力で駆け出した。
風を切る──心臓が破裂しそうだ。だが、前を走るエイリアンの背中は一向に近づかない。奴は反重力スパイクの力で、まるで地面から浮いているように滑らかに直線をカッ飛ばしていく。
「ハッハッハ! 遅い、遅いぞ地球人! やはりお前たちの肉体と科学力では、我々マッスル星人には勝て──」
その時だった。
勝負の分かれ目となる最終コーナーで、エイリアンがトップスピードのまま、インコースを攻めようと体を傾けた瞬間──
「アッ──!?」
ズザザザザザッ!!
奴の足元が豪快に滑り、巨大な体がグラウンドの外側へと大きく膨らんだのだ。
「今だ坊主ッ!! インを突けェェェッ!!!」
シゲオさんの怒号が飛ぶ。僕は一切スピードを落とさずに地面を力強く蹴り込み、コーナーのインコースを鋭角に切り裂いた。
キュキュッ!
僕の履いている真っ白なスニーカーの靴底が、校庭の固い土と砂を完璧に捉え、凄まじいグリップ力を発揮する。遠心力に負けることなく、僕はエイリアンの内側を鮮やかに抜き去った。
「ば、馬鹿な!? なぜだ! なぜ貴様の旧式シューズは、この滑りやすいコーナーの砂浮きに耐えられるのだ!?」
体勢を崩したエイリアンが驚愕の声を上げる。
僕は走りながらニヤリと笑った。
「教えてやるよ、筋肉ダルマ! お前らは空ばっかり飛んでて、大事なことを忘れてるんだ!」
昨日の夜──
アーサーは、僕のボロボロだったスニーカーを風呂場へ持っていき、ウタマロ石鹸と使い古しの歯ブラシを使って、一時間以上かけてピカピカに洗い上げてくれていた。
「マスター。
そうだ。母さんも昔、毎週日曜日の夕方になると、必ず僕の上履きとスニーカーを風呂場でゴシゴシと洗ってくれていた。
『いいかい、どんなに安い靴でもね、ちゃんと洗って裏の泥を落としておけば、いざって時にしっかり地面を噛んでくれるんだよ。物を大事にすれば、物もあんたを守ってくれるの』
最新鋭の反重力スパイクなんていらない。地面から浮いてちゃ、この星の土の感触は掴めない。母さんが教えてくれた、そしてアーサーが引き継いでくれた「ズック洗いの流儀」こそが、どんなチート装備にも勝る地球最強のグリップ力なのだ。
「いっけえええええええええっ!!」
僕は最後の直線を、母さんの声援を背中に感じながら全力で駆け抜けた。靴底が地面を叩くたび力が湧いてくる。一人じゃない。みんなの想いが繋がったバトンが、僕の手の中にある。
スパァァァンッ!!
僕の胸が、真っ白なゴールテープを真っ二つに引きちぎった。
「勝負あり!! 勝者、町内会チーム!!」
放送委員のマイクが響き渡り、グラウンドは割れんばかりの歓声に包まれた。
「マ、マスター……! 見事なコーナーリング、そして完璧な
涙でボロボロになったアーサーが駆け寄り、僕を高く抱き上げる。シゲオさんやヨシコさん、タナカさんたちも集まり、僕の頭をクシャクシャに撫で回した。
一方、敗北したマッスル星人の主将はグラウンドに膝をつき、僕のスニーカーの裏をまじまじと見つめていた。
「……見事だ。完璧に整備されたゴム底。大地を愛し、大地を掴むその手入れへの執念。我々は科学の力に溺れ、己の足で大地を踏みしめるという基本中の基本を忘れていた……」
主将は潔く負けを認めると、深く頭を下げた。
「このセクターの覇権は、貴様ら地球人のものだ。我々は一から、靴底を洗う修行をやり直してくる」
彼らはそう言い残すと、プロテインシェイカー型のUFOに乗り込み、夕焼け空の彼方へと去っていった。
「やったな、坊主」
シゲオさんが煙草に火をつけながら笑う。
「お前の母ちゃんが見てたら、きっと泣いて喜んでたぜ。万年ビリだったお前が、地球を救うアンカーになったんだからな」
「……はい」
僕は息を整えながら自分の足元を見た。真っ白に洗われたスニーカーは、激しい土埃ですっかり汚れてしまっていたけれど、僕の足にしっかりとフィットして、どこまでも走っていけそうな気がした。
「アーサー」
「ハッ!」
「帰ったら、またスニーカー洗うの手伝ってくれるか。今度は僕も一緒に、歯ブラシで磨くよ」
「イエッサー! 石鹸の在庫はすでに十分に確保してあります!」
夕暮れのグラウンド。僕たちは残ったタコさんウインナーと卵焼きをみんなで分け合いながら、退屈で、無駄に壮大で、最高に愛おしい日常の勝利を祝ったのだった。
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