第3話 旧校舎にて、怪異出現
体育館内の体育倉庫。
壁には学生たちの落書きが残っている。先輩や先生の悪口など。
М中学の屋上。
怪異にスパッと切られた柵の補修後が残っている。
廊下。
悪霊の霊圧によって窓ガラスにヒビが入り、天井から破片が落ちている。
ナレーション
『怪異の多くは場所に依存する。事故が多発するトンネルや、自殺の噂が絶えない崖など。霊障が発生した地域を中心に影響を及ぼす。一番確実なのは怪異の縄張りから距離を取ることだ
触らぬ神に祟りなし。』
校舎の玄関脇に移動した吉瀬たち。
外には強い雨風が吹き付けている。吉瀬と田上の二人で、ぐったりするジンウを玄関脇の靴箱に寄りかからせた。
吉瀬
「すまない……ジンウくん」
目を閉じたままジンウが微かにかぶりを振る。田上は厳しい目つきで周囲を警戒している。
一階にある職員室を確認しに行った海音寺が戻って来た。
海淵寺
「おい、一階の職員室を確認したけど、誰も残ってへんかったぞ」
吉瀬は眉をひそめる。
吉瀬
「でも、我々を案内してくれた学年主任……キクチ先生が待機していたはずですよ」
脳裏にその時の光景を思い浮かべる。
化粧気が無く、老け込んだ印象の女教師。やたらと背が高く、教壇には似つかわしくない矢絣柄のワンピースを着ていた。
海淵寺
「いや、一階はどこも電気が消えて真っ暗やった。どうなってんや、これ」
三人は言葉を失って互いに顔を見あわせた。怪異に襲われたジンウは自ら歩けないほどに消耗し、顔色は土気色になりつつある。
田上が、強張った表情で言った。
田上
「キッカ、サトリは旧校舎で何をしてる」
吉瀬
「音楽準備室を調べています。例の女子学生が吹奏楽部だったことを突き止めたんです。旧校舎にある古い音楽準備室は、もともと吹奏楽部の部室だった」
田上
「どうして部室に目をつけた?」
田上の問いに、吉瀬は口をつぐむ。サトリは何も説明せずに出て行ったからだ。
だが少し考えて、自分なりの考えを整理する。
吉瀬
「そもそも、コツコツさんの伝承が不自然なんです。この悪霊は、放課後に居残って勉強する生徒に危害を与えると言われてる。でも、よく考えるとおかしくないですか?」
田上と海淵寺は、今いちピンとこないようだった。吉瀬はかぶりを振って続ける。
吉瀬
「中学生は教室に居残って勉強したりしないですよ。放課後にやるのは、勉強じゃなくて部活動です」
田上
「なるほどな。自殺の原因は試験の結果じゃなくて、部活動かもしれないと言うことか」
吉瀬
「当時、この学校の吹奏楽部はコンクールの常連のようでした。強豪校にありがちな、強いプレッシャーが彼女を苦しめていたのかも知れない」
海淵寺
「つまり、いじめやな」
そのタイミングで、再びジンウがうめき声を上げた。声をかけても、返事が無い。
田上がかぶりを振った。
田上
「……とにかくこの場所から離れよう。この校舎が悪霊の力場だとしたら、近くにいるだけでジンウの症状が悪化する
旧校舎へ行ってサトリと合流しよう」
吉瀬と海淵寺の二人してジンウを担ぎ上げる。そして土砂降りの中を旧校舎へと向かった。
来週から取り壊される予定の旧校舎は工事囲いに覆われていたが、南側の搬入扉が開いていた。中へ入り込むと、建物を南北に貫く廊下の入口に到達する。中は真っ暗で、玄関脇の電灯スイッチを操作しても照明は点灯しない。
吉瀬はスマートフォンのライトで辺りを照らした。入って来た玄関の脇には階段があり、北へ伸びる廊下に沿って教室が並んでいるのが見えた。
海淵寺
「音楽準備室は……三階やな」
案内図を見ていた海淵寺が言った。
海淵寺
「早いとこお嬢と合流して、怪異が発生した因果律を見つけ出そうや。正体が不明では、祓いようがあらへん」
そのタイミングで、全員の端末が鳴った。
メッセージの通知音だ。
吉瀬がゆっくりと画面に目をやると、凛久からのメッセージが表示されていた。
凛久
“緊急事態発生。全員、作業を中断して本校舎の職員室に集合”
海淵寺
「いや、あっちの校舎はあかんて」
海淵寺がつぶやくように言った。吉瀬は全員の気持ちを代弁するかのようにメッセを打ち込む。
吉瀬
“二階の廊下で怪異と接触しました。本校舎は悪霊の力場で、近づくと危険です”
そうして返信を待った。
“ま”
凛久からの返信はそれだけだった。
三人は画面を見つめたまま無言になる。
しばらく待ったが、追加のメッセージは届かなかった。それはつまり、凛久の身に何かがあったことを示している。
田上
「……くそ、三階まで昇るぞ。このままバラバラに行動していてはいけない。行動規則その二だ」
ナレーション
『未詳事案対策局における行動規則その二は
“怪異に遭遇した場合には、単独行動を慎むこと”。
悪霊は大人数を苦手とするからだ』
吉瀬と海淵寺の二人でジンウを抱えつつ、田上がスマートフォンのライトを構えて先導する。
建物全体が足場と防音幕で囲まれているため、昼間でも窓から明かりが差さない。まして今は日没後、雨の降る中だ。旧校舎の中は深い闇に包まれている。
吉瀬の構えるライトが唯一の光源だった。そのライトの光が、何度も明滅を繰り返す。
海淵寺
「ケイブ先生、バッテリーが弱ってるんちゃうか?」
海淵寺が引きつった声で言った。だが田上は静かに言い返す。
田上
「違うな、これも霊障だ。怪異は電子機器に影響を与える」
それを聞きながら、吉瀬は先ほどの廊下であった出来事を思い出していた。
“まどをあろけ”
不穏なメッセージが送られてきた。
吉瀬
(あの言葉につられて窓を開ければ、塩が吹き飛んでしまっただろう。それを狙って、怪異が電子機器にメッセージを送り込んだのだろうか)
そのタイミングでライトが消えた。
辺りは真っ暗な闇に包まれる。
田上
「……キッカ、端末を貸してくれるか」
吉瀬が自分の端末を取り出して渡そうとした瞬間。
シュポッ。
メッセの着信音があった。グループ全体に向けて送られた里見からの連絡だ。
凛久
“みんな、危険だから今すぐ旧校舎を出て本校舎に戻って”
吉瀬は画面を見たまま固まった。そのメッセージから目が離せなくなる。
シュポッ。
またメッセが届く。
吉瀬
“無事に職員室に着いたら、報告をして”
海淵寺
「何があったんや」
吉瀬
「班長が……引き返せって」
だが田上がかぶりを振る。
田上
「いや、音楽準備室に急ごう」
海音寺が抗議のそぶりを見せるが、田上は取り合わない。やがて一行は三階まで到達し、それぞれの教室を確認しながら廊下を北へ向かう。
田上
「この階のどこかに音楽準備室があるはずだ」
海淵寺
「……なぁケイブ先生、何でお嬢からの指示を無視すんねん」
田上はかぶりを振った。
田上
「あれはサトリじゃない」
海淵寺
「それ、どういう意味や」
田上
「文体が違う。サトリがあんな物の言い方をすると思うか? それに、送り主は私たちを元の校舎へ戻るよう誘導している」
海淵寺
「……それはつまり、怪異が班長の人真似をしてるんと言いたいんか?」
田上
「そこまではわからない。でも、あのメッセは俺たちをこの旧校舎から追い払おうとしている。だとしたら、ここには何かあるんだ」
それを聞いた吉瀬は、ふと思った。
吉瀬
(そう言えば、なぜ班長は一人で旧校舎に向かったんだろう。あの時点で怪異の歪みは判明していなかったのに、最初からこの場所に何かあると分かっていたみたいに……)
自分の疑問を口に出そうとした瞬間。
ガンッ。
前方から大きな音が聞こえた。吉瀬たちは互いに顔を見合わせる。
吉瀬
「今、音が……」
続いてまたガン、と音がした。金属を叩く音だ。それはすぐ目の前の教室から聞こえたような気がした。
田上が教室の表示板を照らす。
田上
「音楽準備室だ」
再び、部屋の中からはガンという音がした。一行は教室の入口脇にジンウをもたれかけさせると、音楽準備室の扉を開けた。狭苦しい室内にはたくさんのキャビネットが押し込められ、古い資料が格納されているのが見える。
そして床に、清掃用具を入れるような細長いロッカーが倒れていた。
ガンッ。
吉瀬は音にビクリと飛び上がった。音は転がされたロッカーの中から聞こえて来る。あちこちが凹んで塗装の禿げた鼠色のそれは、古代の邪神を封印した棺のようにも見えた。
田上
「キッカ、下がれ」
そう警告した瞬間。
ガンッッ。
これまでで一番大きな音がして、ロッカーの扉が跳ね上がった。吉瀬は驚いてよろめき、後ろに尻もちをつく。
ギィッと音がして、ロッカーの中から人影が立ち上がった。
女だ。
長い髪の向こうに見える白い顔が、血に濡れている。
吉瀬は目を見開いた。
吉瀬
(コツコツさん。屋上から飛び降りた、血まみれの女学生。ちゃんと姿を見た人はいない。姿を見た人はみんな死んでいるから)
田上
「サトリ!」
田上が叫んだ。吉瀬は頭を振ってもう一度、ロッカーに立つ人物を見た。
それはコツコツさんではなく、里見凛久だった。
猿ぐつわを嚙まされ、両手首を絶縁テープでぐるぐる巻きにされていたが。
吉瀬
「班長!」
サトリがこちらを見た。整った顔立ちだが、左頬から唇にかけては、火傷で引きつれたような跡があった。
左目は白濁しており、視力を喪っている。
田上
「くそ、サトリ。大丈夫か」
田上が凛久の拘束を解く。猿ぐつわが外されると、特徴的な低い声が暗闇に響いた。
凛久
「額を切っただけだ。それより、足元に気を付けろ」
言われてロッカーの中を見おろした吉瀬は息を呑んだ。
人の形をした何かがロッカーに横たわっている。両手を胸の前で揃え、背中を折り曲げた姿勢。それが何か、はっきり見ずとも分かった。
ぐらりと視界が揺らぐ。
吉瀬
(くそ、どうして。こんなところで)
海淵寺
「おい、これ……またミイラやないか」
海淵寺が喉の奥から絞り出すような声で言う。田上が死体にライトを当てると、状況は鮮明になった。吉瀬はかぶりを振ると、ロッカーの中を覗き込んだ。
吉瀬
「……全身が極度に乾燥し縮んでいる。眼窩は空洞で、皮膚は黒ずんでいる。死後に内臓を抜いて防腐処置をした後に乾燥させないと、こうはなりませんね。これは、ミイラだ」
田上からライトを受け取り、死体の隅々まで確認していく。
吉瀬
「朽ちた男物のスーツの襟元に、煤で黒ずんだ金属片。これは……校章かも知れない。だとすると、この死体は我々がビデオ面談した校長である可能性があります」
後ろからその様子を見守っていた田上が、不思議そうに言った。
田上
「だが……校長と面談したのは僅か三日前だぞ」
吉瀬は奥歯をぎゅっと噛みしめた。
吉瀬
(まただ。あり得ない短期間で、死体がミイラ化する怪奇現象。この市内でこれまでにも二件、同じような事件が起きている)
吉瀬は回想する、未詳へ出向となる一年ほど前から、警視庁の捜査員としてこの事件に向き合っていた。
吉瀬
(それがまさか、こんな形で)
田上が凛久に止血帯を手渡しながら言った。
田上
「サトリ、ここで何があったんだ?」
凛久
「襲撃だ。
何者かの待ち伏せに遭った」
吉瀬はサトリが死体とともに閉じ込められていたロッカーを見る。
吉瀬
「いったい、誰がそんな真似を……」
その時。
コッコッ。
廊下の方から、ドアをノックするような音が響いた。
その音はなぜか、ひどく禍々しい印象を与える。全員が部屋を出て、廊下の奥を見た。だが墨を溶かしたような闇に阻まれ、何も見えない。
すぐ傍らからうめき声が聞こえた。見ると、土気色の顔をしたジンウが口を開いて喉を震わせる。
ジンウ(奇怪な声色)
「……いないね」
吉瀬はあんぐりと口を開けた。
コッコッ。
またあの音がした。先ほどよりも、僅かに近づいている気がする。
そして再びジンウが口を開いた。
瞼が開き、両目がまったく別の方向を向いている。
口の端には泡が浮いていた。
ジンウ(奇怪な声色)
「……ここにもいないね」
吉瀬はぞっとした。ジンウの顔は笑っているように見えた。だが本人の意思でないことは確実だ。何者かがジンウの声帯を使ってしゃべらせているのだ。
海淵寺
「やめろやジノ坊」
海淵寺がそう言ったが、声に力が籠っていない。
コッコッ。
音はどんどん近づいてくる
ジンウ(奇怪な声色)
「……あ、ここにもいないね」
田上
「くそ、塩だ。ありったけ撒くんだ」
海淵寺が荷物を探り始める。
吉瀬は闇を見つめながら、コツコツさんの伝承を胸の中で繰り返す。
吉瀬
(逆立ちしたような恰好のまま近づいてくる血まみれの女子学生。
ちゃんと姿を見た人はいない。姿を見た人はみんな死んでいるから)。
凛久
「塩を使うのは待て」
田上
「……サトリ、何て言った?」
凛久
「悪霊はジンウを追って来ている。このまま引き付けて、祓うぞ」
コツコツ。
また音がした。ノックの音は、音楽準備室から二つ先にある教室の辺りから聞こえる。
周囲の空気がビリビリと震えた。一気に霊圧が高まっている。
吉瀬
「……祓うって、どうするつもりなんですか」
凛久はその問いには答えず、海淵寺の方を振り返った。
凛久
「NPDを出せ」
海淵寺
「お嬢、本気でやるつもりなんか」
海淵寺が言うと、携帯式のパッドを取り出す。それを受け取った凛久は、痙攣しているジンウのTシャツをまくって胸元に透明のジェルを塗り始めた。
吉瀬
「それは……神経憑依攪乱装置(Neural Possession Disruptor)ですよね?」
ナレーション
「神経憑依攪乱装置(Neural Possession Disruptor)とは、霊障被害者の肉体に電磁波を流して、霊と神経の結びつきを強制的に遮断する装置だ。肉体への負担が大きいため、緊急時にしか利用が許可されない」
凛久が携帯式パッドの出力を調整し、ブーンという不穏な音が大きくなっていく。出力を最大レベルまで上げているようだ。
凛久
「田上、EМF(電磁場計測器)を起動しろ。悪霊がジンウにとり憑く瞬間を狙う」
吉瀬はあんぐりと口を開けて、ジンウの方を見た。
目が、真っ黒になっている。
吉瀬
「彼を囮に使うつもりですか? 班長……それは危険です!」
凛久はこちらの話を聞いておらず、近づいてくる悪霊の方を睨みつけている。
光を失った左目と、火傷のような顔の傷。これまで何度も、捨て身で怪異と対峙してきた横顔を吉瀬は無言で見つめる。
吉瀬
(言葉で説得しても……このサイコパスは止めようがない!!)
再び、コツコツという音が聞こえた。不快な残響と、重くなる空気。
もう音は、隣の教室まで到達している。
田上
「キッカ、離れていろ。悪霊はすぐそこだ!」
田上が悲壮な面持ちで叫んだ。
吉瀬
「本気でやるんですか!? これはNPDの正当な使用範囲を逸脱して……」
凛久
「来るぞ!!」
凛久が叫び、両手に持ったパッド同士をバチンとぶつける。バチバチと凄まじい音を立てて、青白いスパークが飛んだ。
つづく
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