第二章 白雪④

 柳霜晶が療養していた数日、各仙境の主である宗師たちの何人かが見舞いと称して白晶峰へ訪問していた。宗師と呼ばれるだけあって皆曲者ぞろいだったが、この人物に比べれば付き合いやすい部類だったのだと、改めて柳霜晶は考えていた。

「ようやく惰眠を貪るのをやめたようだな」

(療養だって言ってんだろーがい!それが手が回らない仕事の代行を頼む態度か!宗派のトップじゃなきゃとっくに叩き出してたわ!)

 卓へと陳情の巻物を乱暴に投げ出した男を前に、柳霜晶は舌打ちを噛み殺し、手元の清友花朶を軽く揺らした。

 目の前にいるのは天眼宗の掌門であり、武術を極限まで重んじる紫虹峰(しこうほう)を統べる宗師、眞千虹(ジェン・チエンホン)。紫を基調とした礼服越しにもわかる、鋼の塊を思わせるガッシリとした肢体、鷹のような眼差し。腰に帯びた幅広の仙剣も相まって圧倒的な風格と威厳を醸し出す青年だ。

 しかし、原作の柳霜晶は特にこの眞千虹と不仲だった。

 顔を合わせれば嫌みの応酬は当たり前、互いに武術を得手とする二人だけに、流血一歩手前の殺し合いに発展しかけたことも少なくない。

「我が峰に届いた陳情を慈悲の心で回してやるのだ。その衣が泥染めの喪服にならないことを祈ろう」

「掌門、素敵な言い回しをわざわざ考えていただかなくて結構ですよ。頭蓋の中の筋骨鍛錬でお疲れでしょうし」

 ——ミシリ。

 眞千虹の手の中で茶杯が嫌な音を立てて軋んだ。

(うわー言っちゃった!でもそっちが悪いもんね、山を駆けても汚れ一つ無い白晶峰の白衣を揶揄するのは、紛れもなく侮辱になるんだから)

 彼を『公明正大で立派な人物だ』と崇める世間の人々はどうにかしている、と柳霜晶は初めて原作の柳霜晶に同意した。

 天眼宗の十仙境の中で、もっとも安原からの陳情が集まるのは紫虹峰だ。その分紫虹峰の弟子が外で活躍する頻度も高く、巷では『天眼宗といえば紫虹峰』と連想されるくらいには有名になっている。彼らにあこがれて天眼宗の門を叩く弟子も少なくない。

(こんな一言一言が小姑のように嫌みったらしいトップなんて、ストーリーに必要なクエスト受注でなければ誰が会うか!)

 空気を変えるために柳霜晶はわざとらしく咳払いをした。巻物に記された『霓裳(げいしょう)鎮』という地名を確認し、優雅な動作で袖にしまいこむ。

「では、この陳情の件は我が白晶峰で受け持ちましょう。ただ、一つ話を通していただきたいことがあります」

「ほう?」

「我が峰の弟子には、この地域に土地勘のある者がいません。案内役として他の仙境より一人、弟子を借り受けたいのです」


「柳宗師にご挨拶いたします」

 数日後、白晶峰の山門前で爽やかな青い衣をまとった若者が一礼していた。彼の名は徐胡林(シュー・フーリン)。天眼宗の仙境の一つ、情報収集と記録を司る湖の仙境である藍輝湖(らんきこ)の若きエリート弟子だ。今回の任務の案内役として派遣されてきたのが彼である。

「本来であれば、我ら藍輝湖が赴くところを、柳宗師のお手を煩わせ申し訳ありません」

「構わないわ。周宗師が弟子達を連れて留守にされている今、さらに弟子を何人も外に出すのは悪手だもの」

「寛大なお心に感謝します。霓裳鎮は私の故郷ですので、案内はお任せ下さい」

 涼やかな目元のイケメンであり、性格はいたって温厚。それでいて、藍輝湖で高い評価を受ける聡明さ。文句なしに将来有望だ。

 柳霜晶の背後に控える数人の女弟子達も、師の目を盗んでお互いを小突きあい、彼への好意的な感想を囁きあっている。実際、この数年後に彼は出世して藍輝湖の筆頭弟子となる。だが、色めき立っている女弟子達には残念なことに——このイケメンの心を射止め恋人、ひいては伴侶となるのは、弟子の最後尾でこちらを伺っているゾンビ美少女、紅雪華その人なのだ。

「あなたは事務方面で有能なだけでなく、武芸の腕も高いと聞いている。期待しているわ」

「身に余る光栄です」

(そして期待通り、紅雪華のいい味方になってよね。若人!)


 移動は途中まで馬車を使い、大きな河にたどり着いてからは屋根付きの船に乗り換えての旅となった。

 目的地の霓裳鎮はその名に相応しく、染物で発展した豊かな交易街だ。運河沿いには薄絹や綿布が無数に干され、色鮮やかな染めの柄が風にたなびいている。左右の岸辺では品物を求める人々が賑わい、男も女も色とりどりの服を身に纏って石造りの街路を行き来している。建物は通気性と景観を重視した開放的な造りで、簾ごしに人々が作業に勤しんだり、ゆったりと茶を飲んだりと日常の様が垣間見える。

 祭のような華やかな空気に、若い女弟子達は身を乗り出して無邪気な歓声をあげた。男弟子達もそわそわと浮ついた態度を隠せていない。

「美しい街ね」

「お褒めに預かり恐縮です、柳宗師」

 常冷の差し出した水筒から水を飲み、柳霜晶がぽつりと零した感想に徐胡林は穏やかな声で応じる。だが、彼の表情には拭いきれない影が宿っていた。この街でよく飾られるという蚊除けの香草の爽やかな香が鼻をくすぐる。柳霜晶は再び空を泳ぐ絢爛な染め色を眺めた。

 ——この事件は、風にたなびく染物に紛れて、水分も内臓も抜かれてペラペラになったミイラ状の被害者が、布に並んで風に揺れていたことで発覚した。

「ああ仙君、恐ろしい事です!立て続けに四人も殺されてしまいました!どうか我らをお助けください!」

 船を下りて案内された屋敷で待ち構えていたのは、霓裳鎮の有力者、方(ファン)氏だった。彼は太った体を揺らしながらはらはらと涙を零した。高齢ではあるが相当な金持ちのようで、繊細な模様の染めの上から刺繍を施した豪奢な衣を纏っている。彼の周りには若くほっそりとした妾が数人、彼の嘆きを深めるかのように悲しげな面持ちで傅いていた。

 柳霜晶の把握した訴えによれば、被害者の中に彼の親戚筋の者が含まれていたらしい。この方氏は血族に対して思い入れが深いようで、この件の解決に助力を惜しまないと必死に訴えかけてきた。

 聞き取りや調査は常冷と徐胡林に任せ、柳霜晶は早々に滞在のために用意された部屋へ引っ込んだ。徐胡林は言わずもがな、常冷も紅雪華が関わらないところでは準備や手配はお手の物なハイスペック少年だからだ。弟子の実地訓練という建前があれば、殆どは弟子に任せて座して待てばいいのが師匠の特権である。

 通された客室の卓に腰掛け、柳霜晶は一息ついた。

 この屋敷も例に漏れず、家屋内に陽光を存分に取り入れる贅沢な造りだった。窓から穏やかな陽光が部屋の中を照らし、蚊除けの香草の香りを纏う風が吹き抜ける空間は、日向ぼっこを思わせて意外に心地良い。

 原作の柳霜晶は、この件に対してほとんど動かなかった。弟子任せでも解決に必要な情報を集められる簡単な案件ということなのだろう。そのため柳霜晶は、自分が事件の捜査へ関わる必要はないと判断した。

 しかも金剛仙魔記を読み尽くした柳霜晶は、この事件の原因がわかっている。原因自体は危険ではあるが、仙師であればそこまで問題ではない。問題は、その原因によって起こるもう一つの出来事だ。

 この任務おいて、柳霜晶はそのもう一つの出来事になんとしても関わらなければならなかった。

(と、シリアスに考えてみたけれど……)

 思案する柳霜晶の耳に、幾人かの足音と楽しげな話し声が聞こえた。部屋のすぐ近くを弟子達が賑やかに話しながら通り過ぎていく。

「師姉師姉、調査がてら市に行きませんか?」

「いいわね。私、きれいな染め手巾を買っちゃおうかしら!」

「あそこに美味しそうな屋台があるぞ。師弟、まずは腹ごしらえだ」

 柳霜晶は心の内が口から出ないよう、卓に置かれた茶請けの菓子を勢い良く口に詰め込んだ。

(いいなー!私も観光行きたかった!)

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