宇宙の運び屋(五)〜宇宙の公務員とファミレスの大騒ぎ

その日は、オービット9号から直接呼ばれた。


菩提樹の前でもなく、自販機の前でもなく——放課後、二人が昇降口で靴を履き替えた瞬間、純のスマホが震える。

発信元の表示は「PQ-9」。


純は画面を見て、隣の乃亜に見せた。

彼女がため息をつく。


「帰り道でよかった」

「本当に」


二人は誰にも気づかれないよう、菩提樹の前に立った。


「呼んだか」と純が空に向かって言う。


「呼びました」とオービット9号の声がスマホから。


「今回は本拠地に直接来てください。少し、事情が複雑で」

「複雑?」

「来れば、わかります」


純と乃亜は顔を見合わせた。


「……嫌な予感がする」と乃亜。

「同感」と純。


二人が菩提樹に触れた瞬間、吸い込まれた。


---

【本拠地・格納庫】


火山の噴火口を抜け、ダイヤ型の巨大宇宙船が縦に刺さった空洞へ降りていく。本拠地の格納庫に着陸すると、オービット9号がいつも通り出迎えた。


「お待ちしていました。ただ——」

「また、ただ、か」と純。


「今回は本当に重要で」

「毎回重要だろ」


「今回は特別に重要です」


乃亜が格納庫を見回した。


「誰かいるの?」

「はい。奥にいます」


オービット9号に案内されて、格納庫の奥へ進んだ。資材の棚が並ぶ通路を抜けると、広大な作業スペースがある。そこに——


二人の若者が立っていた。


一人は男性で、一人は女性。二人とも背が高く、姿勢がいい。黒っぽいジャケットの胸に小さなバッジが輝いている。整ってはいるが、どこか硬い表情。


そして二人の後ろに——


純は目を疑った。


見知った顔がそこにある。純の通う高校の教頭先生。いつもの紺のスーツ、いつものきっちりとしたお団子ヘア、いつもの厳しい目つき。


「……なんで教頭が本拠地にいるんだ」と純は思わず後ろに下がった。

「教頭先生……?」と彼女乃亜も固まる。


「失礼します」と教頭——ではなかった——が口を開く。

「私はEDU-1と申します。現在は、この周辺で最も権威と威厳を持つ人物の外見を借りています。この姿が一番、子供たちへの教育効果が高いと判断しました」


「子供たちへの……」と純は二人の若者を見た。


若者たちは純と乃亜を値踏みするように見つめている。


男性の方が、静かに口を開く。


「久しぶり、というべきか。記憶があるかどうか、わからないけれど」

「俺たちのことを知ってるのか?」


女性の方が、純を上から下まで眺めた。それから乃亜を上から下まで眺めた。


そして——少し首を傾ける。


「ミル」と女性の方が男性の方を呼ぶ。

「なに、レミ」

「なんか……私たちよりガキっぽくない?」


純は固まった。


「……ガキっぽい?」

「いや、だってほら」


レミがもう一度じろじろと純を見る。


「制服着てるし。背もそんなに高くないし。なんか……うちの職場に新入りが来た感じ」

「確かに」とミルが頷く。


「もっとこう、どっしりした感じを想像してたんだけど」


「私たちの親なんだよね、一応」

「一応、ね」


純は乃亜を見た。

乃亜は「落ち着いて」と目で言っている。


オービット9号がぷかぷかと浮きながら、「2000年前に残してきたお子さんたちです。双子で、現在2100歳。人間換算でおよそ21歳相当」


「……俺たちの子供が、俺たちをガキっぽいと」と純の目が座っている。


「転生すると若返りますから」とオービット9号。


「仕方ありません」

「仕方ないで済む話か」


EDU-1が一歩前に出る。


「ミル、レミ。目上の方への言葉遣いに気をつけなさい。何度言えばわかるの」

「はい、エデュ」と二人は即座に姿勢を正した。


「……あの教頭の声で言われると妙に効くな」と純。

「効果が高いので採用しています」とEDU-1。


「学校でも同じ顔で廊下を歩いてるのか」と純は彼女に小声で。

「そう思うと教頭先生の見方が変わるわ」と乃亜も小声で。


---

【2100歳の公務員たち】


作業スペースのテーブルを挟んで、四人が向かい合った。


改めて見ると、二人は純と乃亜に似ている。ミルは純に目元が似ていて、レミは乃亜に口元がそっくりそのまま。

でも表情が全然違う。純と乃亜がどこかのんびりしているのに対して、二人はきっちりしている。姿勢も言葉も。


「自己紹介します」とミル。

「宇宙政府第七局、惑星間調整課に勤務しています。ミルです。就職して200年になります」


「同じく第七局、資源管理課のレミ」

「就職200年です。今日は上司から、あなたたちへの依頼を伝えるよう命じられてここへ来ました」


「依頼か」と純。


「はい。ただその前に」とレミが純を見る。


「確認してもいいですか」

「なんだ」


「本当に、あなたたちが『伝説の運び屋』なんですか」


「伝説?」


「宇宙政府の記録に残っています。過去に数々のSSランク相当の依頼を達成した、史上最高の運び屋、と。でも——」レミがもう一度純の制服を見る。


「なんか、想像と違いすぎて」

「違いすぎて?」


「もっとこう……でかくて、強そうで、オーラがある感じかと」


「俺は今17歳に転生してる」

「それはわかってますけど」レミは言いにくそうにする。

「でも地球の17歳ってこんな感じなんですね。思ったより……頼りないというか」

「頼りない?」

「うん。なんか、友達の弟みたいな」


純の目が、少し細くなった。


「……今は仕事の話を聞こうか」と純は静かに、でもはっきりと言う。


EDU-1が前に出た。

「では依頼の説明に入ります。本日の案件は、宇宙政府が分類する最高難易度、SSランク相当の運搬依頼です」


「SSランク」と乃亜が端末を確認する。


「宇宙政府の依頼ランクは、Dから始まりS、SS、SSSと続きます。SSSは過去に達成した者がおりません。今回はSSです」

「それを俺たちに?」

「あなたたち以外に達成できる運び屋が、現存しないためです」


ミルとレミが、横目で純と乃亜を見た。

その目に「本当にこの人たちが?」という色が、隠しきれずにある。


純は気づいていたが、黙っておいた。


「内容を聞こうか」


---

EDU-1が端末を操作すると、テーブルの上にホログラムが展開された。


宇宙の地図。銀河の全体図。その中の一点が赤く点滅している。


「現在、銀河系の外縁部に位置する惑星ゼラが、重大な危機に瀕しています。ゼラは惑星全体が海で覆われた水の星です。そこに住む三億の生命体が、海底から噴出する有害ガスによって絶滅の危機にあります」


「有害ガスを取り除けばいいのでは?」と乃亜。

「取り除くだけなら、政府の艦隊で対処できます。問題は——このガスを中和するための物質が、宇宙に一か所しか存在しないことです」


ホログラムが切り替わった。別の一点が光る。


「中和物質の名前は『星核晶』。恒星の核で生成される極めて稀な結晶です。現在確認されている産出場所は——超新星爆発直前の恒星、ノヴァ77の内部のみです」


「超新星爆発直前?」と純が眉を上げた。


「はい。ノヴァ77はおよそ72時間後に爆発します。その前に内部へ侵入し、星核晶を採取して、ゼラまで届ける。それが今回の依頼です」


テーブルに、沈黙が落ちた。


レミが口を開く。「ちなみに——過去にノヴァ77への侵入を試みた者は、宇宙政府の精鋭部隊を含めて12チーム。全員、手前で引き返しています」


「引き返した理由は?」


「無理だから、です」とレミはきっぱり言う。

「恒星内部の温度と放射線は、どんな船でも耐えられない。収縮のタイミングに合わせて入っても、30秒以内に出るのは理論上可能でも、実際には——」


「やってみないとわからない」と純は言う。


レミが純を見た。「それだけで判断するんですか」


「経験上、いける」

「経験上って——」

「運び屋の経験上」


レミはしばらく純を見た。


「……本当に大丈夫なんですか」


純は答えなかった。


乃亜が端末を取り出して計算し始めた。指が素早く動く。数十秒後、顔を上げる。


「ギリギリ届く。一秒も無駄にできないけど——行けるわ、純」


純は少しだけ口角を上げた。「じゃあ行こうか」


ミルとレミの目に「本当に大丈夫か」という色が、さっきより濃くなっている。


---

【出発】


「私たちも同行します」

「宇宙政府の監察官として、依頼の遂行を確認する義務があります」


「来い。ただし文句を言うな」と純。


「安全基準に反する——」

「文句を言うな」


EDU-1が進み出た。「私も——」


「お前はいい」と純は即答する。


「しかし子供たちの安全のため——」

「船が狭い」

「設計図上、あと数名は——」

「狭い」


EDU-1が教頭の目で純をじっと見た。学校なら確実に指導室に呼ばれる目だ。


「……了解しました。本拠地でお帰りをお待ちしています」


オービット9号がぷかぷかとEDU-1の横に浮いた。


「久しぶりだね、エデュ」

「久しぶりです。相変わらず規則を軽視していますね」

「状況判断です」

「問題です」

「平行線ですね」

「知っています」


---

【ノヴァ77へ】


船が動き出すと、ミルとレミは後部座席に並んで端末を開き、すぐに仕事を始めた。


「……今何してる」と純。


「報告書を書いています」とミル。

「移動中は仕事をする習慣があります」

「超新星爆発直前の星に向かってるんだぞ」

「だからこそ書類を整理しておく必要があります」


純は何も言わなかった。


乃亜がこっそり口を動かす。「エデュの教育こわい」

純も小声で「ちょっと怖い」と返す。


ノヴァ77に近づくにつれ、窓の外の景色が変わっていく。


表面が不規則に脈打つ恒星。膨張と収縮を繰り返す、爆発直前の異様な輝き。


「……綺麗ね」と乃亜が窓に顔を近づける。

「危険な天体です」とレミ。

「でも綺麗でしょ」


レミは窓を見た。少し間を置いてから、「……確かに」と言う。声が少しだけ柔らかくなっている。


「収縮タイミングまで40秒」とオービット9号。

「侵入準備を」

「採取は俺が船外に出てやる」と純。

「操縦頼む。カウントを」


「任せて」


後部からミルの声が飛んだ。


「船外に出るというのは——恒星の中に、直接入るということですか」

「そうだ」

「温度が——」

「知ってる」

「でも——」

「知ってる」


ミルが黙った。レミが横でミルの腕を小さく触った。


乃亜がカウントを始めた。「10、9、8——」


純はスロットルに手を置いた。


「7、6、5——」


恒星の表面が、大きく脈打った。


「4、3、2、1——今!」


---

スロットルを全開にした瞬間、ミルとレミは後部座席で身体が座席に強く押し付けられた。


Gがかかる。視界が歪む。窓の外が真っ赤になる。


「ちょっ——これ——」とミルが声を絞り出す。

「正常範囲内です」とオービット9号がのんびりと言う。

「正常?!」

「マスターの操縦では通常です」


船体が恒星の表面を突き抜けた。


内部はプラズマの地獄。あらゆる方向から猛烈なエネルギーの奔流が押し寄せる。温度計の針はとっくに振り切れた。警告音が鳴り響き、船体が激しく軋む。


その中で、乃亜は微動だにしない。


計器を見ながら、端末を叩きながら、操縦桿を細かく修正しながら——流れるように、船を安定させ続けている。


「残り22秒」と乃亜が静かに言う。


レミが乃亜の横顔を見た。この状況で、あの顔ができるのか、と思う。恐怖も焦りも、表情に出ていない。ただ、集中している。


宇宙服を着た純が、ハッチを蹴って船外へ出た。


船外では——


純が、最高性能宇宙服でプラズマの奔流の中を進んでいる。

宇宙服の冷却システムが悲鳴を上げている。温度警告が連続で点滅している。視界がほとんどない。でも純の体は迷わない。


「残り18秒」


深部へ向かう。光の密度が増す。でも純には見えている。センサーより早く、体が反応する。すぐそこにある。


「残り12秒」


あった。


プラズマの渦の中心に、静かに輝く結晶。拳大の、深い輝きを持つ星核晶。


純は迷わず手を伸ばし、掴んだ。


「残り8秒——純、早く!」


引き返した。全速で。プラズマが後ろから追いかけてくる。


「残り5秒!」


船が見えた。乃亜がハッチを開けて待っている。


「残り3秒——」


飛び込んだ。即、ハッチが閉まった。


「今!」


乃亜がスロットルを全開にした。


0.5秒後、収縮が終わった。


恒星が膨張を始めた。プラズマの爆風が船体を叩いた。警告音が一斉に鳴り響いた。船体が激しく軋んだ。でも乃亜はブレない。爆風の中を、真っ直ぐ上昇し続ける。


恒星の表面を突き抜けた瞬間、宇宙空間の静寂が戻った。


コックピットに、荒い息が響く。


純が操縦席に戻りながら、手の中の星核晶を見た。恒星の光を内側に閉じ込めたまま、静かに輝いている。


「……採れた」

「採れたね」と乃亜が息を整えながら言う。


後部座席でミルとレミは固まっている。

二人とも端末を閉じていた。報告書を書く手が、いつの間にか止まっていた。


ミルが、静かに口を開いた。「……今の、は」


「仕事だ」と純は前を向いたまま言う。「次、ゼラへ急ぐぞ」


レミが、固まったまま純の背中を見ている。さっきまでの「友達の弟みたい」という顔は、どこかへ消えていた。


---

【ゼラへ・全速航行——そして追手】


ノヴァ77からゼラへの航路は、まっすぐではない。


重力の強い恒星を避け、小惑星帯を縫い、放射線の強い宙域を迂回する。乃亜がリアルタイムで最適航路を計算し続け、純がそれを一秒のズレもなく飛ぶ。


二人の会話は少ない。


「右に3度」

「修正した」


「加速できる」

「した」


「この星の引力を使って」

「使う」


それだけで足りた。言葉より速い連携だ。


ミルとレミは後部座席でそれを黙って見ていた。途中、レミが小声でミルに言う。


「ミル」

「なに」


「すごくない?」

「……すごい」


「エデュに言ったら怒られるけど」

「言わなくていい」


二人は端末を閉じたまま、前の二人を見続けていた。


---

航行の中盤、レーダーが反応した。


「船が来ます」とオービット9号。

「武装した民間船が三機——こちらへ向かっています。星核晶を狙っていると思われます」

「SSランクの依頼も情報が漏れるのか」と純。

「宇宙のあちこちで。横取りを狙う者は毎回出ます」


ミルが立ち上がりかけた。「宇宙政府の監察官として——」


「座ってろ」と純。

「でも——」

「俺たちの仕事だ」


「想定時間を教えてください」とミルが端末を開きながら言う。


「振り切るまで8分あればいい」と純。


純はスロットルを絞って速度を落とした。


「速度を落とすの?」とミルが思わず声を上げた。


「包囲が完成したと思わせる」

「でも——」

「見てろ」


三機が包囲を完成させた。交信が入った。「そこの船、止まれ。持ってるものを渡せば命は取らない」

純は交信機を取った。「わかった」


乃亜が純を見た。純が、頷いた。


「渡す前に一つ聞かせてくれ」と純は静かに言う。

「お前たちの船、最高速度はいくつだ」

「……なんだと?」

「俺の船の方が速いかどうか、確認したくて」


一瞬の沈黙。


「馬鹿にしてるのか——」


純はスロットルを限界まで叩き込んだ。


船体が一瞬で最高速に達した。三機の包囲網へ、真正面から突っ込んだ。


正面の一機が慌てて避けた。純はその0.3秒の隙間を、針の穴を縫うように通り抜けた。左の一機が砲撃を放った。光の柱が迫る——純は機体を横に90度傾け、光の柱を1メートルの余裕でかわした。右の一機が追いかけてきた。


「後ろ来てる!」とレミが後部窓を掴みながら叫んだ。


「わかってる」と純。


「距離50!」


「わかってる」


「30! これ本当に大丈夫なんですか?!」


「今です!」と乃亜が割り込んだ。「あの小惑星の重力ブレーキ!」


純は即座に小惑星の重力圏に飛び込み、引力で急減速した。後ろの一機が反応しきれずに小惑星に激突した。純は即座に再加速した。


追跡艇が次々と振り切られていく。


6分後、三機のレーダー反応が後方に消えた。


船内に静寂が戻った。


ミルとレミは後部座席で、二人揃って背もたれに崩れ落ちていた。


「……終わった」とレミが天井を見ながら言う。

「終わった」とミルも天井を見ながら言う。


しばらく経ってから、ミルが絞り出すように声をかけた。


「……さっき、振り切るまで8分あればいいって言ってましたよね」

「ああ」

「6分でした」

「余裕を持たせたんだよ」

「なんで6分で終わるのに8分なんて言ったんですか」

「だから、余裕を持たせたんだって」


ミルはしばらく黙っていた。それからこう言う。


「……さっき、友達の弟みたい、と思ってすみませんでした」

「聞こえてなかったぞ、あれは」と純。


「……申し訳ありません」


---

【惑星ゼラ・決着】


ゼラは、宇宙から見ると深い青と緑が混ざり合った宝石のような美しい星。でも近づくと、表面に黒い靄が漂っているのが見えた。有害ガスの層だ。


「海底から噴出しています」とオービット9号。「ガスの濃度は既に臨界値に近い」


「潜るぞ」


船が海面に突入した。深く、深く、ゼラの海底へ一直線に降りていく。


海の色が変わっていく。青から深い紺へ。やがて黒へ。


海底に近づくと、ガスの噴出口が見えた。海底の裂け目から黒い煙が噴き出し続けている。その周囲に、ゼラの住人たちがいた。全身が透き通った生き物。体の中の発光器官が、消え入りそうに弱くなっている。


「……急がないと」と乃亜が窓の外を見る。


純はゆっくりと船を噴出口へ近づけた。黒いガスが船体を包み始めた。圧力が上がる。船体が軋む。


「距離5メートルで投入できます」とオービット9号。


「4メートル、3——今だ」


純が投入ボタンを押した。


星核晶が噴出口へ向けて放たれた。


一瞬の静寂。


そして——光が爆発した。


噴出口から青白い光が溢れ出した。光が海底全体に広がっていく。黒い靄が消えていく。海の色が変わっていく。深い黒から、少しずつ、輝きを放つ青緑へ。

ゼラの住人たちの発光器官が輝きを取り戻した。一つ、また一つと光が強くなっていく。やがて海底全体が、柔らかい光に包まれた。


コックピットの中、誰も何も言わない。


後部座席でレミが、端末を膝の上に置いたまま窓の外を見ている。目が、少し潤んでいた。


「……届いた」とレミが、ほとんど聞こえない声で言う。

「届いた」と純は前を向いたまま言う。

「俺たちの仕事だ」


---

【本拠地帰還・依頼料の衝撃】


本拠地に戻ると、格納庫でEDU-1が四人を待っていた。


「お帰りなさい。依頼の完遂を確認しました。宇宙政府から依頼料の振り込みが完了しております」


ミルとレミが端末を確認した。


二人同時に固まった。


「レミ」とミルが画面を見たまま言う。


「なに、ミル」


「これ」

「……うん」


「桁が」

「……うん」


「私たちの年収、何年分?」


ミルが素早く計算する。「……100年分を、超えてる」


「超えてる?」

「超えてる」

「……」

「……」


二人の顔から血の気が引いた。


乃亜がさらりと言う。「お役所仕事だからこれでもいつもの依頼より安いのよ。今回ぐらいの難易度の仕事は、本来この五倍から十倍が相場なの、政府はこの金額が最高額だから」


「それに」と乃亜が付け加える。「備品の損傷や燃料費は別途請求できるから。今回みたいに船体がボロボロになっても、その分はちゃんと出るの」


「……別途」とミルが繰り返す。


「依頼料とは別に?」

「別に」


二人はまた固まった。


「五倍から十倍……」とレミが呟く。


「私たちが何百年かけて稼ぐより……」とミル。


「まあそういうもんだ」と純は機体の整備を始めながら言う。「危ない仕事だから」


ミルとレミは、しばらくの間、二人で固まっていた。


やがてミルがゆっくりと顔を上げた。


純と乃亜を、交互に見る。


さっきまでの「この人たちで大丈夫か」という目が、完全に消えていた。


「……あの」とミル。


「なんだ」

「今日の仕事——もっと詳しく教えてもらえますか。どうやって航路を計算したのか。ノヴァ77で30秒以内に戻れた根拠は。三機を6分で振り切った——」


「長くなるぞ」と純。


「構いません」とミル。

レミも頷いた。「ぜひ」


「飯食いながら話す。地球に戻るか」

「……地球食は——」とレミが言いかけた。

「美味しいから食べろ」と純。


レミは一瞬だけ迷って、頷いた。


---

【帰還・菩提樹の下】


10秒後に戻っていた。


夕焼けの中、菩提樹の葉が風に揺れている。


今回は四人が菩提樹の下に降り立った。


ミルとレミは、地球の夕焼けを初めて見た。宙にぽかんと立ったまま、二人揃って空を見上げる。


「……オレンジ色だ」とミル。

「素敵」とレミ。


「だろ」と純。

「……綺麗です」と二人、声を揃えた。


さっきまでの冷ややかな公務員の顔が、この瞬間だけ、すっかり解けていた。


乃亜が歩き出した。

「ファミレス行こう。お腹空いた」

「ファミレス?」とレミ。

「地球でご飯食べるところ。行ってみればわかる」


---

【ファミレス・大騒ぎ】


近くのファミレスに入ると、早めの夕飯時で賑わっていた。


四人がボックス席に座った。純と乃亜が並び、向かいにミルとレミが座った。

メニューを渡すと、ミルとレミは揃ってメニューを開いた。そして揃って固まった。


「何がなんだかわからない」とミル。

「写真と名前はあるけど成分表がない」とレミ。


「成分表見ながら食べるな」と純。


「でも食べ物の成分は——エデュにそう教わりました」

「エデュの教育は今日だけ忘れろ」


「……それは習慣に反します」

「習慣、今日は忘れろ」


ミルとレミが顔を見合わせた。


「これは何ですか」とレミが写真を指差す。

「ハンバーグ。美味しい。それだけでいい」と乃亜。


「美味しい……」とレミが繰り返す。初めて聞く言葉みたいに。


純がメニューも見ずに注文する。


「ハンバーグセット。唐揚げも」

「同じもので」と乃亜。


ミルとレミが顔を見合わせた。

「……同じもので」と二人同時に言う。


料理が来るまでの間、純はミルに仕事の話をした。


ノヴァ77で30秒以内に戻れた理由。恒星内部のプラズマの流れの読み方。三機を6分で振り切った航路の組み立て方。


ミルとレミは最初、公務員らしくメモを取りながら聞いていた。でも途中からメモを取るのを忘れていた。ただ聞いていた。目が変わっていった。


「……その判断は、どこで学んだんですか」とミルが聞く。


「飛びながら覚えた」と純。

「教科書は?」

「ない」

「マニュアルは?」

「ない」


「では——」

「経験だけだ。何千回、何万回と飛ぶ。そうすると体が覚える。頭より先に体が答えを出す」


ミルがそれについてしばらく考える。


「……宇宙政府の訓練では、まず理論を学んで、それから実践します。逆なんですね」

「逆の方が速い」

「危険では?」

「危険だから速く覚える」


ミルは黙った。なにか大事なことを聞いた気がした。


---

料理が来た。

ハンバーグセットが四人分並んだ。湯気が上がる。ソースの匂いが広がった。


ミルとレミはハンバーグをまじまじと見た。フォークとナイフを持って、几帳面に同じ大きさに切り分け始める。


「大きく切った方が美味しい」と乃亜。

「食べ物は丁寧に——」

「大きく切って」


レミが少し迷ってから、大きめに切った。口に入れた。

しばらく、黙っている。


「……美味しい」


今度は本当に驚いた表情だ。知識として知っているのと、実際に味覚で感じるのがこれほど違うのかという衝撃が伝わってくる。

ミルも口に運び、まったく同じ顔をした。


「……なんで美味しいんですか」とミルが純に聞く。

「知らん。美味しいから美味しい」

「それは答えに——」

「美味しいから美味しいんだ。理由はない」


ミルはまたハンバーグを食べた。今度は大きく切って。


「……確かに美味しいです」

「だろ」


山盛りになった唐揚げとサラダが中央にドンと置かれると、また二人は固まった。


「これは」

「唐揚げ。食べろ」と純。


「成分——」

「食べろ」


「野菜を生で……」

「食べろ」


二人は食べた。固まった。


「美味しい」と同時に言う。

「だろ」


食事が進むにつれ、ミルとレミの様子がじわじわと変わっていった。


姿勢が少し崩れた。背筋のピンが緩んだ。表情が柔らかくなった。


食後にデザートのメニューを見て、レミが目を輝かせ、メニューの1つを指さした。


「……これは何ですか」

「チョコレートパフェ」と乃亜。


「頼んでいいですか」

「もちろん」


レミが注文した。チョコレートパフェが来た瞬間、レミが初めてはっきりと笑った。


ミルも「同じものを」と即座に追加注文した。


二人がパフェを食べている間、純はそれを黙って見ていた。


2100歳の宇宙政府の公務員が、地球のファミレスでパフェを食べている。2000年前に残してきた子供たちが、今、自分の向かいに座っている。


なんとなく、不思議な気分だ。


「……お父様」とレミが、パフェの長いスプーンを持ったまま、少し上目遣いで言う。


純は固まった。


「……今なんと言った」


「お父様」とレミがもう一度言った。今度ははっきりと。

「さっきまでの失礼の数々、申し訳ありません。友達の弟みたい、なんて」

「あれは聞こえて——」

「聞こえてたのはわかってます」とレミが上目遣いのまま続ける。


「お父様は本当に、すごい方でした。宇宙政府に入って200年、あんな操縦を見たことがありません。ノヴァ77での採取も、三機の追跡を6分で振り切ったことも、ゼラへの届け方も——全部、教科書に載せるべきレベルです」


純は何も言わなかった。


ミルも前に出た。「お母様も」とミルが乃亜に向かって言う。


「……お母様」と乃亜が繰り返す。


「ノヴァ77の中でのナビゲートは、理論上ほぼ不可能とされているものでした。あの状況で、あの精度で計算し続けるのは——現実には、とても」

乃亜は少し照れた顔をする。

「……大げさよ」

「大げさではありません、お母様」とミル。


純と乃亜は顔を見合わせた。


さっきまで「ガキっぽい」と言っていた目が、今は完全に別の目になっている。キラキラとした尊敬の眼差しで、上目遣いに見つめてくる。


「次の仕事も、連れて行ってもらえますか」とレミが言う。


「お父様とお母様の仕事を、もっと近くで見たいんです」

「……監察官として来るのか」と純。

「監察官として、ではなくて」レミが少し言いにくそうにする。

「もっと、そばで」ミルも頷いた。


「私たち、200年間、宇宙政府の仕事しかしてこなくて——規則があって、手順があって、上司の許可が必要で。でもお父様とお母様は、自分で判断して、自分で飛んで、自分で届ける。誰かに許可を取らずに。それが——かっこよかったです」


純はしばらく何も言わなかった。


それからプリンアラモードを一口食べた。


「……エデュに言ったら怒られるぞ」

「言いません」とレミが即答した。


「バレたら俺たちのせいにするな」

「しません」とミルも即答した。


純は笑った。


本当に笑った。今日初めて、心から。


「まあ——来たいなら来い。ただし」

「ただし?」とレミが前のめりになった。

「報告書は移動中に書くな」


ミルとレミが顔を見合わせた。

それから——二人同時に笑った。


2100歳の宇宙の公務員が、地球のファミレスでチョコレートパフェを食べながら笑っている。


乃亜がそれを見て、純の肘をつついた。


「純」

「ん?」

「2000年前に残してきた子たちが、こんなに大きくなって」

「……そうだな」

「嬉しくない?」

「嬉しい」と純は言う。


「ただ——」

「ただ?」


「親に向かってガキっぽいはないだろ」

「聞こえてますよ、お父様」とレミがパフェを食べ終えながらにこりと笑う。

「わかって言ってる」と純。


ファミレスの中に、笑い声が広がった。


窓の外、夕焼けはまだ美しいオレンジ色を保ったままそこにある。

どこか遠くの宇宙では、ゼラの海底が青く優しく輝き、28光年先では透明な草が風に揺れている。


4億歳が虫を見て笑い、そして地球のファミレスでは、宇宙の運び屋一家が賑やかに食卓を囲んでいる。

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