第2話
軽トラックはごとごと揺れながら、畑の合間を縫うように、車同士がすれ違えるかどうかという道を進む。畑には木々が並び、まだ青い実をつけている。柑橘類だろうか?
「着任前になんだけどさ、一旦挨拶だけやっとかなきゃいけない人がいるから、悪いんだけど……」
言いにくそうに運転席から川島さんが言葉を濁す。
「あ、大丈夫ですよ」
表面上にこやかに返す。おそらく役場の皆と顔合わせだろう。ざっと仕事の説明もされるのかもしれない。
ぽっと出の娘がやっていけるだろうか。
畑を抜けて町の中心部に入る。この通りは店舗もあって、人の生活を感じる。
一本しかない道をしばらく行くと、北浦浜町役場、と書かれた案内板が見えてきた。ところがトラックはスピードを緩めることなく通り過ぎていく。
「えっ?あれ?」
過ぎていく建物を振り返り素っ頓狂な声をあげる。
「あ、ごめん!仕事関係じゃなくてね。町の顔役みたいな人。町長っていうより気さくなおじいちゃんだから……おっ!」
そこまで言うと川島さんはある建物の前で強めにブレーキを掛け、窓の外に身を乗り出し大声をあげた。
がくん、とつんのめる。
「中村さん!精が出るねぇ!」
「おぉ、川島の坊主!なんだ、横にべっぴんさん乗っけて。デートか?」
中村と呼ばれた男性はこちらに気づくと荷降ろしの手を止め、笑顔でこちらに歩いてくる。
「若い子にモテれば良いんだけどね。残念ながら、今度からウチで働いてくれる子だよ。ゆうちゃん。ゆうちゃん、こっちは中村さん。中村商店って、この町唯一の店の人。中村商店で基本なんでも揃うから、なんかあったら頼むといいよ」
川島さんの会話の後半が自分に向けられていると気づき、慌てて頭を下げる。
「初めまして、高橋優子です」
「そうかそうか、何か足りないものがあったらなんでもおっちゃんに言いな。すぐ仕入れてきてやる。その分価格に反映させてもらうがな!」
「まったく、商売が上手いなぁ!じゃあ、また!」
「おう!」
ガハハと笑う中村さんの、嘘か冗談か分からない言葉を背に車は再び動き出す。
「今から挨拶に行く人は大迫さんって言って、仕事とは関係ないんだ。紛らわしかったかな?ちょっと顔出すくらいだから、気負わないで大丈夫だよ。あ、ほらあそこ」
ハンドルを片手で握ったまま、もう片方の手で指を差す。その先には日本家屋のどっしりとした一軒家があった。
広い庭にそのままトラックで突っ込む。庭の端に停車させると、川島はそのままトラックを降りていく。
私はボストンバッグの中の小さなクッキーの缶を確かめた。近所に挨拶回りする時に配ろうと思っていたお菓子。こんなので大丈夫だろうか?……何も無いよりマシだろう。荷物を持ち、置いていかれないように川島の後を追う。車に鍵はいらないのだろうか?
「大迫のおじちゃーん!いるー!?」
川島さんはインターホンも押さずに、玄関を開け叫んでいた。ここではこのスタイルが普通なのだろうか?立派な玄関横には、これまた立派なカメラ付きインターホンがあるというのに。
「はいはい……あらぁ、こうちゃん!焼けたねぇ」
中からパタパタとスリッパの音とともに、上品な高齢女性の声が響く。
「あはは、役所の仕事っていっても、外仕事がメインだからね。それよりおじちゃんいる?紹介したい人がいてさ。今度からウチに配属されるゆうちゃん」
そう言って川島さんがこちらを振り返る。目の前には上品な女性。薄い紫のブラウスに、黒っぽい膝下のスカート、染めてない真っ白な髪は頭の後ろでひとつにまとまっている。老眼鏡だろうか?そこから伸びる細い鎖が、ネックレスのように胸元で揺れている。
「初めまして、お世話になります。高橋優子です」
「あらぁ!まぁまぁまぁ!可愛らしいお嬢さんだこと!……あらヤダ!私ったら!上がってちょうだい、お父さん呼んでくるから。こうちゃん、お座敷に案内してあげて!」
お菓子を渡すタイミングを逃してしまった。女性は慌ただしくパタパタと、スリッパを鳴らしながら引っ込んで行った。
「ゆうちゃん、こっち」
既に靴を脱ぎ、建物の奥に進みながら川島さんが手招く。
「お邪魔します」
一言断って上がり、靴を揃える。ついでに川島さんの靴も揃えておく。
入ってすぐ右にある、縁側に面した廊下を進む。すごい。廊下なのに畳が敷いてある。庭に目をやると、綺麗に剪定された、槇の木やツツジの植え込みが並ぶ立派な日本庭園が広がっている。先を行く川島がひとつの部屋の前で足を止める。
「ここだよ」
そう言って障子を開く。ふわりと香るい草の匂い。狭くはない和室には大きな座卓と重ねられた座布団。川島さんから渡される座布団を受け取りながら疑問に思ったことを聞く。
「あの、ここって……川島さんの祖父母のお宅とかなんですか?」
「え?違うけど。なんで?まず苗字違うでしょ?」
キョトンとした顔で聞き返してくる川島さん。途端に恥ずかしくなって声が小さくなる。
「あの、インターホン押さずに入ったり、家の中も知ってらっしゃるし……私てっきり……」
「あっははは、確かに、町の外の人から見るとそうだろうね。でもね、小さな町だからみんなこんな風なんだ。みんな知り合い。ゆうちゃんもそのうち慣れるよ」
そのうち慣れる、か。俯いて、ショルダーバッグのストラップを弄る。
私が慣れるのと、みんなが見切りをつけるのはどっちが先だろう。
その時、足音が聞こえてきて奥の襖が開く。顔を覗かせたのは短く髪を刈りこみ、人の良さそうな笑顔を浮かべるおじいちゃん。紺色のポロシャツに薄茶の長ズボン。背筋もピンと伸びていて、足取りもしっかりしている。
思わず中腰になった私に、大丈夫という風に頷いてみせと、座卓を挟んだ向かいに腰を下ろす。
「あの、初めまして。高橋優子と申します」
「これはご丁寧に。僕は大迫誠一と言います。北浦浜町の町長をしています」
「明後日から北浦浜町役場でお世話になります。よろしくお願いします」
深く頭を下げる。
「いいよいいよ、ゆうちゃん。そんなに緊張しなくって」
隣で川島さんが笑う。
「恒一は変わらんなぁ。せっかく町長らしくしたのに。ま、僕もよそ行きの顔はここまでにしとくか。ゆうちゃん、足崩して楽にしなさい。今初江がお茶を持って来るから……」
大迫さんが言い終わる前に、パタパタとスリッパの音が響いてくる。部屋の前で止まると襖が開いた。顔を出したのはさっきの婦人。
「外、暑かったでしょう?冷たいものがいいと思って。麦茶だけど」
そう言いながら、結露した麦茶のグラスを並べていく。その会話が途切れた一瞬を狙い、クッキー缶を取り出す。
「あの、これご挨拶に……お菓子なんですけど」
「あらあら、気を使わなくて良かったのに。でも嬉しいわ。そうだ、ちょっと待っててね、代わりにおかずになるもの包んであげる」
そうして立ち上がると、またパタパタと音をさせて引き返していく。
大迫さんが視線だけで見送り、口を開く。
「うちのがせわしなくて申し訳ないね。若い人が来てはしゃいでるんだろう」
それからしばらく、会話に花が咲いた。
大迫さんは町長というより近所のおじいちゃんといった雰囲気で、町のことをいろいろ話してくれた。漁業が盛んなこと、役所より漁業組合の方が強いこと、若い人が出ていってしまうこと。
気がつけば、グラスの麦茶はすっかりぬるくなっていた。
「すっかり話し込んでしまったね」
大迫さんの言葉に、外に視線を向ける。高くあった太陽は、いつの間にか赤く染まっていた。
「本当だ。ゆうちゃん、そろそろお暇しようか」
川島さんが立ち上がる。私も後に続く。
玄関先まで見送りに来てくれた二人が笑顔で手を振っている。
膝の上には、さっき貰ったビニール袋が置かれている。煮魚に、ポテトサラダ。引っ越してきたばっかりで、ご飯も何もないでしょう?と、ラップに包まれたおにぎり。
「……引っ越しの挨拶をしただけなのに、倍以上になって返ってきました」
「ここではみんなそんな感じだよ。小さな町だから助け合って暮らしてる」
私がぽつりとこぼすと、運転席の川島さんが答えた。
助け合い、か。膝に乗せたビニール袋から伝わる温かさが、どこか心地よかった。
「この町の動線は海の方に寄ってるんだけど、ゆうちゃんに住んでもらう社宅もその付近だから。町で生活する分には車がなくても問題ないと思うよ。ここの道を右折ね。真っ直ぐ行けば役場や商店、漁業関係。定食屋さんもあるよ」
「あれ?役場には向かわないんですか?」
説明しながら、ハンドルを右に切る川島さんに尋ねる。
「あぁ、だって配属は明後日からだろ?仕事仕事より、まず町でゆっくりして慣れて貰いたいのもあるし……引っ越しの荷物も片付けなきゃいけないだろうし。あ、ほらここだよ」
少し坂を登った先には、青い玄関扉が四つ並んだ建物が一棟建っていた。建物の面積より駐車場の方が広い。
「ちょっと待ってて、田村のおばちゃん呼んでくる!」
それが誰だか聞き返す前に、川島さんは道を挟んだ向かいの一軒家に入っていった。もちろん、インターホンを押さずに、玄関から叫ぶ形で。
……本当にあんな感じなんだ。
荷物を持ったまま立ち尽くしていると、すぐに川島さんは老夫婦と一緒に戻ってきた。
「初めまして、高橋優子といいます。これからお世話になります」
「初めまして。管理人をやってる田村和江です。……ふふ、なんて。これから毎日顔を合わせることになるんだから、堅苦しいのは、やめにしましょう」
和江と名乗った女性は、白髪を短く切った、足首までのワンピース姿で微笑んだ。
「こっちがうちの旦那。漁師を引退してからね、ずっと家でゴロゴロしてるから、なんか力仕事や面倒なことがあったらこき使ってやってちょうだい」
和江さんの背後にいた男性に軽く頭を下げる。日に焼けた肌に真っ白なシャツ、咥えタバコをした男性も軽く頭を下げた。
「さて、優子さんの――いえ。ゆうちゃん、でいいかしら?新しいお家は201号室を選んだの。上の方が見晴らしがいいから……でも一階も空いてるから、もし下がいいなら……」
「いえ、どこでも大丈夫です。屋根と壁があれば……」
「うふふふ、あなた面白い子ね。さ、男性陣は散った散った!女の子の部屋に許可なく入るのは私が許しませんからね」
和江さんは、川島さんと男性に向けて手で払う仕草をする。
「参ったなぁ、じゃあ俺はこの辺で。ゆうちゃん、明後日の朝、役場の方によろしくね」
そう言って川島さんはトラックに乗り込む。
「あ、あの!ありがとうございました!」
慌てて付け足したお礼に川島さんは片手を上げると、トラックは低い唸りを立て行ってしまった。
「201号室はここのドアね。これが鍵。どうぞ、開けてみて?」
和江さんから渡された鍵を使って、201と書かれたドアを開ける。ドアはひっかかりも軋みもなく開いた。入ってすぐに上がり口があり、先は階段が続いている。階段を見上げる私に背後から声がかかる。
「海辺だと外階段はすぐ錆びちゃうでしょう?中のチェックだけ一緒にいいかしら?」
「あ、はい!」
慌てて脇に避ける。
「どうしたの?あなたの家なんだから堂々としてていいのよ。わたしはお客さん。ほら、お邪魔します」
クスクス笑う和江さんに背中を押される形で階段を登る。登った先のドアを開けると、広いリビングの真ん中に、先に郵送しておいた荷物が積まれていた。
「すみません、これを受け取るために早めに来たのに……」
「いいのいいの!旦那が暇してるって言ってたでしょ?少しは動かさないとそのうち糖尿病になっちゃうわ。それより、欠けてるものはない?」
和江さんの言葉に、ざっと箱の伝票を見る。
「ありがとうございます。大丈夫そうです」
「そう。じゃあぱぱっと説明するわね。電気とガス、水道は開通してあるわ。エアコンも動作確認してある。ネットはまだもうちょっとかかるみたい……。ここが水周り、こっちがお風呂とトイレね」
田舎だからと覚悟していたが、バスとトイレは別々で綺麗だった。トイレは洋式で、ウォシュレットまである。少しホッとした。
「こっちが洋室二間。六畳だから少し狭いけど物置にでも使ってちょうだい。そしてこっちが十二畳の寝室。ここからの見晴らしが良いから、ぜひここをゆうちゃんに使って欲しかったの」
ドアを開けると部屋の中は一面真っ赤に染まっていた。夕日だ。
遠くで、水平線に沈む夕日が、大きな窓から斜めに差し、部屋を赤く染め上げていた。
「わぁ……」
「夕日も素敵だけど、ほら海が見下ろせるでしょう?下だと見えないのよ」
「すごく気に入りました」
私の言葉に、和江さんは笑みを浮かべた。
「良かった。ファミリー向けだから、一人には少し広いかもしれないけど。寂しかったらいつでも遊びに来て。家はあそこ」
そう言って和江さんは、窓から見える家を指さす。
「それじゃあ、疲れたでしょうからゆっくり休んで。なにかあったら何でも言ってちょうだい。あ、なにか食べるものはある?」
階段に向きかけていた足を止め、和江さんが振り返る。
「あ、さっき大迫さんの家で煮魚とおにぎりを貰いました。」
「そう。それじゃあ私はこれで。女の子なんだから鍵はちゃんとかけるのよ?」
玄関まで一緒に降りると、和江さんは手を振りながら帰って行った。
玄関に鍵をかけ、チェーンを下ろす。
部屋に戻り、手頃なダンボールを引き寄せる。テーブル代わりにした段ボールの上に、貰ってきた料理を並べ……
「あっ、飲み物」
手が止まる。
ラベルをチェックして、ひとつのダンボールを開けると、その中からマグカップを引っ張り出す。
「水道は通ってるって言ってたし、水でいっか」
大迫さんが用意してくれていた割り箸で魚を口に運ぶ。冷たくなったおにぎりにかぶりつく。
「美味しい……」
広い部屋に、ぽつんと言葉が落ちた。
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