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  • 記事での回答、ありがとうございます。
    一往復で終わるのは致し方ないところ、と思っていたので、もう一回書き込みができるのは助かりますし、嬉しくもあります。
    以下、書いてくださった記事内容へのお返事となります。

    恐縮です、こちらの尋ね方が不適切でした。
    主意は汲んでくださっているようには思いつつ、こちらがもっと伝わる書き方でお尋ねしていれば、ご回答にお手間をおかけしなかったかもしれない……と反省しております。

    踏まえて、はじめに念のための確認をさせてください。
    差し上げた質問の主旨は、
    「この作品を読み始めたとき、どういう系統の作品として読み始めたか。児童文学寄りか、青年漫画寄りか、あるいは系統を意識せず読まれたか」
    と言い換えられるようなものでしたが、汲んでくださった内容はそれと相違ありませんでしたか。

    そしてもしそうなら、それへの回答は、
    「作品の系統は(少なくとも意識的には)見分けておらず、読みの基準には実生活の感覚を使っていた」
    という解釈で差支えなさそうでしたでしょうか。

    ここもOKなのであれば、この話題は小津さんが企画の目的として挙げておられた二つの点に資するものになり得るかな、と考えました。
    「どこが良くてどこが悪いか」を言語化する訓練と、「哲学的な話へ批評を転化させる」の二点です。

    私がしたかったのは、文学理論でいう“解釈共同体”の話でした。
    ここでは“読み方の約束事を共有している読者の集まり”くらいの意味で使っています。
    小津さんであれば既にご存じか、そうでなくても調べればすぐにご自分の概念として使いこなされるのでは、と思う用語です。

    小津さんご自身が出された話題との接点でいうと、カクヨムのラブコメジャンルの話が説明しやすい例になります。「行動力のある『陰キャ(笑)』」という表現が成立するのは、ラブコメジャンルにおける“『どこを不問にしてどこを厳密に見るか』の約束事の体系”が、実生活を基準にした“約束事の体系”を持つ解釈共同体――大概の人が所属を持っているメジャーな解釈共同体――の常識とかみ合わないからですよね。
    その違いを初めから視野に入れて、「この作品はどの解釈共同体を読者として想定しているか」を確かめるところから批評の検討を始めることにしてしまえば、記事におこすにあたっての整理がはかどるのでは、と考えたのでした。
    「世界観、キャラクターの分析」も、分析対象の作品がどういった解釈共同体を主な読者層として想定しているかによって結果が変わりうるでしょうから、その点でも使い出があり、目的に沿っているように思われます。

    大衆と一口に言っても、その内訳は十人十色と多様ですよね。
    その一人一人がそれぞれ、複数の解釈共同体に属している。したがって、商業であろうと文学であろうと、作品を書くにあたってはターゲット層を絞り、本文表現からパッケージングからで早め早めに“どの共同体向けか”を示していく作業が不可欠になる。
    「どこが良くてどこが悪いか」は、自分がそのターゲットであるか(ターゲットとされる解釈共同体に属しているか)次第でまず変わる。そして、そこがかみ合わないまま下される評価は、想定した共同体に属する読者に読んでもらえた時の“こうなるはず”とはまったく異なったものになりうる。
    小津さんのこのエッセイは、その辺りへの思いが多少なりともあって書き始められたものだったのでは、と自分は現状認識しています。
    そのことが今回の企画と関連を持つか否かはわかりませんが、読み違いによる評価だけでなく、正当な評価であっても相手を傷つけうる、というリスクを小津さんが意識されていることは、企画概要の文面からも読み取れました。その意味でも企画主旨にはかみ合うのではないかな、と。

    批評に解釈共同体という観点を盛り込む、という判断、それ自体はあってもなくてももちろんよいものと考えます。
    ので、これは「入れたらどうか」というよりも、「ご関心はありますか」くらいのノリでの書き込みとなります。
    こういう主旨の企画をお立てになる方はあまりいらっしゃらないように思われるので、だったらこの辺どうだろう、話に出すだけ出しとこう、と思っての会話参加でした。

    僭越、あるいは失礼な書き込みとなっていなければいいのですが……。
    コメントなのに長文となった点、すみませんでした。

    作者からの返信

    伊草いずく様、返信遅くなり申し訳ありません。
    確認は伊草いずく様の解釈で問題ありません。
    解釈共同体という理論、初耳で興味深いです。ただ、その文学理論を以降利用するかに関しましては、あまり前向きには検討していません。
    理由は二つあって、一つは私の中に、『良作・傑作とは、議論を生み出す作品』であり、良作・傑作に細分化されたゾーニングが不要であるという思想があるためです。無論、語彙や表現の難しさや構成の複雑さで、年齢層によってゾーニングは自然発生的に起こり得ますが。
    良作・傑作は、その作品を面白いと思う人間、全く面白くないと思う人間両方を呼び込み、考察や根拠のある感想を投げ合える環境を創り出すものだというのが、私の考えです。俗に言う『万人受け』と異なるのは、読者集団の総意が『この作品は面白い』に定まらないことです。

    二つ目は、今後の批評に解釈共同体の想定を入れてしまうと、逆に私が所属していない解釈共同体向けの作品を切り捨ててしまう可能性があると考えたからです。
    私自身、『テンプレ』や『チート』など、一部の界隈で『なろう系』だと嘲笑されるような作品に苦手意識を持っているわけですが、それはあくまで私の意見であり、その作品の語彙、表現、ひいてはそれらによって構築されるキャラクターや世界観の善し悪しとは切り分けるべきでしょう。
    『私向けではない』と確信した作品を読むのは私も辛いですし、読者層の反応の差異を前提とした読み方は、批評としての中立性に欠けるような気がします。

    とはいえこのように書きましたが、創作と商業活動が結合し、娯楽が量的氾濫を起こしている現代では、解釈共同体の想定が不可欠であり、その想定が提示されている作品が是とされることを感じてはいます。
    更新速度と内容から、全く真面目な批評企画としてやっているわけではないので、どこかのタイミングで取り入れられるかもしれません。

    ひとまず、新しい知見をくださった伊草いずく様には、感謝申し上げます。
    近々、伊草いずく様の批評も行いたいと思います。もうしばらくお待ちください。


  • 編集済

    コメントをするか迷ったのですが、言及先が自分でも小津さんでもなく、他の方の作品であるならいいか……? と思い、書き込むことにしてみました。

    気になったのはリアリティライン周りのお話でした。
    最後の「違和感」の妥当性について判断されているくだりです。
    これが妥当とされたのは、要約すると「著者が設定したリアリティラインが文中で適切に提示されていなかった」からだ、と読んだのですが、そこはあっているでしょうか(違ったらすみません……)。

    もしそうであるとしたら、以下についてご意見を伺ってみたいと思ったのです。

    【リアリティラインの把握過程でどういった点が提示不適切だったか】
    提示不適切……言い換えると、“リアリティラインを読み違えるような紛らわしさがどこにあったか”ということです。
    自分も当該の作品を拝読してみたのですが、把握過程はこんな風でした。

    ・『バッテリー』(あさのあつこ、児童文学)寄りか『おお振り』(ひぐちアサ、商業かつビームとかアフタヌーンとかの文芸っぽい漫画)系か、どっちだろう?
    ・青春みはあるけど間の取り方と人物の喋り方がキャラクタリスティックなところがあるから後者寄りだろうか。あとフィクショナルな先生の喋りを見るともっと砕けた感じがありそう。少年が他の少年の手を引っ張るのに抵抗ない、みたいなところから絞るとBL漫画系かな
    ・書こうとしていることが人物焦点というよりテーマ焦点っぽいから両者混合……かどうかは絞り切れない。児童向け小説系なら文庫寄りで硬くない方かな

    二人目の男子キャラが陸上部だったところに引っ張られた部分はありますが、そう迷う感じでもなかったなと自分では振り返ります。
    ので、小津さんはその辺りの絞り込みに関して、どういった過程をたどられたのかを伺ってみたいと思ったのです。それは自分という個人が事前に想定しきれない目線だと感じたからです。紛らわしさ、を見落としている。

    小津さんの絞り込みをおかしいと思っているわけではまったくないです。現にコメント欄を見れば、「唐突に親しくなる」と感じた読者の方もいた。
    同じ児童文学でも読むのは上橋菜穂子ぐらいまでで、あさのあつこを『NO.6』筆頭に関係性萌え主体で読んでいくみたいな辺りになると馴染みがない。そのぐらいのスタンスの方なら絞り込みにエラーが出ても当然だろうと思う。

    「その方面の方は読者として対象にしていなかった」と言ってしまってもいいのかもしれませんが、上記コメントの方のことはわからないにしても、少なくとも小津さんは「つばさ文庫」系も恐らく普通に読んでらしてるわけで、小津安二郎をもじる一方で悪役をヴィランと書いたり、ライトノベルのラブコメに言及しているところから見ても、かなり守備範囲の広い方なように思える。
    その小津さんがエラーを起こした、少なくとも私とは違う絞り込みをした、というのは、「読者層じゃない」の判断で流していいレベルを多分越えている。
    ので、伺ってみたいと思ったんです。

    別の可能性としては、小津さんが重んじるリアリティライン、それを固定の物差しとして使いながら記事を書いていくことが目的の一つにあった、等が思い浮かびますが、そっちか、あるいは別の意図的な方針の結果でしたでしょうか。

    お考え、うかがえましたら幸いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    次話の付録篇にて(一応)回答させていただきました。
    まだ疑問が残るようであれば、付録篇の応援コメントに書き残してください。


  • 編集済

    こんばんは。こちらの作品を応募させてください。

    不老不死はまだ死ねない
    https://kakuyomu.jp/works/2912051604944270637
    分析の方向性としましては、読んでいて特に印象に残ったキャラクターを一人、あるいは複数人選び、その人物について自由に分析していただきたいです。

    可能でしたらでいいんですが、その人物がなぜ印象に残ったのか、どのような人物として感じたのか、作中でどのような役割を担っているように見えるのか、といった点から、必要に応じてその人物の価値観や行動原理、人間関係などまで掘り下げていただければと思います。


  • 編集済

    【遥かな空まで澄み渡れ】作者の夏谷です。

    拙作をしっかり読んでくださり、本当にありがとうございました。
    読ませていただいての感想・補足などを書かせてください。


    わたしの書き方は「頭の中に出てきた物語を書く」というタイプで、これまで現実との整合性という視点込みで考えたことはほとんどありませんでした。
    これからも物語を書いていく上で、ひとつ大切な視点をいただいたように思います。

    一教員が推薦を約束するのはどうなのか、という点については、実際にあり得る話です。
    わたし自身、現場でそういう様子を見てきました。
    書類選考や面接などの試験は受けるものの、合格はほぼ約束されている、といった措置は私立高校では見られていました。

    澄人の絵に対するスタンスについては、正直なところ、そこまで考えていませんでした。
    「キャラクターがそう言っていたので」という、かなり曖昧な答えしかありません。
    逆に言えば、「なぜこのキャラクターはそう言ったのか?」と考えていくことで、キャラクターそのものの裏打ちになりそうだ、という発見がありました。

    澄人と遥の相互作用的な部分を読み取っていただけたことも嬉しかったです。
    実はこの話は、二人が唯一無二の友情を育んでいく物語の導入にあたる部分でした。
    (続きを執筆するかは未定です)
    この時点では親しくはない。
    けれど、確かに互いから熱量を得ている。
    そこが伝わっていたのであれば、この話として書きたかったことはほぼ伝わっていたのだなと思います。


    批評の妥当性についても考えてくださって、ありがとうございました。

    「澄人と遥が親しくなっている」という部分については、読んでいただいた通りです。
    前述した通り、仲良くなっていく物語の導入部分なので、ここで終わったことで肩透かしに感じられたのは申し訳ないところですが、少なくともこの作品で書きたかったこと自体は伝わっていたのだと分かりました。

    野村先生について、「物語の先導役のようになってしまっている」という指摘についても、興味深く拝読しました。
    この先生にも設定があり、それが伝われば、また違った見え方になるのではないかと思います。
    また、リアルな部分について言えば、先生が「お前」「お前さん」と呼ぶこと自体は、わたしの経験上あり得ることだと思っています。
    公の場では立場を弁えていても、個別に話すときは、教員とて人間なので。

    総合的に見ると、短い文章の中にわたしの頭の中にある物語を文章に落としきれなかったが故に、読者側からは別の解釈になったり、違和感として受け取られたりする部分があるのだなと思いました。

    「この描写の根拠になる部分はあるか?」と、自分の中にある物語や設定と本文の整合性を確認するだけでも改善できそうなので、今後に生かしていきたいと思います。


    また、批評の中で語られている哲学的な話も、興味深く読ませていただきました。
    わたしとは違う読み方ではありますが、物語を一歩引いて読むことで、書いた本人とはまた違うところまで世界が広がっていくのだなと思いました。
    自分ひとりでは得られなかった新たな視点を発見することができました。
    批評をお願いしてよかったです。

    改めて、丁寧に批評してくださってありがとうございました。

  • 批評を受けた当日への応援コメント

    頼み事のお返事を頂かないうちに普段の手癖でうっかり応援を押しながら読み回ってしまいました、すみません……。
    (企画主旨の明言があるとはいってもこちらが一方的にお世話になるお願いをした直後にこういったことをするのは……と後から気が付きました。こちらで上がっていた作品に応援をつけかけたところで気づいたのです。そちらに応援がついていないのは評価していないということではありません、申し訳ありません)
    いったん静かにしていることにいたします。やってしまった……。


  • 編集済

    企画主旨、お立てになられた動機、目的、等について、本文を拝見した上で納得いたしました。
    そのうえで、以下の作品で応募したく存じます。

    識域のホロウライト
    https://kakuyomu.jp/works/16817330664680366899
    分析対象は、作者がこの作品において賛歌的に書くことを目指したもの、でお願いいたします。
    この作品ではそれを賛美しようという姿勢で書きましたが、是非はおくとして読んでくださった方がそれを対象化して何らか取り上げてくださるかもしれないというのは、得難い機会と感じます。何卒、お願い申し上げます。
    (もちろん私の実力不足や、個人としての相性の問題でそもそも何の話かわからない、となることも、あるかとは思うのですが……!)

  • 初めまして。批評経由でエッセイを拝読させていただきました。

    作品は拝見していないのですが、このエッセイを読ませていただいた限り、「文章が書ける作家様」だという印象を受けました。
    少なくとも、駄文しか書けない私に比べて数段文章がお上手だと感じました。

    引っかかりは全く感じませんでしたし、ご自身の胸の内を(お辛かったでしょうが)論理立てて、伝わるように言葉にしていてとても感心いたしました。
    私にはできません。

    作品を拝見していないので、批評内容に触れることはできませんが、批評のコメント欄であそこまで書かれるような作家様ではないと私は感じています。
    ネットって怖い……

    失礼ながら、御作の★や♡、コメントを拝見させていただきました。
    小津様も感じておられるでしょうが、作家のこれらはあまり信用するに値しません。
    実際に読んでいるか判断できないからです。

    現に、御作に寄せられたコメントのうち、英語の方と竹〜さんはたぶん読まずにコメントしてますね。
    無視して構わないと思います。

    ですが、PVを確認したところ、作家以外の読者は確実についていると思われます。
    批評内容は第三者からの忌憚のない意見として受け止めることも必要だと思いますが、自信を失わないでください。

    あなたが文章に触れてこられた時間は決して無駄ではないと私は思います。

    ……文章が拙いゆえ、きちんと伝わったか不安だす笑

  • 批評を受けた当日への応援コメント

    こちらに先のお返事を書かせて頂きます。

    まず「一文一意」ですが、字の通りです。
    1つの文章に複数の意味を持たせないようにしてください。複数の意味がある時は文章を分けてください。
    それだけできっと、文章は読みやすく・理解しやすくなります。
    (もちろん「絶対のルール」ではありません。意識してくださるだけで効果はあると思います)


    それではご質問の件に移ります。

    ① 私の作品から、情熱を感じ取れなかったか?
    こちらのエッセイでも書かれておられましたね。コメントをしようか迷った部分です。
    ではお答えしますね。

    御作から小津庵二郎(旧:@てくび)さまの情熱は、非常に強く感じました。
    作品へのこだわり、熱意、意気込みが込められていました。

    ですが、それらがあれば良作・名作というわけではありません。当然ですよね?
    作者の想いと、作品の完成度には関係がありませんから。

    むしろ私には「情熱が強すぎて空回りしている」ように映ってしまっていました。「あれも書きたい」「これも描写したい」と。
    その結果、作品が冗長になった上に要点も分かりづらくなってしまったと感じましたね。


    ② 主人公の理屈について
    アテネが敵国を恨む理由は分かります。
    家族を殺され、故郷を失っているんですから。ここはこれ以上の説明は不要でしょう。

    問題は「二コラを恨んでいる理由」です。
    家族を勝手に火葬されたって……何らかの理由があるのは明白でしょう?
    和泉将樹@猫部さまとのやり取りで、私は(伝染病予防?)と推測しましたけど、そんなところなんじゃないですか?
    遺品整理にしたって、つい先ほどまで敵国兵がいたんですよ? のんびりとしている暇なんてないでしょう?
    大学生のアテネは、そんなことも推測できないんでしょうか?

    だいたい、二コラは命の恩人なんですよ?
    いきなり殺そうとするのが「説明もなく読者に受け入れられる」なんて思わない方がよろしいかと。
    しかもその場限りではなく、アテネの殺意は(少なくとも数日以上は)継続していますからね。

    納得も共感も、少なくとも私には無理です。
    それが欲しいのであれば、納得と共感のできる説明や描写が必要です。


    そして最後に、和泉将樹@猫部さまへの怒りはお収めください。
    あれは御作の【概要】を読んだ「素直な感想」です。
    【概要】を読んで「アテネは敵国と二コラを恨んだ? なんで?」と思われたんですよ。それは小津庵二郎(旧:@てくび)さまが「伝えたかったことが伝わっていない」ということです。

    むしろ和泉将樹@猫部さまへは感謝をして頂きたいですね。
    「作品ページを開いたけど本文を読まない理由」を示してくださったんですから。
    普通は得られない情報です。本文を読まない読者(と言って良いのか分かりませんが)は、コメントなんて残しませんし無言で立ち去るだけですからね。

    感情を制御するのは難しいものです。
    特に怒りというものは御しがたく、簡単には収まりません。
    しかし今回の件で、和泉将樹@猫部さまへ怒りを抱くのは逆恨みというものです。

  • まずは小津庵二郎(旧:@てくび)さまに謝罪を。
    それほどの痛みを与えてしまったことを深くお詫びいたします。

    ただ、記事を読んで安心もしました。
    「筆を折ろうとした」ということは、逆に言えば「今は折る気はない」ということですから。

    続きはまだ読んでおりませんが、どのような吐露であっても構いません。
    これ以降はコメントしないかもしれませんが、私への罵詈雑言であったとしても受け止める所存です。
    私はそれだけのことをしましたからね。

    このコメントへの返信は不要です。
    見苦しければ削除してください。

    作者からの返信

     ……すみません、まず言わせていただきたいことがひとつ。
     私が本作をを書いた目的は、この章で記述したように「気持ちの整理をつけて意見を募ること」「筆を折らないようにしたこと」です。別に、三鞘ボルコム様から謝罪を引き出したくて書いたわけではありません。
     むしろ、謝らなければならないのはこちらです。批評を書くのにどれくらい時間をかけたのかは存じ上げませんが、真摯に作品に向き合ってくださった三鞘ボルコム様を踏み躙ってしまったのですから。

     もちろん、未だに納得のいかない箇所はあります。私の作品の何もかもが、分かりづらい悪文だとは思いません。一文一意というのもよくわからない状態です。

     つい二日前まで腹を立ててはいましたが、今となっては感謝すらしています。
     自分の書き筋が、読者を無視した自分勝手なものだったということ。
    『私の小説が分からないというのは、お前の読解力が足りないせいだ』という思い上がりを抱いていたこと。

     三鞘ボルコム様の批評が、このことに気付かせてくれました。
    「絶対見返してやる!」という不純な動機ではありますが、創作の熱もまた上がってきているのを感じます。


     再度申し上げますが、私が求めているのは謝罪ではなく意見、あるいは回答です。三鞘ボルコム様に謝罪の意思があるのならば、私の質問に返答してください。
     ……まぁ、もちろん無理にとは言いませんが。お手すきの際で結構です。

    ① 私の作品から、情熱を感じ取れなかったか?

     「正しく伝える力がなかった」というのですから、批評以前の、インプレッションを付けてくれた方は、正しく伝わってないなりに、何かしら情熱を感じ取ったのだと思われます。
     あるいは、物語の穴を想像で埋めて面白がってただけか。

     三鞘ボルコム様の批評を咀嚼して、疑問に残りました。何も感じなかったから書かなかったのか、あるいは、批評と言う形をとっているから便宜上あえて書かなかったのか。教えていただきたいです。


    ② 主人公の理屈について
     応援コメント欄にて、和泉将樹@猫部様と対話していた中で、「主人公が相手(敵国や女士官)を恨む理屈が非常にわかりづらい」とおっしゃっていましたよね。

     復讐したいと思う相手が、敵陣営だけでなく味方陣営にもいる。この構造が、そんなにわかりづらいですか?
     女士官に対し復讐心を抱く、過程の部分も同じです。遺品整理もさせてくれず、きちんとした火葬場で火葬してくれたわけでもありません。
     憎しみの感情が湧いても、おかしくないのではないでしょうか?

     ついでに言っておくと、女士官の行動は合理的です。しかし、合理的な行動だからといって、万人を納得させるとは限りません。
     正論が人を傷つけた経験は、批評を長年やられている三鞘ボルコム様にも身近なものだと思います。
     

     私は分かりづらいどころか、深みさえ感じます。そもそもこの冒頭は、私が感銘を受けた戦争小説のワンシーンから着想を得ています。もちろん書籍の作家様のものです。
     
     おそらく私の文章が下手なせいで、三鞘ボルコム様にこの構造が伝わりきらなかったのだと思います。

     本筋の批評よりむしろ、このコメントのほうに腹を立てていますし、さらに言えば三鞘ボルコム様ではなく和泉将樹@猫部様に怒っています。
    どのみち、私の文章を弁護することにはなりえませんが。



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