第14話 帰り道

──冬の空気は、晴れていても容赦なく冷たい。

まして、日が傾き始める時間ともなればなおさらだった。

一発の銃声が、住宅街の外れに響く。

建物の壁を蹴って跳び上がった穢身の肩が、大きく弾けた。

「ミカ、右」

「はいよー!」

ルナの声に応え、ミカが地面を蹴る。

黒い身体が体勢を立て直すより早く、その懐へ潜り込んだ。

片手剣を横薙ぎに振り抜く。

刃が胴を深く裂き、穢身の身体が傾いた。

そこへ、二発目の銃声。

今度は頭部を正確に撃ち抜く。

「ナイス!」

「前見て!」

「え?」

背後から影が覆いかぶさった。

二体目。

長い腕を振り上げた穢身が、ミカの頭上へ叩きつけようとしている。

「うわっ!」

ミカは横へ飛び退く。

直後、さっきまで立っていた地面が大きく砕けた。

「あっぶなー!」

「だから前見てって言ったのに」

「後ろだったじゃん!」

「そういう意味じゃない」

ルナは呆れながらも、銃口をすでに次の標的へ向けていた。

一発。

穢身の右膝へ弾丸が突き刺さる。

巨体が崩れた。

「今」

「はいよ!」

ミカが再び踏み込む。

倒れ込んだ穢身の首元へ剣を振り下ろし、そのまま一息に切り抜いた。

二体目が崩れ、細かな黒い塵へ変わっていく。

「あと一体!」

「上」

ルナが指した先。

低い建物の屋上から、最後の穢身がこちらへ飛び降りてくる。

「そっちから来るんだ」

ミカは笑って剣を構えた。

「じゃあ、早く終わらせよ!」

落下してくる穢身へ向かい、自分から跳ぶ。

空中で身体を捻り、すれ違いざまに刃を振るう。

ほとんど同時に、ルナの弾丸が穢身の胸を貫いた。

二つの攻撃を受けた身体は、そのまま地面へ落ちることすらなく、空中で黒い粒子へ崩れていった。

ミカはその中を抜け、地面へ着地する。

「寒い!」

着地するなり両腕を抱えた。

「さっきまで平気そうだったのに」

少し遅れて降りてきたルナが、銃を下ろしながら言う。

「戦ってる時は動いてたから!」

「じゃあもう一回動く?」

「それはやだ!」

即答だった。

二人の少し先では、最後の穢身が細かな黒い塵へ変わっていく。

先ほどまで人の背丈を大きく超えていた身体は、風にさらわれるように崩れ、数秒もしないうちに跡形もなく消えた。

今回の任務は、住宅街の外れに現れた三体の穢身の討伐。

避難誘導は現地の聖戦士や警察が先に済ませており、ミカとルナが到着してから戦闘が終わるまでは十分もかかっていない。

大きな被害も、怪我人もなし。

──最近としては、かなり平和な任務だった。

「三体目、討伐確認」

ルナが端末へ入力する。

「周囲の反応もなし。これで終わりだね」

「よーし!」

ミカは剣を収め、大きく伸びをした。

「帰ろ帰ろ。あったかいところ行こ!」

「報告終わってからね」

「ルナちゃんがやってくれてるじゃん」

「ミカも確認するの」

「へーい」

ミカは渋々ルナの隣へ寄り、端末を覗き込む。

表示されているのは、討伐数、周辺被害、負傷者の有無、現場座標。

どれも特に問題はない。

ただ、画面の端に表示された本日の出動件数を見て、ミカは少し眉を上げた。

「今日も多いね」

「うん」

「これで何件目?」

「この地域だけなら四件目。世界全体はもっと」

「最近ずっとこんなじゃない?」

「本部でも調べてるって。発生数自体が増えてるみたいだから」

「ふーん……」

ミカは画面を見たまま、少しだけ考える。

穢身が多ければ、それだけ聖戦士の仕事も増える。

当然、被害が出る可能性だって高くなる。

だから喜ぶような話ではない。

「早く落ち着くといいね」

「そうだね」

ルナが送信ボタンを押す。

報告完了の表示を確認して、端末をしまった。

「はい、終わり」

その時、通りの向こうから避難誘導を担当していた聖戦士が一人、こちらへ駆けてきた。

「討伐、終わりましたか?」

「うん。三体とも」

ルナが端末の画面を見せる。

相手はほっと息を吐き、崩れた地面と周囲の建物を見回した。

「ありがとうございます。こちらも避難解除に入ります」

「怪我した人はいなかった?」

ミカが聞く。

「はい。今のところは。ただ……この辺り、今週だけでも何度も穢身が出てるんですよね」

「やっぱり?」

「最近多いとは聞いてましたけど、ここまで続くとちょっと嫌ですね」

「だよねぇ」

ミカも苦い顔になる。

戦う側にとっては短い任務でも、近くで暮らす人にとってはそうではない。

何度も避難することになれば、それだけで日常は削られていく。

「何かあったら、またすぐ連絡して」

「はい。お疲れさまでした」

軽く頭を下げる相手へ手を振り、二人はその場を離れた。

「よし!じゃあ帰ろ!」

さっきまで考えていたことはどこへやら、ミカの顔はすぐに明るくなる。

今ここで考え続けたところで答えが出る話でもない。

二人は現場をあとにした。


*


任務先から最寄りの駅までは、歩いて十五分ほどだった。

冬の日は短い。

まだ夕方と呼べる時間なのに、街にはすでに夜の気配が混ざり始めている。

「寒い寒い寒いー」

「さっきからそれしか言ってない」

「だって寒いんだもん」

「冬だからね」

「冬って毎年こんな寒かったっけ?」

「それ毎年言ってる気がする」

「じゃあ今年も正常だね」

「何が?」

二人は駅へ向かう道を並んで歩く。

任務用の装備はポルックスの収納具へ収めているため、見た目だけなら学校帰りの学生とそれほど変わらない。

違うのは、つい十分ほど前まで穢身と戦っていたことくらいである。

しばらく歩くと、住宅の多かった景色に店の明かりが増えてきた。

パン屋の前から甘い匂いが流れてきて、ミカが露骨にそちらを見る。

「……お腹空いたー」

「さっき寒いしか言ってなかったのに」

「寒いとお腹空くんだよ」

「いつでもでしょ」

「否定はしない!」

ルナは小さく笑う。

「寄ってく?」

「うーん……」

ミカは店先を見つめたまま数秒悩み、首を振った。

「やめとく。ここで食べたら絶対もっと欲しくなる」

「珍しく我慢した」

「私をなんだと思ってるの」

「欲望のままに食べる人」

「だいたい合ってる!」

結局、二人は店を通り過ぎる。

「明日も任務あるのかな」

ミカが何となく言う。

「最近の感じだと、なくはないかも」

「うーん。たまには休みたいんだけど」

「申請出す?」

「でも今の情勢的に休んでも気が休まらなそう」

「それはそう。そのうちゆっくり休もう」

「そうだねー。ま、平和になって仕事減ったら休もうか」

「珍しく聖戦士みたいなこと言った」

「聖戦士だよ!」

「知ってる」

そんなやり取りをしながら、二人は駅の方へ歩いていった。

「あ」

そう言いながら、ミカが立ち止まった。

道沿いに並んだ自動販売機へ視線を向ける。

「なんか飲んでこーっと」

「また?」

「またって何!?」

「今日、学校でも買ってたでしょ」

「それは昼!今は夕方!」

「時間で別枠になるんだ」

「なる!」

ミカは自動販売機の前へ駆け寄った。

温かい飲み物の欄を眺めながら、真剣な顔で腕を組む。

「ココア……ミルクティー……コーンスープ……」

「そんなに悩む?」

「冬の自販機は重要なんだよ、ルナちゃん」

「そうなんだ」

興味がなさそうだった。

その時、ルナの端末が短く鳴った。

「あ、本部から」

「追加任務?」

「わかんない。ちょっと待ってて」

「はいはーい」

ルナは数歩離れ、端末を耳へ当てる。

ミカは再び自動販売機へ向き直った。

悩んだ末に選んだのは、温かいココアだった。

硬貨を入れ、ボタンを押す。

ごとん、と缶が落ちる。

「よし」

腰を屈めて取り出す。

指先へ伝わる熱に、思わず頬が緩んだ。

「あー、あったけ~~~」

「それ、美味しい?」

すぐ横から声がした。

「え?」

ミカは顔を上げる。

いつの間にいたのだろう。

自動販売機の隣に、一人の女性が立っていた。

ただ、さっきまでそこに誰もいなかった気がする。

特別派手な格好をしているわけでもない。

──だから、印象にも残らないのかもしれない。

「これ?」

ミカは手の中の缶を持ち上げる。

「そう」

「美味しいよ。たぶん」

「たぶん?」

「まだ飲んでないから」

女性が小さく笑った。

「それはそうだね」

「飲む?」

「くれるの?」

「いや、買えばいいじゃん」

「なるほど、そっちか」

「なんで私のを飲む流れになったの?」

「君が飲むかって聞いたからさ」

「聞いてないよ!」

思わず突っ込みながら、ミカは缶の蓋を開ける。

一口飲む。

甘く温かい液体が喉を通り、冷えていた身体へ少しずつ熱が戻ってくる。

「あ~、美味しい」

「そうか」

女性は自動販売機の並びを見る。

「じゃあ僕もそれにしようかな」

「僕?」

「変だった?」

「いや、別に。ちょっと意外だっただけ」

「そういう人もいるよ。君の周りにもいるだろう?」

「まあいるね」

──フィリピーヌを思い出しながら。

女性は財布を取り出すでもなく、そのまま商品を眺めている。

買う気があるのかないのか、いまいちわからない。

ミカはココアをもう一口飲んだ。

「お姉さん、この辺の人?」

「どうだろうね」

「どうだろうって何?」

「たまたまここにいるだけだから」

「旅行?」

「そう捉えてくれてもいい」

「ふわっとしてるなぁ」

普通に話しているはずなのに、妙に掴みどころがない。

それでも、不気味というほどではなかった。

街でたまに出会う、危険ではないが少し変わった人。

今のところは、その程度である。

女性はミカへ視線を向ける。

「君、よく笑うね」

「え?」

「さっきから随分楽しそうだなって」

「そう?」

「よくわかるよ」

ミカは自分の頬へ触れる。

別に意識して笑っていたつもりはない。

「まあ、今日は任務もすぐ終わったしね」

「任務?」

「んー、まあ仕事みたいなもの」

「そうなんだ」

女性はそれ以上聞かなかった。

その反応が、逆に少し意外だった。

「気にならないの?」

「君が話したくなったら聞いてあげよう」

「大人だ」

「君よりは大人だからね」

「自分で言うんだ」

「事実だし」

少しだけ間が空く。

女性は再びミカを見る。

「でも、よかった」

「何が?」

「君が楽しそうで」

「……?」

ミカは首を傾げた。

初対面の相手から言われるには、少しだけ変な言葉だった。

「私たち、どっかで会ったことある?」

「君の記憶をよく思い返してみるといい」

ミカは自信のない記憶を思い返す。

──しかし、該当する記憶は検索に引っかからない。

「覚えてないなー」

「だろうね。初対面だし」

「なんなんだよ」

「なんとなく、さ」

女性は笑う。

ごく普通の、穏やかな笑い方だった。

「ただ、君みたいな子は、笑ってる方が似合うと思っただけ」

「それなら褒め言葉として受け取っとく!」

「うん。そうしてくれ」

「ミカ」

少し離れたところからルナの声がした。

「電話終わったよ」

「ん、りょうかーい!」

ミカは振り返る。

ルナが端末をしまいながらこちらへ歩いてくる。

「なんだった?」

「うん。さっきの報告の確認だけ。追加任務はなし」

「よかったー」

そう言いながら、ミカは隣の人物へ顔を戻す。

「じゃあ私たち――」

誰もいなかった。

「……あれ?」

自動販売機の横。

歩道。

少し先の角。

どこを見ても、さっきまで話していた姿はない。

「どうしたの?」

ルナが隣へ来る。

「いや、さっきまでここに人がいたんだけど」

「人?」

「うん」

ミカは周囲をもう一度見回した。

隠れられそうな場所はない。

角までもそれなりに距離がある。

一瞬で見えなくなるには、少し早すぎる気がした。

「帰ったんじゃない?」

「なのかなぁ」

「知り合い?」

「全然。なんか急に話しかけられた知らない人」

「え、何話したの?」

「えっと……ココア美味しい?って」

「それだけ?」

「あと、私がよく笑うとか、楽しそうでよかったとか」

ルナが少しだけ眉を寄せる。

「知らない人に?」

「うん」

「変な人だね」

「でしょ?」

ミカは笑う。

「でも見た感じ普通の人だったよ。ちょっと変だったけど」

「普通なのか変なのかどっち」

「普通の変な人」

「何それ」

ルナは呆れたように息を吐いた。


*


二人は再び駅へ向かって歩き出す。

ミカはポケットに入れていたココアを取り出す。

少しだけ温度が下がっていた。

「……あれ、そういえば」

ルナが言う。

「ん?」

「今、何の話してたんだっけ」

ミカがルナを見る。

「今?」

「うん。なんか話してたよね」

「んーと、追加任務がなかったって話?」

「ああ、そうだった」

ルナはすぐに頷いた。

それだけだった。

ミカも特に気にせず、前を向く。

「それよりルナちゃん、これ飲む?」

「ココア?さっき買ったの?」

「そう。一口だけだよん」

「じゃあもらう」

ミカが缶を渡す。

ルナは自分なりに一口飲んで、すぐに返した。

「ありがと。美味しいね」

「……結構飲んだな!」

ココアは、半分近く消えている。

「一口だよ」

「一口が大きい!」

「気のせい」

「絶対気のせいじゃない!」

夕暮れの街に、二人の声が響く。

今日はただ学校に行って、任務をこなし、そのまま帰る。

変なことは何もない、平和な日だった。

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