30代で二流と言われた冒険者だったが、45歳を過ぎたら超一流の冒険者になっていた件
お化け屋敷
第1話 D級冒険者アイザック
潮風が混じった、心地よい喧騒。
港町アズールポートの冒険者ギルドは、今日も今日とて活気に満ちあふれていた。
木製の大きなテーブルに肘をつき、俺は目の前に置かれた琥珀色のエールをゆっくりと口にする。喉を通る心地よい刺激と、適度な苦味。これこそが人生の至福であり、大人の男にとって最高の贅沢だ。
「……ふぅ。やっぱりこの街のエールは最高だな」
独り言ちながら、俺は視線を斜め前方に向けた。そこには、ちょうどクエスト報告を終えて談笑している女性冒険者のグループがいた。
一人は、しなやかな肢体を革鎧に包んだ弓使い。もう一人は、健康的で張りのある太ももを惜しげもなくさらけ出した槍使い。若さという名の最高のスパイスが効いた彼女たちの姿は、枯れかけた俺の心に心地よい刺激を与えてくれる。
いや、枯れたとは言い切れないな。鏡を見ればわかる。
今の俺は、銀色の髪を短く刈り込み、顎には手入れされた濃い髭を蓄えている。かつての「美青年」という肩書きを捨て、追及を逃れるための変装として始めたことだったが、結果的にこれが分だったらしい。
もともと恵まれていた骨格と、長年の鍛錬で引き締まった体躯は、中年という年齢に達したことで「熟成」された。単なるおじさんではない。大人の男だけが持つ色気と余裕、そしてどこか危うい雰囲気を纏った、「イケオジ」としての完成形に至っていた自覚がある。
まあ、中身はただの「働きたくない怠け者」なのだが。
「……アイザックさん」
冷ややかな声が鼓膜を叩いた。
視線を上げると、そこには受付嬢のエリーナちゃんが立っていた。金髪を丁寧にまとめ、緑色の瞳に軽蔑と呆れを混ぜ合わせた絶妙な表情で俺を見下ろしている。
彼女は真面目で規則に厳しい。そして何より、俺の好みである「大人の女性」的な肉感に欠けるスレンダー体型だ。だからこそ、俺は彼女を適当にあしらうことができる。
「なんだい、エリーなちゃん。おじさんの至福の時間を邪魔するなんて、罪深いことだなぁ」
「その『おじさん』という言葉で誤魔化そうとする態度が気に食わないんです。あと、私の名前を呼び捨てにしないでください」
「いいじゃないか、親しみを込めてるんだよ。それより、あそこにいる槍使いの子、いい体してるな。あんな風に鍛えられた脚なら、どんなに歩いても疲れないだろうなぁ……」
「はぁ……。本当に救いようのない方ですね」
エリーナちゃんが深く、深いため息をついた。彼女の目には、「この人は人生の時間を無駄に消費している不純物だ」と書いてある。
当然だろう。俺——もとい、『アイザック』は現在、この冒険者ギルドではそこら辺にいる普通レベルの「D級冒険者」である。これで俺が後20も若ければ有望株といわれるだろうが、俺は45歳というおじさんである。この歳まで「D級冒険者」である冒険者とは人生の落伍者とも言える。
本来の俺の名はイザーク。かつて王都でS級パーティ『暁の勇者』の一員として名を馳せた(正確にはメンバーを育て上げて支えた)B級冒険者である。
だが、ある事情——具体的に言えば、高貴な貴族夫人との激しすぎる不倫騒動——により、俺は社会的に抹殺される寸前まで追い込まれ、王都から逃亡した。正体を隠して生き延びるため、知人のアレンがギルドマスターを務めるこの辺境の港町に流れ着き、名前を少し変えてランクを大幅に下げてD級冒険者の「アイザック」として潜伏しているわけだ。
「D級冒険者」という身分は便利だ。期待されないし、責任も軽い。適当に塩漬け魚の運搬のような、誰でもできる依頼をこなしながら、酒と女に溺れる生活。これこそが俺の理想郷だった。
「それで、アイザックさん。あなたに伝えたいことがあります」
「えー、面倒くさい話ならパスで。今、ちょうどいい角度で女の子が見えてるんだから」
「ギルド長のアレンさんからの伝言です。『アイザックの奴、いつまでも酒を飲んでないで、たまには役に立て』とのことです。具体的には……新人冒険者たちのパーティの面倒を見てほしいそうです」
俺は飲んでいたエールのジョッキを机にガチャンと置いた。
「……は? おじさんに教育係やれってか?」
「はい。最近、意欲だけはあるけれど基礎ができていない新人が増えていて、彼らが事故で死ぬとギルドの損失になります。あなたのような『経験はあるが、適当に生きてきた人間』こそ、現実的な生存術を教えるのに適しているとか」
アレンの奴、相変わらず俺を利用するのがうまい。
まあ、あいつには恩があるし、今の身分を保証してくれている。断る権利はなさそうだ。
俺は溜息をつきながら、ゆっくりと腰を上げた。
「わかったよ。やってやればいいんだろ」
ふらりと歩き出した俺の視界に、クエストボードの前で言い争っている若者たちの姿が入った。
彼らは、自分たちのランクでは到底不可能な高難易度の依頼を指差し、「これを達成すれば一気にランクが上がる」「俺ならいける」と熱っぽく語り合っている。
その光景を見た瞬間、俺の脳裏に、遠い昔の記憶が鮮明に蘇った。
……そうだったな。俺も、あんな風に根拠のない自信に満ち溢れていた時期があった。
◇
それは、今から三十年以上前のことだ。
俺とクリフは、エルドリア王国の辺境にある小さな農村で共に育った。
村の生活は静かだった。朝から晩まで土を耕し、作物を育て、季節の巡りに合わせて生きる。それが当たり前の世界だ。この村で生まれる子供のほとんどは、そのまま「農民」として一生を終える。
だが、俺とクリフは違った。
俺たちはいつも村の外に広がる森や山を見つめ、その向こうにあるという王都や、未知の魔物が潜むダンジョンの話に胸を躍らせていた。
そして迎えた、十五歳の成人の儀。
この世界では、十五歳になると教会の「スキルオーブ」に触れ、自分の人生を決定づける【職業】を鑑定される。それは神から与えられた運命のようなもので、一度決まれば基本的に変わることはない。
村の広場に建てられた教会の中は、緊張感に包まれていた。
同級生たちが一人ずつオーブに手を触れ、「農民」、「職人」、「料理人」といった結果が出ては、親たちの安堵した顔と、子供たちの諦め顔が交互に現れる。
「次は……イザーク。前へ出なさい」
司祭に呼ばれ、俺はゆっくりと歩き出した。
当時の俺は、村の中でも際立って恵まれた体格をしていた。背が高く、肩幅が広く、少年ながらに骨格が出来上がっていた。整った顔立ちだったこともあり、村の大人たちからは「もったいない」と期待されていたが、本人は至って適当だった。
オーブに手を触れる。
瞬間、眩い光が視界を覆い、頭の中に直接、明確な文字が刻まれた。
【職業:剣士】
周囲からどよめきが起こった。「農民」以外の職業が出ただけでも珍しいが、「剣士」という前線で戦う職は、この村では数年に一度出るか出ないかの希少種だった。
俺は内心でガッツポーズを決めた。これで、あの退屈な畑仕事から解放される。冒険者になって、世界中を旅して、美味しいものを食べて、綺麗な女の人と出会える。そんな夢に胸を膨らませた。
「次は……クリフ」
俺の隣で緊張に肩を震わせていた幼馴染、クリフが前に出た。
彼は俺とは対照的に、小柄で華奢な少年だった。だが、その顔立ちは驚くほど整っており、中性的な美しさを備えていたため、村の娘たちからは密かに人気があった。
彼がオーブに触れた瞬間——。
先ほどの俺の時とは比較にならないほどの、黄金色の閃光が教会全体を照らし出した。
「なっ……! これは……!」
司祭の声が上ずっている。呆然とオーブを見つめるクリフの後ろで、文字が浮かび上がっていた。
【職業:聖騎士(パラディン)】
静まり返った教会に、どよめきを通り越した衝撃が走った。
「聖騎士」とは、戦士の武力と僧侶の神聖魔術を併せ持つ、数千人に一人と言われる【レアクラス】だ。単なる冒険者ではなく、王国の騎士団や教会の中枢に就くべき、選ばれし者の証。
俺は、隣で呆然としているクリフの肩を強く叩いた。
「おい! すごいじゃねえかクリフ! お前、最強になれるぞ!」
「……え? あ、ああ。そうみたいだな」
クリフは困惑していたが、その瞳には俺と同じ、あるいはそれ以上の希望が宿っていた。
剣士の俺と、聖騎士のクリフ。
この二人さえいれば、どんな困難も乗り越えられる。そんな根拠のない万能感に支配されていた俺たちは、村の人々の惜しむ声を背中に受けながら、希望という名の荷物を詰め込んだ小さな鞄を抱え、故郷を旅立った。
◇
王都ルクサンドリアに到着した俺たちの目に飛び込んできたのは、想像を絶する巨大な都市の姿だった。
石造りの高い壁、行き交う豪華な馬車、そして街の中心に鎮座する威厳ある冒険者ギルド。
「ここが……王都か」
「なあクリフ、早速登録してクエストに出ようぜ!」
俺たちは興奮のままに冒険者ギルドへ駆け込み、手続きを済ませた。当然ながらランクは最低のF級からスタートだ。
本来なら、まずは薬草採取や街の掃除といった簡単な依頼から始めるのが常識だが、血気盛んな十五歳の俺たちにそんな余裕はなかった。
「おい見ろよ、このクエスト。『ゴブリン退治』だ! 報酬もいいし、これこそ冒険者の第一歩って感じじゃないか」
「……イザーク、ちょっと早すぎないか? まだ剣の扱いだって基礎しか……」
「何言ってんだよ。お前は聖騎士だぞ? 俺だって十分鍛えてきた。二人なら余裕だ!」
俺たちは無理を言って、本来ならD級やC級が受けるべきゴブリンの討伐依頼を引き受けた。
結果はどうだったか。……地獄だった。
森に入ってすぐに、俺たちはゴブリンの狡猾さと凶暴さを思い知らされた。
見た目は醜い小鬼だが、集団で襲い掛かる彼らの連携は恐ろしかった。錆びた剣を振り回し、泥の中から不意に飛び出してくる。
「ぐあっ!」
「クリフ! 右だ!」
俺は必死に剣を振るったが、空を切ることが多い。それでも、持ち前の体格と筋力で一撃当てればゴブリンを一撃で吹き飛ばせたが、数に押し切られそうになったその時。
「——ホーリー・シールド!」
クリフが叫ぶと共に、俺たちの前に眩い光の壁が出現した。
飛んできた矢や、ゴブリンの鈍器がその壁に弾かれる。聖騎士としての天賦の才が、実戦という極限状態で開花した瞬間だった。
「今だ! イザーク!」
「おうっ!!」
クリフが光の加護で敵を足止めし、俺がその隙に最大出力の一撃を叩き込む。
泥にまみれ、服を引き裂かれ、至近距離で魔物の腐臭を嗅ぎながら、俺たちは死に物狂いで戦った。
結果として、ゴブリンの群れを退治し、なんとかクエストを達成した。
冒険者ギルドに戻ったとき、俺たちの姿は見るも無惨だったが、手に入れた報酬金と「やり遂げた」という快感は、若き日の俺たちにとって最強の麻薬となった。
それから数ヶ月の間、俺たちはブレーキを忘れたまま突き進んだ。
一角オオカミの討伐に挑んでは肩を深く切られ、コボルトの群れに囲まれて絶望的な状況まで追い込まれる。
その度にクリフの回復魔法と防御スキルが俺たちを救い、俺の剣術が道を切り開いた。
無理を重ねた結果、短期間でランクはD級まで上がった。
周囲からは「若いくせに危なっかしい」と言われながらも、「聖騎士がいるからなんとかなっている」という評価を得ていた。だが、俺たち自身は気づいていなかった。自分たちが単なる「運とクリフの能力」で生き延びているだけだということに。
そして、その限界は残酷な形でやってきた。
『オークの群れの討伐』クエストだ。
ゴブリンとは比較にならない巨体と膂力を持つオーク。彼らは一撃で人間を絶命させる破壊力を持ち、皮膚は硬く、並の剣では弾き返される。
「ガアッ!!」
激しい衝撃と共に、俺は後方へ吹き飛ばされた。
背中が岩に当たり、肺から空気が漏れる。視界が火花を散らし、隣を見ればクリフが血まみれで膝をついていた。彼の聖なる盾はすでに砕け、呼吸は荒い。
(……無理だ)
本能的に理解した。
俺の剣ではオークの皮膚に深い傷をつけることができないし、クリフの回復も限界に来ている。
運良く生き延びて撤退こそできたが、冒険者ギルドに戻った俺たちの心には、消えない恐怖と絶望感が刻まれていた。
「……なあ、クリフ」
「ああ。分かってるよ、イザーク」
二人で向き合ったとき、言葉を交わすまでもなかった。
俺たちは強いと思っていたが、それはあくまで「初心者の範囲内」での話だった。本当の強さとは何か、そしてこの世界にどれほど底知れない壁があるのかを思い知らされたのだ。
このままではいつか死ぬ。
二人だけで完結しようとするのではなく、自分たちに足りないものを埋めてくれる「仲間」が必要だ。そう痛感した俺達は仲間を募集することにした。
◇
当時の俺は、今のように適当な男ではなかった。
なりふり構わず、必死だった。生き残るため、そして強くなるために。
俺は酒場で、腕利きだと言われる冒険者たちに声をかけた。
まず目をつけたのは、酒場の隅で一人、巨大な戦鎚をメンテナンスしていたドワーフの男だ。岩のような筋肉と立派な赤髭を持つ彼は、見るからに頑強そうだった。
「なあ! あんた、いい腕してるな。俺たちのパーティに入ってくれ!」
グロームと呼ばれたそのドワーフは、面倒そうに俺を睨んだ。
「あぁ? ガキが何を抜かしてやがる。俺はもう十分稼いだし、今は武器作りに興味があるんだよ」
「お願いだ! 俺たちは若くて勢いはあるが、前線を支えてくれる壁が必要なんだ。報酬は折半にする!」
何度断られても食い下がった。ドワーフの義理堅い性格に訴えかけ、最終的に「面白いガキだ」と思わせることに成功した。
同時に、聖職者たちの集まるエリアで、穏やかな微笑みを絶やさない女性に声をかけた。リリアナという名の聖女候補だった彼女は、慈愛に満ちた雰囲気を持っていたが、その眼光は鋭かった。
「申し訳ないですが、私では貴方の力になることは出来ません」
「いや、あんたみたいな人が俺達には必要なんだ!」
正直に、情けないほどに俺は教会に行って頭を下げた。その必死さが伝わったのか、最終的には彼女は小さく笑って承諾してくれた。
一方でクリフも動いていた。
彼が連れてきたのは、一人の女性魔術師だった。
「紹介するよ。シルヴィアだ」
その瞬間、俺の思考は停止した。
そこに立っていたのは、知的な眼鏡をかけた金髪の美女だった。長い髪が陽光に当たり、透き通るような白い肌と、凛とした佇まいが周囲の空気を変えていた。彼女が纏う魔力の密度は高く、一目で「一流」であることが分かった。
(……なんだ、今の美少女)
心臓が激しく鐘を打った。
これまで数多くの女性を見てきたつもりだったが、シルヴィアという女性から放たれる知的な色香と気品は、俺の少年の心を一瞬で奪い去った。
だが、隣を見ると、クリフも彼女に見ほれていた。
彼は聖騎士としての冷静さを装っていたが、その耳は真っ赤に染まっていた。親友である彼が、彼女に対して強烈な好意を抱いたことは明白だった。
「よろしくお願いします。大魔法使いを目指しているシルヴィアです」
鈴を転がすような、それでいて芯のある声。
俺は慌てて意識を現実に戻し、無理に口角を上げて笑った。
「よっ! 俺はイザークだ。よろしくな、シルヴィア!」
心の中では激しい葛藤が渦巻いていた。彼女のような女性が隣にいてくれたら、どんな過酷なダンジョンだって耐えられる。だが同時に、親友であるクリフの想いにも気づいていた。
俺は決めた。今のこの感情は、胸の奥底に封印しておこうと。
こうして、後の伝説となるパーティ『暁の勇者』の原型が揃った。
剣士の俺、聖騎士のクリフ、大魔法使いのシルヴィア、重戦士のグローム、そして聖女のリリアナ。
もしかすると、この時の出会いが、俺の人生を大きく変えることになる。
自分は「二流」として彼らを支え続けることになるが、その過程で得られるものがどれほど巨大な力になるのか——当時の俺には想像すらできなかった。
◇
「……アイザックさん? アイザックさーん!」
聞き慣れた鋭い声に引き戻され、俺は我に返った。
目の前には、相変わらず不機嫌そうなエリーナちゃんが立っている。
「もう、何ぼーっとしてるんですか。思い出に浸ってニヤニヤしないでください。気持ち悪いです」
「ひどいなぁ。おじさんは人生の深みに浸ってただけだよ」
俺はわざとらしく肩をすくめ、視線をクエストボードの方へ向けた。
そこには、今もなお、根拠のない自信に満ち溢れた新人たちが、危険な依頼に手を伸ばそうとしている。
ふふん。
いいぜ。その若さ、その無謀さ。
俺が適当に、かつ残酷なほど現実的に、彼らに「生き残り方」を叩き込んでやろうじゃないか。
それが、今の俺ができる唯一の、そして最高の暇つぶしになりそうだ。
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