怪異を喰った代償

ドレナ・アルベの診療所は、ヴァルハイム中央部から少し外れた医療区の端にある。

表向きは外科と異質障害を扱う小規模診療所だったが、実際には怪異核へ触れた傭兵や異質兵器の事故に巻き込まれた者など、普通の病院では扱いにくい患者がよく訪れる。

診察室へ入ったカイルを見て、白衣姿の女が眉を寄せた。

ドレナは四十代半ば。百六十八センチほどの身体は骨格がしっかりしていて、細身ではないが太っているわけでもない。暗い金髪を後頭部で雑に束ね、青灰色の目の下には寝不足の影が濃い。白衣の腰には医療器具と並んで大型リボルバーが吊られていた。灰燼戦争中に軍医として前線へ出ていた名残で、医師というより武器を持った兵士に見える瞬間がある。

ドレナは挨拶より先に言った。

「増えたね」

「分かるのか」

「何年診てると思ってる」

カイルが椅子へ座る。

ドレナは採血器具を準備しながら、入口近くに立つリシェルを見た。

「で、その子は?」

「依頼人」

「そういう質問じゃない」

ドレナはリシェルの肌、目、呼吸の間隔を順番に見る。

医者の観察だった。

「体温低いね」

リシェルの眉が僅かに動く。

「触っておらぬであろう」

「見ればだいたい分かる」

「気に入らぬ医者じゃな」

カイルが言った。

「そいつは夜血種だ」

数秒、静寂が落ちた。

ドレナがリシェルを見る。

リシェルも見返す。

「本物?」

「偽物の夜血種などおるのか」

「人工怪異研究では作ろうとした連中が何人もいる」

リシェルの目が細くなった。ドレナはすぐ話題を戻した。

「とりあえずカイルから」

採血。

瞳孔。

脈拍。

皮膚反応。

簡易異質計を胸や首へ当てる。数値を見たドレナが顔をしかめた。

「遊離量が増えてる」

「新しいのを取ったからな」

「何を」

「擬態」

「見せて」

「ここで?」

「ここで」

カイルは諦めて《擬態皮》を意識した。顔の皮膚が動く。

頬骨の位置が僅かに変わり、髪の色も薄くなる。

完全にリシェルになることはできないが、顔立ちは少し近づく。声も変える。

「こんな感じだ」

ドレナは笑わない。

「戻して」

解除。

数秒。

カイルの感覚が揺れる。

鏡の中の自分の顔が、誰かの顔を見ているように感じる。

すぐに収まる。ドレナは見逃さなかった。

「今何秒?」

「三か四」

「前は?」

「初めてだから知らん」

「次に使っても三秒とは限らない」

「分かってる」

「分かってない顔だね」

ドレナは紙へ数値を書いた。

「新しい形質そのものはかなり安定してる。ただ、顔の輪郭や声だけじゃなく自己認識へ触ってる。使用頻度は抑えて。能力の問題じゃなくて、お前自身がどこからどこまで自分なのかって部分を揺らす可能性がある」

リシェルが壁際から尋ねた。

「お主はいつもこのような治療を受けておるのか?」

「治療というより掃除だ」

ドレナが答える。

「能力そのものは取れない。無理に取ればこいつの身体の一部まで持っていく。私が処理できるのは、能力を使ったときに漏れてくる余分な異質因子だけ」

「つまり、怪異を喰うほど身体へ残る?」

「そういうこと」

ドレナはカイルの腕へ薬剤を注入した。

「だから定期的に来ないと、その余分が神経や臓器へ貼りついて、身体が勝手に別の形へ変わり始める」

リシェルの表情から軽さが消えた。

「それが怪異化か」

「そう」

カイルが言う。

「そんな顔するな。今すぐ死ぬわけじゃない」

「誰も心配などしておらぬ」

「そうかよ」

「ただ、妾より人間らしくない身体の管理をしておると思っただけじゃ」

「余計なお世話だ」

治療が終わる。

ドレナは今度こそリシェルを見た。

「ところで、血を少し採らせてもらえる?」

「断る」

「一滴」

「嫌じゃ」

「毛髪でもいい」

「嫌じゃ」

「爪」

「しつこい医者じゃな」

ドレナは肩をすくめた。

「高位知性怪異の健康な個体なんて滅多に診られないから」

「妾は研究材料ではない」

その一言だけ、リシェルの声が冷たくなった。

部屋の空気が少し変わる。

カイルは横から彼女を見る。

ドレナもすぐに理解した。

「患者の許可なしに切ったり採ったりする趣味はないよ」

軽い調子だったが、言葉ははっきりしていた。

リシェルの緊張が僅かに解ける。

「ならよい」

「体調が悪くなったら来て。採血なしでも診察はする」

「考えておこう」

診療所を出る前、ドレナがカイルを呼び止めた。

「次の治療、予定より三日前」

「早くないか」

「増えた分だけ早くなる」

「便利な力だな」

「便利さで身体は戻らないよ」

カイルは答えなかった。

外へ出る。

リシェルが隣を歩きながら言った。

「お主が怪異を嫌う理由が少し分かった」

「嫌ってない」

「では自分が怪異に近づくのが嫌なのか?」

カイルは足を止めなかった。

「腹減ってるなら血の店でも探すぞ」

「話を逸らしたな」

「人間社会へ適応しただろ」

リシェルは少し笑った。

「そういうところだけは上手いの」

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