#07 - 小説「ソラリス」における科学と人間心理
言わずと知れたSF作家・スタニスワフ=レムによる名作SFをあえてまた読み直して私なりに勝手に解釈してみた。小説ソラリスは「惑星全体を覆う17兆トンの海全体が1つの生命体」というぶっ飛んだ設定のファーストコンタクトものとなっている。主人公の心理学者・ケルビンはソラリスの研究拠点であるソラリス・ステーションでソラリスがもたらす様々な奇怪な現象に遭遇する。
「ソラリス」の世界においては人間が太陽系外に進出しており、年代は定かではないがケルビンが誕生する140年以上前からソラリスの存在が知られていた。ソラリスは二重恒星の惑星なのだが、惑星の軌道が二重恒星系の惑星としてはあり得ない安定した軌道を描いていることから研究者の注目を浴びた。ソラリスの直径は地球よりも20%大きく、陸地の面積は地球のヨーロッパ地方以下。ソラリスの大気には酸素が存在しないが、有害な腐食作業のある物質が含まれている。
最初の調査隊がソラリスを調査すると、驚くべきことが明らかになった。ソラリスの海は原形質でできており、物性はゼリーに近い。ソラリスの安定軌道の原因である重力ポテンシャルの変改はこの原形質の物質代謝と連動して起こっていることが明らかになった。実際ソラリスの洋上では、同じ子午線上でも時間に誤差が生じるという現象が発生していた。
ソラリスの海は全体が巨大な生物というだけでなく、一般相対性理論を“理解“し応用している。ソラリスの海はこうして人間によってポリテリア・シンキティアリア・メタモルファという生物種に分類された。
ソラリスとのコンタクトには海に電極を用いて信号を送リ、そこから帰ってくる信号を記録するという方法が用いられたが、同じ信号に対する同じ反応は一度も得られず人間と“海”のコンタクトは失敗した。ただ海から送り返された信号にはエネルギーと物質・有限と無限・素粒子と力場などを指すと思しき構造が含まれていることが明らかになった。
ソラリスの研究は地球の文化にも影響を及ぼした。地球では「ソラリスは存在論的自己変容を繰り返す宇宙のヨガ行者である」というソラリスを称賛するもの、あるいは「ソラリスは狂気に陥った知的愚かさの産物=白痴の海である」というソラリスを貶すもの、などなどといった様々な“ソラリス論“が誕生した。ソラリス論の中には「ソラリスとは腫瘍のようなものであり、元いた生物の残骸を侵食して1つに融合した」という、“ソラリス退化論“まで存在した。
ケルビンが到達したソラリス・ステーションでは、「研究者たちの見知った人間(死人を含む)のクローンをソラリスが送ってくる」という異常事態が起こっていた。ステーションの研究者・ギバリャンは国際法で禁止されているX線照射を使ってソラリスに信号を送るという実験を行った後、自殺していた。
ソラリスの探検の初期の頃、ソラリス洋上を飛んでいたパイロットが精神錯乱を起こす事件(内1件はソラリスで最初の死亡事故となった)が数件発生している。これは大気に含まれた有害物質が酸素ボンベに混入したために起こった事件とされていたが、ギバリャンたちはソラリスが故意に起こした精神錯乱ではないかと推測していた。
ケルビンがステーションで一日中滞在すると、彼の元に「ハリーのクローン」がやってくる。ケルビンの元彼女・ハリーは数年前に自殺していたが、ソラリスがケルビンの脳細胞からそのイメージを抽出し“再現”したものだった。
ケルビンはハリーのクローンは本人ではないと確信する。ハリーがケルビンにしつこく付き纏い違ったのと「いつもあなたの姿をみていなければならないような気がする」という言葉に強烈な違和感を抱いたからだった。ケルビンはクローンのハリーを縛りつけようとしたが、彼女がとてつもない腕力で抵抗したため諦めた。また、クローンのハリーは彼女が知るはずのない人物=彼女の死後ケルビンが知り合ったソラリス研究者のペルヴィスを知っていた。
ソラリスは人間が海に電極を刺して信号を送ったのと同様、ソラリス研究者の大切な人のイメージを脳細胞から再現して人間の心理というものをより詳細に分析しようと試みていたのかもしれない。あるいは人間のクローンを作り出すという行為も単なる悪戯やお遊び、もしくは錯乱した思考の産物なのかもしれない。
当のクローンはかなり違和感のある・ありえない言動をする上にとてつもない身体能力を持つというおおよそ完璧な再現とは言えないクローンであったのは、結局のところソラリスが人間という存在をあまり理解していなかったからなのだろう。
ケルビンはクローンのハリーを小型宇宙船に乗せ、ステーションから追い出した。
ケルビンが小型宇宙船の打ち上げによってできた火傷や裂傷の治療をしていると、ソラリス研究者のスナウトがやってきてこれまでにクローンに暴行や麻薬・毒の投与などを行ったことを明かした。スナウトはソラリスがよこしてくるクローンを「誰もあえて実現させようとはしないものごとや状況」であると分析する。ステーションにはこんな感じで、誰の脳細胞から再現されたものとも分からない「黒人の女性」や「男の子」のクローンが闊歩しているのであった。
スナウト「われわれが望んでいたもの、つまり異文明とのコンタクトさ!いまやまさにそのコンタクトを体験しているんだ!その結果、まるで顕微鏡を見るように拡大されてしまったんだ、おれたち自身の怪物のような醜さ、俺たちの馬鹿さかげん、破廉恥さが!!」
スナウトから渡された「小アポクリファ」という本にケルビンが目を通すと、過去にもソラリスが人間のクローンを作成していたと思しき記録があったことを発見した。それはソラリスで最初の死亡事故が起こった数日後に捜索隊によって発見された「4mの子ども」であった。当初はこの捜索隊員による報告は有害大気によるせん妄症状であると考えられていた。また、捜索隊員から報告を受けたソラリス学者・メッセンジャー博士は「4mの子ども」は死亡したパイロット・フェヒネルの子ども、そしてその周囲に発生していた「庭」のような地形はフェヒネルの実家をソラリスが再現したものではないかと推測していた。
ケルビンの元に再びクローンのハリーがやってくると、彼はハリーが怪我をした時の血を採血して酸を混合する実験を行った。すると血の方が酸を“同化“し再生するという化学的にありえない現象が発生した。ケルビンはこの実験から「クローンの構成要素は分子や原子よりも小さく、原子の10000分の1以下のサイズのニュートリノなどで構成されている」と推測した。スナウトはこの情報に「クローンは食事を必要としない」と捕捉し、サルトリウスは「クローンはオリジナルが置かれた状況を超えると人間のものではない活動を起こす」と加えた。ハリーが宇宙船を揺らしたりドアを破壊したりなどと言った超能力をもっていたのはこのようなクローンの性質によるものであった。
スナウトとサルトリウスはケルビンの仮説を採用し、クローンを「厄介払い」するためにニュートリノを対消滅させて壊滅させる「ニュートリノ壊滅装置」の開発に着手し始める。一方ケルビンはステーションの図書館で「ソラリス研究の10年」を読み始める。
ケルビンはソラリスに落着した物体が“模倣“される“ミモイド“という現象があることに注目した。ミモイドという現象が発生すると黒い円盤のようなものから数km規模の海の活動が発生し、やがて明るい瘤状の物体になる。瘤状の物体が瓦解すると、その中央に原形質でできた周囲8-9マイルにある物体を模倣した巨大な構造物が残る。ミモイドにおいてはほぼなんでも模倣されるのだが、人間や動植物には絶対に反応しないという性質があった。
ケルビンは自身がクローンであることを知り自殺を図ったハリーを再び人間として愛するようになり、スナウトに「実験を中止して彼女と地球へ帰る」と提言する。スナウトはケルビンの仮説が正しいとした場合、ニュートリノ系は外部からの力場がなくてはすぐに崩壊してしまうと指摘し反対した。実際、クローンではないソラリスの原形質もソラリスを離れると化学反応によってすぐに分解してしまうことが知られていた。
ニュートリノ壊滅装置の開発と並行して、ケルビンたちはケルビンの覚醒中の脳波をX線に変調してソラリスに発信するという新たな実験を開始した。ソラリスによるクローンは人間の睡眠中に、つまり睡眠中の脳波を読み取る事によって再現される。それならばソラリスが人間の覚醒中の脳波をより重要であると“解釈“すればクローンは発生しなくなるというものだった。
ケルビンは図書館に入り浸り、再びソラリス研究の歴史を振り返る。彼の師・ギバリャンはソラリスが構造物を生成する際に発する電気信号と人間の脳波との類似性を発生し、ケルビンはその中でも人間が「絶望、痛み、歓喜」といった感情を抱く際に大脳皮質から発せられる電気信号とソラリスの電気信号との類似を発見し、それを大学の卒業論文としたのであった。
ソラリスにX線を照射する実験を始めてから6日後、ソラリスの南半球で原形質の活動が活発になり始める。その次の日、ケルビンは自分とハリーが金色の触手によって“組み立て“られ、それが終わるとバラバラに分解されるという奇妙な夢を見た。そのさらに次の日、ソラリスから泡雲が浮かび上がってきてステーションを包み込むという現象が発生した。これはソラリス研究が始まって以来初めて起こる現象であった。その間2週間の間に、ステーションで「甲高い泣き声」が発生するという現象が起こった。スナウトはこの「甲高い泣き声」に精神的に参ってしまい、アルコールで酔っ払った状態でケルビンたちの前に現れる。
ソラリスの一連の現象が終わった後、クローンのハリーはケルビンの前から姿を消しサルトリウスのニュートリノ壊滅実験に自ら志願する。ハリーはニュートリノ壊滅装置によって対消滅し、閃光とかすかな風になって消えた。こうしてソラリスの新現象の観測とニュートリノ壊滅実験を終えて以来、クローンはステーションに発生しなくなった。
スナウトはソラリスが作り出したクローンとは“贈り物”であったと解釈した。ソラリスは人間の一番奥に隠された心理を司る脳細胞を読み取って再現したが、ソラリス自身もあるいは人間自身もそれが何であり、何のためのものなのかを完全に理解することはできないだろうという結論に至った。
ケルビンは一連の出来事を整理し、ソラリスは「神になるチャンスを逃した子どものような生命体」「欠陥を持った神」であったと解釈する。ソラリスは外界を知らない子どものような存在であり、その反応や現象を利用してコンタクトを試みる人間の試みというのは成長途上の子どもの突飛な反応を勝手に解釈したに過ぎなかったというものである。ソラリスが人間のクローンや泡雲を送ってよこしたのも、全ては惑星レベルの無邪気な子どもの戯れやお遊びであったという。
ケルビンは新しくステーションの近傍に発生したミモイドにヘリコプターで赴く。その上には廃墟と化した古代遺跡のような地形があり、その下で海との接触に成功した。ケルビンは「彼女の後に残されたただ1つのもの」=ソラリスの研究を継続することを決意し、ステーションへと戻っていった。
原著版のソラリスは100年間ずっと停滞し続けていたソラリス学がギバリャンの犠牲とケルビンたちの科学的な知見・クローンたちがもたらした愛憎との決着によってほんの少しだけ前進し、亡くなってしまった人たちとの思いを大切にしつつもソラリスが作り出したクローンを人間として受けいれることは最終的に拒否するという人間の愛情や理性・同一性という概念を大切にした作品となっている(私はそう解釈した)。
しかしタルコフスキー監督のソ連版「ソラリス」ではソラリスがそっくりそのままケルビンの死んだ家族やロシアの大地というものを全てミモイドに再現してしまうという完全にソラリスに取り込まれてしまうエンディングとなっている。ソダーバーグ監督のハリウッド版「ソラリス」ではステーションが海に落着し、そこで再現された地球の中でケルビンとハリー・ステーションの人々が永久に生き続けるというこちらも主人公が完全にソラリスに取り込まれてしまうエンディングである。
これらはソラリスを神のように有り難かるケルビンたちが最終的には拒否したソラリスの描き方となってしまっており、原作において描かれた人間性への洞察やソラリスとのコンタクトを試みた研究者たちの犠牲や努力を踏み躙るソラリス解釈なのではないかと思えてしまう。どちらもSFとして名作だが、人間の理性と忍耐力が超常現象を科学的に分析し事態を解決するという理性への信頼、「クローンは本人ではない」と確信し亡き人の思い出を大切につつもその死を受け入れ生き続けるという大切な人を失った研究者たちの覚悟を描き切ったという点ではスタニスワフ=レムの原作がより大きな意義を持っていると私は考える。
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