第7話 象って、贈っていいものなの?

郡の役所を燃やしてから、数日が経った。

役所の火はとっくに消えたらしい。

ところが、話の方は消えなかった。

むしろ山を越え、川を渡り、私たちよりよほど元気に九真中を走り回っていた。

「趙氏貞殿が郡の役所を夜襲したと聞きました」

朝から山を登ってきた男に言われ、私は頷いた。

「したよ」

「役所の米と武器を奪ったとも」

「持って帰ったね」

「徴発の記録をすべて焼いた」

「全部かは分からないけど、見つけた分は燃やしたよ」

男は少し息を呑んだ。

「そして、千の討伐軍が戻る前に役所そのものへ火を放った」

私は清河を見た。

清河は腕を組んでいた。

「今回は私を見るな。全部本当だ」

困った。

百人を一人で倒したという話なら、違うと言えた。

けれど今回は、多少言い方が勇ましくなっているだけで、やったこと自体はほとんど合っている。

「それで、今日は何の用?」

男は居住まいを正した。

「我らの里も、呉の役人を追い払いました。趙氏貞殿と手を結びたい」

まただった。

この数日、同じような人が何組も山へ来ている。

最初は二つの里だったものが、次の日には五つになった。

今朝、兄が数えるのをやめた。

「氏貞」

その兄が、少し離れた場所から私を呼んだ。

「何?」

「また三十人来たぞ」

「どこから?」

「知らん。もう自分で聞いてくれ」

「兄貴、仕事放棄すんなよ」

清河が言うと、兄は振り返った。

「誰のせいで俺が知らない奴の出身地を聞く仕事してると思ってるんだ?」

「氏貞」

「清河もだろ!」

兄は最近、私と清河をまとめて怒るようになった。

少し前までは普通の兄だったはずなのに、かわいそうだと思う。

ただし、今のところ兄を一番働かせているのが誰なのかは考えないことにした。

私は目の前の男へ向き直った。

「手を結ぶって、何をするの?」

「呉兵が来れば互いに知らせ、必要なら兵を出す。食糧も融通する。我らだけで役所を攻めることになれば、力も貸していただきたい」

「それならいいんじゃない?」

男の顔が明るくなった。

私は続けた。

「でも、私の下につく必要はないよ。それぞれ自分の里があるんだから、困った時だけ助け合えばいいでしょう?」

また周りが静かになった。

最近、この沈黙にも慣れてきた。

清河だけは慣れていないらしく、すぐ私を見た。

「氏貞」

「何?」

「お前、今また余計なこと言ったぞ」

「どこが?」

男が深く頭を下げた。

「さすが趙氏貞殿。各地の頭領を従属させず、盟をもって束ねるお考えですな」

「そこまで考えてないよ」

「では、我らも趙氏貞殿を盟主として――」

「そこまで言ってないよ?」

清河が額を押さえた。

「お前、毎回そこまで言ってねえのに、なんで毎回そこまで行くんだよ」

私にも分からない。

ただ、各地から来る人たちは、私が思っていたよりずっと本気だった。

話を聞けば、役人に米を取られた里もあれば、若い男を人夫として連れていかれた集落もあり、逆らった者を捕らえられた村まであった。

自分たちで兵を追い払ったものの、次にもっと大勢で来られたら持たないと思っている者たちもいる。

私たちだけが怒っていたわけではない。

それが分かるほど、少し怖くなった。

私は最初、母の鶏を捕まえることすら面倒だった。

それなのに今は、知らない里の人から「次に兵が来たらどうする?」と聞かれている。

「氏貞! こっち来い!」

清河の声がした。

見ると、いつの間にか十人ほどの男たちを地面の周りへ集めている。

私はそちらへ行った。

「どうしたの?」

「こいつらの里、同じ川沿いに固まってるんだよ。だったら別々に見張るより、川上に一か所、山側に二か所置いた方が早い」

一人が感心した。

「さすが呂清河殿。では諸軍の取りまとめも――」

「違う!」

清河が即答した。

その直後、

「あと、お前ら三つの里は火を焚く場所決めろ! 兵が来たら煙二本、役人だけなら一本! 夜は松明だ! 勝手に別の合図作んな、分からなくなる!」

皆が頷いた。

私は清河を見た。

清河も私を見た。

「何だよ?」

「取りまとめてるね」

「うるせえ!」

やはり清河は、話を小さくすることに向いていない。

昼を過ぎる頃には、山の本拠地は知らない人だらけになった。

それぞれ話を聞き、泊まる場所を決め、食べ物を分けなければならない。

兄はとうとう木札を持ち出した。

「この里は二十六人。こっちは十四人。こっちは明日帰る。勝手に米食うな、足りなくなる」

清河が感心したように言った。

「兄貴、完全に後ろまとめてんな」

「誰のせいだ!」

「向いてるぞ」

「嬉しくない!」

兄は木札を握ったまま怒った。

その時、山道の下から大きな声がした。

「趙氏貞殿へ贈り物をお持ちした!」

兄の顔がさらに嫌そうになった。

「今度は何だ」

「米だったら助かるね」

私が言うと、

「武器でもいい」

清河が続けた。

山道を登ってきた一団は、十人ほどだった。

先頭の男が私へ礼をする。

「我らも趙氏貞殿と盟を結びたい。その証として、ぜひお納めいただきたいものがあります」

「ありがとう。何?」

男は笑った。

「象です」

「……象?」

清河も同じことを言った。

兄だけは黙っていた。

やがて木々の向こうから、ずしん、と地面が鳴った。

枝が揺れる。

もう一度、ずしん、と響く。

そして山道の曲がり角から、大きな灰色の頭が現れた。

本当に象だった。

私よりずっと大きいのは当たり前なのだが、目の前にすると、思っていた以上に大きい。

鼻が動き、耳が揺れ、その後ろから世話をする男が一緒に歩いてくる。

本拠地にいた人たちまで集まってきた。

清河が私の横で呟いた。

「……本当に象持ってきやがった」

「象って、贈っていいものなの?」

「私に聞くな」

兄がようやく口を開いた。

「誰が餌やるんだ?」

清河が兄を見る。

「そこかよ」

兄は象を指した。

「毎日食うんだぞ。米俵みたいに倉へ積んどけないんだぞ?」

清河も象を見た。

少し考えた。

「……いや、兄貴。そこ超大事だな」

「だろ!」

兄は今日初めて嬉しそうな顔をした。

象を連れてきた男が笑った。

「餌の取り方と世話を知る者も残します。ご心配なく」

兄の顔から喜びが消えた。

たぶん、また仕事が増えると思ったのだろう。

私は象へ近づいた。

思ったより目が優しい。

鼻がこちらへ伸びてきたので、少し後ろへ下がる。

「噛まない?」

世話役の男が首を振った。

「大人しい象です。趙氏貞殿なら、きっと気に入られましょう」

「どうして?」

「各地の者が趙氏貞殿の名を頼り始めています。この象に乗って戦場へ立てば、誰もが趙氏貞殿を見失いません」

私は象を見上げた。

清河を見た。

もう一度、象を見た。

「乗るの?」

清河が吹き出した。

「そこからかよ!」

「乗ったことないよ」

「私だってねえよ!」

贈ってくれた男は少し驚いたようだった。

「趙氏貞殿ほどの方なら、象上に立たれる姿もさぞ――」

「立つの?」

「まず座れ!」

清河に怒られた。

象の鼻がまた伸びてきた。

今度は逃げずに手を出すと、鼻先が私の掌へ触れた。

温かく、思っていたより柔らかかった。

「かわいいね」

象は鼻を動かし、そのまま私が持っていた芋を取った。

「あ」

食べた。

清河が笑った。

「氏貞、お前、知らねえ男にはあんなに鈍いのに象とはすぐ仲良くなるんだな」

「男の人と象は違うでしょう?」

「それはそうなんだけどよ」

なぜか清河はそれ以上言わなかった。

周りでは、すでに「趙氏貞殿が象を得た」と騒ぎ始めている。

私はまだ乗ってもいない。

それなのに話だけは、もう私より先へ進んでいた。

数日前まで、私は母の鶏から逃げていた。

そのあと百人を追い返したことにされ、気づけば郡の役所を本当に焼き、今度は九真のあちこちから人が集まっている。

そして今日――

象まで来た。

私は象の背を見上げた。

高い。

超高い。

「清河」

「何だ?」

「落ちたら痛そうだね」

「そこ心配してんのかよ」

世話役の男が、象を伏せさせた。

巨体がゆっくり地面へ下がる。

周囲の人たちが一斉に私を見る。

嫌な予感がした。

先日までなら、たぶん断っていた。

今でも、本当は少し断りたかった。

けれど象は私の目の前で静かに待っている。

そして誰かが言った。

「趙氏貞殿、どうぞお乗りください」

私は清河を見た。

清河は笑っていた。

超嫌な顔だった。

どうやら今度は、象にまで巻き込まれるらしい。

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