第7話:同類と共犯者

【SYSTEM】『致命的なエラーを検出しました』

【SYSTEM】『修正対象:フェリシア・ルミナリア』

【SYSTEM】『修正対象:終焉の魔王ノクス』

【SYSTEM】『修正対象が、二名へ増加しました』


 赤い警告光が、俺とノクスを交互に照らしていた。


 つい先ほどまで俺を焼き殺そうとしていた終焉の魔王が、砕けたウィンドウの破片を指先でつまみ、そこに残った文字を興味深そうに眺めている。


「……修正対象、か」


「自分から巻き込まれておいて、ずいぶん落ち着いてるな」


「お互い様だ。先に修正対象だったのはそっちだろう」


「あんたが警告ウィンドウを粉砕したせいで、敵の憎悪が二倍になった気がするが?」


「お前は礼を言うべきではないのか。あれを壊さなければ、記憶を消されていたのではないのか?」


「……それについては、まあ、ありがとな」


 ノクスの指一本で、赤い破片が跡形もなく消えた。


 システムの表示を見るまでもなく分かる、圧倒的な魔力。


 さすが、ラスボス。システムの意図を読み、手順の穴を探して、術式を組んで、そこを突いて壊す俺とは、魔法の使い方が根本から違う。


 言い換えれば、俺には術式を書く腕だけがあって、あいつにはそれを走らせるマナとエーテルだけがある。もし同じ方向を向けるなら――。


「一つ、聞かせてくれ」

「何だ」

「あんたは、いつから世界の『枠』が見えていた?」


 ノクスは答えず、半透明の床の下を流れる文字列へ目を向けた。

 遠い記憶を探すような、長い沈黙。


「この世界に生まれた時からだ」

「つまり、最初から?」

「目の前に出てくる文字なら読める。だが、それ以外は不快な糸にしか見えん。人間へ絡みつき、剣を握らせ、憎悪を育て、私のもとへ向かわせる糸だ」


 ノクスが右手を上げる。

 空中へ、黒いノイズが細い糸のように浮かび上がった。


「国が和平を望めば、別の場所で憎悪が生まれる。兵が武器を捨てれば、家族を殺されてまた拾う。誰かが私を理解しようとすれば、その者は裏切り者として処刑される」


 黒い糸が、ノクスの指へ絡みつく。


「私が何を選ぼうと、最後には必ず勇者が現れる。そして世界は、『魔王が勇者に倒される物語』へ戻っていく」


 赤い瞳が、闇の奥を見つめた。

 そこには、俺には見えない何度もの結末が映っているようだった。


「最初は、迎え撃った」


 黒炎の向こうへ、燃え落ちる城の幻が浮かぶ。


「勇者を退け、人間の軍を撤退させた。翌朝には時間が巻き戻り、すべてが戦いの前へ戻っていた」


「……巻き戻った?」


「次は和平を選んだ。条件を整え、互いの国の民へ被害を出さぬ条約を結んだ。だが、使者は帰路で何者かに殺され、和平文書は宣戦布告へ書き換わった」


 幻の条約書が、赤い炎へ包まれる。


「軍を解散したこともある。魔力を封じ、王位を捨て、一人で世界の果てまで逃げたこともある」

「それなら、勇者と戦う理由はなくなるはず……ってことか?」


「そうだ。しかし、その結果、世界の果てが折れ曲がった」


「折れ……曲がる?」


「どれだけ北へ進んでも、最後にはこの玉座へ戻された。目を開ければ軍は復活し、私が命じてもいない侵攻が始まっていた」


 ノクスは、絡みついた黒い糸を握り潰した。


「戦っても、退いても、和平を結んでも、消えても同じだ。方法だけが変わり、結末は変わらん」


 低い声に、激しい怒りはなかった。

 怒り尽くし、抗い尽くし、それでも終われなかった者の深い疲労だけがあった。


「魔王は世界を脅かす。勇者は人々の希望を背負って立ち上がる。最後には正義が勝つ」

「……仕様だな」

「私が死ぬところまで含めてな」

「最低の仕様だ」


 ノクスが、初めて俺を見た。


「お前はなぜ、枠へ逆らった?」


 俺は一度、深く息を吸った。


「俺も、勇者の物語を完成させるためだけに、存在しているからだ」


 ノクスの眉が、わずかに動く。


「俺は、この世界へ来る前の記憶を持っている。ここが『聖剣のラヴァーズ』という物語の世界で、この身体が王道系メインヒロインだということも知ってる」


「来る前の世界? メインヒロイン?」


「勇者アレクに助けられ、励まし、支え、最後には結婚する女だ」


【SYSTEM】『システムが推奨するルートです』


「大事な話をしてるんだから、割り込んでくるな!」


 横から割り込んだウィンドウを裏拳で叩き飛ばす。くるくる回りながら、暗闇の彼方へ消えていった。


「勇者は七人の女の子と出会い、好意を集め、その力であんたを倒す。そして俺は、長い冒険を終えた勇者への最後のご褒美として与えられる」


「なるほど。褒美か」


「そうだ。出会う前から結婚相手まで決定済み。好きになることも、抱かれることも、幸せだと思うことも、全部あらかじめ入力されている」


「それで、拒んだのか」


 俺はここで一度、息を吐いた。

 この先は、この世界で誰にも言っていない。


「――俺は、この世界へ来る前は男だった」


 ノクスは何も言わなかった。


「転生して、身体だけが女になった。中身は男のままだ。鏡に映るのは今でも他人だし、この身体がどっかの男とくっつく運命だと聞かされて、はいそうですかと頷けるわけがない」


「……」


 言い終えた俺を、ノクスは長く見ていた。

 赤い瞳を細め、何かを測るような、そんな表情をしていた。


「……それで、世界の要求を蹴った、ということだな」


「ああ。運命の出会いをリンゴ三箱へ突っ込ませ、救出イベントのスライムは自分で爆破し、入学式は大結界を不正突破してすっぽかした」


「なるほど、同じだな。私も世界の果てを不正突破しようとした」


 思わず、二人で小さく笑った。

 攻略される女と、攻略され、倒される魔王。


 正反対の場所へ置かれながら、俺たちは同じものへ抗っている。二人とも誰かの都合で人生の結末まで決められ――俺は勇者と結ばれる結末を、こいつは勇者に殺される結末を強要されている者同士だ。


「俺がフラグを折ったことで、ほかのヒロインたちも、自分に割り当てられたルートを拒み始めた」


「お前が反逆を教えたのか」


「いや。俺はやり方の相談に乗っただけだ。選んだのは、彼女ら自身だよ」


【SYSTEM】『反抗的自我の感染源』


 赤い警告が、俺の頭上へ表示される。


「自由意思を感染症扱いするな!」


 俺は即座にウィンドウを蹴り砕いた。


「人間が自分の意思で行動しただけで壊れる世界なら、設計した側に問題がある!」


 光の破片が飛び散る。


「バグは俺じゃない。あんたでもない」


 ノクスの赤い瞳を、真っ直ぐに見返す。


「役割どおりにしか生きられない、この世界の方だ!」


 ノクスが俯いた。

 黒い魔力が肩を震わせる。


「……クッ」

「何だよ」

「ククッ……ハハハハハハハ!」


 笑っていた。終焉の魔王が、声を上げて笑っている。

 暗闇が震え、半透明の床の下を流れる文字列が波打った。


「これほど痛快な答えを聞いたのは初めてだ。世界は私を悪と定め、お前を異常と定めた。だが、お前は世界そのものを不具合と言い切るか!」


「ああ。相当な不具合だ。担当者を説教したいレベルの」

「ならば、どうする?」

「決まってるだろ」


 俺は笑った。


「このクソみたいなシステムを、根底から全部書き換える」


 ノクスの赤い瞳へ、強い光が灯った。


「あんたも、予定調和にはうんざりしてるんだろう?」


「無論だ」


「俺には、前世の知識から術式と強制処理を読む目がある。だが、マナは十二。エーテルは九。複雑な術式は一行も走らせられない」


 右手で、ノクスの胸元を指した。


「あんたには、測定器が桁あふれを起こすマナとエーテルがある」


 右手を差し出す。


「俺が世界の命令を先読みする。弱点を見つけ、書き換える方法を作る」


 ノクスを見上げる。


「あんたが、それを実行する」


「つまり……、魔王である私へ命令する気か?」


 ノクスが「フッ」と笑う。


「役割分担だって」


「物は言いようだな」


「手伝ってくれるか?」


「私を誰だと思っている」


「終焉の魔王。最終ボス。マナ・エーテルともに測定不能。そして、警告ウィンドウを素手で壊した規約違反者」


「……最後の肩書きは悪くない」


 ノクスが、不敵に笑った。

 そして、俺の右手を力強く握り返す。


「いいだろう。私の絶望を、お前のその目で暴いてみせろ」

「ああ。あんたは、その馬鹿みたいなマナとエーテルで、俺の解析結果を実装する」

「やはり命令しているではないか」

「だから共同作業だって」


 メインヒロインと、最終ボス。

 本来なら、物語の両端に置かれ、決して並ばない二人……。

 世界の命令を読む者と、世界の命令を打ち砕く者。

 その手が、今、つながった。


【SYSTEM】『関係性を更新します』

【SYSTEM】『フェリシア・ルミナリア/終焉の魔王ノクス』

【SYSTEM】『敵対関係:解除』

【SYSTEM】『共犯関係:成立』


「今度は正しく判定したな」

「共犯とは、正式な関係なのか?」

「俺たちが第一号だ」


 世界を滅ぼす魔王だから冷たいと思っていたが、握り返してきた手には、生きている人間の温度があった。


 幾千万の運命を狂わせ、絶対のシナリオに牙をむく者同士の体温が、皮膚越しに混ざっていく。

 それは冷たい世界に墜ちた者同士が交わした、世界で最初にして唯一の、静かなる宣戦布告だった。


 ――最高に劇的な、共犯成立の瞬間だった。


 * * *


「それで、これからどうする? ずっとここにいるわけにもいかないだろう?」


 ノクスが問う。


「ああ、何をするにもまずは戻って作戦を立てたい。……ただ、ここへ落ちる前、俺は消去される寸前だったんだ」


 俺は足元でうねる緑色の文字列を指し示した。


「落ちた拍子に、処理が俺を見失ったから今こうして止まってるけど……」


「……元いた場所へ戻れば、また見つかるということか」


「そうだ。学園はシステムに登録済みの正規座標。戻った瞬間、あの強制初期化の続きから再開される」


「ならばどうする? 再び逃げ回るか?」


「いや、逃げてもキリがない」


 俺は小さく息を吐き、きっぱりと首を横に振った。


「正面から無効化する術式を叩き込む。そのための術式なら、もう組んである」


 ノクスの眉が、ふっと面白そうに上がった。


「どうする気だ?」


「システムは俺の『座標』を追跡してる。だから逃げるんじゃなくて、俺を掴みに来る『宛先(参照アドレス)』を空っぽのダミーにすり替える」


 俺は空中で指先を走らせ、青白い光の図形を描いた。


「システムの目を騙して、虚空を空振りさせるんだ。つまり、向こうから『掴めなくする』」


「……そんな芸当が、本当にできるのか」


「理屈の上ではな。ただ――」


 俺は自分の肩を軽くすくめてみせた。


「これを実行するためのマナとエーテルが、俺には六桁足りない。だから一度も撃てなかった」


 説明を聞き終えたノクスの赤い瞳が、静かに、しかし熱を帯びて細くなった。


「つまり私と一緒なら、できるということだな」


「あんたがいれば、この世界を更地にしようとする修正システムだって、きっとデバッグできる」


 ノクスがわずかに口の端を持ち上げ、右手を勢いよく掲げた。

 その瞬間、二人の足元を囲むように、巨大で重厚な黒い魔法陣が幾重にも展開されていく。


「ふっ、いいだろう。最初の共同作業とやらはそれでいくか。戻った瞬間に迎撃を仕掛けるぞ」


「えっ、もう? いいけど、ちょっと心の準備が――」


「不要だ。いくぞ」


「――って、ちょっと待て!」


 抗議を言い終える前に、視界が反転した。

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