第30話 追放した研究所が見に来た


西側第七区画の補修が終わってから、四日が過ぎた。


そのあいだも、修理は進めていた。


ガストが《外周誘導標識・北東第四》の正規留め具を三本削り出した。上端径二十二ミリ、下端径十八ミリ、段付き二か所。トトが古い当て板を全部外して、削り出しの留め具に差し替えた。指で押しても動かない。当て板もいらない。


「本復旧です」


エルナが認証板を切り替えた。


「《外周誘導標識・北東第四》、仮復旧から本復旧へ変更。製造待ち一覧から一件、削除します」


製造待ちから、ようやく一件消えた。


「修理要求は?」


「2,468件です」


消えた一件より、増えた分のほうがずっと多い。外部防護隔壁の点検が進むたびに増える。当たり前だ。埋まっていたものを掘り出しているだけなんだから。


搬送網は、六幹線のうち四本まで実走行を確認した。救護線、資材線、人員線、第一幹線。人員線はこの四日で接続点を三か所替えて、ようやく台を通した。拠点から生産工廠まで、これで一本でつながっている。


残るのは第二幹線と大型機線だ。どちらも接続点の焼けが深くて、まだ台を入れていない。速度上限は全区間で旧規定の半分のままだ。


そこへ、ザックが息を切らして駆け込んできた。


「レイル。麓に王立研究所の馬車が来てる」



 *



紋章付きの箱馬車が三台。護衛の騎兵が六。


先頭の馬車から降りてきた男の顔を、俺は知っていた。


白い外套。襟に王立研究所の徽章。所長のドランだ。


そのうしろから、革の書類鞄を抱えた男が降りた。カインだ。


俺を見て、足が止まった。


「……レイル」


「久しぶりだな」


それ以上の言葉が出てこないらしい。俺のほうも、特に用意していなかった。


ドランが前に出た。


「先に言っておく。冒険者組合の報告は、まだ王都へ届いていない。我々は別の理由で来た」


そう言って、部下に木箱を開けさせた。中に、細い針が何本も並んだ測定盤が入っている。


「王立研究所は、王国東部一帯に観測網を張っている。そのうち東方観測線の測定杭が、六日前の夜に大規模な魔力反応を拾った。方位はこの山。規模は、記録にある王城の炉の三倍だ」


「六日前……」


補助炉第二基を入れた日だ。


「反応を三日追跡して、同じ地点から継続して出ていることを確認した。私はちょうど東方の観測線を巡回していた。そこから馬車で三日だ。……何をした」


「炉を直しました」


ドランは俺を見た。それから、俺の背後を見た。


北の山が、途中から山ではなくなっている。剥き出しの石の面。等間隔に並んだ塔。門の上部に彫られた、人の背より大きい文字。


護衛の騎兵が一人、馬から落ちかけていた。



 *



麓から拠点までは歩いてもらった。ここは搬送網が入っていない。


拠点に着いたところで、人員線の乗り場へ案内した。搬送台を三台、先に着けておいた。


「……これは、なんだ」


「搬送網です。六幹線あって、四本は走行確認済みです。今日は人員線を使います。歩くと一時間半ほどかかります。乗ってください」


台が動き出した。床の細い線に沿って、音もなく滑っていく。


カインが手すりを掴んだまま固まっている。


「浮いてる」


「そう見えるけど、床の搬送線に沿って動いてる。速度は旧規定の半分まで落としてある。安全側だ」


六分で生産工廠に着いた。歩けば一時間半かかる距離だ。


台を降りたところで、ドランの部下が測定盤を地面に置いて、針を読もうとした。針が振り切れたまま戻らない。


「……故障か」


俺は測定盤に手を当てた。


《構造把握》。


内部が形になって落ちてくる。留め金が一つ、座から浮いている。そこで接点がずれていた。


「そこ接点ずれてますよ」


俺は盤の裏の留め金を押し戻した。針が下がって、ちゃんとした値のところで止まった。


「輸送中の振動です。段差で一回抜けたんでしょう。締め直しておいたほうがいい」


ドランは何も言わなかった。カインは、俺の手元をずっと見ていた。



 *



生産工廠へ入ったところで、調査団の足が全部止まった。


七段吹き抜け。上三段は給電が戻って、照明と制御表示が順番に灯っている。四段目から下では棒材が投入口へ落ち、粗成形の火が上がり、熱処理炉の扉が開いて閉じる。


「規模の記載を」


ドランが部下に言った。部下は書けなかった。手が動いていない。


「二段目の加工機は壊れています。主軸受が割れていて、加工機そのものが動きません。測定機のほうは生きているので寸法は出せますが、精密加工だけは機械ではできません」


「……では、どこでやっている」


二段目の踊り場から、影が下りてきた。梯子は使わない。縁から身体を下ろして、肘から先の異様に長い腕で、一段下の踊り場を掴んで降りる。


黒鉄色。高さ三メートル二十センチ。


二段目の加工台には、粗形が一本固定されていた。


「彼です。ガスト。外部精密加工担当として仮登録してあります。〇・〇一ミリ単位の切削と面出しは、全部こっちに回してます」


ガストが加工台の前に立った。肘から先が二段目まで展開し、刃が出る。


護衛の騎兵が剣に手をかけた。ドランがそれを片手で制した。


「抜くな。ここでは、我々のほうが客だ」


そこは、この人の悪くないところだった。


そのあと、順番に見せた。


資材搬入路で、高さ四メートル二十センチの体が通路をふさぐように立っていた。バルガは屈んで、頭を下げた。


「バルガだ。運搬を担当している」


書記官の羽根ペンが折れた。


エルナが認証板をめくった。


「西側第七区画の局所保守機群です。登録数は、石材運搬機41、接合機12、壁面補修機28。現在応答しているのは、そのうち69台です」


「登録の残りは?」


「応答がありません。所在も確認できていません」


医療区画では、セレスが冷却液の残量を報告して、それから調査団に向かって言った。


「中央動力系からの救護要請は、現在も最優先で受け入れる設定を維持しています」


「誰の指示だ」


「設定したのは第七管理個体です。継続しているのは、私自身の判断です」


ドランが黙った。


最後に外周へ出た。


西側第七区画。二晩で四百六十メートル。崩落防止の隣接部補強が四十メートル。同じ高さ、同じ目地幅、同じ積み方で、尾根の手前まで続いている。


カインが、壁に手を当てた。


「一晩で三百四十メートル」


「六十九台だ。人手じゃない」


「……お前が、指示を」


「俺は区画を決めただけだ。指示を出したのはバルガで、積んだのは保守機だ」


カインが、こっちを見た。


「あの日、俺はお前に言った。古い物ばかり見ていては、未来へ進めない、と」


「覚えてる」


「……今、その古い物を、ここまで動かしたのか」


「動いてたものに、足りない部品を入れただけだ」


勝ち誇る場面なのかもしれない。でも、俺は今日も二段目の加工機を直せていないし、製造待ちは一件しか減っていない。誇るところが、正直どこにもなかった。



 *



日が傾いてから、ドランが本題を出した。


「レイル。よく聞け。私は、お前の成果を否定しに来たのではない」


「はい」


「この城塞には、稼働する動力炉がある。建造機群があり、区画単位の指示だけで一晩に三百四十メートルの城壁を復旧する。六本の搬送幹線と、広域索敵塔もある。……これは遺跡ではない。稼働中の軍事施設だ」


「そうです」


「王国の東国境から、ここまで馬で九日だ。ここが敵対勢力の拠点になれば、東部の防衛計画そのものが変わる」


そこは、考えていなかったわけじゃない。


「この規模を一個人の管理地として放置はできない」


言い返す言葉を探したが、見つからなかった。


正論だった。俺一人が寝ているあいだに、城壁が三百四十メートル伸びる場所だ。俺が命令を一つ間違えたら、同じ速さで別のことが起きる。管理されるべきだという主張は、俺の側の実感とも合っていた。


「……否定はできません」


「結構だ。まず状態を記録する。処分でも接収でもない。記録だ」


「記録は、こっちも要ります」


そこは本当だ。修理要求は二千四百六十八件で、俺たちは何が壊れているのかを全部は把握していない。人手も、記録も、足りていない。


――中央管理盤の前に立ったのは、夕方だった。


調査団のほか、エルナ、ミナ、バルガ、ガスト、トトも一緒だった。ガストとトトは、認証器をつないだときに工廠の管理系へ影響が出ないか確認するためについてきている。


盤は縦に長い黒い面で、まだ半分が沈黙している。受付は再開していない。N-0は照会を断り続けている。この盤の向こう側に何があるのか、俺はまだ見られていない。


「照合用の機材を持ってきた」


カインが荷から木箱を出した。前面に窓がついていて、中に細い柱のようなものが十三本、立てて並んでいる。


「《古代遺物認証器》。王立研究所が発掘品の年代と系統を照合するのに使う。素子は全部、過去の発掘品から回収したものだ。当然、どれも死んでいる。……接続端子の形式が、この盤と合う」


カインは箱を盤の脇に据えて、端子の位置を合わせ始めた。


その手つきに、危ないところは何もなかった。慎重な男だ。昔からそうだった。


俺は確認のつもりで、箱に手を置いた。


《構造把握》。


内部が形になって落ちてくる。並んだ十三本の柱。そのうち十二本は反応がない。素子そのものは入っているが、応答側の構造が死んでいる。


一本だけ、違う。


段が三つ入っている。応答側が生きている。


「カイン、待て。一本だけ、照合素子じゃない。応答側の構造が生きてる。これ、認証用の鍵みたいな構造だ」


カインの手が止まった。端子はもう、盤の座に半分入っていた。


「……何だと」


「何の鍵だ?」


カインが抜こうとして、端子を掴み直した。


その瞬間、半分だけ入っていた端子が、盤側へ引かれた。


「何――」


手の中から滑る。


小さな音を立てて、端子が奥まで収まった。


――盤が白く光った。


半分沈黙していた面が、下から上へ順番に埋まっていく。文字が流れる。速すぎて読めない。


外で、音が鳴り始めた。


工廠の方角。城壁の方角。北の塔。医療区画。全部から同時に、同じ起動音が上がっている。ヴァルグ全域だ。


盤に、大きく出た。


『中央管理系――復帰』


ドランが一歩下がった。カインは端子を掴んだまま、抜けないことに気づいた。


『管理人格ALMA――起動』


エルナが認証板を落とした。


板が石の床で跳ねた。エルナはそれを拾わなかった。


顔の光が、すっと落ちた。目のあたりにいつも入っていた薄い光が、消えている。立ったまま、動かない。


「エルナ」


返事はなかった。


バルガの駆動音が止まった。搬入路の入口で、屈んだ姿勢のまま固まっている。


ガストは動いていた。トトも動いていた。二人とも盤ではなく、エルナとバルガを見ている。


なぜこの二体が止まっていないのか、俺には分からない。


ミナの手から、筆談板が落ちた。


拾わない。


ミナが、盤のほうへ一歩、歩き出した。左脚は、俺たちが作った軸で動いている。


「ミナ」


止まらない。


俺は床のエルナの認証板を拾った。表示が消えている。医療区画がどうなっているかも、セレスがどうなっているかも、これでは分からない。


盤の白い面に、次の行が出た。


『全管理系接続個体へ帰還を命ずる』

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