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  • 終戦に寄せて。への応援コメント

    はじめまして。別作品にも目を通したことで、こちらに書き込む気になりました。

    初読の際に反発を覚え、他にどんなものを書いているのかと作者ページに向かい、別の作品を読んで、改めてこちらを再読した次第です。

    初読の際にまず、作者は戦争反対の声をできるだけ封じたい、黙らせたい、最近ネットで元気な軍国主義者(自称・普通の日本人)の一員なのかなと思いました。
    「戦争反対」と「防衛費増額万歳」とを並べ、一応後者も批判しています。しかし、本文でまず取り上げたのも、作品概要で取り上げているのも、「戦争反対」についてです。こちらへの攻撃が先にあり、後者はアリバイとして書いているに過ぎないのではと思えました。

    しかし別作品で創作における安直な戦争の取り扱いなどを批判しているのを見て、そういうわけではないようだと判断しました。
    つまりこちらでの主張は、「知ってから、学んでから、戦争反対と叫ぼう。叫ぶ前に知ろう」ということのようだと。

    ですが、それは結局戦争反対の声を封じて黙らせることへの加担ではないかとも、改めて思います。
    平和な国の、絵本くらいでしか戦争を知らない五歳のこどもが「戦争反対」と叫ぶことは許されないのか? 学生時代に歴史の授業で寝ていた人間は「戦争反対」と言う資格はないのか?
    「お腹が空きました。お腹いっぱい食べたいです」と訴える貧しい子に、「食べ過ぎると肥満になって健康に良くないんだよ。そういうことまで考えてから発言しようね」と諭している様子を見るような気分です。
    昔読んだ小説を思い出しました。別の国の紛争地域にいるヒロインのためにとにかく何かしたいと行動に出ようとした主人公を、周囲もヒロイン本人も止めます。無知な人間が闇雲に動いても役に立たないからじっとしてろと。主人公はそれに従い、時は過ぎ、情熱は失せ、何もできなかったまま、ヒロインがとっくの昔に死亡していたことを後になってようやく知ります。
    十全な知識を得てからでないと動けないなら、我々は全員この主人公と同じ目に陥るしかないでしょう。
    「叫ぶとともに知ろう学ぼう」という主張なら納得できたのですが。

    なお
    >首相は、本当に防衛費を増額したかったのでしょうか。
    >それとも、国際情勢という「構造」の中で、増額せざるを得なかったのでしょうか。
    >本当は、増額に使ったお金を経済投資に当てたかったのでは?
    ですが、私はただ素直に増額したかったのだろうと考えています。
    三十年前、戦争についての反省を表明した首相談話に対し「当時生まれてなかった私たちが反省する理由なんてない」と言い放ち、以後その考えを改めた形跡もなく、日本会議などの団体と良好な関係を築いてきた人物です。国際会議へ向かう際の機内で、マウントを取るための服装を選んでいます云々のSNS発信もしていた人物で、舐められたらいけないという発想が身に沁みついていると推測されます。

    作者からの返信

    はじめまして。

    わざわざ別作品まで読み返していただき、しかも初読での反発を乗り越えて再読までしてくださったこと、本当に感謝しています。

    正直、自分の文章が「軍国主義者のアリバイ工作」に読めるほどの表現力を持っていたことに、むしろ驚いています。

    …いや、これは自虐というより、反省です。

    まず、お詫びしなければなりません。

    「戦争反対」を封じたいわけでは、決してありませんでした。

    でも、そう読ませてしまったのは、私の文章の並び方——「戦争反対」を先に取り上げて「防衛費増額万歳」を後回しにしたこと、そして「知らないなら黙れ」という風に聞こえてしまう語り口の責任です。

    これは、創作者としての「意図」と「受け取られ方」の乖離という、私がこれまでの連載で何度も批判してきた病気そのものです。自分で穴を掘って落ちていました。

    あなたの指摘の核心、「知ってから叫べ」は結局「叫ぶな」になるのではないか、という問い。

    これは、私の言葉の裏にある本当の想いを、もっと丁寧に語るべきでした。

    私が言いたかったのは、「叫ぶな」ではなく、「叫んだ後に、『知らなかった』で終わらせないでほしい」ということでした。

    貧しい子が「お腹空いた」と言うのを「肥満になるから考えてから言え」と諭す——あなたの比喩は痛いほど正確で、私の言い方がまさにそう聞こえていたのだと思います。

    でも、私が本当に恐れていたのは、「お腹空いた」と「戦争反対」が、SNSのタイムラインで同じように消費されて、次の日には忘れられてしまうことなんです。

    おっしゃる「叫びながら知る」。

    その言葉、本当に素晴らしいと思います。

    むしろ、私が言いたかったことの、もっと正確な形かもしれません。

    「知ってから叫べ」というのは、実際には不可能な理想論です。

    誰もが完全な知識を持ってから行動するなら、世界は何も動きません。

    あなたの挙げた小説の主人公——無知なまま動けず、情熱を失い、何もできなかったあの人の姿は、私が陥りかけていた「知識の傲慢」の末路そのものです。

    だから、訂正させてください。

    感情を持って、声を上げてください。

    ただ、その声が「最終回答」にならないでほしい。「戦争反対」と言った後に、「じゃあ、なぜこの国は防衛費を増やすのか」「隣の国は何をしているのか」という問いを、自分自身に投げかけ続けてほしい。

    それが、私の本当に言いたかったことでした。

    最後に、「叫びながら知る」と言ってくださったこと、本当に嬉しかったです。

    私の拙い文章を、言葉で補完してもらえた気がします。

    もしよければ、これからも私の間違いを、遠慮なく突いてください。

    編集済