第4話

 夜10時の大型公園は、いくつもの街灯が立っていてもなかなかに不気味な空間だった。それぞれの街灯は、夜闇に浮かびあがった背の高い墓標のように見えた。


 雑木林の区画では、黒々とした翳(かげ)が大きくわだかまっていた。赤と白の彼岸花があちこちで乱れ咲いている。遠くの夜空には青く錆びた色をした月がかかっていて、見知ったはずの公園は、まがまがしくも美しいあの世の入口となっていた。


 彼は街灯の隣の明るいベンチで待っていた。みずほを見つけるなり、「悪い! 夜にこんな場所指定して」とまっしぐらに駆け寄ってくる。「女の人は怖いだろうなって後になって気づいた」


「ここ、男女関係なく怖いんじゃない?」

「昔、この公園は出るって聞いたことがある」

「やめてよ」


 いかにも幽霊がさまよっていそうな場所で声高に怪談をしていたら、よけいに呼びよせてしまいそうだ。


「家まで送る。っていうか、最初から迎えに行けばよかった」

「いやいや、そこまでは。……いつものカフェ帰りの十字路まででいいよ」


 夜道を歩きながら、崎原は週末に家をあけることになった事情を話してくれた。副業で、高校の修学旅行に同行することになった、と彼は説明した。


「修学旅行? どこ?」


 30代なかばの年齢で子どももいないみずほにとって、修学旅行は学生時代の遠い思い出でしかない。突拍子もない話で、副業でなにをやっているかよりも先に行き先を訊いてしまった。


「北海道」

「崎くん、先月沖縄に行ってなかった? 日本縦断だね」

「やれやれですよ、って言いたいところだけど、かなり楽しみな案件なんだ。男子校の修学旅行」

「そういえば副業って?」

「修学旅行の同行カメラマン。子どものころからカメラは好きだったんだけど、最初の仕事やめて病んでた時期に、カメラをひたすらいじってたんだ。時間だけはあったからプロの人に弟子いりもして、アルバイトもさせてもらっていた。学校行事とか、プロフィール写真とか、イベント撮影の仕事は今も時々はいる」

「収入になるくらい趣味を極めるってすごいね」


 素直な賞賛の言葉だった。彼は褒められても嬉しげな様子もみせず、淡々とつづける。


「その修学旅行、僕の師匠にあたる人が行く予定だったんだ。……けど、ギックリ腰になってしまって。金曜日の有給は問題なくとれたんだけど、ドン太が最近体調よくなくて吐いたりしてるんだ。この状態でペットホテルの狭いケージに3日も閉じこめていたら悪化しそうで、だから朝川さんの慈悲にすがろうかと思った」


 彼は、「病気の犬を預かるのが負担だったら、他をあたるから言ってほしい」と引きぎわを示した。だが、ドン太の様子を見ているかぎり、それほど深刻な状態ではなさそうだ。みずほに迷いはなかった。


「大丈夫。預かれるよ。そのかわりお土産よろしくね」

「もちろんです」

「しかし、副業のために本職の有給休暇をとるって、働きづめじゃない。タフだね」

「平気。カメラは本業にしたいくらい好きだから、経験にも実績にもなる。こういうのが次の仕事の縁にもなるんだ」


 子どものような笑顔を彼はしていた。真夜中なのに、澄んだ青空を思いうかべてしまう。みずほは無性に羨ましくなった。


「わたしも趣味つくろっかな」

「単身で犬を飼ってる時点で、趣味は犬なんじゃない?」

「言えてる」


 その通りだ。ユキがいたからこそ凍えるように辛かった時期を乗りこえられたし、みずほにとっては最愛の宝物だった。


 いつものように引き綱の長さをいっぱいに使って、てこてこと前を歩いてゆく愛犬の尻尾をみずほは見つめた。絶妙に丸まって揺れる尻尾が愛らしくてしかたない。


 2日のお別れだ。だが、崎原に託すのなら不安はない。できれば、あまり淋しがらずにドン太とのんびり過ごしていてほしい。


 別れぎわ、ユキは吠えこそはしないものの、四つ足を踏んばって何度も後ろを振りかえり、去ってゆく飼い主を必死なまなざしで見つめていた。



     *     *     *



 切羽つまった1週間を乗りこえて、崎原にドン太を返却したのは日曜日の夕方だった。


 二人とも達成感で気分が高揚していた。最初からカフェで待ちあわせをして、日の高いうちからアルコールとつまみを注文する。やけっぱちのようにミントを大量にいれたモヒートで乾杯をして、エビの殻つきフリッターとフライドポテトを口にはこんだ。


「うちのワンコ、朝川家でどうだった?」


 彼の質問に、みずほは飼い主不在時のドン太について簡潔にレポートする。


「吐いたりしなかったよ。いろんなところの匂いを嗅ぎまわってたけど、いい子だった。フードもちゃんと食べてたし。……逆にユキが迷惑かけたみたいで、ごめん。本当にごめん」


 飼い主から引きはなされたのと、新しい環境に驚いたのとで、ユキはあの夜、崎原家について早々に下の粗相をしてしまっていた。


 ユキは崎原にもよく懐いていたし、仔犬のころは神経質だったものの、成犬になってからは機敏ではしっこい性質だったから、そんな失敗をするはずがないとみずほは思っていた。愛犬にかなりのストレスをかけていたこと、友人の手もわずらわせてしまったことで、申し訳なさでいっぱいだった。


「それ込みで預かってるから別に――と言っても、朝川さんは気にするんだろうな」

「逆の立場だったら、平気でいられる?」

「無理ですねー」

「そうですよねー。だから、今日はお会計わたしで」


 みずほは伝票を自分の手元へと引きよせる。


「いいの?」

「うん。お土産ももらったし」


 彼女の椅子の横には、乾杯前にうけとった六花亭(ろっかてい)のお菓子の紙袋が置かれていた。興味津々で質問をしていた。


「修学旅行どうだった?」

「面白かったけど、とりこぼしのないように生徒とかグループの写真とるって、神経つかうよ。あと、集合写真の指示だしで7クラス分も声をはりあげるのが、一番つらかった」


 修学旅行の同行は3回目だという。デジカメやスマートフォンが全盛のいま、同行カメラマンの需要は消えてしまったかと思われるが、卒業アルバムにのせるのは今回のようにプロの写真ばかりだという。


「お疲れさまだね。今回ばかりは、すごく助かった」

「僕も朝川さんがいてくれて良かった」


 互いにしみじみとして言葉をかさねる。


「これこそ同盟じゃん!」


 大らかにみずほが笑うと、「もう同盟締結してるようなもんでしょう」と崎原も微笑む。なりゆきで、シングルの犬飼い同士、今後も協力していくことに決まっていた。


「でも、崎原くんがカメラマンって意外だったなぁ」


 みずほはグラスの底にたまったミントの葉をタンブラーで押しながら、言う。


「どうして?」

「学生のとき、サッカーサークルの友達たくさんといつも一緒にいたじゃない。カメラマンって一匹狼の仕事だから、最初に聞いたとき、つい『似合わない』って思った」


 つづけて「副業って、本職のパソコン関係だと思いこんでた」とつぶやくと、「訊いてくれればちゃんと教えたのに」と答えがかえってくる。


「質問できるわけないよ、そんなプライベート」


 と、退屈してきたユキの首筋をかいてあやす。崎原は2杯目にジントニックを頼んだあと、こちらに向きなおった。


「朝川さんって、豪快そうに見えて慎重なところ、あまり変わらないね」

「わたしたち、学生のときなんて話したことなかったじゃん」


 ゼミのときは、いつも離れた席に座っていた記憶しかない。なのに分かったようなことを言われると、反発してしまう。


「確かにそうだけど、けっこう目立ってたよ」


 いい意味の「目立つ」なのか、悪い意味の「目立つ」なのか、そこまでは知りたくない。ポテトに夢中になっているふりをして、みずほは黙ってやりすごした。


 そういえばこの人は、学生時代に付きあっていた女の子がいたな、と思いだす。学食で一緒にいるところを何回か目撃したことがある。小柄で、誰からも好かれそうに愛嬌がはじけている、パピヨンのように可愛い女の子。あの子とは、結局どうなったのだろう。


 素知らぬ顔をして、酒杯をかたむける。彼もまた静かに飲んでいた。


 犬たちも大人しいので、満席のカフェのなか、自分たちのテーブルだけエアポケットのように沈黙がたちこめている。しかし、気づまりな感じはしなかった。


 結婚した友人もふえたし、職場での飲み会もない。誰かとこうやって時間を味わうように過ごすのは、久しぶりだった。


 同じ保育園にかよう子をもった親同士のようなこの関係。曖昧で、つかずはなれず。相変わらずすべてを保留中にしておきたいみずほにとっては、都合がよかった。ひょっとして、崎原も同じことを考えているのかもしれない。


 背景で流れているボサノバのリズムが穏やかであたたかい。店先に置かれている観葉植物の葉までが、音符にあわせて揺れていた。


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