あなた(君)/私にとっての未来が必ずしも希望でないことを、あるいはそこに期待することへのためらいを詰め込んだ連作。
主体にとっての「桜が咲く頃」が、はたしてどちら(good or bad)を指すのか、その意味を思い切りぶつけてくる四首目。
続く五首目では、自らを突き放すかのように、「平気」(読み手の多くがここで主体の虚勢を少しばかり予感しながら、でも、まっすぐに主体を励ますことはどうしたって憚られるだろう)と言ってはいるものの。
良くなる、悪くなるの二択で捉えるのならどうしたってgood news(いい知らせ)を望む私たちのありきたりな道徳と、抱えきれなかった絶望とを天秤に懸けた時、こぼれ落ちる一方の断片を、愚痴を、いかでか聞いてもらえないだろうか? その切なる願いに耳を澄ませた時、現実を前に一度でも頽れたことのある私たちはきっと、いのちを憎む。
『欠けているジグソーパズルは最初から不良品ではなかったはずで』
ね、教えて。本当に必要とされて生まれたものって、いくつあるのかな?
そんな問いを突きつけるかのように掲歌は叫ぶ。良性も悪性も(benign or malignant)同じ腫瘍なら変わらないくらいの人生だったとして、それでも私、不良品だって、言われたくなかった。救われたかった。掬って、ほしかった。例えば、きみが川を流れる花びらなら、ぼくは絶対にきみを掬おうと思った。
『どの道を歩くかは今決めるからあなたもどうか幸せでいて』
『まだ君に出会う前この気持ちごと切り取りたいと思ってた歌』
なんでこの歌を詠んだと思う? 君が読むことさえないかもしれない歌を、どうして。自問自答するたびに苦しくなって、擦過傷のように手を洗う度に気づいて、けして(あなたは私を)忘れさせなかった。私は私を許したくなかった。
(扨て、これは私の憶測にはなるが、本連作のタイトルが『花筏』でなく『花と筏』であるのは、両者がそれぞれ独立しながらも車輪のように連動する機構であり、花があって、それを筏にする役割を担った何かがあったからに他ならないと思量する。だから、こころが動く。動かされる。)
『川をみる今消えたとて変わらない流れがあってだから生きたい』
生きたい、に至るまでの道中(時には雪が降ったであろう)、悶え苦しんだ全部を飲み込んでまで主体に『生きたい』と言わせた(あるいはこぼれるように言ったとして)出会い、瞬間、存在が、歌を通してより強固なものになる。素晴らしい連作をありがとうございました。
1つ1つ丁寧に読み返したくなる短歌10作です。各短歌から溢れる生々しい感情が、作者の選んだユニークなモチーフや情景に託されていて、読み返すたびに新しい発見があります。また、上句と下句の言葉の展開が鮮烈で、思いがけない着地に何度も心を揺さぶられました。そして、短歌10作品分という短い文字数なのに、不思議と長い物語を読んでいるかのような読後感が残ります。冒頭で自分が欠けてしまったことへの悲観や絶望などを、自らの意思でそれぞれの瞬間を切り取って残そうとするまで、安易な希望を残そうとしない構成がとても好きです。人生の主導権を取り戻してゆく過程に魅力を感じ、強く心に残る作品でした。