第6話 見えていなかったもの

 昼前。


 冒険者ギルド、ローレス支部。


「これ、四人で受けたいんですけど」


 カイルが受付に差し出したのは、ローレス近郊の旧街道に出没しているコボルトの討伐依頼だった。


 受付嬢は依頼書を受け取り、内容を確認したあと、カイルたち四人の記録にも目を通していく。


 剣士のカイル。


 槍士のロイ。


 弓使いのレン。


 そして、メイジのフィア。


 あれから四人で何度か依頼をこなし、仮パーティは今も続いていた。


「こちらですね。受注は可能です」


「本当ですか?」


「はい。ただし、今回は上位冒険者に同行してもらってください」


 カイルは少し意外に思って聞き返した。


「同行ですか?」


「今回の対象はコボルトです。一体一体なら皆さんでも問題ありませんが、現地では正確な個体数が確認できていません。数が多い場合を考えて、監督役を付けたいという判断です」


「なるほど……分かりました」


 カイルは素直に頷いた。


 上位冒険者の同行が必要とはいえ、自分たちだけでも対処できる範囲だと認めてもらえた。


 それが少し嬉しい。


「それでは、誰か手が空いている人を――」


 受付嬢が広間を見渡す。


 そして、すぐに視線を止めた。


 カイルもつられてそちらを見る。


 テーブルを囲んでいる三人組。


 ユカ。


 セレス。


 ミツキ。


 三人とも装備は整えているが、今すぐどこかへ向かう様子はない。


 受付嬢が声を掛けた。


「ユカさん」


「んー?」


 ユカが振り返る。


「今日、暇ですか?」


「言い方」


「暇ですよね?」


「まあ暇だけど」


「では、こちらの同行をお願いします」


「話聞いて?」


 受付嬢が依頼書を差し出す。


 ユカは受け取ると、ざっと目を通した。


「旧街道のコボルト?」


「はい」


「私たち要る?」


「正直、過剰戦力です」


「だよね」


「ですが、今日は暇そうなので」


「だから言い方」


 横からミツキが依頼書を覗き込む。


「まあ、いいんじゃない? そんな遠くないし」


「私は構いませんよ」


 セレスも頷いた。


「だって」


「じゃ、行こっか」


 ユカが依頼書から顔を上げる。


 そこでようやく、受付前にいる四人に気づいた。


「あれ」


 カイルと目が合う。


「カイルじゃん」


「ユカさん」


「この四人?」


「はい」


「へえ。また一緒だね」


「はい!」


 思わず返事が強くなった。


 偶然だった。


 Tri Craftが、自分たちを指導するために最初から待っていたわけではない。


 たまたま今日、手が空いていたのがこの三人だっただけだ。


 それでも、カイルには少し嬉しい偶然だった。


 あれから数回の依頼を経て、以前より動けるようになった。


 少なくとも、自分ではそう思っている。


 なら、今の自分たちを見てもらえる。


 前より少しは成長したところを。


「じゃ、準備できたら行こっか」


「はい!」


 カイルはもう一度、強く返事をした。


 ◇


 依頼の現場は、ローレスから少し離れた旧街道だった。


 最近、この辺りにコボルトが棲み着き始めたらしい。


 人間よりも一回り小さな身体に、犬を思わせる顔つき。


 棍棒や短槍、粗末な盾などを使う魔物で、一体一体の戦闘能力はそれほど高くない。


 ただし、集団になると話が変わる。


 仲間が正面で戦っている間に横へ回ったり、石を投げて注意を逸らしたりと、単純ながら連携らしい動きをする。


 しかも今回は、街道脇にある古い休憩所の周辺に棲み着いていた。


 崩れかけた小屋や壊れた荷車、伸び放題の草むらなど、身を隠せる場所が多い。


 そのせいで、正確な数が確認できていなかった。


「じゃあ、今回は基本そっちに任せるね」


 コボルトの足跡を見つけたところで、ユカが言った。


 カイルたち四人が振り返る。


「俺たちだけで?」


「そのために来たんでしょ?」


 ユカは笑う。


「もちろん、本当に危なくなったら入るよ。それまでは四人でやってみて」


「分かりました」


 カイルが頷く。


 ロイも槍を構え、レンは少し後ろへ下がった。


 フィアも杖を握る。


 少し離れた場所では、セレスとミツキが周囲を見ていた。


 特に指示はない。


 自分たちで考えて、自分たちで戦う。


 カイルは剣を抜いた。


「行こう」


 三人が頷いた。


 ◇


 最初に現れたのは、四体だった。


 こちらに気づいたコボルトが耳障りな声を上げる。


 棍棒を持った一体が真っ先に駆けてきた。


「来る!」


 カイルが前へ出て、振り下ろされた棍棒を剣で受ける。


 硬い音が響いた。


 すぐ横からロイの槍が伸び、コボルトが慌てて後ろへ飛ぶ。


 そこへ矢が飛んだ。


 肩に突き刺さる。


「ファイアーボール!」


 火球が命中し、一体目が倒れた。


 錆びた剣を持った二体目が左から回り込んでくる。


 すかさずフィアが杖を向けた。


「スパーク!」


 杖の先から火花が走り、コボルトの目の前で弾けた。


 怯んだ隙に、カイルが踏み込む。


 剣を振り抜き、首を切り飛ばした。


「右!」


 レンの声に、カイルが反応する。


 別のコボルトが粗末な盾を構えながら回り込もうとしていた。


 その進路を塞ごうとした瞬間、正面から短槍が突き出される。


「っ!」


 剣を合わせて槍先を逸らしたものの、カイルの姿勢が少し崩れる。


 その隙を見て、盾持ちが横を抜けようとした。


 まずい。


 そう思った時だった。


「そっちは俺が止める!」


 ロイが踏み込んだ。


 盾を槍の穂先で弾き、コボルトの身体を横へ向かせる。


「今!」


 レンの矢が脇腹へ刺さった。


 それでも倒れず、コボルトはロイへ棍棒を振り上げる。


「下がって!」


 フィアが叫ぶ。


 ロイはすかさず距離を取った。


「ファイアーボール!」


 そこへ火球が飛ぶ。


 炎が弾け、三体目が地面へ倒れた。


 カイルも正面へ意識を戻す。


 短槍の突きを避け、相手の動きが止まった瞬間に踏み込む。


 剣を振り抜き、最後の一体も倒した。


 静かになった街道で、カイルは小さく息を吐く。


「……やった」


 途中、一度は体勢を崩された。


 敵にも横へ抜けられかけた。


 それでも、誰か一人が無理やり解決したわけではない。


 自分が正面を受け、ロイが抜けようとした敵を止め、レンが隙を作り、フィアが仕留めた。


 四人で立て直した。


「おお」


 声がして、カイルが振り返る。


 少し離れた場所で、ユカが感心したようにこちらを見ていた。


「今の良かったじゃん」


「本当ですか?」


「うん。一回崩れたけど、ちゃんと四人で戻したね」


「はい!」


 その言葉が、思っていた以上に嬉しかった。


 以前なら、自分の正面にいる敵だけで精一杯だった。


 今は、ロイがどこにいるのか。


 レンの矢がどこから飛んでくるのか。


 フィアがいつ魔法を使おうとしているのか。


 全部ではない。


 それでも、前より見えるものは増えている。


 実際、今は四人だけで切り抜けた。


 Tri Craftが手を出す必要もなかった。


 カイルは剣を握り直した。


 少しだけ、自信がついた。


 ◇


 それから街道を進むと、やがて崩れかけた休憩所が見えてきた。


 ミツキがその手前でしゃがみ込む。


「足跡、かなり増えてるね」


 カイルも覗き込んだ。


 土の上には、いくつもの足跡が重なっている。


「何体くらいいますか?」


「重なってるから正確には分かんない。でも、さっきより多いのは確実」


 ミツキは立ち上がり、休憩所の方を見る。


「気をつけてね」


「分かりました」


 カイルは剣を握り直した。


 さっきより多い。


 けれど、怖くはなかった。


 一度、予定外のことが起きても四人で立て直せた。


 なら、今回も同じようにやればいい。


 崩れた小屋の陰で何かが動いた。


 次の瞬間、複数のコボルトが一斉に姿を現す。


 荷車の陰からも、草むらからも出てくる。


「多いな……!」


 ロイが声を漏らした。


 少なくとも八体。


 さっきの倍はいる。


「固まっていこう!」


 カイルが声を上げた。


「了解!」


 ロイが横へ並ぶ。


 コボルトたちが襲ってくる。


 棍棒。


 短槍。


 石。


 一度に全部を見ることはできない。


 それでも、四人は崩れなかった。


 カイルが棍棒を受け止めれば、その横からロイが突く。


 一体が距離を取れば、レンの矢が飛ぶ。


「左、石!」


 レンの声に反応してフィアが身体をずらし、そのまま杖を向けた。


「ファイアーボール!」


 火球が一体を吹き飛ばす。


 一体目。


 別のコボルトがカイルの横を抜けようとする。


「行かせるか!」


 ロイが槍を横へ払う。


 進路を塞がれたところへ、レンの矢が刺さった。


 カイルが踏み込み、剣を振るう。


 二体目が倒れる。


 まだ六体。


 それでも慌てない。


 一体ずつ。


 前衛二人で受けて、後ろの二人が隙を作る。


 正面の敵が多ければ無理に攻めず、ロイと並んで押し返す。


 敵が散れば、レンが位置を知らせる。


「右から二体!」


「見えてる!」


 カイルが一体を受け、もう一体をロイへ流す。


 ロイが槍で牽制する。


 動きの止まったところへ、レンの矢が飛んだ。


 胸を射抜かれ、三体目が倒れる。


「今!」


 フィアの火球が別の一体へ命中した。


 四体目。


 残った一体が棍棒を振り上げる。


 カイルは一歩踏み込み、その攻撃を剣で受けた。


 横からロイの槍が伸びる。


 コボルトが避ける。


 だが、避けた先にはレンが狙いを定めていた。


 矢が肩に刺さる。


「はっ!」


 カイルが剣を振り抜いた。


 五体目が倒れる。


 カイルは小さく息を吐いた。


 やれる。


 ちゃんと戦えている。


 敵の数は多い。


 でも、四人でなら戦える。


 そう思った。


 その時だった。


 レンの放った矢が、一体の太腿に深く刺さった。


「ギャッ!」


 コボルトが大きくよろめく。


 持っていた棍棒を落とし、こちらを一度見る。


 そして背を向けた。


 逃げる。


 街道の先へ。


 足を引きずりながら走っていく。


 カイルは反射的に目で追った。


 怪我をしている。


 武器もない。


 それほど速くない。


 今なら追いつける。


 ここで逃がせば、また戻ってくるかもしれない。


 ――いける。


 そう思った瞬間には、もう走り出していた。


「カイル!?」


 後ろから誰かの声が聞こえた。


 だが、足は止まらなかった。


 地面を強く蹴る。


 開いていた距離を、一気に詰める。


 コボルトが必死に逃げる。


 あと少し。


 追いつく。


 コボルトが振り返った。


 遅い。


 カイルは踏み込み、そのまま剣を振り抜いた。


 確かな手応え。


 コボルトが街道へ倒れ込む。


「よし!」


 追いついた。


 倒した。


 自分の判断は正しかった。


 そう思った直後。


 背後から、短い悲鳴が聞こえた。


「っ……!」


 カイルが振り返る。


 そして、息を呑んだ。


 遠い。


 仲間が、思っていたよりずっと遠くにいる。


 ロイが見える。


 その前には、二体のコボルト。


「え……」


 一体は、もともとロイが受けていた敵だ。


 もう一体。


 いつの間に。


 ロイが槍を振る。


 正面の一体を押し返す。


 だが、その間に横からもう一体が踏み込んだ。


「っ!」


 気づいた時には、短槍が突き出されていた。


 ロイが咄嗟に身体を捻る。


 穂先が腕から脇腹にかけて服を掠め、布を引き裂いた。


「ぐっ……!」


 ロイがよろめく。


 レンが弓を引いた。


 撃てない。


 ロイとコボルトが近すぎる。


 フィアが杖を向ける。


「ファイアーボール――」


「撃たないでください!」


 セレスの声が鋭く飛んだ。


 フィアの手が止まる。


 あの距離で撃てば、ロイを巻き込む。


「くっ……!」


 ロイが一歩下がった。


 その間にも、正面のコボルトが再び迫る。


 横の一体も短槍を引き戻した。


 穂先が、ロイの胸へまっすぐ向く。


 今度は避けられない。


「ロイ!」


 カイルは走った。


 遠い。


 間に合わない。


 その時。


 黒い影が戦場を横切った。


「よっ」


 軽い声と同時に、ハンマーが短槍ごとコボルトを横へ吹き飛ばした。


 一撃。


 地面を転がったコボルトは、そのまま動かなくなる。


 残った一体がユカへ向こうとした。


 ユカはその攻撃をハンマーの柄で受け流す。


 そして。


「カイル! 前に出すぎ!」


 声が飛んだ。


 カイルは、はっとした。


 前。


 自分がいた場所。


 そこには、今、誰もいない。


 その先にロイがいる。


 二体のコボルト。


 弓を引いたまま撃てなかったレン。


 杖を向けたまま止まったフィア。


 そして。


 そこから大きく離れた自分。


 全部が、一度につながった。


 自分が抜けたからだ。


 一体を追って、自分から前線を離れた。


 そのせいで片側が空いた。


 そこを敵に抜かれた。


 ロイが二体を受けることになった。


 レンも。


 フィアも。


 動けなくなった。


 自分が何をしたのか。


 ようやく分かった。


 ユカは残ったコボルトを抑えながら言う。


「カイル、戻って。前をお願い」


「……はい!」


 カイルは仲間の方へ走った。


 今度は逃げる敵ではなく、自分が戻るべき場所を見ながら。


 ユカと入れ替わるように前へ出る。


 残ったコボルトが棍棒を振り上げた。


「来い!」


 カイルは剣で受け止める。


 弾く。


 コボルトの身体が泳いだ。


 踏み込める。


 今なら倒せる。


 そう思って。


 カイルは、踏み込まなかった。


 後ろを見る。


 ロイはユカのそばにいる。


 そのさらに後ろには、レンとフィア。


 今、自分まで前へ出たら。


 また、空く。


 カイルは剣を構え直した。


 倒すんじゃない。


 今は。


 ここを通さない。


 その間に、ユカはロイへ視線を向ける。


「怪我は?」


「……大丈夫です」


「腕、動かせる?」


 ロイが肘を曲げ、手首を動かす。


「はい」


「痛みは?」


「少し。でも、動けます」


「戻れる?」


 ロイは前を見る。


 カイルが一人でコボルトを抑えている。


「……はい」


「無理だと思ったらすぐ言って」


「はい」


 それだけ確認すると、ユカは一歩下がった。


 ロイが槍を握り直す。


 そして。


「カイル!」


 その声に、カイルが横を見る。


 ロイが戻ってきた。


 後ろにはレン。


 フィアも杖を構えている。


 揃った。


「行く!」


「了解!」


 カイルが踏み込む。


 コボルトが棍棒を振るう。


 剣で受け流す。


 横からロイの槍。


 コボルトが身を捻った。


 追える。


 そのまま斬れる。


 そう思っても。


 カイルは一度、見る。


 ロイの位置。


 レンの射線。


 フィアの杖の向き。


 見てから動く。


「右、行く!」


「了解!」


 カイルが右へ回る。


 敵の意識が動いた。


 そこへロイの槍が伸びる。


 コボルトが避ける。


 避けた先へ、レンの矢が飛んだ。


 肩に突き刺さる。


「今!」


 フィアが杖を向けた。


「ファイアーボール!」


 火球が命中する。


 コボルトが地面へ倒れた。


 静かになった。


 カイルはすぐには剣を下ろさなかった。


 周囲を見る。


 右。


 左。


 後ろ。


 ロイ。


 レン。


 フィア。


 三人ともいる。


 そこでようやく。


 ユカが言った。


「おつかれさま」


 カイルは剣を下ろした。


 今度こそ、戦闘が終わった。


 ◇


 その後、休憩所の周囲を一通り確認した。


 さらに奥へ続く新しい足跡も、生き残ったコボルトが隠れている様子も見つからない。


 捜索が終わっても、Tri Craftの三人はすぐに帰る準備を始めなかった。


 ユカは真っ先にロイのところへ向かう。


「腕、もう一回見せて」


「さっき見ましたよね?」


「戦ってる時って、後から痛くなることあるからね」


「あ……はい」


 服の裂けた部分を捲り、腕を確認する。


 次に肩。


 脇腹。


「ここは?」


「大丈夫です」


「こっちは?」


「平気です」


「息吸ってみて」


 ロイが大きく息を吸う。


「痛くない?」


「はい」


 ユカはしばらく様子を見てから、ようやく息を吐いた。


「……よかった」


 その少し後ろでは、ミツキがレンの隣にいた。


「弓、ちょっと見せて」


「え?」


「さっき、慌てて強く引き絞ったでしょ。変なところ傷んでないか見とこ」


 弓を受け取る。


 弦。


 弓身。


 金具。


 ミツキは手早く確認した。


「うん。弓は大丈夫そう」


「ありがとうございます」


「矢は?」


「えっと……」


 レンが残っている矢を確認する。


 ミツキが一本を抜き取った。


「これ曲がってる」


「あ、本当だ」


「分けといて。間違えて次使ったら危ないから」


「はい」


 レンが矢を受け取る。


「手は大丈夫?」


「はい」


「指とか痛くない?」


「大丈夫です」


「ならよし」


 ミツキはそれ以上何も言わなかった。


 セレスはフィアのところへ向かっていた。


「魔力はどの程度残っていますか?」


「えっと……ファイアーボールなら、あと三発くらいです」


「三発ですか」


 セレスは少し考えたあと、頷く。


「では、一発分程度は余力として残す意識を持ってください」


「余力?」


「依頼地の敵を全て倒したと確定したわけではありませんし、帰り道で何も起こらない保証もありません」


「あ……」


「魔力は、使えるだけ使えばいいものではありません。次に何か起きた時のために残しておく分も必要です」


「はい」


「もちろん、必要な時には使って構いません。ただ、毎回使い切る前提で考えないようにしてください」


「分かりました」


 フィアが頷く。


 セレスはそのまま続けた。


「それと、先ほどロイとコボルトが接近していた場面ですが」


「……はい」


「あそこでは、撃たない方が正解です」


 フィアが少し驚いた顔をする。


「あの距離では前衛を巻き込む可能性が高すぎます。助けようとして味方を傷つけては意味がありません」


「はい」


「撃てることと、撃っていいことは別です」


「……分かりました」


 セレスの口調はいつも通り淡々としている。


 叱っているわけではない。


 ただ、次に同じ状況になった時のために必要なことを伝えているだけだった。


 カイルは少し離れたところから、その様子を見ていた。


 ユカはロイの身体を確認する。


 ミツキはレンの弓と矢を見る。


 セレスはフィアの魔力の残量と判断を確認する。


 三人とも大騒ぎはしない。


 必要なところを見て、必要なことだけをしている。


 やがてユカが立ち上がった。


 そして、こちらを見る。


「カイル」


「……はい」


 声は普通だった。


 怒っているようには聞こえない。


 だからこそ、カイルは背筋を伸ばした。


「何が悪かった?」


「……前に出すぎました」


「違う」


 カイルが顔を上げる。


 ユカは静かにこちらを見ていた。


「戦闘中はそう言ったけどね。あれは『今すぐ戻って』って意味」


「……はい」


「前に出ること自体は悪くないよ。必要なら出ればいい」


 ユカは街道の先を見る。


 カイルが敵を追いかけて走った場所。


「倒せると思ったんでしょ?」


「はい」


「実際、倒した」


「……はい」


「じゃあ何が悪かった?」


 カイルは黙った。


 逃げるコボルトを見た。


 怪我をしていた。


 武器もなかった。


 追いつけると思った。


 実際に追いついた。


 倒した。


 そこまでの判断だけを見れば、間違ってはいなかった。


 でも。


 振り返った時。


 ロイが二体を相手にしていた。


 レンは弓を引いていた。


 でも撃てなかった。


 フィアも魔法を撃てなかった。


 そして。


 自分は、遠かった。


「……俺が抜けた後を、見てませんでした」


「うん」


「敵が逃げたから、それしか見えてなくて……追いつけると思って、走りました」


「うん」


「俺がいなくなったところが空いて、そこから一体入って」


 ユカは何も言わずに聞いている。


「ロイが二体を相手することになりました」


「それだけ?」


 カイルは口を閉じる。


 それだけではない。


「……レンも撃てなくなりました」


「うん」


「フィアも。魔法を撃ったら、ロイを巻き込む状態にしてしまいました」


「そうだね」


 ユカが頷く。


「君が一体倒すために、三人の動きを全部潰した」


「……はい」


「敵は見えてた」


「はい」


「逃げてることも、追いつけることも、倒せることも分かってた」


「はい」


「実際に倒した」


「……はい」


「でも、仲間が見えてなかった」


「……はい」


 何も言い返せなかった。


 ユカは少しだけ間を置いた。


「最初の戦闘、一回危なかったよね」


「はい」


「その時はちゃんと戻せた。なんで?」


 カイルは思い出す。


 敵に体勢を崩された。


 横から一体抜けかけた。


 でも、ロイが止めた。


 レンが撃った。


 フィアが仕留めた。


「……みんなで見てたから」


「そう」


 ユカが頷く。


「敵に崩された。でも、誰かが空いたところを見て、誰かが足りないところを埋めた。ちゃんと四人で戦ってた」


「……はい」


「なのに次は、自分から一人で離れた」


「はい」


「一体倒すことしか見えてなかった」


「……はい」


 カイルはロイを見る。


 服が少し裂けている。


 それでも、怪我はなかった。


 ユカが二度確認した。


 ちゃんと無事だった。


 その事実に、ほんの少しだけ安心した。


 そして。


 その安心に縋るように、言葉が漏れた。


「でも……結果的には、無事だったから――」


 ユカの表情が止まった。


「……」


 返事がない。


 カイルも言葉を止める。


 一瞬。


 妙に長く感じる沈黙だった。


 ユカは、ロイの裂けた服へ視線を向けた。


 それから、ゆっくりとカイルを見る。


「……ふざけないで!」


 声が響いた。


 カイルの身体が固まった。


 レンとフィアも振り返る。


 ユカだった。


 ギルドの清掃をしているところを侮辱されても、笑って流していた人が。


 あの時も。


 怒らなかったのに。


 今は。


 明確に怒っている。


「無事だったんじゃない!」


「……」


「私が間に合ったの!」


 ユカはカイルを真正面から見る。


「私が間に合わなかったら?」


「……」


「あと少し遅かったら?」


「…………」


「ロイが避けられなかったら?」


 答えられない。


「それでも『結果的に無事だった』で終わらせるの?」


「……いいえ」


「君が見てなかったせいで、仲間が死にかけたんだよ」


 カイルは唇を噛んだ。


「倒せる敵を倒すのは悪くない」


 ユカの声はまだ強い。


「前に出るのも悪くない。追うのだって、必要なら追えばいい」


「……はい」


「でも、自分が動いたら仲間がどうなるのか。それを考えないで動くのはダメ」


「はい」


「一人で戦ってるんじゃないんだから」


「……はい」


「君が動けば、みんなの動きも変わるの」


「はい」


「そこを見ないで、自分が一体倒したから成功?」


 カイルは首を振った。


「違います」


「うん」


「……すみませんでした」


 しばらく。


 ユカは何も言わなかった。


 やがて大きく息を吐く。


「……ごめん。怒鳴った」


「いえ」


 カイルは首を振る。


「俺が悪かったです」


「うん」


 即答だった。


「今回はカイルが悪い」


「……はい」


「そこはちゃんと反省して」


「はい」


 もう声は、いつものユカに戻っていた。


「でも」


 カイルが顔を上げる。


「全員生きてる」


「……はい」


「なら、次は間違えなきゃいいよ」


「……はい」


 今度は、しっかりと頷いた。


 ◇


 少しして。


 カイルはロイのところへ向かった。


「……悪かった、ロイ」


 ロイが顔を上げる。


「本当に、ごめん」


 すぐには返事がなかった。


 やがて。


「……マジで死ぬかと思った」


「うん」


「怖かった」


「……うん」


 カイルは俯く。


「ごめん」


 少しの沈黙。


「次はやめろよ」


「うん」


「俺も、ちゃんと周り見るから」


 カイルが顔を上げた。


「……ありがとう」


 ロイは少しだけ顔を逸らす。


 それから、離れたところにいるユカを見る。


「……ユカさん、滅茶苦茶怒ってたな」


「……うん」


「あんな怒るんだな」


「知らなかった」


 二人の視線の先。


 ユカはもう、いつもの調子でミツキと話している。


 先ほどまで怒鳴っていた人物と同じには見えない。


「……怖かったな」


「うん」


「俺よりお前の方が顔青かったぞ」


「……うるさい」


 ロイが少し笑った。


 カイルも、ほんの少しだけ笑った。


 ◇


 帰り道。


 カイルはずっと考えていた。


 自分が走った時。


 敵しか見えていなかった。


 逃げる。


 追いつける。


 倒せる。


 それだけだった。


 実際、追いついた。


 倒した。


 だから、一瞬だけ自分の判断は正しかったと思った。


 でも、その間。


 後ろで何が起きていたのか。


 何も見えていなかった。


「カイル」


 前を歩いていたユカが振り返る。


「はい」


「まだ落ち込んでる?」


「……ちょっと」


「そっか」


 ユカは歩調を少し緩めた。


 カイルが横へ並ぶ。


「まあ、反省するのはいいけどね」


「はい」


「引きずりすぎてもしょうがないよ」


「でも」


 カイルは少し迷った。


「俺……向いてないんですかね」


「何が?」


「冒険者」


 ユカが目を丸くした。


「なんで?」


「だって、あんな判断して」


「一回失敗したから?」


「……」


「それで向いてないなら、冒険者ほとんどいなくなるよ」


「でも、ユカさんは」


「私?」


 カイルは頷いた。


「ユカさんは、ああいう失敗しないじゃないですか」


 ユカが少しだけ黙った。


「……するよ」


「え?」


「した、かな」


 カイルがユカを見る。


「新人の頃なんて、私の方がよっぽど酷かったよ」


「ユカさんが?」


「うん」


 信じられなかった。


 誰より早く危険に気づいて。


 必要な時だけ割って入って。


 カイルを前線へ戻し、その間にロイの状態を確認して。


 戦闘が終われば、もう一度ちゃんと見る。


 そのユカが。


「どんな失敗したんですか?」


 聞いてから。


 カイルは、はっとした。


 昨日言われたばかりだった。


 冒険者の過去を詮索しない。


「あ、すみません。今の――」


「別にいいよ」


 ユカは気にした様子もない。


「私が話す分にはね」


「あ……はい」


「んー……」


 ユカは少し考えた。


「武器壊したり」


「武器?」


「依頼失敗したり」


「ユカさんが?」


「するする」


 軽い。


 あまりにも軽い。


「判断間違えたり」


 カイルは黙る。


「周り見えてなかったり」


 ユカは前を向いた。


「まあ、色々」


「……今の俺みたいに?」


 その問いに。


 ユカは少しだけ笑った。


「もっと酷かったよ」


「…………」


 やっぱり信じられない。


 今のユカと。


 今聞いた話が。


 どうしても繋がらなかった。


「まあ、最初から上手い人なんてそんなにいないよ」


 ユカはそう言って、前を歩く。


「ほら。帰るまでが依頼だからね」


「あ、はい!」


 カイルも後を追う。


 少し先を歩く黒猫の背中を見る。


 今のユカからは、その頃の姿なんて想像もできなかった。


 この人は、最初から今の英雄だったわけじゃない。


 なら。


 何があったのだろう。


 どうやって、今のユカになったのだろう。


 カイルはまだ、その答えを知らなかった。

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