第2話 奔走

1872年10月15日。


街は大混乱に陥っていた。混乱の中心は鉱山事務所である。


それもそのはず。


銀鉱山の一部が明治政府により徴用され、そこで働く者たちも借上げられる御触書が出されたためだ。


いきなり政府が来て、訳のわからない研究を手伝えとは何事かと、四方八方から罵詈雑言が飛び交う。


鉱山事務所の窓を叩く者。


扉に蹴りを入れる者。


そして鉱山長に詰め寄る者。


鉱山長も必死に説明するが、ほぼ暴徒と化した行商人や工員を抑え込むのに必死である。


「大田さん、これは収拾が付きそうですか・・・?」


「わかりませんな。」


二人は調査団の最高責任者である。この二人に会わせろと、民衆が押し寄せている。


数日前、二人は事前に鉱山長や行商人らの組合へ説明会を鉱山事務所の一角で行なっていた。


1.立ち退きなどは行わない事


2.協力して欲しい事


3.銀鉱山は実質的に閉鎖になる事


4.明治政府により、商売の権利や居住は保護される事


おそらく3番目の内容が一人歩きし、尾鰭胸鰭がついて帰ってきたところだろうか、と菊池と大田は考えた。


抗議は連日連夜行われたが、松戸井ら鉱山工員や、調査団の面々、そして黒川、梶原、一郎らの必死の説明もあって、17日早朝にはある程度の落ち着きを見せた。


鉱山事務所員、調査団らの目の下に真っ黒なクマができていたのは言うまでもあるまい。


「・・・今後どうするか考えねばなりませんな。」


「どうでしょう菊池さん。皆さんに説明を行ってみては・・・?」


と大田が疲れ切った声で提案する。鉱山長もそれに頷き、沈黙の同意をする。


「そうですね、今後皆さんの手を借りる時もあると思われる。しかし場所がない。」


その時、待ってましたと言わんばかりに鉱山長がおかしなイントネーションでこう言った。


「・・・鉱山事務所から2、3分ほど歩いたところに、昔使われていた倉庫があります。50人ほどしか入りませんが、そこを使ってみてはいかがでしょう?」


少し考えたのち、


「案内していただけますか?」


菊池がそう言う。


鉱山長が、疲れ切った顔で頷く。


外套をはおり、こちらです、と案内を始めた。


もたもたと綿毛のような雪が降る中、その倉庫に向かう。


つまずきはしないが、雪の多さに戸惑う菊池の前に、その倉庫が現れた。


確かにある程度大きいし、暖房設備もある。これなら良さそうだと、菊池は納得した。


「鉱山長さん、こちらはしばらくの間お借りできますか?」


鉱山長が頷き、


「ただ、オラだで掃除はします。明日から手をかけます」


と、秋田弁が時折顔を覗かせる標準語で松戸井は提案する。


衣食住は明治政府より保証されたとはいえ、仕事がなくなった者たちのために鉱山長の粋な計らいであった。


翌日、工員を引き連れ、倉庫へ向かっていた。その数は30人ほどであった。


扉の錠前を取り、中に入る。昨日よりも暗く見え、寒さが肌を突き刺した。


しばらく使われていないためか、蜘蛛の巣が至る所に張り巡らされている有様である。達磨ストーブも煙突が抜け、煤が顔を覗かせていた。


工員たちは分担し、達磨ストーブを直す班、床を修理する班、割れたガラス窓に板を打ち付け応急修理する班。


連携が何より重要な坑道で培ってきた連携力で、みるみる掃除と修理は進み、なんとその日の午後には使える状態になった。


松戸井が達磨ストーブに薪をくべ、火をつける。


じんわりと温まる倉庫が、工員たちの冷え切った体を暖めた。


―――


翌日。連日の降雪により、9寸9分(約30cm)ほど積雪した倉庫では、大衆向けの説明会が行われた。


原油とは何か、それをどのように利用するのか、今後の開発や研究についてなどが説明された。新たな資源に目を輝かせる者、そろばんを使って何やら計算を始める者、文句を言う者など、反応は多種多様であった。


いくつかの質問も飛び交った。


その中では、鉱山から湧き出た油についても話題に上り、民衆の間では「黒金油」と呼ばれていることにも触れられた。


聞き慣れない「原油」という言葉よりも、こちらのほうが馴染みやすく、語呂も良い。そうしたことから、鉱山事務所でも今後はこの名称を用いることになった。


説明が進むにつれ、参加者たちの間にも少しずつ理解が広がっていった。もちろん、未知の資源を扱うことへの不安や、これまでとは異なる商売になることへの懸念を口にする者もいた。


しかし、それ以上に、新たな資源が町にもたらす可能性に期待を寄せる者も多かった。


質疑応答が終わる頃には、当初こそ半信半疑であった町人や行商人らも、その多くが今回の計画に理解を示していた。


こうして説明会を行ったことで、町人や行商人らの大方の同意を得ることができたのである。


さらに、うれしい誤算が一つあった。


なんと、工員寄宿舎の一部を改装し、研究室と調査団の宿舎を兼ねた施設として利用できるようになったのだ。


それならば、新しく建築するよりも早く使用できるうえ、新築に必要となる資金や資材を使わずに拠点を整備できる。これは鉱山組合からの提案であった。


鉱山長もその提案を認め、その日の夕方には改築範囲を指示していた。


そして10月24日。早朝から、鉱山寄宿舎の改装工事が開始された。


建物自体は、若干の造りの古さこそ認められたものの、大きな問題点はなかった。


また、人手はあったため、大田が3ヶ月は掛かると予想していた工事が、驚異的な速度でみるみる進み、12月16日に完了。


12月18日には各自の研究道具や試験用の机などが運び込まれた。


資機材の搬入を指示している大田の顔は、どこか嬉しそうなであった。


翌年の1873年1月20日には、本格的な回分式蒸留装置が完成した。


これは、原油を蒸留する設備としては最も原始的なもので、少量の原油しか処理できず、製品の品質も一定しない。しかし、その一方で、最も安価に導入できる蒸留釜でもあった。最初の試験を行うには十分の機能を持った釜である。


この釜は、建屋の改装と並行して菊池が手配していたもので、設置作業も同時進行で進められていた。この日、ついに釜が完成したのである。


その釜を一目見ようと、朝から多くの見物客が訪れた。その中には、ありがたそうに念仏を唱える者の姿もあったという。


そして同日午前11時頃、厳粛な雰囲気の中で火入れ式が執り行われた。こうして、新たなエネルギー源の製造が、ここ秋田の地で始まったのである。


なお、実際の歴史では、1852年に新潟県で日本で初めて原油の蒸留が行われたとされている。これも回分式による蒸留であり、その功績をたたえる石碑が現在も各地に残されている。


―――


しんしんと雪が降る1月29日の夕方。


24時間稼働する試験蒸留設備を眺める菊池の元へ、大田が来る。


「・・・随分と大きな櫓ですな。ここまで離れていても熱を感じる。」


菊池は、


「そうですね。回分式にしては上出来だ。今は米国式の最新の釜を作らせています。」


「そのうちケロシンも大量生産ができるようになります。」


と答えた。


回分式と米国式連続芋釜蒸留法の大きな違いは、その蒸留方法である。


回分式では、1つの釜に原油を満たし、下から火をかける。温度の上昇とともに、沸点の低い成分(ガソリン)から高い成分(灯油、軽油)へと順番に蒸発していくため、時間ごとに受け皿を交換して成分を小分けにする。


小規模な設備で済むが、その都度釜の清掃が必要な他、品質が一定ではない。


一方、米国式連続芋釜蒸留法では、複数のポットスチル(芋釜)を横一列にパイプで連結する。「1号釜は低温度(ガソリン用)」「2号釜は中温度(灯油用)」「3号釜は高温度(軽油用)」と、各釜の温度を固定し、原油を1号釜から奥へと順番に流し続けながら各成分を同時に抜き取る。


この方式は設備費用が膨大ではあるが、24時間連続で稼働でき、また加温さえ一定の温度でできれば安定した品質で大量生産できる。


「ケロシンを取り出すまでは良いのですが、その前に出る成分が困り者ですね。」


大田は、かじかむ手を暖めながら同意する。


「先日のケロシン灯の爆発事故、それもそれが原因だそうです。幸い怪我人はおりませんが」


「あの爆発の威力は驚異的だ。よく釜が爆発しないものだ。ケロシン灯が、内側から引き裂かれておりましたぞ。」


「寄宿舎で爆発なんて起きたものじゃ、目も当てられませんね。でも確かに、あの爆発は凄まじい。何かに使えたら良さそうですが・・・」


菊池は大田にそう返した。


雪の勢いが増す中、菊池と大田はタバコを取り出して、火をつける。


銀山の街が、いまや黒金油の街へと姿を変えた。


紫色のタバコの煙が霧散した。



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