第38話 閃光

1880年4月5日、早朝。


日報新聞社の朝刊。


———


久世式白熱体完成す

――夜間照明の新時代を拓く――


去る三月十一日、帝国石油化学附属・久世発動機研究所に於いて、久世玄朔博士が多年研究を重ねたる「久世式白熱体」が遂に完成したとの報せあり。


同博士は従来のケロシン灯に改良を加え、より明るく、且つ長時間使用に耐える照明器具の開発を進めていた。然るに、金属線を用いれば熱に耐えず、植物繊維を用いれば容易に燃え尽きるなど、試験は幾度となく失敗。研究所には焼け焦げた試作品が山と積まれたという。


転機となったのは、米国に於いて発表された白熱電灯の報であった。博士は「物を熱して白く輝かせる」という着想を得、ケロシンの炎を熱源として利用する方法を考案。さらに本年二月、養蚕場にて蚕が細き糸を幾重にも巻き繭を作る様を見て、白熱体の構造に関する重要なる着想を得たという。


三月十一日、遂に完成した試作品へ火を入れると、白熱体は眩い白光を放ち、従来のケロシン灯とは比べものにならぬ明るさを示した。


同研究所関係者によれば、今後は警察隊の夜間巡回をはじめ、街路、工場等への応用も検討されるとのこと。


夜の闇を照らす新たなる灯火として、久世式白熱体の今後に大いなる期待が寄せられている。


———


警察隊と警吏隊の面々が、久世発動機研究所へと集められていた。


普段ならば機械の音や、時には爆発音まで響いている研究所だが、この日は妙に静かだった。


集められた者たちは、研究所の中央に置かれた見慣れぬ装置を遠巻きに眺めている。


円筒形の金属製タンク。


そこから伸びる細い管。


その先には、金属製の筒と、その内部に取り付けられた白っぽい部品。


どう見ても普通のケロシン灯ではない。


「・・・本当に大丈夫なんでしょうな」


警吏隊の一人が、小声で呟く。


「何がです?」


隣の警察隊員が聞き返す。


「いや・・・久世博士のことですから」


「・・・」


二人は装置を見る。


「爆発事故を起こしませんよね・・・?」


「久世博士のことだ」


別の男が小声で口を挟む。


「きっと爆発する」


「ですよね・・・」


「聞こえてますぞ!」


突然、研究所の奥から声が飛んできた。


「!」


皆が一斉に振り返る。


しかし、そこには誰もいない。


「・・・」


「・・・」


「気のせいでしょうか」


その瞬間――。


ガタン!


金属製の器具が倒れた。


「うわっ!」


「始まった!」


「逃げ――」


一同が一斉に身構える。


しかし、爆発は起こらない。


倒れたのは、ただの工具箱だった。


「・・・」


「・・・」


気まずい沈黙。


そこへ。


「みなさま!」


背後から、突然大声が響いた。


「長らくお待たせしました!!」


「うわぁっ!」


皆が肩を震わせる。


振り返ると、満面の笑みを浮かべた久世玄朔が立っていた。


「久世博士・・・!」


「驚かせてしまいましたかな?」


「自覚があるなら、もう少し静かに出てきてください!」


警察隊員の一人が思わず叫ぶ。


久世は豪快に笑った。


「ワッハッハ!さて!」


そして装置の前へ歩いていく。


「本日は、わたしが開発いたしました新型照明器具――」


胸を張る。


「久世式白熱灯のお披露目です!」


「白熱灯・・・?」


何人かが顔を見合わせる。


久世は気にせず説明を始めた。


「まず、この白熱体!」


久世が装置の先端を指差す。


「これは蚕の繭から着想を得て――」


「蚕の・・・?」


「繭・・・?」


「そうです!」


久世は得意げに続ける。


「細い繊維を幾重にも組み合わせ、それを特殊な処理によって炭化し、さらに高温に耐える状態へ――」


「・・・」


「・・・」


「――そしてセラミック状の構造へ仕上げたものです!」


「・・・」


集まった者たちは黙っている。


久世は気づいていない。


「さらに重要なのが燃料供給です!」


「燃料・・・」


「ケロシンです!」


「それは分かります」


「タンク内部のケロシンへ圧力を掛けます!」


久世が装置の横にある円筒形のタンクを叩く。


コン。


「圧力を掛けられたケロシンは管を通り、予熱部へ送られます」


「予熱・・・?」


「そう!」


久世は嬉しそうに頷く。


「液体のままではありません。予熱することで気化を促し、より効率よく噴射させるのです!」


「・・・」


「・・・」


警察隊員たちは顔を見合わせる。


明らかに半分も理解できていない。


それでも久世は止まらない。


「そして気化したケロシンを、ここから――」


細いノズルを指差す。


「白熱体の内部へ噴射する!」


「内部へ?」


「そうです!」


「それでどうなるんです?」


久世は満面の笑みを浮かべた。


「燃えます!」


「・・・」


「・・・」


「いや、それはそうでしょう」


誰かが呟いた。


久世は構わない。


「しかし、ただ燃えるのではない!」


久世は火種を近づける。


「ケロシンが噴射され、ここで燃焼する!」


シュッ。


小さな炎が白熱体の内部に灯った。


「そして、その燃焼熱が白熱体を加熱する!」


白熱体が赤くなる。


「赤く!」


さらに温度が上がる。


「橙色に!」


そして――。


白い光が広がった。


「・・・これは・・・!」


一同が息を呑む。


先ほどまで薄暗かった研究所の内部が、一気に明るくなった。


白熱体は、まるで小さな太陽のように輝いている。


「すごい・・・」


警吏隊の一人が思わず声を漏らした。


「これは・・・」


別の警察隊員が周囲を見回す。


机の上の紙。


工具。


壁に掛けられた図面。


すべてがはっきりと見える。


ケロシンの炎そのものは、それほど大きくない。


それなのに、明るい。


久世が胸を張る。


「これが!」


一同を見る。


「久世式白熱灯です!!」


しばし、沈黙。


やがて警察隊の隊長が口を開いた。


「・・・つまり」


久世が期待に満ちた顔で見る。


「ケロシンを圧力で送り出して、予熱して、噴射して燃やす」


「はい!」


「その熱で白熱体を真っ白に光らせる」


「その通り!」


「・・・要するに、ケロシンの炎を直接明るくするのではなく、炎の熱で別のものを光らせている、と」


久世の顔がぱっと明るくなった。


「まさにそれです!」


「なるほど・・・」


警察隊員たちは改めて白熱灯を見る。


「これなら夜間巡回にも使えそうですな」


「もちろん!」


久世が答える。


「これを携帯できるようにすれば、従来のケロシン灯より遥かに明るい夜間灯になります!」


警吏隊の男も頷く。


「資産の夜間警備にも使えそうです」


「さらに!」


久世が指を一本立てる。


「街路にも使える!」


「街路?」


「ええ!」


久世は勢いよく頷いた。


「暗い場所を照らせば、泥棒も隠れる場所が減る!」


その言葉に、警察隊員たちが顔を見合わせた。


先日の銀次の逃走劇を思い出したのだ。


「・・・確かに」


「長屋街の裏道などには、特に有効でしょうな」


「そうですとも!」


久世は嬉しそうに笑う。


そして白く輝く白熱体を見上げた。


「闇をなくせばいいのです!」


その言葉に、警察隊員の一人が頷いた。


「それは、我々にとってもありがたい話です」


「でしょう!」


久世は胸を張る。


「さあ、次はこれを――」


その時だった。


ボッ!


白熱灯の炎が一瞬だけ大きくなった。


「!」


全員が固まる。


「・・・」


「・・・」


久世が装置を見る。


炎はすぐに元へ戻った。


「・・・」


警吏隊の男が恐る恐る尋ねる。


「久世博士?」


「なんでしょう?」


「今のは・・・大丈夫なのですか?」


久世は少し考えた。


「・・・たぶん」


「たぶん!?」


研究所に、一斉に不安げな声が響いた。


久世は豪快に笑った。


「ワッハッハ!まあ、多少の調整は必要ですな!」


「多少で済むんでしょうな!?」


その場にいた全員が、同じことを思った。


――やはり久世博士である。


だが、誰もが白熱灯から目を離せなかった。


明るい。


そして、確かに実用になりそうだった。


久世玄朔の新たな研究は、こうして警察隊と警吏隊の目の前で、初めてその威力を示したのである。


「だが問題もある!」


久世が突然、声を張り上げた。


「定期的に圧力をかけなければなりません!」


警察隊と警吏隊の面々が顔を見合わせる。


「・・・圧力を?」


「そうです!」


久世はランタンの脇に取り付けられた小さな手押しポンプを指差した。


「この中のケロシンは、ただ置いておけば勝手に出てくるわけではありません。圧力をかけて、細い管から押し出す必要がある!」


「なるほど・・・」


「ですから、使っている間は時々こうして――」


久世がポンプの柄を上下させる。


シュッ、シュッ、と小さな音が響いた。


「空気を送り込む!」


「・・・つまり、誰かが操作し続ける必要があるのですか?」


警吏隊の一人が尋ねる。


「ずっとではありません!」


久世が胸を張る。


「圧力が下がったら、また加圧すればよい!」


「結局、誰かが見る必要があるのでは・・・」


「細かいことです!」


「細かくないと思いますが・・・」


周囲から小さな笑い声が漏れる。


久世は気にせず、さらに続けた。


「そして、もう一つ!」


人差し指を立てる。


「予熱も必要です!」


「予熱?」


「ええ!」


久世は白熱体の下にある予熱部分を指した。


「最初からいきなりケロシンを吹き付けても、うまく気化しません。まずここを火で温める!」


「つまり・・・」


警察隊の一人が恐る恐る尋ねる。


「火が必要なのですか?」


「その通り!」


久世は満面の笑みを浮かべた。


「つまり!火源がないと最初は駄目ですな!」


「一度火がつけばその後ば自身の熱で予熱も行えます。だが!最初は必ず要します!」


「・・・」


一同が沈黙する。


「・・・それは、普通のケロシン灯と同じでは?」


誰かがぽつりと言った。


「そこは違います!」


久世が即座に反論する。


「こちらは一度白熱体が熱せられれば、普通の芯式ケロシン灯とは比較にならぬほど明るい!」


久世は試作灯を掲げる。


「最初に火を使う!」


「圧力をかける!」


「予熱する!」


「そして白熱体を真っ赤になるまで熱する!」


「すると――」


久世が得意げに笑った。


「真っ白な光が出る!」


一同は、先ほど説明された仕組みをようやく理解し始めた。


「・・・なるほど」


「明るさの代わりに、手間が増えたわけですな」


「その通り!」


久世はなぜか嬉しそうに頷いた。


「ですが、これには大きな利点があります!」


「何でしょう?」


「夜道が明るくなる!」


久世は即答した。


「警察隊が犯人を追う時も、警吏隊が夜間巡回する時も、今までより遥かに遠くまで見渡せる!」


その言葉に、警察隊の幹部が反応した。


「・・・夜間巡回には、確かに使えそうですな」


「でしょう!」


久世が勢いよく頷く。


「ただし!」


一同の顔が曇る。


久世がこういう言い方をすると、たいてい何かある。


「何です?」


「白熱体は、非常に熱くなる!」


「・・・」


「触れば火傷します!」


「でしょうな」


「転倒させれば危険です!」


「でしょうな・・・」


「そして、ケロシンを加圧しておりますから、取り扱いを誤れば――」


久世が一拍置く。


「危険です!」


「結局、危険なのでは!?」


警吏隊の一人が思わず叫んだ。


研究所内に笑い声が響く。


久世は腕を組み、満足そうに頷いた。


「しかし、危険だからこそ、正しく使う必要がある!」


「・・・」


「そこで!」


久世は黒板へ大きく文字を書いた。


『久世式白熱灯・警察隊用巡回灯』


「これを警察隊と警吏隊の夜間巡回用として試験的に配備する!」


「本当に大丈夫なんでしょうね・・・?」


誰かが呟く。


その瞬間。


ガタン。


試作灯がわずかに揺れた。


一同が一斉に身構える。


「・・・」


「・・・」


「・・・爆発しませんよね?」


久世はニヤリと笑った。


「今回は、しません!」


「『今回は』って言いましたよね!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る