永遠のうた 神託の巫子篇1

松田玄武

第1話


永遠のうた ― eternal songs ―

神託の巫子篇

第一章 四枚のカード

 雨の夜だった。

 名古屋駅から少し離れた古いビルの一室に、明かりが一つだけ灯っていた。

 看板には、簡素な文字でこう書かれている。

 ――占いの風月。

 営業時間は、とっくに過ぎている。

 それでも部屋の奥では、男が一人、机に向かっていた。

 松田玄武。

 年齢を重ねた占い師であり、普段は客の相談を聞きながら、タロットカードや石を使って未来を読む男だった。

 だが今夜、彼の前に座っているのは客ではない。

 一人の少女だった。

 白い服を着ている。

 長い黒髪。

 顔立ちは幼くも見え、大人びても見える。

 年齢を尋ねても、少女は答えなかった。

 ただ、机の上に置かれたカードを見つめている。

「名前は?」

「……わかりません」

「どこから来た?」

「……わかりません」

「では、ここへ来た理由は?」

 少女は少しだけ顔を上げた。

「呼ばれたから」

「誰に?」

「わからない」

 玄武は眉をひそめた。

 この少女は嘘をついている。

 そう考えることもできた。

 しかし、彼女の目を見ていると、そう単純な話ではないことが分かる。

 少女自身、本当に何も知らないのだ。

 玄武はカードを切った。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 そして四枚。

 机の上に並べる。

 風。

 火。

 地。

 水。

 四枚のカードを見た少女が、突然つぶやいた。

「四つの塔……」

「塔?」

「はい」

「何が見える?」

「男の人がいます」

「何人?」

「……四人」

 玄武の手が止まった。

「四人の男が、それぞれ塔の上に立っています」

「何をしている?」

「こちらを見ています」

「こちらというのは?」

 少女は玄武を見た。

 そして、ゆっくり首を横に振った。

「先生ではありません」

「では、誰だ?」

「……ふたりの女の子」

 玄武は黙った。

「ふたり?」

「白い月の子と、赤い月の子」

 部屋の時計が、午前零時を告げた。

 その瞬間だった。

 窓の外が、青く染まった。

 玄武が振り返る。

 雨雲の向こう。

 そこに巨大な青い月が浮かんでいた。

「……月?」

 少女は立ち上がった。

 まるで何かに引かれるように、窓へ近づいていく。

「青い月……」

 その声は震えていた。

「知っているのか?」

「知りません」

「なら、なぜ……」

「でも、覚えています」

 玄武はその言葉に息を呑んだ。

 知らない。

 それなのに、覚えている。

 矛盾している。

 しかし、その矛盾こそが、この少女の正体を示しているような気がした。

 玄武は四枚のカードを片付け、最後に一枚を引いた。

 裏向きのカード。

「これは?」

 少女が尋ねる。

「最後の一枚だ」

「めくって」

「私が?」

「そうじゃ」

 少女はカードに手を伸ばした。

 指先がカードに触れた瞬間――

 部屋の照明が消えた。

 真っ暗になった。

 次の瞬間、どこからともなく歌声が聞こえてきた。

 低い。

 遠い。

 人間の声とは思えないほど大きく、それでいて静かな歌声だった。

 ――おお……。

 ――おお……。

 海の底から響いてくるような声。

 玄武は息を殺した。

「……くじら?」

 少女がつぶやいた。

「何?」

「くじらが歌っています」

 玄武には聞こえない。

 しかし少女には聞こえている。

 やがて歌声は、言葉へと変わった。

 ――四つの塔が立つ。

 ――五つの石が眠る。

 ――五つの龍が目を開く。

 ――そして九つになる。

 玄武の背筋を冷たいものが走った。

「誰だ!」

 声は答えない。

 代わりに、少女の手元にあったカードが淡く光った。

 カードの絵が浮かび上がる。

 Judgement。

 審判。

 少女はカードを見つめていた。

「最期の審判……」

「違う」

 玄武は首を振った。

「これは終わりを意味するカードじゃない」

「では、何?」

「判定だ」

 玄武は静かに言った。

「何を残し、何を捨てるのか。何を選び、何を選ばないのか。その結果が出るカードだ」

 少女はカードから目を離さなかった。

「選ぶのは誰?」

「それが問題だ」

 玄武は答えた。

 そのとき、カードの表面に小さな赤い点が現れた。

 赤い点は次第に大きくなっていく。

 やがて、それは一粒の苺になった。

 真紅の果実。

 みずみずしく、奇妙なほど美しい。

 少女が手を伸ばす。

 しかし触れる直前、苺は消えた。

 代わりに、今度は葡萄が現れる。

 紫色の粒が無数につながった房。

 少女は首を傾げた。

「苺と葡萄……」

 玄武はカードを見つめる。

「二つの世界か」

「違う」

 少女が言った。

「二つの時間です」

「時間?」

「苺は、これから来るもの」

「では葡萄は?」

「……すでに終わったもの」

 玄武は何も言えなかった。

 少女は目を閉じた。

 すると、再び歌声が聞こえた。

 今度ははっきりとした言葉だった。

 ――探せ。

 ――白い月を。

 ――赤い月を。

 ――ふたりの姫を。

 少女が目を開いた。

「ふたりの姫……」

 その言葉を口にした瞬間、部屋の壁に一瞬だけ映像が浮かんだ。

 一人の少女。

 木下ひかる。

 そして、もう一人。

 赤田さとみ。

 どちらも、まだこの場所にはいない。

 しかし二人の姿は、確かにそこにあった。

 そして二人の背後には――

 四つの塔。

 さらにその上空には、五つの巨大な影。

 龍だった。

 映像は一瞬で消えた。

 雨音だけが戻ってくる。

 少女は呆然としていた。

「今の……何?」

 玄武は答えなかった。

 答えられなかった。

 彼の占い師としての経験が告げている。

 今、見たものは未来だ。

 しかし同時に、それは過去でもある。

 未来が過去へ流れる世界。

 夢の中では、時間の向きさえ逆転する。

 そんな世界が、本当に存在するのだろうか。

 玄武は自分自身に問いかけた。

 そして、少女を見る。

「君は、自分の名前を本当に知らないのか?」

 少女はしばらく黙っていた。

 やがて、小さな声で答えた。

「……巫子」

「それが名前か?」

「違います」

「では?」

「役目です」

 玄武は目を細めた。

「神託を受ける者?」

 少女は頷いた。

「そして、神託を伝える者」

「誰から?」

 少女は窓の外を指差した。

 青い月。

 そのさらに向こう。

 夜空の奥に、巨大な何かがいる。

 玄武には、それが一瞬だけ見えた。

 海。

 星。

 そして、巨大なくじら。

 くじらは宇宙を泳いでいた。

 その歌声が、地球を包み込んでいた。

 ――永遠のうた。

 玄武は立ち上がった。

「始まったのか……」

 少女が振り返る。

「何が?」

「世界の再編だ」

 玄武は四枚のカードを見た。

 風。

 火。

 地。

 水。

 そして、中央に置かれたJudgement。

「四つの世界が動き出す」

 彼は続けた。

「その先に五つ目が現れる」

「五つ目……」

「そして四と五が重なったとき――」

 玄武は言葉を止めた。

 少女が先を続ける。

「九になる」

 静寂。

 時計の針が進む。

 午前零時を過ぎた。

 新しい日が始まった。

 しかし玄武には、それが新しい一日の始まりには思えなかった。

 もっと大きな何かの始まりだった。

 世界のどこかで、まだ眠っている少年がいる。

 相馬猛。

 そして、もう一人。

 大野渚。

 さらに、二人の少女。

 木下ひかる。

 赤田さとみ。

 彼らが出会ったとき、四つの塔が動き出す。

 五つの石が目を開く。

 そして――

 最後の審判が始まる。

 だが、それを知る者はまだいない。

 少女は最後のカードを胸に抱いた。

「先生」

「何だ?」

「この世界は、どこへ行くのでしょう?」

 玄武は答えなかった。

 窓の外を見る。

 青い月が、雨雲の向こうに沈み始めていた。

 そのとき、遠い海から再び歌声が聞こえた。

 ――おお……。

 ――おお……。

 それは終末を告げる歌ではなかった。

 新しい世界が生まれる前に、海が歌う子守歌だった。

 そして誰も知らない場所で、一粒の苺が芽を出した。

 物語は、まだ始まったばかりだった。


永遠のうた ― eternal songs ―


神託の巫子篇


第二章 四つの塔


 その夜、名古屋駅の灯りは、いつもより遠く見えた。


 占いの風月の店内には、客が帰ったあとの静けさだけが残っていた。


 松田玄武は、テーブルの上に並べた四枚のカードを眺めていた。


 風。


 火。


 地。


 水。


 四枚のカードは、さきほどまで何の変哲もないタロットカードだった。


 しかし、白い服の少女が店を出てから、カードの絵柄が変わっていた。


 四枚すべてに、同じものが描かれている。


 塔だった。


 一本ではない。


 四本の塔。


 それぞれの塔の頂上には、ひとりの男の影が立っていた。


「四つの塔……」


 玄武は小さく呟いた。


 そのとき、店の奥から鈴の音がした。


 チリン。


 誰も触れていないはずの小さな鈴が鳴った。


 玄武は顔を上げた。


 窓の外には、青い月が浮かんでいる。


 そして、月の中央に一瞬だけ黒い影が横切った。


 鳥ではなかった。


 龍にも見えた。


 だが、その正体を確認するより先に、玄武の脳裏へひとつの言葉が浮かんだ。


――四つの塔が立つ。


――四人の男が現れる。


――ふたりの姫をめぐり、世界が動き出す。


「ふたりの姫……」


 玄武は、少女が残していった言葉を思い出した。


 木下ひかる。


 赤田さとみ。


 なぜ、この二人の名前を知っているのか。


 玄武自身にも分からなかった。


 ただ、カードを見ていると、その二人の姿が浮かんでくる。


 ひかるは、白い光の中にいた。


 さとみは、青い月の下にいた。


 二人は似ているようで、まったく違う。


 ひかるは「中心」。


 さとみは「門」。


 そして二人の間に、一本の赤い糸が伸びている。


 その糸の先には、四人の男がいた。


 最初の男。


 白い獅子を従えた少年。


 相馬猛。


 第二の男。


 黒い龍の影を背負った青年。


 大野渚。


 第三の男。


 世界を旅する黒猫のような男。


 木下誠司。


 そして第四の男。


 その顔だけが、どうしても見えなかった。


 玄武はカードを裏返した。


 そこには、黒い文字が浮かび上がっていた。


 ――ZERO。


「ゼロ……?」


 その瞬間、店の電灯がすべて消えた。


     *


 同じころ。


 高見台市。


 相馬猛は、眠れずに窓の外を眺めていた。


 空には月があった。


 青い月。


 昼間に見たはずの景色が、夢の中で何度も繰り返されている。


 苺。


 五つの星。


 白い少女。


 そして、四つの塔。


「またか……」


 猛はベッドから起き上がった。


 夢の中で、塔が一本ずつ現れていた。


 一番目の塔には、白い獅子。


 二番目の塔には、黒い龍。


 三番目の塔には、黒猫。


 四番目の塔には――何もいなかった。


 ただ、塔の頂上に一本の旗が立っていた。


 旗には「0」と書かれている。


「ゼロって何なんだよ……」


 猛が呟いた瞬間、スマートフォンが鳴った。


 画面には、知らない番号が表示されている。


 猛はしばらく迷った。


 そして電話に出た。


「もしもし?」


『相馬猛さんですか』


 女の声だった。


 幼いようでもあり、年老いているようでもある。


「誰だ?」


『あなたは、もう一人の姫を知っていますか』


「……もう一人?」


『木下ひかるだけではありません』


 猛の表情が変わった。


『赤田さとみという少女を知っていますか』


「……さとみ?」


 電話の向こうで、かすかに笑う声がした。


『ふたりは同じ場所へ向かっています』


「どこへ?」


『約束の地へ』


 電話が切れた。


 猛はしばらくスマートフォンを握ったまま動かなかった。


 やがて、窓の外を見る。


 青い月。


 その月の下に、黒い鳥が飛んでいた。


「約束の地……」


 その言葉が、胸の奥で嫌な響きを持っていた。


     *


 一方、赤田さとみは、ARKの建物の屋上に立っていた。


 風が強い。


 手には一枚のカード。


 そこには「JUDGEMENT」と描かれていた。


 しかし、普通のタロットとは違う。


 天から降りてくるのは天使ではなかった。


 巨大な鯨だった。


 シロナガスクジラ。


 星空を泳ぐ巨大な鯨。


 その背中には、二人の少女が立っている。


「ひかる……」


 さとみはカードを見つめた。


 そして、もう一つの名前を口にした。


「私……」


 胸の奥が痛んだ。


 自分が何者なのか。


 なぜARKにいるのか。


 なぜ、ひかると出会ったのか。


 何ひとつ確かな記憶がない。


 そのとき、背後から声がした。


「さとみ」


 振り返ると、黒い服の男が立っていた。


「……誰?」


「君を迎えに来た」


「どこへ?」


「塔へ」


 男の背後に、巨大な建物の影が浮かんだ。


 現実には存在しないはずの塔。


 その塔の窓には、無数の青い光が灯っている。


「四つの塔のうち、君が選ぶのはひとつだけだ」


「選ばなかったら?」


 男は答えなかった。


 代わりに、夜空を見上げた。


 そこには、もう一つの月が浮かんでいた。


 青い月。


 そして、その月の前を白い鯨が横切った。


「最期の審判は、終わりではない」


 男が言った。


「始まりだ」


     *


 翌朝。


 松田玄武のもとへ、一通の封筒が届いた。


 差出人はない。


 封筒を開くと、中には一枚の写真が入っていた。


 写真には二人の少女が写っている。


 木下ひかる。


 赤田さとみ。


 二人は並んで立っていた。


 その背後には、巨大な塔が四本。


 そして塔の上には、四人の男。


 写真の裏には、短い文章が書かれていた。


――ふたり姫を探せ。


――四つの塔を越えよ。


――五つの石を集めよ。


――九つ目の扉を開けよ。


 玄武は写真を机に置いた。


「とうとう始まったか……」


 その瞬間。


 店のドアが開いた。


 白い服の少女が立っていた。


 昨日の少女だった。


「先生」


「……戻ってきたのか」


 少女は頷いた。


「はい」


「君は何者なんだ?」


 少女は答えなかった。


 代わりに、四枚のカードをテーブルへ並べた。


 風。


 火。


 地。


 水。


 そして、その中央に一枚の新しいカードを置いた。


 そこには、一本の塔が描かれていた。


「五つ目が必要なんです」


「五つ目?」


「はい」


 少女は静かに笑った。


「四つの塔は、人間の世界です」


「では五つ目は?」


「人間ではありません」


 玄武は息を呑んだ。


 少女は窓の外を指差した。


 青い空の彼方。


 そこに巨大な白い鯨の姿が浮かんでいた。


「海から来るんです」


「何が?」


「永遠のうたが」


 少女の言葉と同時に、店内のすべてのカードが宙へ舞い上がった。


 風が巻き起こる。


 火が灯る。


 水が流れる。


 そして地面が震える。


 四つの世界が、ひとつにつながった。


 玄武は悟った。


 これは占いではない。


 未来を読むためのカードではない。


 これから起こる出来事そのものが、カードになっている。


 少女が玄武を見つめた。


「先生」


「なんだ?」


「ふたり姫を、守ってください」


「誰から?」


 少女は答えた。


「四人の男からです」


 そして、遠くで鐘が鳴った。


 一回。


 二回。


 三回。


 四回。


 四つの塔が、目を覚ました。


永遠のうた ― eternal songs ―

神託の巫子篇

第三章 四つの塔

 四つの鐘が鳴り終わった。

 その瞬間、占いの風月から音が消えた。

 車の走る音もない。

 人の話し声もない。

 時計の秒針さえ、止まっている。

 松田玄武は、窓の外を見た。

 名古屋の街が、薄い青色の霧に覆われている。

「時間が……止まった?」

 玄武の隣にいた少女は、静かに首を振った。

「違います」

「違う?」

「時間が止まったんじゃありません」

 少女は四枚のカードを指差した。

「世界のほうが、止まったんです」

 玄武は意味を理解できなかった。

 だが、その直後だった。

 遠くの空に、一本の塔が現れた。

 高層ビルよりも高い。

 雲を突き抜け、その先の星空まで伸びている。

 塔の頂上には、白い旗。

 その旗には、獅子の紋章が描かれていた。

「第一の塔……」

 少女が呟いた。

 すると、二本目の塔が現れた。

 黒い塔。

 その周囲には、水が渦巻いている。

 頂上には龍の紋章。

 さらに三本目。

 赤い塔。

 炎のような光を放ち、頂上には黒猫の紋章。

 そして四本目。

 青白い塔。

 月光を受けて、氷のように輝いている。

 頂上には、何も描かれていなかった。

「四人の男……」

 玄武は写真を取り出した。

 そこに写っていた四人の影と、目の前の塔が一致している。

 白い獅子。

 黒い龍。

 黒猫。

 そして、名前のない塔。

「これは未来なのか?」

「いいえ」

 少女は答えた。

「すでに始まっています」

     *

 高見台市。

 相馬猛は、街の中央に突然現れた塔を見上げていた。

「なんだ、これ……」

 周囲の人間は、誰も騒いでいない。

 誰も塔を見ていない。

 まるで猛だけに見えているかのようだった。

 塔の入口が開いた。

 中から、一人の男が歩いてくる。

 白いコート。

 金色の髪。

 そして、肩には白い獅子の幻影。

「お前が相馬猛か」

「……誰だ?」

「塔の第一守護者だ」

 男は笑った。

「そして、お前を迎えに来た」

「俺を?」

「そうだ」

 男は猛の手を見た。

 そこには、夢の中で現れた真紅の苺があった。

「Berryを持っているな」

 猛は反射的に苺を握りしめた。

「これは俺の夢だ」

「違う」

 男は首を振った。

「それは夢ではない」

「じゃあ何なんだ?」

「鍵だ」

 その瞬間、苺が光った。

 猛の目の前に、巨大な六芒星が浮かび上がる。

 六つの頂点。

 そのうち四つに、獣の紋章が灯った。

 玄武。

 白虎。

 青龍。

 朱雀。

 残る二つは、空白だった。

「あと二つ……」

 猛が呟く。

「五つの石と、六つの鍵」

 男は言った。

「そして最後に九つ目の扉が開く」

「九つ目?」

「最期の審判だ」

 猛の背筋に冷たいものが走った。

 その言葉を聞いた瞬間、別の声が聞こえた。

「猛!」

 振り返る。

 そこには、大野渚が立っていた。

 黒い服。

 その背後には巨大な黒龍。

「そこから離れろ!」

 渚が叫ぶ。

「そいつは君を塔の中へ連れていくつもりだ!」

 白い獅子の男が笑った。

「黒龍か」

「……」

 渚は黙って男を睨んだ。

「お前は何を守る?」

 男が尋ねる。

「ひかるだ」

 渚は即答した。

「ひかると、さとみを」

 猛が振り返った。

「さとみも?」

「そうだ」

 渚の表情は真剣だった。

「二人とも狙われている」

「誰に?」

 渚は空を見上げた。

「四つの塔にいる四人の男たちに」

     *

 そのころ。

 木下ひかるは、列車の窓から外を眺めていた。

 隣には赤田さとみが座っている。

 二人とも、まだ何も知らなかった。

 ただ、ひかるだけが奇妙な違和感を覚えていた。

「ねえ、さとみさん」

「なに?」

「あそこ……」

 ひかるが窓の外を指差した。

 山の向こうに、巨大な塔が見える。

 列車は高速で走っている。

 しかし、塔は動いていない。

 まるで世界そのものに固定されているようだった。

「見える?」

 さとみは窓を見た。

「……見える」

 二人は顔を見合わせた。

 その瞬間、列車の照明が消えた。

 暗闇。

 そして、車内放送が流れた。

『次は――約束の地』

 さとみの顔から血の気が引いた。

「そんな駅……ないよ」

 ひかるも頷いた。

「うん」

 列車が減速する。

 車輪の音が、徐々に小さくなる。

 そして――停車した。

 ドアが開いた。

 そこには駅ではなく、巨大な白い庭園が広がっていた。

 花が咲いている。

 白い薔薇。

 青いハイビスカス。

 そして、庭園の中央に二つの椅子。

「誰かが待ってる」

 ひかるが言った。

「行かないほうがいい」

 さとみがひかるの腕をつかむ。

 しかし、庭園の奥から声がした。

「ひかる」

 二人が振り向く。

 そこに立っていたのは、木下誠司だった。

「お父さん……?」

 ひかるが驚く。

 誠司は静かに二人を見つめていた。

「来ると思っていたよ」

「ここはどこ?」

「まだ名前のない世界だ」

 誠司は答えた。

「そして、この世界にはルールがある」

「どんなルール?」

「四人の男のうち、一人だけが二人の姫を連れて行ける」

 さとみが一歩前へ出た。

「そんなの、おかしいです」

「そうだな」

 誠司は笑った。

「だからゲームにする」

 彼が指を鳴らす。

 庭園の中央に、巨大な円形のテーブルが出現した。

 その上には、トランプが置かれている。

 赤。

 黒。

 そして二枚のJoker。

「D.Dだ」

 誠司が言った。

「勝者が、二人の姫を連れていく」

「ふざけないで!」

 ひかるが叫ぶ。

 その声に呼応するように、青いハイビスカスが一斉に開いた。

 庭園全体が青い光に包まれる。

 誠司の表情が変わった。

「……そうか」

「何?」

「君自身が、もう鍵を持っているんだな」

 ひかるの胸元が淡く光った。

 さとみの手にも、同じ光が宿る。

 二人は同時に顔を見合わせた。

 ひかるの光は白。

 さとみの光は青。

 しかし、その二つが重なった瞬間――

 赤い光が生まれた。

     *

 そのころ、四つの塔では、それぞれの男が目を覚ましていた。

 第一の塔。

 相馬猛。

 第二の塔。

 大野渚。

 第三の塔。

 木下誠司。

 そして第四の塔。

 まだ顔の見えない男。

 彼だけが、塔の頂上から世界を眺めていた。

「ようやく……」

 男は呟く。

「ふたり姫が揃った」

 その手には、一枚のカード。

 カードには「0」。

 その数字の下に、ただ一つの言葉が記されていた。

――OPENER。

 男はカードを燃やした。

 炎の中から、九つの星が現れる。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 五つ。

 六つ。

 七つ。

 八つ。

 そして――九つ目。

 九つ目の星が輝いた瞬間、世界のどこかで巨大な音がした。

 まるで、何億年も眠っていた扉が開いたような音だった。

 玄武は店内でその音を聞いた。

 猛も聞いた。

 渚も聞いた。

 誠司も聞いた。

 ひかるとさとみも聞いた。

 そして、四つの塔の上で、誰もが同じ言葉を口にした。

「始まった」

 空の彼方から、巨大な白い鯨が現れた。

 鯨は星空を泳いでいる。

 その背中には、一本の古い剣が突き刺さっていた。

 神代の剣。

 それは「終わり」を意味する剣ではなかった。

 終わった世界を、もう一度始めるための剣だった。

 そして、その歌声が世界中に響き始めた。

 ――永遠のうた。

 神託の巫子篇は、ここから本当の意味で始まる。


永遠のうた ー神託の巫子篇ー

第四章 白月光の継承者

 雨が降っていた。

 名古屋の夜は、濡れた道路にネオンを映しながら、静かに眠ろうとしていた。

 その街の片隅に、小さな占いの店がある。

 看板には、

 「風月」

 とだけ書かれていた。

 店の奥で、松田は一枚の古い写真を眺めていた。

 写真には、若い頃の自分と、もう一人の男が写っている。

 男の名前は――相馬白虎。

 そして、その男の目には、普通の人間には見えないものが映っていた。

 白月光。

 傷ついた人間の心を見抜き、癒やす眼。

 だが、白月光には対になる眼がある。

 矢光。

 偽りを射抜く眼。

 白月光が「救う眼」なら、矢光は「暴く眼」だった。

「……二つ揃えば、心眼になる」

 松田は呟いた。

 その瞬間。

 店の入口の鈴が鳴った。

 ――チリン。

「こんばんは」

 女が立っていた。

 黒い傘を閉じ、濡れた髪を手で整える。

 普段は大阪で「ゆい」と名乗っている女だった。

 松田は顔を上げた。

「久しぶりだな」

「そうね」

「ARKから来たのか?」

 女は答えなかった。

 ただ、机の上に一枚の白いカードを置いた。

 カードには、三日月が描かれていた。

「これを誰から?」

「……あの方から」

 松田の表情が変わった。

「まだ、あの方と繋がっているのか」

「繋がっているんじゃない」

 ゆいは静かに言った。

「私は、呼ばれたのよ」

 風が窓を叩いた。

 松田はカードを裏返した。

 そこには、一行だけ文字があった。

 ――白月光、目覚める。

「まさか……」

「相馬の家で何かが起きた」

「猛か?」

「そう」

 ゆいは頷いた。

「相馬猛の左目が、一瞬だけ光った」

 松田は椅子から立ち上がった。

「左目……?」

「矢光よ」

 沈黙。

 時計の針だけが音を立てている。

 カチ。

 カチ。

 カチ。

「そんなはずはない」

「なぜ?」

「白虎の血筋に受け継がれるのは白月光だ。矢光は別系統のはずだ」

「だから問題なのよ」

 ゆいは窓の外を見た。

「二つの眼が、同じ時代に現れた」

「誰と誰だ?」

「まだ分からない」

 ゆいは少し笑った。

「でも、一人ではないことだけは確か」

 同じ頃。

 名古屋駅から少し離れた古いアパートで、相馬猛は眠っていた。

 夢を見ていた。

 白い月。

 深い海。

 そして――一本の矢。

 矢は空から落ちてきて、彼の目の前で止まった。

「見るな」

 誰かが言った。

「見るな、猛」

「誰だ?」

「お前の祖父だ」

 白い光が広がる。

 そこに老人が立っていた。

 相馬白虎。

 猛が幼い頃に一度だけ見た祖父の姿だった。

「じいちゃん……?」

「お前にはまだ早い」

「何が?」

「真実を見ることがだ」

 白虎は振り返った。

 その両目が、月のように輝いていた。

「だが、もう時間がない」

「時間?」

「五つの門が開く」

 空に星が現れた。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 そして――五つ。

 五つの星が巨大な五芒星を描いた。

 その中心に、一人の少女がいた。

 長い髪。

 白い服。

 眠っているような顔。

「誰?」

 猛が尋ねた。

 白虎は答えなかった。

 代わりに、少女の隣にもう一人の少女が現れた。

 赤い髪飾りをつけた少女だった。

 二人は互いに背を向けている。

 だが、二人の手には一本の赤い糸が結ばれていた。

「ふたり姫……」

 白虎が呟いた。

「彼女たちを巡って、四人の男が現れる」

「四人?」

「四つの塔だ」

 その瞬間、夢の世界が崩れた。

 猛はベッドから飛び起きた。

「……夢?」

 胸が激しく鳴っていた。

 部屋は暗い。

 窓の外には、雨。

 だが、何かがおかしい。

 鏡を見る。

 自分の顔が映っている。

 そして――

 左目だけが、わずかに赤く光っていた。

「これ……俺の目なのか?」

 猛は鏡に近づいた。

 その瞬間。

 鏡の中の自分が、ほんの一瞬だけ別人に見えた。

 白い獅子。

 黒い龍。

 青い月。

 赤い薔薇。

 そして、最後に――

 白いハイビスカス。

「……何なんだよ」

 猛が鏡に触れた。

 すると、耳元で声がした。

 ――見えるなら、選べ。

 猛は振り返った。

 誰もいない。

 だが、机の上に一枚のカードが落ちていた。

 タロットカード。

 そこには、

 THE JUDGEMENT――審判。

 が描かれていた。

 翌朝。

 松田の店に、一人の青年が現れた。

 黒い服。

 静かな目。

 そして、右手には古びた黒い石。

「あなたが松田さんですね」

「ああ」

「相馬猛を知っていますか?」

 松田は青年を見た。

「君は?」

「大野渚」

 その名前を聞いた瞬間、松田の背後にある時計が止まった。

 カチッ。

 世界から音が消えた。

 渚は淡々と言った。

「猛の目が開いた」

「……君も知っているのか」

「知っている」

「なぜ?」

 渚は黒い石を机の上に置いた。

「僕も、同じ夢を見たからです」

 石の表面に、五つの光が浮かび上がった。

 風月。

 火天。

 地水。

 雷山。

 そして――

 第五の世界。

 まだ名前のない世界。

「四つの塔が立つ」

 渚は言った。

「そして四人の男が現れる」

「何を奪う?」

「二人の姫です」

 松田の顔から笑みが消えた。

「木下ひかる……」

「もう一人は?」

 渚は答えた。

「赤田さとみ」

 その名が口にされた瞬間、店の奥で白い花が一輪、音もなく開いた。

 青いハイビスカスだった。

 松田は花を見つめた。

「……青いハイビスカス」

 渚が頷く。

「赤い薔薇ではない」

「つまり――」

「Rulesではなく、Logos」

 渚は立ち上がった。

「始まります」

「何が?」

 渚は扉の前で振り返った。

「神託の巫子篇の、本当の始まりが。」

 扉が閉じる。

 松田は一人になった。

 机の上には、白いカード。

 その中央に、ひとつの言葉が浮かんでいた。

 SIREN。

 ――セイレーン界。

 まだ誰も知らない第三世界が、静かに目を覚まそうとしていた。

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