第2話 竜人族の火の乱れ

《新規患者を登録してください》

目の前に、電子カルテによく似た画面が浮かんだ。

患者登録からする必要があるようだ。

「まず、お名前とご年齢を教えてください」

「今それが必要なのか!?」

全身甲冑の人物が、右足を抱えたまま怒鳴った。

「確認は大事です」

患者取り違え、ダメ絶対。

「ガウル!28歳だ!」

「種族は……竜人族とかですかね?」

甲冑の後ろから、太い尻尾が地面を叩いた。

「見ればわかるだろ!」

初めて見るので、わからない。

《ガウル/28歳/竜人族》

ようやくカルテが開いた。

妙なところだけ現代的だった。

性別とか記入していないのに。

最低限、名前が正しければ開くことが出来るようだった。

便利だが、安全ではないな。

「痛むのは右足首ですか?いつからですか?」

「今朝だ!」

「起きたときには痛くて、それからどんどんひどくなった!」

昨日までは何ともなく、同じような発作を起こしたこともない。

怪我や刺し傷、魔物に噛まれた覚えもなく、他の症状もないという。

突然始まった、右足首だけの激痛。

すごくアレっぽいけど。

「足を見せてください」

細身の男に手を借り、金属製の靴と脛当てを外す。

留め具が外れた瞬間、熱気が噴き出した。

「熱っ!」

防具の内側から白い蒸気が立ち上る。

右足首は輪郭が崩れるほど腫れ、鱗の途切れた関節部分が真っ赤になっていた。

足元の草が乾き、先端から黒く焦げていく。

「やはり、《竜の火》か」

ドワーフが低い声で言った。

「竜人族の身体には火が巡っておる」

「流れが乱れ一か所に淀むと、耐え難い痛みと熱を起こすのじゃ」

本当に体内の火が淀んでいるのか。
それとも、関節の中の何かが激しい炎症を起こしているのか。

何にせよ、診てみなければわからない。

「少し触りますよ」

「待て!見れば熱いとわかるだろ!」

「すぐに済ませます」

指先を軽く当てた。

「痛い!」

ガウルの尻尾が地面を叩き、足元が揺れた。

周りの木々も激しく揺れた。

同時に、私の指にも焼けるような痛みが走る。

反射的に離した指先は、もう赤くなっていた。

むう、異世界で患者を診ているという自覚が足りなかった。

それでも、患者の前で慌てるわけにはいかない。

「お前の指、焼けているぞ!」

「必要なことはわかりました」

火傷した指を白衣の陰へ隠す。

熱は右足首の関節に集中している。

一つの関節だけに、突然、激しい痛みと腫れが出た。

人間なら、急性単関節炎を考える場面だ。

「酒はないか」

ドワーフが言った。

「肉や卵、魚卵、肝のような臓物もいる」

「生命力の強いものを食えば、淀んだ火も全身へ巡る」

「ガウルも、そういうものを?」

「もちろんだ!強い戦士はたくさん食べるからな!」

「ガウルはレバーと麦酒が特に好きだぞ」

犬の獣人が無邪気に口を挟む。

麦酒、レバー。

人間なら、尿酸値が気になるものばかりだ。

突然の激しい痛みと、この食習慣。

結晶性関節炎、中でも特に《痛風》という言葉が頭に浮かぶ。

だが、相手は初めて診る種族だ。

しかも、ここは異世界だ。

「回復薬も使ったんじゃ」

ドワーフが空の小瓶を見せた。

「大概の傷や毒なら治る」

「駄目なら、不治の病か呪いの類いじゃろう」

目に見える傷がなく、回復薬も効かないものは、この世界では《呪い》まで疑われることもあるらしい。

「原因は今から確かめます」

私はガウルの兜を見据えた。

「ですが、この痛みは軽くできます」

多分ではあるが。

「私に任せてください」

《現代医療》の検査画面を開く。

必要な項目を選ぶと、青白い魔法陣から金属製のトレイが現れた。

針や採血管が、金属とガラスで妙に格好よく装飾されている。

「あ、ファンタジー仕様だ」

「その針をどうする気だ?」

「血を採って、原因を絞ります」

「痛いところへ、さらに針を刺すのか!?」

「腕です、足首よりは痛くありません」

ガウルは唸りながら腕当てを外し、鱗の薄い肘の内側を差し出した。

血液を入れた採血管が青白く光り、魔法陣へ吸い込まれる。

数秒後、画面に検査結果が並んだ。

「早いな」

炎症反応は上がっている。

臓器に大きな異常はなさそうだった。

尿酸値は、やはり人間ならかなり高い。

同時に、画面の端へ通知が届く。

《先生、PHSがつながらないためメールで失礼します》

《尿酸値は再検しても同様でした、ご確認ください》

「ありがたい、わざわざ再検までしてくれている」

異世界のどこで、誰が調べているのだろう。

PHSまで届いていたら、転生しても逃げられないところだった。

「結果はどうなんだ?」

「体の中でできた余計なものが、溜まるべきでない場所に溜まっているのかもしれません」

「ただ、血の検査だけで断定はしません」

尿酸値が高いだけで、痛風とは断定できない。

関節に起きた感染なら、見逃せば命に関わる。

「もう一つ、関節の液を調べます」

「まだ針を刺すのか!?」

「その分、いまより楽になりますから」

必要な道具を呼び出す。

右足首へ近づくだけで、熱気が頬を打った。

一度触れただけで火傷したのだ。

いつもの関節穿刺と同じにはできない。

細身の男に膝の上を押さえてもらい、私はガーゼを厚く重ねて足首を支えた。

「おい!お前さっき火傷しただろ!」

「支障ありません」

大丈夫ではない。

それでも、私が手を引けば、ガウルの痛みは続く。

なら、火傷する前に終わらせればいい。

単純な話だ。

消毒薬は、皮膚に触れたそばから乾いていった。

かなりの熱なのだろう。

麻酔をしてから、腫れた関節へ針を進める。

熱い、痛い。

手袋とガーゼ越しでも、皮膚が焼けるようだった。

ガウルが細身の男の腕をつかみ、金属の腕当てがみしりと鳴る。

「痛い!」

「もう少しです、動かないで、頑張って」

自分の手が焼けることより、針先をぶらさないことだけを考える。

「本当に白魔導士なのか!?」

「説明はあとです」

注射器へ、白く濁った関節液が引かれていく。

液が抜けるにつれ、張りつめた足首がわずかに緩んだ。

必要な量を採り、痛み止めを少量入れてから針を抜く。

「終わりました」

ガウルが、詰めていた息を長く吐いた。

「……さっきより、楽になった」

「よかったです」

ようやく手を離す。

手袋の下で、私の指先から手のひらまでが真っ赤になっていた。

「無茶をしやがる」

細身の男が眉をひそめた。

ドワーフは腰袋から回復薬を取り出し、私へ押しつけた。

「飲め」

「その手では、この先の魔法も使えん」

「人間が飲んでも大丈夫ですか?」

「もちろんじゃ、早く飲め」

小瓶を飲み干すと、焼ける痛みが薄れ、手の赤みも目に見えて引いていった。

「すごいな」

外的な傷に対しては、身体が治る過程を一気に進める薬らしい。

なら、なぜガウルの関節の痛みには効かなかったのか。

答えは何となく見えてきている。

私は動くようになった指を握り、採った関節液へ目を戻した。

確かめたい。

関節の中に菌がいないか。

痛みの原因は何なのか。
今のところ、菌は見つかっていない。

画面へ映し出されたのは、無数の結晶だった。

炎症を起こした細胞の内外を、鋭い結晶が埋め尽くしている。

針状で、トゲトゲしくて凄く痛そうな形をしているヤツだ。

形は、見慣れた痛風で見られる尿酸塩結晶に似ていた。

だが、明らかに違う。

赤黒い結晶の芯には、熾火のような橙色の光が走っている。

一本一本も、明らかに太く異様に大きい。

火の消えきらない黒曜石を、針へ引き延ばしたようだった。

「おお……」

ドワーフが画面へ顔を近づける。

「まるで、竜の火の結晶じゃ」

これほどのものが関節の中に無数にあれば、痛くないはずがない。

「何が見えた?」

私は画面をガウルたちへ向けた。

「この赤黒い結晶が、あなたの関節にたまっています」

「私の中に、こんなものがあるのか!?」

「私のいた土地では、こうした結晶で起こる発作を痛風と呼びます」

「あなたのものも、それに近い状態です」

ただし、色も太さも、私の知る結晶とは明らかに違う。

《竜の火》そのものについては、まだわからない。

「危険な病気が重なっていないかは、引き続き調べます」

私は処方画面を開いた。

「いまは、この辛い発作を抑えましょう」

薬を安全に使える状態か確認する。

回復薬との相互作用はわからないため、少ない量から始めることにした。

魔法陣から、二種類の錠剤が入った袋が現れた。

「こちらが痛みと炎症を抑える薬、もう一つは胃を守る薬です」

「この小さな粒で、棘が消えるのか?」

「棘をすぐに消す薬ではありません、棘に反応して起きている炎症を抑えます」

ガウルは錠剤をまとめて口へ放り込み、犬の獣人が差し出した水で飲み下した。

「少ない量から使います、異変があればすぐに対応します」

あとは、そうだな。

「誰か氷の魔法など使える方はいますか」

「竜の火を冷やすのか?」

ドワーフが眉をひそめた。

この世界では良くない発想のようだった。

しぶしぶ協力してもらい、氷の魔法で冷やした布を足首へ巻く。

丸めた外套で右足を高くする。
「おお……これは気持ちいいぞ!」
ガウルが言うと、誰も何も言わなくなった。

太い尻尾が、地面の上でゆっくりと揺れた。

布はすぐにぬるくなり、そのたびに冷やし直した。

しばらくして、右足首をもう一度診る。

腫れや赤みは残っているが、先ほどのような熱さではない。

「痛みはどうですか?」

「かなりマシだぞ!ちっこいのにやるな白魔導士!」

転生して背も伸びたのに、この世界ではまだちっこいのか。

ガウルが身体を起こし、右足を地面につけた。

「立てそうだ!」

「立てるとしても、立っていいとは言ってません」

「細かいな」

「そういう人間なので」

関節液を抜いた。

関節内へ入れた痛み止めも効いている。
飲み薬も効き始めたようだった。
まだ無理はさせられない。

ガウルが兜へ手をかけた。

「もう終わったし、これは脱ぐぞ」

兜が持ち上がり、長い暗赤色の髪がこぼれ落ちた。

現れたのは、若い女の顔だった。

後ろへ伸びた二本の角。

金色の瞳には、縦長の瞳孔。

頬から首筋には、赤銅色の細かな鱗が輝いている。

強そうな顔立ちの、かなりの美女だった。

声と話し方から、大柄な男だと思っていた。

いや、にしては声が高いなとは思ってはいたが。

「なんだ、その顔は」

「女性だったんですね」

「悪いか?」

「甲冑でわかりにくかったんです」

ガウルは兜を脇へ置き、その場で立ち上がった。

女神に背を伸ばしてもらった私でさえ、見上げなければ顔が見えない。

素顔に気を取られたまま、視線が下へ落ちた。

甲冑越しでも、胸元まで規格が違う。

――大きい。

顔を上げた。

診察は終わっている。

今のは医者の目ではない。

「どうした、まだどこか悪いのか?」

「……いえ、診察は終わりました」

ガウルは、なぜ私が急に目を逸らしたのかわからないらしい。

すごく助かった。

「これなら歩ける、助かったぞ!」

こちらこそ助かりました。

一歩踏み出した直後、ガウルが顔をしかめた。

「痛い!」

「だから、無理をしちゃダメですよ」

「だが、ここで野宿するわけにもいかない」

犬の獣人がガウルの片腕を肩に回し、細身の男は反対側から腰を支えた。

「お前は尻尾を踏むから嫌だ」

「一回しか踏んでないだろ!」

どうやら、仲は悪くないらしい。

ドワーフは、空の回復薬と私が渡した薬袋を見比べていた。

「血を抜き、関節の液まで抜いて、妙な薬を飲ませる」

「とんでもない魔法じゃな」

「この地方の魔法とは少し違うようです」

「それで、回復薬でも治らなかったものを治した」

「発作を抑えただけです」

「お前、本当に変わった白魔導士だな」

「実は、私は白魔導士ではありません」

「では、何なんだ?」

「医者です」

「イシャ?」

この世界ではあまり名の知られていない職業らしい。

細身の男は、遠くの街に病や呪いを調べる《医者》と呼ばれる者がいる、と教えてくれた。

この世界にも、医者はいるらしい。

「正確には、糖尿病代謝内分泌内科医です」

四人が黙った。

「長いな」

「そうなんですよ」

異世界でも、この診療科名は長かった。

「よくわからないが、助けてもらったことには違いない」

ガウルが遠くの城塞都市を指した。

「あの街まで一緒に来い、礼もしたい」

行くあてもなく、この世界について何も知らない。

断る理由はなかった。

「ぜひ、お願いします」

「街に着いたら、まずは肉だな!」

ガウルが元気よく言った。

「腹いっぱい食べれば、竜の火も強くなる!」

「麦酒も飲ませねばな」

ドワーフが大きく頷く。

「肉と酒か!それなら、すぐに治りそうだ!」

私は足を止めかけた。

「……食事については、街で少しお話ししましょう」

肉と酒だけが原因とは限らない。

それでも、嫌な予感しかしなかった。

こうして私は、異世界で最初に診た痛風らしき竜人族の女騎士と、その仲間たちと一緒に街へ向かうことになった。

このときの私は、この世界で《呪い》と呼ばれている病気が、どれほど残されているのかをまだ知らなかった。

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