応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 『私しかいない』への応援コメント

    同じことを考えたことがあります。もしも世界中の人間が、何度も転生している私自身だったら?と。
    「我、思考する。故に我あり」という言葉がありますが、思考するだけで私が私になるのは、宇宙全体の「時間」が物差しの端から端へと進むような単一の動きである場合のみです。
    そして、世界がそんな単純な作りであるとは、私自身の複雑怪奇な内面を見る限り、どうしても思えません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    時間を超越して順番に全員を生きるのか、自覚がないだけで同時に全員として存在しているのか。
    どちらであっても、そのことを自覚してしまった先にある孤独と虚無は、とても恐ろしいですね。

  • 『私しかいない』への応援コメント

    コメント失礼します。

    この小説の問いわかります。
    どこからが私でどこまでが私で
    私を形作るものは内面にしかないのか外面から私が形成されているのか。など。
    全てが私であって全ては私ではない。
    似たテーマで作品を書きました。

    もしかして貴方は私ですか?

    面白い作品ありがとうございます◎

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「どこまでが一人なのか」という問いを、別の着眼点から追いかけておられて、非常に興味深い内容でした。

    「全てが私であって全ては私ではない」という感覚への関心、とても共感します。

    もしかして、貴方は私ですか?

    読んでいただきありがとうございました。

  • 『私しかいない』への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    この世界は誰かが見ている夢である、という仮定がありますね。その者にとっては内から湧き出した人々だから、全てが自分と同一であると言えるでしょう。
    そういった者は、おそらく神と呼ばれるのでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    たしかに、それを「神」と呼ぶこともできるのかもしれません。

    この世界は誰かが見ている夢であるという仮説は、小説の作者と、その創作世界に生きる登場人物の関係にも、どこか似ているように思います。
    作者にとってはすべて自分から生まれたものでも、登場人物にとっては、その苦しみも愛も紛れもなく自分だけの人生です。

    ただ、一人の人間として生きる側からすれば、自分がその「神」でもあったと自覚させられることは、果たして救いなのでしょうか。

    自分と他人、その境界さえ自分が作ったものだと知ったとき、「私」はどこまで残れるのか。

    神になるより、神だったことを思い出してしまう。
    今の私には、その方が恐ろしく感じられます。

  • 『私しかいない』への応援コメント

     自我の認識を、時空間の意識をも揺さぶられる、そして人類の集団形成をなぞるような、不思議な体験でございました。主人公は過去に戻ったのか未来を歩むのか。次こそは良き生を歩まんことを。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    自分の苦痛に抗議する対象すら失われてしまうことは、一人の「私」として考えると、とても恐ろしいことだと思います。

    次こそは良き生であってほしい。
    私もそう願います。

    ただ――それを願っているのは、いったい誰なのでしょうか。