第6話 新たな指令

 ジュードは魂が抜けたように肩を落とし、ズルズルと重い足を押し出しながら大聖堂の広間へと踏み入った。

 静謐な空気が満ちる広間の中央には、黒ずんだ巨大な石造りの円卓が鎮座している。 その最奥でジュードを待ち構えていたのは、深い帽子の下から貫禄のある声を響かせる一人の女性だった。

 月がかたどられたツバ、漆黒を基調とした布地はまるで夜の闇のよう、ところどころに散りばめられる金の刺繍は星を思わせる、魔術師の装い。


「遅いじゃないか、ジュード。……どうした? その酷い顔は」


 厳かな出迎えに対し、ジュードの反応はやけに薄い。「はぁー……」と生ぬるい溜息を吐き出すばかりで、完全に心ここに在らずといった有様だった。 不審に思った魔術師が隣の少女へ視線を向ける。


「カネリア、何があった?」


「ふふ、さっき私がジュードをフッちゃったんです!」


「これから世界の命運を左右する大事な会議だというのに、いったい何をしてる……」


 魔女は額を押さえ、心底呆れ果てたように溜息を漏らした。 すると、その横から不快そうに声をくぐもらせた声が割り込んでくる。


「がはは、不健全で良いなぁ! 女を十人抱いてたあの頃が懐かしいぜ……」


 愉快そうに、豪快に笑うのは野蛮そうな男だった。全身を獣の鎧で包み、百獣の王のたてがみが雄々しく男を彩っている。


「カカッ、意気消沈するほどの熱があるなら上等じゃ。酒の肴にはちょうどよかろう」


 続いて、壮年の男がダミ声を響かせてカカと笑う。 この中で最も年嵩に見える男は、無骨な筋肉を服越しに晒し、子供ほどもある巨大な瓢箪を抱え、滝のように酒を喉へ流し込んでいた。

 彼らこそ──到達者ソロ・ワンを結成した、原初の三人。

 剣術、魔術、武術の極致に達し、全ての協会を束ね君臨するリーダーたちだった。


「なんにせよ、シルヴィア姫の暗殺阻止の報告は受けた。よくやったぞ」


 魔女からかけられた労いの言葉にも、ジュードの不機嫌な顔は晴れない。

 肩を落として落ち込んだままなのは、カネリアにフラれたショックだけが理由ではなかった。

 この大聖堂に呼び出された時点で、休む間もなく次の面倒な依頼が待ち構えていることは明白だったからだ。

 失恋と連勤のダブルパンチに、ジュードは露骨に不貞腐れて唇を尖らせる。


「はぁー……労いはいらないから、せめて三ヶ月……いや、三年の長期休暇が欲しい。俺の傷ついた心と体が悲鳴をあげている」


「お前の働きぶりを考えれば考慮してやりたい。だが、お前に休んでいる暇などない」


「知ってた! 知ってたよチクショー! どうせまた、泥臭い命懸けで何の実りもない最悪の仕事なんだろ!?」


 投げやりに叫ぶジュードを余所に、傍らのカネリアはクスクスと嬉しそうに静かに笑っていた。 目隠しの奥で楽しげな気配を振りまく彼女に、ジュードは怪訝そうな視線を向ける。


「……俺を振った張本人がよくもそんな風に笑ってられるぜ!」


 若干涙目で悪態をつくジュードに対し、それでもカネリアは可憐に微笑みかけた。


「いいえ? ただ、ジュードは今日も自分から進んで受けるんじゃないかなって思っただけよ」


「はぁ? 俺が自分から? ただでさえ、こき使われてる身だってのに、自ら進んで受けるわけ──」


「お前は記憶喪失か……? そう言って、いつも……」


「良いだろう。見せればわかる」


 魔女は薄く唇を歪めると、卓上に一枚の羊皮紙──新たな任務書を滑らせた。そこには魔法写真によって、苛烈で美しい一人の女性の姿が鮮明に写し出されていた。


「コレ、は……?」


「次のターゲット……いや、保護および同行対象だ。将来、この世界を救う一人になると言われている重要人物だが……この者の未来指数に変動が起きている」


 羊皮紙に刻まれた皮の鎧と剣を携えた姿。

 紙に刻まれる通りD級冒険者通りの姿をした女性。

 だが、そこから溢れんばかりの豊満な肢体と凛烈な美貌を目にした瞬間、ジュードの眼球が零れ落ちんばかりに見開かれた。

 さっきまでの傷心が嘘のように、その顔は幸せに満ちていた。

 ヴェスペラは少年の激変に気づくこともなく、つらつらと厳かに言葉を紡ぐ。


「俗世では強さの指標として使われてはいるが、確定者フューチャー・ワンのギフトで、世界を破滅の運命から退ける。そのために建設されたのが我ら到達者ソロ・ワンの使命だ。それはわかっているだろう?」


「ええ、もちろん」


「その女は、将来的に多くの魔物を狩る強力な戦士となる。失うことは避けたい……我らの未来指数は今の所五分五分。一体何者か知らぬが、どうやって未来を破滅に導いているのか――」


「あのー、ヴェスペラ様?」


 魔女──ヴェスペラが淡々と説明を続ける最中、遮るのが心苦しいと言った様子で、カネリアが控えめに口を挟んだ。

 カネリアにしては珍しい行動に、ヴェスペラはゆっくり首を傾げる。


 そしてカネリアが指差す先──つい数秒前までそこにいたはずのジュードの姿が、影も形もないことに気づき、ヴェスペラは思わず椅子から立ち上がった。


「なっ!?」


「ふふ、血相を変えて走っていっちゃいました」


「あの馬鹿者は……話の途中でどこへ消えた!?」


 あまりの現金さに、剣客は大爆笑し、瓢箪を抱えた翁は呆れたように酒をあおった。


「カカッ! 現金な奴め! さっきまでの鬱屈はどこへ行った!」


「ったく、男……いやジュード様は本当に分かりやすい生き物ですねぇ」


 カネリアが楽しそうに小首を傾げる中、ヴェスペラは深い溜め息をつき、千里眼と魔術を併用してジュードの追跡を開始した。

 巨大な円卓の表面が水面のように揺らぎ、目をハートにして聖堂を爆走していくジュードの滑稽な姿が鮮明に映し出される。


「こんな奴が世界を救う鍵とはな……」


「それに足る器ですよ、ジュード様は」


 頭を抱えるヴェスペラに対し、カネリアは一切の迷いなく確固たる意志で肯定した。

 その声にこもる深い信頼に、ヴェスペラの唇から微かな笑みが漏れ出た。


「相変わらず、だな。いつも苦労をかける」

「問題ないですよ」


 長く過酷な年月を共にしてきた二人だからこそ、言葉を交わさずとも通じ合う温かな空気がそこに流れていた。

 しかし──。


「……? おい、こんな奴いたか?」


 顎髭をさすりながら円卓を覗き込んでいた剣客が、不意に怪訝な声を漏らした。

 映し出されるジュードの爆走風景。

 そのすぐ後ろ、まるで影のようにぴったりと付き従う、見知らぬ少女の姿があった。


「何……?」


 その一言に、ヴェスペラも、酒をあおっていた翁も息を飲んだ。

 円卓に映る少女は、ジュードの歩幅に合わせて気味の悪いくらい滑らかに追従している。 だが──どれほど記憶を遡ろうと、彼女の存在はどこにも存在しなかった。

 静まり返った大聖堂に、不吉な沈黙だけが重く落ちていく。


 ただ一人。

 カネリアだけは静かに笑っていた。

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