2026年8月14日 14:50
【サザンの楽曲「勝手に小説化」シリーズ(24)】『孤独の太陽』(原案:桑田佳祐)<戦争4部作・『妙子と脩の物語』-③>への応援コメント
“孤独の太陽”へと参りましたヾ(・∀・)ノ脩さんが退部してしまったお話は…早慶戦に限らず、野球業界で実際にモデルとなるお話があったのかなぁ? と、思ってしまいました。今年の甲子園でもスゲィのがありましたよね。『二死満塁のホームスチール』ではありませんでしたが…『タッチアップ』になるのかな?三塁走者がいて、打者はライトフライ…ライトは三塁走者が「走らない」と判断してセカンドへゆっくり送球…それを受けたセカンドは…「もう終わったもの」として、三塁を全然見ていなかった…そこの咄嗟の判断でスタートした三塁走者がホームイン!正に「迷ったらゴー!」なファインプレーでした!ハルピン征き当時…博くんは4歳ですか。「お母さんを頼んだぞ」と言われて、どんな気持ちだったのでしょうね。戦地での野営でウトウトの件…お爺様の体験談でしょうか?『ラーゲリの早慶戦』の件は、そんな映画がありそうなアイデアですね!ソ連の軍人たちも気晴らしになって、きっと楽しかったのではないでしょうか。ラストシーン…脩さんがホームスチールに成功したのかよりも…その後、無事に帰国できたのかどうかが気になります。
作者からの返信
コメント有り難うございます!!さて、本作『孤独の太陽』につきまして、頂いたコメントへの返信並びに、この場をお借りして、「解説」(?)をさせて頂きますね!まず、本作の主人公の「脩(おさむ)」さんですが、「戦争4部作」の第1作、『流れる雲を追いかけて』の冒頭でも少し書いた通り、プロ野球の名監督・三原脩(みはら・おさむ)さんが、そのモデルです。三原さんは、早稲田時代に、早慶戦で「ホームスチール」をやってのけた事が有り、それが決勝点となって、早稲田を勝利に導きましたが、ある早稲田OBから、「無謀なプレーだ」と非難され、それに嫌気が差した事と、当時、三原さんが「学生結婚」した事により、早稲田野球部から咎められまして、そんな事も重なって、三原さんは早稲田野球部を、さっさと辞めてしまいました。なので、本作では、三原さんに関する、そういった「史実」を踏まえております!ホームスチールの件も、失敗してしまったならまだしも、成功した上、早稲田が勝ったのですから、それで良いではないか…と、三原さんは思っていたようですが、そのOBとは考え方が合わなかったようですね。このように、三原さんは「こうだ!」と思ったら、即断即決する所が有り、結婚のときもそうだったようですが、「その即断即決によって、私は人生を切り拓いて来た」と、後に三原さんは言っていたそうです。本作の「脩さん」も、そういった三原さんのキャラクターに基づいて、書かせて頂きました!夏の甲子園での、隙をついたタッチアップの件、面白いですね!!それは、本当に三原さんが大変好きそうなプレーだなと思いました!笑夜営でウトウトの件は、三原さんではなく、元阪神タイガースの藤村富美男さんとか、大岡昇平の小説『野火』などに、似たようなエピソードが有ったので、「引用」させて頂きました。三原脩さんも、3度も出征し、3度目の時は地獄のビルマ戦線に行かされたのですが、ある時、部隊から「置き去り」にされそうな時に、積極果敢に行動し、危うく、その部隊に追い付いて、辛くも助かった…という事が有ったそうです。なので、戦場では、そういった判断が、まさに生死を分けた…という事が多々有ったのかなと思いますね。ちなみに、私の祖父は、満州でソ連軍の捕虜になり、シベリアに連れて行かれそうになった所、仲間達と共に、シベリアに送られる途中の列車から飛び降りて、そのまま逃げ延びて、辛くも生き残ったそうです。私の祖父もまた、その一瞬の判断で、生き残る事が出来たそうです。あと、私の祖父と結婚した女性…私の祖母になった人は、実は長崎に原爆が落ちた時、爆心地ではなかったそうですが、その場に居ました。当時、彼女は勤労動員で工場に居たそうですが、原爆が落ちた時、ピカッと閃光が光った後、一瞬の間を置いて、物凄い爆風と共に、後ろの方に吹っ飛ばされました。彼女には、工場の窓ガラスが全身に突き刺さり、血だらけになりましたが、命は助かりました。しかし、工場の外に居た人達は、みんな死んでしまったそうです。つまり、工場の内外を分ける壁一枚が、人間の生死を分けたのですね。その話、祖父母からは一度ずつしか聞いておりませんが、強烈な印象に残っております。その後、日本に帰って来た彼(※私の祖父になった人)と、彼女(※私の祖母になった人)が長崎で出逢い、2人は結婚し、2人の間に生まれた女の子が、私の母親なのですね。なので、一歩間違えたら、私の祖父母になっていた人達は死んでいたかもしれませんし、そうなったら、私も、この世には居なかったわけです。そう考えると、本当に運命は紙一重だなあ…と思います。…という事ですが、上記の話、もしかしたら、改めて一つの記事に書くかも??これを書き残すのは、私の務め?かなあ…とも思いますので…。それと、「ラーゲリの早慶戦」は、あまり世の中には知られていないそうですが、実際に有った出来事のようですよ!(※実際の三原さんは、ビルマに行っていたので、居ませんでしたが…)この後、脩さんがどうなったのか…につきましては、是非とも、「戦争4部作」の最終回をお読み頂ければと思います(笑)。
【サザンの楽曲「勝手に小説化」シリーズ(24)】『孤独の太陽』(原案:桑田佳祐)<戦争4部作・『妙子と脩の物語』-③>への応援コメント
“孤独の太陽”へと参りましたヾ(・∀・)ノ
脩さんが退部してしまったお話は…
早慶戦に限らず、野球業界で実際にモデルとなるお話があったのかなぁ? と、思ってしまいました。
今年の甲子園でもスゲィのがありましたよね。
『二死満塁のホームスチール』ではありませんでしたが…『タッチアップ』になるのかな?
三塁走者がいて、打者はライトフライ…
ライトは三塁走者が「走らない」と判断してセカンドへゆっくり送球…
それを受けたセカンドは…「もう終わったもの」として、三塁を全然見ていなかった…
そこの咄嗟の判断でスタートした三塁走者がホームイン!
正に「迷ったらゴー!」なファインプレーでした!
ハルピン征き当時…
博くんは4歳ですか。
「お母さんを頼んだぞ」と言われて、どんな気持ちだったのでしょうね。
戦地での野営でウトウトの件…
お爺様の体験談でしょうか?
『ラーゲリの早慶戦』の件は、そんな映画がありそうなアイデアですね!
ソ連の軍人たちも気晴らしになって、きっと楽しかったのではないでしょうか。
ラストシーン…
脩さんがホームスチールに成功したのかよりも…
その後、無事に帰国できたのかどうかが気になります。
作者からの返信
コメント有り難うございます!!
さて、本作『孤独の太陽』につきまして、
頂いたコメントへの返信並びに、この場をお借りして、「解説」(?)をさせて頂きますね!
まず、本作の主人公の「脩(おさむ)」さんですが、
「戦争4部作」の第1作、『流れる雲を追いかけて』の冒頭でも少し書いた通り、プロ野球の名監督・三原脩(みはら・おさむ)さんが、そのモデルです。
三原さんは、早稲田時代に、早慶戦で「ホームスチール」をやってのけた事が有り、それが決勝点となって、早稲田を勝利に導きましたが、
ある早稲田OBから、「無謀なプレーだ」と非難され、それに嫌気が差した事と、当時、三原さんが「学生結婚」した事により、早稲田野球部から咎められまして、そんな事も重なって、三原さんは早稲田野球部を、さっさと辞めてしまいました。
なので、本作では、三原さんに関する、そういった「史実」を踏まえております!
ホームスチールの件も、失敗してしまったならまだしも、
成功した上、早稲田が勝ったのですから、それで良いではないか…と、三原さんは思っていたようですが、そのOBとは考え方が合わなかったようですね。
このように、三原さんは「こうだ!」と思ったら、即断即決する所が有り、結婚のときもそうだったようですが、
「その即断即決によって、私は人生を切り拓いて来た」
と、後に三原さんは言っていたそうです。
本作の「脩さん」も、そういった三原さんのキャラクターに基づいて、書かせて頂きました!
夏の甲子園での、隙をついたタッチアップの件、面白いですね!!
それは、本当に三原さんが大変好きそうなプレーだなと思いました!笑
夜営でウトウトの件は、
三原さんではなく、元阪神タイガースの藤村富美男さんとか、
大岡昇平の小説『野火』などに、似たようなエピソードが有ったので、「引用」させて頂きました。
三原脩さんも、3度も出征し、3度目の時は地獄のビルマ戦線に行かされたのですが、ある時、部隊から「置き去り」にされそうな時に、積極果敢に行動し、危うく、その部隊に追い付いて、辛くも助かった…という事が有ったそうです。
なので、戦場では、そういった判断が、まさに生死を分けた…という事が多々有ったのかなと思いますね。
ちなみに、私の祖父は、
満州でソ連軍の捕虜になり、シベリアに連れて行かれそうになった所、仲間達と共に、シベリアに送られる途中の列車から飛び降りて、そのまま逃げ延びて、辛くも生き残ったそうです。
私の祖父もまた、その一瞬の判断で、生き残る事が出来たそうです。
あと、私の祖父と結婚した女性…私の祖母になった人は、
実は長崎に原爆が落ちた時、爆心地ではなかったそうですが、その場に居ました。
当時、彼女は勤労動員で工場に居たそうですが、
原爆が落ちた時、ピカッと閃光が光った後、一瞬の間を置いて、物凄い爆風と共に、後ろの方に吹っ飛ばされました。
彼女には、工場の窓ガラスが全身に突き刺さり、血だらけになりましたが、命は助かりました。
しかし、工場の外に居た人達は、みんな死んでしまったそうです。
つまり、工場の内外を分ける壁一枚が、人間の生死を分けたのですね。
その話、祖父母からは一度ずつしか聞いておりませんが、強烈な印象に残っております。
その後、日本に帰って来た彼(※私の祖父になった人)と、彼女(※私の祖母になった人)が長崎で出逢い、2人は結婚し、2人の間に生まれた女の子が、私の母親なのですね。
なので、一歩間違えたら、私の祖父母になっていた人達は死んでいたかもしれませんし、そうなったら、私も、この世には居なかったわけです。
そう考えると、本当に運命は紙一重だなあ…と思います。
…という事ですが、
上記の話、もしかしたら、改めて一つの記事に書くかも??
これを書き残すのは、私の務め?かなあ…とも思いますので…。
それと、「ラーゲリの早慶戦」は、あまり世の中には知られていないそうですが、実際に有った出来事のようですよ!
(※実際の三原さんは、ビルマに行っていたので、居ませんでしたが…)
この後、脩さんがどうなったのか…につきましては、
是非とも、「戦争4部作」の最終回をお読み頂ければと思います(笑)。