ああ!昭和は遠くなりにけり!!第30巻

@dontaku

第30巻

ピアノコンクールで幼稚舎の胡桃が初出場で初の満点を獲得すると娘たちの満点ラッシュが続く。

そして美玖の活躍。CMや映画の出演も決まりスターへの道を駆け上がっていくのだった。



ああ、遠くなる昭和の思い出たち


淡い恋心・・・信子そして娘たち



ピアノ選びが終わると再びウイーンへと飛び立つ歌穂。平日ということもあり、登校する娘たちとしばしの別れをお互いに残念がるのだった。歌穂の旅立ちにより新たなスタートを切る加奈と美玖。ますます2人の仲はより深くなっていくのだった。


2月3日は節分。豆まきの行事が行われる日だ。

わが家では私が留守のため、鬼の役は伊藤さんが引き受けてくださっていた。

マメは散らかるからと小さな袋に入ったものを使い、終了後は何時ものティータイム同様に、クッキーやケーキに代わり袋入りのお豆をいただくのだ。

そんな節分の日だったが、学園大学付属幼稚舎ではひと騒動が起きていた。

毎年行われる豆まきの行事。鬼の役は男性の舎長さんが引き受けられていた。皆で「鬼はそと!」と言った瞬間だった。一人の女の子が鬼さんの元へ駆け寄ってきた。そして両手を広げて鬼さんをかばうように仁王立ちする。「みんなダメ!鬼さんがかわいそう!」そう大きな涙声で大勢の舎児たちに訴えたのだった。

慌てた先生方が「これはお芝居だからね。」と優しく諭してくださるのだがその女の子は首を横に振った。

「お芝居でもダメ!鬼さんがかわいそう!どうしてお友達になってあげれないの?」と先生や舎児たちに訴えるのだった。さすがの鬼役の舎長先生もそんな女の子の優しさに心を震わせるのだった。

「うん。そうだね。胡桃ちゃんの言う通りだね。僕、みんなに嫌われないように良い子になって皆と仲良しになるよ!胡桃ちゃん!約束するよ。最初にお友達になってくれてありがとう!」鬼役の舎長先生の言葉に歓声が上がりあっという間に笑顔の舎児たちに取り囲まれたのだった。

「もう、今まで通りの豆まきは通用しなくなったのね。」

「それにしても、胡桃ちゃん、なんて優しい子なのかしら!」

先生方はそう言いながら鬼さんを囲んで大はしゃぎの舎児たちの姿をほほ笑んで見守ってくださっていた。


2月に入ってから里穂は机の前で悩んでいた。そして美穂の部屋を訪ねる。

「あら、里穂。どうしたの?」

「美穂お姉ちゃん、これ読んでみて欲しいの。」

そう言いながら里穂は原稿用紙を美穂に手渡した。

「あら!すごーい!『答辞』じゃあないの。里穂!やったね!」そう言って諸手を挙げて喜ぶ美穂。

「『答辞』ってそんな感じで良いのかなあ・・・。」

一読しながら何度も頷く美穂。

「大丈夫だよ。里穂の思いがしっかりと込められているし、長すぎることも無いわね。」そう言って太鼓判を押してくれる美穂にやっと安心して笑顔を見せる里穂。

するとドアをノックする音が。

「はーい!どうぞっ!」

「夜遅くにごめんなさい。」そう言って入って来たのは穂波だった。里穂が一緒にいることに気付くと「よかった。里穂がいてくれて。」と言いながら2人の傍まで歩み寄ってきた。

「あっ!原稿用紙!ひょっとして、穂波お姉ちゃんも?」と驚きの声をあげる里穂。

「ええーっ!里穂もなの?」そう言って驚く穂波。

「穂波お姉ちゃんも『答辞』を読むのね。」と笑顔で穂波の原稿を受け取る美穂。

「見てもらえるかなあ。あっ!里穂もお願い。後で里穂にも読んで貰おうと思っていたのよ。」

そんな最中に再びノックが。

美穂の返事に「ごめんね、夜分に。」と言って入って来たのは優子だった。

驚く穂波と里穂。「ひょっとして優子お姉ちゃん、手に持っているのって『答辞』?」里穂に言われて「ええっ!どうして分かったの?あっ!ひょっとして2人とも『答辞』?」

4人で大爆笑となった。「

後で穂波と里穂の部屋にも行こうと思っていたの。同じ卒業生だし。」笑いを堪え切れずお腹を押さえてそうたどたどしく話す優子。

「でも、優子お姉ちゃん。音大ってエスカレーター方式で進学出来るんじゃあないの?」という里穂の言葉に頷く穂波。

「そうなんだけど、中には違う高校に進む子もいるの。」そう言いながら自分の原稿用紙を読み始める優子。それにじっと聴き入る3人。

「良いじゃあないの。」そう言われて3人から拍手をもらうと安心したかのように何時もの優子に戻るのだった。

「うふっ、皆、ステージやカメラの前では平気なのに、ね。」そう言う美穂の言葉に「うん、うん。そうなんだよね。」「それが不思議だよね。」と言って盛り上がる4人だった。


2月も中旬になると女子にとっての一大イベントである、そう、バレンタインデーがやって来る。

だが、今年は学園高校と中学の合格発表と重なってしまうのだ。夏海と穂波は特に気にする相手もいないようでいつもと変わらない生活を送っていた。

だが、里穂は違った。来年は健君とは離れ離れになってしまう。一緒に学校で過ごすことももうすぐ終わりを迎える。そのせいかいつになく気合が入る里穂。

そんな里穂の気持ちを察して美穂は一緒に台所に立ってチョコ作りを助けるのだった。


そしてバレンタインデーが、合格発表の日がやって来た。前日にやってきた夏海を加えた3人を乗せた白ワゴン車が発表の10時に合わせてわが家をスタートしていった。

車の中で夏海はじっと下を向いていた。

「夏海お姉ちゃん、気分が悪いの?」心配した里穂に言われて「落ちていたらどうしようかと思うと・・・。」と消え入るような声で答える夏海。

「でも、まあ、それはその時に考えれば良いのじゃあないかしら。」と穂波が笑う。

「そうだよ、夏海お姉ちゃん。今から制服のリボンの色決めておいた方が良いよ。」と里穂は笑顔で話しかけた。

『ええーっ!なんてポジティブなんでしょう!』

2人の言葉に驚く夏海だった。

学園の中央広場に合格者の番号が記される。

高校、中学と一緒の広場に掲示されるのだ。

10時ちょうどに白い布で覆われたボードが学校関係者によって掲示板に張り付けられる。そして白い布が取り払われた。

夏海を心配していた信子は高校の掲示板の一番最後を見た。“編入試験合格者新3年生”とあり、番号はたった一つだけだ。信子のその横で「あったあーっ!」と喜びの声をあげる夏海。夏海の持つ受験票の番号と掲示板の番号を見比べる信子。「やったね!夏っちゃん!」お互いに抱き合って喜び合う。そして同じ高校の掲示板の前にいる穂波の傍に駆け寄る2人。

「ママ!あった!あったの!」穂波は嬉し涙を流してそう教えてくれた。信子も確認する。それが終わると一番左端の中学のボードへ。里穂の姿を見つけ3人で駆け寄る。里穂の表情ですぐに合格とわかる3人だった。

合格者は入学に必要な書類一式を受け取るために教務課へ向かう。4人で足取りも軽く高校と中学の教務課へ。

そしてそれぞれの窓口で受験票と引き換えに書類の入った封筒をもらう。

「早めに制服の採寸をされることをお勧めします。」と教えてくださる窓口の事務員さんにお礼を言って中庭にある購買部へ。広い購買部の中に制服を扱うお店が出張販売で開いていた。さっそく「制服発注書」を取り出して採寸をお願いする。先ずは里穂から、穂波、夏海と続く。実寸よりも大き目に仕上げてくださるということだ。中学はエンジ色の、高校はライトグレーのブレザー、スカートはチェック柄の3種類が用意されていた。首元のスカーフは白、黄色、ピンクの3色から選べるとのことだ。マネキンが着ている制服に合わせて自分のイメージを描く3人。

「おねえちゃーん!」いきなり大きな声で呼ばれる。周りにいた女子たちが一斉に振り返る。皆、お姉ちゃんだからだ。その中で夏海は直ぐにあの時の子だと思った。

「おねえちゃーん!」そう言いながら夏海の元へ駆け寄ってきたのは胡桃ちゃんだ。

「胡桃ちゃん、どうしてここに?」と驚く夏海。

追い付いてきたお母さんが夏海に声をかけてくださった。

「先日は胡桃がお世話になりました。」

その時採寸を終えた穂波と一緒に夏海の元へ戻って来た信子。

「信子社長!」「あら!胡桃ちゃんのお母様!」

しばらく母親同士の会話が弾んでいた。

「胡桃ちゃんはどうしてここに?お姉さんがいるの?」夏海が聞くと「ううん。今日はお洋服を買いに来たの。」と言って無邪気に笑う胡桃ちゃん。

「ってことは、胡桃ちゃんは4月から1年生なのかな?」と穂波が尋ねると首を横に振る胡桃ちゃん。

「ううん、胡桃は年長さんになるの。」

「そうかあ。胡桃ちゃんは背が高いからてっきりお姉ちゃんたち1年生になるのかと思っていたよ。」と背を屈めて里穂が話すと「ミルクをたくさん飲んだら大きくなっちゃったの。だから幼稚舎の制服を買いに来たんだよ。」

「はーい!胡桃!順番が来たから戻ってらっしゃいな!」お母さんから呼ばれて急いで走り去る胡桃ちゃん。そんな胡桃ちゃんを見ていた周りの子たちから「かわいい!」という声があがったのだった。

信子は胡桃ちゃん親子に「一緒にお昼をいただきましょう。」と声をかけてから学食へ向かった。メニューは定食から一品物までが揃っており女子向けのものが多く娘たちを大いに悩ませていた。

土曜日と言うこともあってか部活前後のお昼ご飯といった子たちも多く学食は賑わっていた。

そんな中へ入っていく穂波と里穂。目立たないわけがなかった。皆の注目を集めるものの近づいてくる子はいなかった。

思い思いのものの列に並んでいると胡桃ちゃん親子が到着。一番近くで並んでいた里穂が直ぐに信子がいる場所を指差して教えてあげる。すると並んでいた列から外れて夏海が胡桃ちゃんを迎えにテーブル席へ戻った。「胡桃ちゃん、お姉ちゃんと一緒にお食事を見に行こうね。」そう言って幼い胡桃の手を引いて入り口近くのサンプルケースのところまで連れて行ってあげるのだった

先に料理を持ってきた穂波が胡桃ちゃんのお母様に尋ねる。「胡桃ちゃんは何がお好きですか?」

そのうち里穂も料理をテーブルまで運び終えてすぐさま夏海の元へ。そして食券を預かると代わりに列に並ぶのだった。穂波も夏海と一緒になって胡桃ちゃんの食べたいもの選びに加わるのだった。

“小学生様ランチ”を選んだ胡桃ちゃんが夏海と共に戻って来るのとほぼ同時にお母様と信子も席に戻り、皆揃ってのランチタイムの始まりだ。穂波と里穂は皆の飲み物まで用意してくれ、一連の手際の良さに大いに感激された様子のお母様だった。

「3人とも食べながら聞いて欲しいんだけれど。」と信子が話し始めた。「実は、胡桃ちゃんのお父様が4月から転勤で関西へ行ってしまわれるの。」信子のその言葉に3人の手が止まる。

「ママ、それじゃあ胡桃ちゃんはどうなるの?」真っ先に夏海が信子に尋ねた。

「はい、そのことなのですが、胡桃は皆さんのところへお預けしようかと思っております。先ほどの皆さんの動きを拝見してやはり安心してお預け出来ると確信いたしました。短期間ながら、勝手なお願いですが胡桃をよろしくお願いいたします。」

娘たちに異論があろうはずがなかった。

こうしてしばらくの間、胡桃ちゃんは娘たちとわが家で暮らすこととなったのだった。

その日の夕方、優子と美穂は優太ママのお宅へ航平と優太に会いに、里穂は同じマンションの健君のお宅へそれぞれお邪魔していた。それはバレンタインデーのチョコを渡すためだ。

優太ママは自慢の手料理とお菓子で優子と美穂を歓迎してくれた。里穂も健君のお母さんにやはり手料理とケーキでおもてなしを受けていた。夕食後、3組はそれぞれの部屋で仲良く語り合って過ごしたのだった。


2月も下旬になるとどの学校も慌ただしくなる。翌月初旬の卒業式が近づくからだ。わが家の卒業生、穂波、里穂の元にはお別れを惜しむ児童、生徒たちが手紙などを持って訪れてくれていた。どの子も涙ぐみながら最後の時間を共有するのだった。手紙の中にはラブレターも多く2人は返事に困っていた。

「そうねえ、『答辞』の最後にお礼と事情を説明すれば良いんじゃあないかしら?」相談しに来た2人に美穂はそうアドバイスするのだった。


3月になると卒業式ラッシュとなる。

最初の週の土曜日は穂波の中学校と里穂の小学校が重なる。手にした双方の卒業式のプログラムを手に千裕さん運転の白ワゴン車で行ったり来たりを繰り返すのだ。なんとか2人の『答辞』を聞くことが出来て疲れも吹き飛ぶ信子だった。2人とも見事な『答辞』を読み上げ卒業生や在校生の涙を誘ったのだった。

皆さんに涙で見送られて校門から出てくる里穂。クラスメイト達はそのまま公立の中学校へ進学するが里穂は私立の学園中学へ進むのだ。涙にくれる里穂を乗せて、すぐさま穂波の中学校へ向かう。

穂波はすでに校門の外で大勢のクラスメイト達と別れを惜しんでいた。他の子たちもそれぞれ別の高校へ進学するため涙、涙のお別れとなっていた。

車内で「二人とも卒業おめでとう。」と信子に声をかけられやっと笑顔でお互いの涙を拭い合う2人だった。


第2週の土曜日は優子と航平の卒業式だ。勝手知ったる音大とはいえ、やはり先週の2人と同様に、自分の子が卒業という節目を迎えることは信子や優太ママにとってはとても喜ばしいことだ。制服のセーラー服はそのままだがスカーフの色が白から淡いピンクに変わる。それだけで娘の成長をしみじみと思う信子だった。

エスカレーター方式とはいえ格式ある音大の卒業式だ。園、小、中、高、大学と大ホールにて行われる卒業式は『送辞』、『答辞』だけでそれぞれ5人ずつが述べていくのだ。一緒にいた優太ママと自分たちの頃を懐かしむ信子だった。

似たような『答辞』になりがちなのだが、優子のそれは全く異なっていた。楽しかった思い出を笑顔で語り、今日の日を迎えたことを感謝の涙で綴る優子の『答辞』に大ホール内が笑い、そして涙するのだった。


卒業した優子、航平、穂波、里穂は入学式までの約1か月間は長い春休みとなる。だが、長期の休みに対して演奏だけでなく外仕事も入って来る。通常の仕事以外の仕事をコントロールするのは信子と伊藤さん、若菜さんだ。信子と優太ママが娘たちに適した仕事を選び、それを無理なく具体化していく。特にCMは企業さんのイメージに合っているかを検討するところから始まる。そして撮影前の打ち合わせも欠かすことが出来ない大事な案件だ。絵コンテなどで撮影内容が説明されるとそれを娘たちがどう演じて表現していくかをシュミレーションしてみるのだ。そして契約を結び撮影に入っていくのだった。

そんな過程を経て娘たちのCM出演が次々に決まっていく。穂波、里穂、加奈に続き美玖もCM出演が決まる。『いつまでもともだちだよ!』での演技力が認められたのだった。そんな娘たちは優子に続いて雑誌などの出版物にも登場し始めるのだった。

そんな中でも美穂への出演依頼も多く寄せられていた。娘たちの中では最も露出度が低いのが美穂だ。

音大コンサートのポスター、警察官募集のポスター、結婚式場のポスターでしか見ることの出来ない希少価値がどんどん期待を先行させているのだった。

そんな怒涛のような春休みを過ごす娘たちだった。


いよいよ新しい年度、4月を迎える。

1日には胡桃が我が家へやって来る予定であったが、父親の転勤が延期となったため今まで通りとなってしまった。

最初の土曜日は入学式ラッシュだ。

優子と航平の音大付属高校への進学、夏海の学園大学付属高校3年生への編入、穂波の同高校1年生への入学、里穂の同中学校への入学、皆、入学式には故郷から実父と実母の皆さんに出席いただいた。『娘たちの晴れ姿をその目に焼き付けていただきたい!』という信子の配慮だった。皆さん方も娘の晴れ姿に大いに感激され、特に『謝辞』を述べる穂波は入試の成績がトップだったとして抜擢されたのだ。

新しい制服に身を包んだ穂波。東北美人と言える出で立ちに会場内からため息に近い声があがる。穂波のご両親は夏海のご両親に褒めちぎられて「いや、いや。」としか言えなかったくらいだ。

出席していた里穂のご両親も遥々駆けつけてくださっていた。親元を離れて立派に育つ娘たちを見て目を潤ませられるご両親たちだった。

その日は、娘たち3人はそれぞれのご両親が宿泊されているホテルで親子水入らずの時を過ごしたのだった。


そして月曜日から新学期が始まる。

新入生の皆は先生やクラスメイトたちと初めての顔合わせだ。娘たちの周りには自然と人が集まりそれがクラス中に広がっていく。それはただ有名であるだけではない。やはり娘たちが放つ自然のオーラと呼ぶべきものと思う信子だった。そして夏海、穂波、里穂の3人は自ずと学級委員に選ばれるのだった。

放課後になると3人は揃って音楽部の部室へ。そこには張り紙が。「入部希望者は審査をしますから中ホールへ。」と書かれていた。

その中ホールには既に50名ほどの子たちが集まっていた。副部長さんが会場に詰め掛けた子たちに試験をする旨を伝える。受験資格は中学、高校、大学生だ。

楽器ごとに選考日が異なり、ピアノを選んだ2人は受験番号表を受け取り今日は家路に就く予定だった。

だが、3人は胡桃の入部が叶わないことを憂いていた。そして自然と幼稚舎へ足先が向くのだった。

幼稚舎が近づくにつれ舎児たちの元気な声、笑い声、泣き声、お互いを呼び合う声がだんだん大きくなってくる。お昼が近い事もあり舎児の皆は外で元気に遊んでいた。思い思いのグループが自然に出来ていく。“おままごと”をするもの、“かくれんぼ”をするもの、“遊具遊び”をするもの、皆、自由に過ごしている。

3人は囲いの外から胡桃の姿を探す。

「あっ!」そう言って里穂が指を指す。夏海と穂波もその方向を見つめる。そこには驚きの光景があった。

胡桃は年中さんらしき女の子の手をしっかり握り、一緒に泣いていたのだ。気付かれた先生が小走りで2人の元へ。

「2人ともどうしたの?どうして泣いているの?」

しゃがみ込んで視線の位置を合わせて先生が優しく尋ねられた。

「あのね、この子がお友達がいなくて一人で泣いていたの。だから胡桃も悲しくなっちゃったの。」

遠くでもその胡桃の言葉がはっきりと聞こえた。透き通る声、歌手でもある穂波と里穂は即座に胡桃の歌手としての素質を見抜くのだった。

一方の夏海は寂しくて泣いてしまった子と同期して自分も泣ける胡桃の本質的な優しさに感動を覚えていた。しばらく胡桃の様子を見ていると、仲間に入れないでいた子たちに次々に声をかけ一緒に手を繋いでいく。そしてその数はあっという間に6,7人となっていった。そして皆に声をかけて何がしたいのかを問うのだった。

そんな胡桃のお姉さんぶりとリーダーシップに驚く3人の姉たち。

「すごーい!あっという間に一グループ出来ちゃったわ!」と驚く穂波。

「本当に!幼かった頃の加奈みたいだわ!」と加奈の幼稚園時代を思い出す里穂。

「うん。可愛いだけではないわ、なんて優しい子なの、胡桃、お姉さんが音楽部に入れてもらえるようにお願いするね。」そんな夏海の言葉に驚き、じっと夏海を見つめる穂波と里穂だった。

改めて中ホールを訪れた3人。

「あら。先程、受験番号はお渡ししたわよね。何か分からない事でも?」上級生の一人が3人に声をかける。

丁度、受験番号の配布が終わりそろそろ引き上げようかという時だったようだ。

「あのう。お願いがあります。」夏海がそう口を開いた時だった。ちょうど音楽部の執行委員さんたちが中ホールへ入ってきた。

「あら?あなたたち?」真っ先に3人に気付いて声をかけてくれたのは部長さんだった。

「何か用事があるみたいで・・・。」受験番号を配布していた部員さんの一人がそう言って取り次いでくださった。

「あら、何かしら?」部長さんはそう言って3人の近くに歩み寄られた。他の執行委員の方も続く。

「はい。勝手なお願いなのですが、特別に舎児の子に試験を受けさせていただけないでしょうか?」「お願します。」そう言って3人で頭を下げる。

「だって、うちの部は中学生・・・。」執行役員のお一人がそう言いかけた時だった。

「はい。確かに中学生以上という規律はあります。それは中学生でないと弾けない曲が多く存在するからです。もし、もしもその舎児の子がそれ相当に実力があるのならば一緒に試験を受けてください。許可しましょう。」部長さんの一言に大喜びの3人だった。

「部長、時間の無駄だと・・・。」執行役員の一人がそう言いかけた。

「いや、あの子たち“セブン”の子たちだわよね。ひょっとするとひょっとするかもよ。」他の執行役員の一人がそう言いながら部長さんを見詰めた。

「うん。遥香先輩から話は聞いているの。だから・・・。」そう言って部長さんは皆さんを見つめて笑顔で告げた。「うちにも新しい風が吹きそうね!」


それから3日後。ピアノで選考に挑む夏海と里穂、そして胡桃。夏海は胡桃にまだ2回しかレッスンをしていない。だが『アマリリス』のプロバージョンは何とか弾いてくれていた。

「胡桃ちゃん、『アマリリス』を1番は片手で弾いて2番は両手で、ね。」そう言って胡桃に最後の指導をするのだった。それを聞いて隣で大きく頷く里穂。

「大丈夫。胡桃ちゃん、何時ものように弾けば大丈夫だからね。」と里穂も幼い胡桃を励ますのだった。

そんな胡桃を見た会場に居合わせた他の受験者たちから囁き声が交わされていた。

「どうして幼稚舎の子がいるの?」「誰かの付き添いなんじゃあないの?」「そうだよね。」

そんな中、受験者の演奏が次々と行われていく。

どの子も自分の得意な曲、あるいは無難な曲を披露していく。

胡桃は夏海と里穂の間にきちんと座って順番を待っていた。そんな胡桃に「ステージに上がったら最初は審査員の方たちに、そして客席の方たちにお辞儀をするの。」と教えてくれる夏海。それに里穂も続ける。

「お辞儀をするときはね、『心を込めて弾きます。皆さん聴いてください。』と思いながらお辞儀をするんだよ。」

「それでは、枝番を付けました。25の1番、胡桃さん。どうぞこちらへ。」と進行係のお姉さんが胡桃の名を呼んでくれた。

ピアノの方へ足を進める胡桃。ホール内にどよめきが走る。「ええっ?幼稚舎の子だよね。」「中学生以上が対象じゃあなかった?」そんな声の中一人の子が手を挙げた。「質問があります。」

「はい。何でしょうか?」審査員の中のお一人がそう答えられた。

「今日の入部審査に臨むのは中学生以上だと聞いております。なぜ幼稚舎の子が?」

「そうですね。ちょっと説明不足でしたね。お詫びします。規則では“原則”中学生以上とあるのです。ただ、説明の時にこの“原則”の説明が十分でなかったことをお詫びします。」部長のお姉さんがそう言って質問者と会場の全員にお詫びをされた。

「と、いうことは、あの子は私たちと同じレベルってこと?」そう言って再びざわつく会場。

「それでは、改めて胡桃さん。どうぞこちらへ。」司会の部員さんは胡桃に手招きをしてくださった。

胡桃はピアノの傍までゆっくりと歩み、審査員の皆さん方に一礼をし、向き直って会場の皆さんにも一礼をした。その礼儀正しさと堂々とした振る舞いが改めて会場をざわつかせた。

「幼稚舎キリン組の胡桃です。『アマリリス』を弾きます。」

「きゃっ!かわいい!『アマリリス』だって。」と会場には笑顔が並ぶ。

片手での『アマリリス』の演奏が始まった。

『うわあっ!キチンと弾けているわ!しかも幼児特有のたどたどしさがまったくないわ!』審査員の皆さんはそう思われたようでお互いに顔を見合わせて驚かれていた。そして胡桃の演奏は2番へと入っていく。

「えええーっ!」という驚きの声が会場に響き渡る。

そう、胡桃は夏海と一緒に数回練習した“プロバージョン”を両手を使って弾き始めたのだ。

「うそでしょ?」「何で弾けるの?」という驚きの声が再び会場に上がった。

審査に当たっているお姉さんたちも唖然とした表情だ。

胡桃の演奏が終わった。中ホールの会場からは外にも聞こえんばかりの拍手が起こった。

「胡桃さん、他にも何か弾けますか?」審査員を努めるお一人がそう胡桃に尋ねられた。

「はい。『きらきら星』が弾けます。」胡桃のその返事に驚く夏海と里穂。

「く、胡桃ちゃん。何言っているの?」慌てふためく夏海。「何時、誰が教えたのよ?」と里穂も困惑していた。

そして胡桃の演奏が始まる。しかも“プロバージョン”で弾いてのける胡桃。もう全員が唖然として胡桃の『きらきら星変奏曲』を聴いていた。

「上手だけれど・・・。」と首をかしげる夏海。

「うん、でもうちのと違うよね…。」里穂も腑に落ちないでいるようだ。

胡桃の演奏が終わると再び大きな拍手が巻き起こった。

「凄くお上手に弾けましたね。誰に習ったの?」審査委員長のお姉さんがそう尋ねると「はい。ピアノさんが教えてくれました。」と笑顔で答える胡桃。

「?」「?」「?」皆、首をかしげる。

「ちょっと胡桃ちゃん、何言っているのよ。」焦る夏海。その横でしばらく考え込んでいた里穂が急に夏海の腕を掴んで揺すった。

「夏海お姉ちゃん!電子ピアノ!電子ピアノだよ!きっと最新式のガイド機能付きの電子ピアノを由美子さんが勧めたんだよ。」

そんな2人の前では胡桃が審査員のお姉さん方に一生懸命に説明をしていた。

「あのね、ピアノさんが赤いランプで教えてくれるの。」

こうしてピアノでの選考は終了し、その場で合否が決定する。

合格者の番号と名前が発表されていく。

そして胡桃の名が呼ばれると3人で飛び上がって喜ぶのだった。周りの受験者の皆さんからも拍手と声援が起こった。

こうして胡桃は晴れて音楽部の一員となったのだった。そしてこのニュースは即座に娘たちの間で共有された。

音楽部の出身である遥香は届いたメールを読みながら驚くやら嬉しいやらで焦りながらもお祝いメールを打つのだった。


音楽部の選考試験の最終日は穂波が登場する。

和楽器となると受験者数も少なく、特に三味線となると穂波の独壇場となった。また、最近は大正琴も始めた穂波。演歌歌手としてだけでなく和楽器奏者としてもその腕前を発揮するのだった。そしてお琴をやってみませんかというありがたいお誘いを受けたのだった。


翌週から放課後には4人揃っての練習が始まる。

胡桃は夏海と里穂から教わることとなり上機嫌だ。

そしてあれよ、あれよという間に小曲を覚えて弾いていく。それと並行して楽譜の読み方を教える夏海。童謡から始めていくとこちらも次々に覚えていく胡桃。

「すごい!まるでスポンジみたいな吸収力!」と言って直ぐに覚えて弾いて見せる胡桃に賛辞を贈る2人の姉たちだった。

一方では、加奈と美玖が新学期を迎えていた。

3年生になった2人、クラスはそのまま持ち上がりとなり再び懐かしい顔が揃うのだった。


その週の水曜日にはリサイタルはまだ始まらず、久しぶりにのんびりと過ごす加奈と美玖。それでも練習には真摯に向き合う2人だった。

そんな中、由美子さんが正式にマネージャーとして就任した。しばらくは若菜さんと一緒に加奈と美玖の担当となる。気心が知れた3人に一切の不安材料はなかった。それに安堵する若菜さんだった。

こうして4月を迎えた娘たちは新しい環境の中、新たなスタートを切ったのだった。


学園高校、中学の3人は胡桃を連れて音楽部へ。

盛大な拍手で迎えられる4人。だが4人とも驕ることは一切なかった。普通の新入部員としてふるまう3人を見習う胡桃。そのため上級生の皆さんたちはあえて普段通りに接してくださるのだった。

お姉さんたちの中のたった一人の舎児である胡桃も甘えることなく「はい!」「はい!」と元気に返事をしながら指導を受けるのだった。


4月中旬の水曜日、この日から新年度の小中学生向けリサイタルが始まる。会場には教育長さんを始めとする教育委員の皆さん方がおいでになっていた。

そんな中、各校の児童、生徒さんたちが続々と入場する。

映画などで人気者の加奈と美玖のリサイタルとあってかなりの鑑賞希望者が集まったようで大入り満員の状態だ。

皆さん、加奈のヴァイオリンだけでなく、美玖の弾くピアノの伴奏にも大いに注目されていた。

オープニングは定番となった加奈のヴァイオリンソロで『愛の挨拶』だ。幕開けにふさわしいこの曲はまさに加奈の代名詞となった曲の一つだ。

この曲が終わると今度は美玖が『渚のアデリーヌ』をピアノソロで演奏する。聴き、弾き慣れている曲に色めき立つピアノを嗜む児童、生徒たち。

そんな皆さんの身近な小曲が次々と演奏されていく。

そしてやはり人気なのは『ロマンス第2番へ長調』だ。

市民ホールを感涙の涙で包んでいく。

それに続くのは『チャルダッシュ』、『スラブ舞曲第2集作品72』だ。

『チャルダッシュ』はスローなテンポから速いテンポへと急変する。この曲は、隠れた人気曲と言えるようだ。そして哀愁を帯びた『スラブ舞曲第2集作品72』の演奏に酔いしれるホール内の児童、生徒の皆さん。

そして最後の曲は加奈の代名詞『チゴイネルワイゼン』となる。特に第3部の超絶技法は会場を虜にしてしまうのだった。

演奏を終えた2人にスタンディングオベーションで応えてくださるホール内の皆さんたちだった。

その中に勇先輩の姿があった。立ち上がって頭の上で大きく拍手を贈ってくれている。そしてそれが大きな波紋を広げていくのだった。


そんな4月のある日、突然玄関のチャイムが鳴った。

平日と言うこともあり、また、信子や優太ママも留守にしていて家にいるのは小学校から帰って来たばかりの加奈と美玖、そして千裕さんの3人だけだった。

応対に出た千裕さんの耳に入って来たのは英語で喋る男性の声だった。しかもそれはクイーンズイングリッシュではなく古典に近い“本物”の英語だった。この古典的英語は上流階級でしか話されていないことを後から知る私たちだった。

上記の理由で、英語が話せる千裕さんも受け答えに四苦八苦する。そんな千裕さんを心配して加奈と美玖が傍へやってきてくれた。

『二人ともピアノルームへ避難して!』目と手でそう合図を送る千裕さんに静かに頷きピアノルームへ駆け込む2人。

押し問答のような会話の応酬が続き、最後は諦めて再び車で去っていく男性だった。

千裕さんは直ぐさま信子へ報告。そんな信子も一緒にいた優太ママも全く心当たりがなかった。

「千裕さん、会話の中で名前とか出なかったかしら?」という信子の問いにアッ!と思い出す千裕さん。

「確か私はゴードンって言っていました。」

それでも心当たりがない。だが、聞いたことのない英語だったと言う千裕さんの言葉に『もしや・・。』と思う信子。さっそく歌穂に電話を入れる。歌穂は今週はドイツでマーガレットとリサイタルを行っている。

『そう言えば、マーガレットは名門旧家のお嬢様だわ。』信子は一度だけ電話をしているのを聞いた事があったが時折よく聞いたことのない喋り方をしていたのを思い出したのだ。

「ねえ歌穂、マーガレットにゴードンって人知っているかって聞いてみてくれるかしら?」

電話の向こうで歌穂とマーガレットの会話が聞こえる。「オオッ!ノオーッ!」というマーガレットの声が携帯越しに聞こえてきた。

『やはりマーガレットのお知り合いかしら?』そう思っている信子に歌穂が返事をくれた。

「ママ、ゴードンさんはマーガレットのボーイフレンドトーマスさんの執事さんだって。でもどうして日本にいるのかしら?」歌穂も首を傾げているようだ。

そんな2人の電話の向こうでマーガレットの大きな声が聞こえてきた。

「どうして日本へ行ったのよ!」と厳しく叱責するマーガレットの大きな声に思わず苦笑してしまう信子と歌穂。やはりマーガレットの知り合いのようだ。

「ママ、今マーガレットが直接電話してくれているの。どうやら他国でリサイタルだということを聞いて慌てて追いかけて来たみたいなのよ。なぜ日本なのか良く分からないけれど・・・。」

しばらくして信子の電話にマーガレットが出てくれた。どうやら彼の誕生パーティーに出席出来ないと言ったところかなり落ち込んでいたそうだ。それで思い詰めた結果、以前聞いた事のある日本のセブンミュージックのことを思い出し大慌てで日本へやって来たとのことだった。

しきりにお詫びを言うナーガレットに「心配はいらないわよ。」と笑ってゴードンさんの電話番号を聞く信子。そして直ぐさま電話をかける。

「ハローッ!セブンミュージックの信子です。ようこそ日本へ。」と言って話し始める信子。電話口からは初老の紳士の笑い声が聞こえ千裕さんを安心させるのだった。

玄関先で信子と優太ママがお出迎えをする。

やがて黒塗りのハイヤーが曲がり角を曲がってこちらへゆっくりと近づいてきた。

玄関前で止まると直ぐに運転手さんが後部ドアを開けてくださった。中からは背の高い初老の紳士とやはり背の高い好青年が降りてこられた。

「ようこそおいでくださいました。私セブンミュージック代表の信子と申します。そしてこちらが副社長の美智子でございます。」信子の英語での挨拶ににこにこ顔で「サンキュー!私はトーマスと言います。」と言って信子と優太ママに握手をしてくださる好青年。それに続き同じく「私はトーマス様の執事でゴードンと申します。」と2人に握手をしてくださる初老の紳士。

「さあ、長旅お疲れでしょう。中へどうぞ。」信子がそう言いながら玄関の中へ。すると待っていた千裕さんが英語で説明する。「日本では靴を脱いでスリッパに履き替えるんですよ。さあ、どうぞ。」

最初は面食らっていたお2人だったがすぐに用意された椅子に腰をかけ靴を脱いでスリッパに足を通される。

そして2人で顔を見合わせて笑顔で頷かれた。

「ゴードン、これ気持ち良いね。」

「はい。左様ですね。これは良い文化だ。」

リビングにお通しして“玉露”でおもてなしをする。

「日本茶、“玉露”というほんのり甘い種のお茶です。どうぞ召し上がってください。」優太ママに勧められるとそっと湯飲みを手にして先ずは香りを楽しむお2人。その様子に『さすが英国紳士だわ!』と感激してしまう千裕さん。

「うん。これは素晴らしい。香りといい味といい、英国のお茶とは全く違う!」

「はい、その通りですね、坊ちゃん。」

しばらくの雑談の後、トーマス君が気付く。

「今日は皆さんは学校ですか?」

「はい。ただ、小学生の2人はもう帰宅して今はレッスン中です。」信子の言葉に驚かれるお2人。

「いや、いや。音が全くしない。別の場所でレッスンされているのですか?」ゴードンさんが耳を澄ますポーズをしながら信子に尋ねられた。

「いいえ、隣の部屋と地下でレッスンしています。気が散らないように防音にしてあるのです。」と優太ママが説明する。

「えっ?なぜ防音されているのですか?」トーマス君は信じられないといった表情で信子に尋ねられた。

「はい。日本は国土が狭く家が建ち混んでいるのでお互いに騒音を出さないように気配りをしているのです。」そう説明する信子に大きく頷かれるお2人だった。

「あら。そろそろレッスンが終わる時間だわ。」優太ママが時計を見ながらインターホンの元へ。

「レッスン、お疲れさま。お客様がいらしているからリビングに来てくださいな。」

やがてドアを3回ノックする音が。

「はい、どうぞ。」信子が声をかける。

「失礼します。」そう言って加奈、美玖の順に2人が入って来る。そんな2人を見た瞬間、トーマス君が声をあげる。

「おおーっ!『魔法少女』だ!」そう驚きながらも立ち上がって2人と握手を交わす。

「こんにちは。」「ようこそ日本へ。」と英語での挨拶に驚かれるお2人。

「『魔法少女』シリーズをご覧にいただいているようで嬉しく思います。」と流調な加奈の英語での感謝の言葉にもうお2人とも笑顔、笑顔で眩しそうに2人を見つめていらした。

当然話は『魔法少女』が中心となる。どうやらトーマス君は日本のアイドルやアニメが大好きなようで大いに話は盛り上がった。

「話は変わりますが、今夜のお宿は?」信子の問いかけに「はい。ホテルを予約しております。」とゴードンさんが大きな手帳を確認しながら答えてくださった。

「ところで、お誕生日だったとか・・・。」という優太ママの問いに「はい。坊ちゃんの・・・。でも、肝心のマーガレットお嬢様がいらっしゃらなくて・・・。」

「それじゃあ、ディナーはジャパニーズ“お寿司”でお祝いしましょう。」信子のこの一言に大喜びの加奈と美玖だった。

夕食の時間まで、トーマス君とゴードンさんにはピアノルームにて加奈と美玖の演奏を聴いていただくことに。

ピアノルームに入るなり置いてあるグランドピアノの存在感に驚かれるお2人。

「こ、これは!」と言いながらグランドピアノの傍まで歩いて行かれる。

「ゴードン、立派なピアノだね。」

「はい。おそらく名門楽器メーカーの特注品かと思われます。」

「そうなのか。早く聴いてみたいなあ。」

お2人でそんな会話をされていると加奈と美玖が改めてピアノルームへ入ってきた。

加奈が持ってきたカギでヴァイオリンケースから1挺を取り出す。そのヴァイオリンを見たゴードンさんが思わずトーマス君に囁かれた。

「トーマス坊ちゃん、あのヴァイオリンは相当なお値打ちものですぞ!」

「えっ?ピアノだけではなくヴァイオリンもそうなのかい?」

「うふふ。さすがゴードンさん、お目が確かでございますね。」信子はそう言ってお2人にソファーへの着席を勧めた。

加奈と美玖はアイコンタクトを送り合う。

そして加奈のヴァイオリンが鳴る。『ラ・カンパネラ』である。

まだ幼さが残る2人の少女の演奏に大いに驚かれるお2人。

『おーっ!これは!とても小学生の演奏とは思えない!見事だ!』ゴードンさんは驚きを顔に出す事はなかったが2人の演奏に深く感激されていた。

一方のトーマス君も目を閉じて2人の演奏にじっと聴き入ってくれていた。

『うわあ!マーガレットの言っていた通りだ!確かに上手過ぎる!』

そんなお2人の様子をじっと見つめる信子と優太ママ。お互いに顔を見合わせ、そして微笑むのだった。

演奏が終わるとお2人とも立ち上がって拍手をくださった。

「いや、いや。素晴らしい!の一言です。マーガレットの言っていたことは決してウソではありませんでした。ぜひロンドンでもこの演奏をお聴かせください。」

「本当にありがとうございました。素晴らしい演奏でした。帰ったらウエルズさんにご報告させていただきましょう。ね、トーマス坊ちゃん。」

ゴードンさんの“ウエルズさん”という言葉に驚く信子と優太ママ。

「ゴードンさん、ウエルズさんをご存じなのですか?」

「はい。ウエルズさんはトーマス坊ちゃんのお父様の大学時代のご親友です。」

「じつは、うちのヨーロッパ本社のアレックスがお世話になっているのです。」

「ええっ?ということは、マーガレットと一緒に演奏しているプロヴァイオリニスト歌穂さんの・・・。」

「はい。この子たちは歌穂の妹です。」信子の説明に大きく頷かれるお2人だった。

加奈と美玖の演奏会が終わると何時ものお寿司屋さんへ向かう。

ハイヤーの運転手さん用に手土産を作っていただき、近所のネット喫茶で待機していただくことに。

運転手さんは大喜びで何度もお礼を言ってくださるのだった。

何時もの個室へ案内される。初めての畳に大喜びのお2人。信子に“上座”の意味を説明され恐縮されるのだった。それでもマネージャーさんも一緒の席ということに驚かれるお2人。

「うちはフランクなんですよ。」と言って笑う優太ママに「『郷に入っては郷に従え』ですね。」と笑顔を見せられるゴードンさん。

するとここからは全員が英語で話し始める。大人だけでなく加奈と美玖までもが英語で会話をしている。それは隠し事をしていると思われないようにというお2人に対する信子らの配慮だった。

そのためいつになく饒舌になられるお2人だった。

「いつもマーガレットとはどんなデートをしているの?」という加奈の問いに「学校が一緒だから大体学校の食堂かなあ。外出するとブティック廻りになっちゃうね。」と明るく答えるトーマス君。

「ふうーん、ロンドンにはテーマパークとかは無いんですか?」という美玖の質問に「お互いにお家の庭園を散歩することが多いのかなあ。」と答えるトーマス君。その答えにあまり理解出来ていない加奈と美玖。すると信子が日本の住宅事情が英国とでは大いに異なることを幼い2人に説明するのだった。

一方ではゴードンさんの周りにはマネージャーさんたちが。一流の執事さんから学ぼうということのようだ。若菜さん、茜さん、香澄さんの3人によるゴードンさんへの質問責めのようになっていた。それに対し、日本茶を時々いただきながら、ゴードンさんの授業ぶりはかなり熱気を帯びていた。

「お待たせしましたあ!」という里穂に続いて夏海、穂波と千裕さんが到着した。そして順番にトーマス君とゴードンさんに英語でご挨拶をしていくのだった。

さらに「ごめんなさい!遅くなりました!」という美穂に続いて優子、航平、優太の音大4人組が到着する。少し遅れて伊藤さんも登場しこれで全員が揃ったと思われたのだが遥香がまだだった。

「だって遥香お姉ちゃん21時まで個人レッスンだもの。」

取り敢えずのところ、トーマス君のお誕生会並びにお2人の歓迎会の開幕となった。そして全員が英語での歓談となった。さらに、何と、板前さんまでもが英語で注文を受けられるのだった。

一般のお客さんたちは個室から聞こえてくる英語に「どこの外国人さんなのかな?」といった目で個室の方を見つめられていた。

初めての生魚だというお2人に取敢えずは「赤身」からトライしていただく。もちろんわさび抜きだ。

「生きの良い赤身のお魚、握り寿司は手で食べても良いのですよ。」という信子の説明にあまりお箸が上手でないお2人はさっそく信子を真似て手で摘まんでむらさき(お醤油)に少しつけてから口に入れてみる。そしてお互いに顔を見合わせる。「グッド!グッド!」と言いながら2貫目に手を伸ばされるお2人。そんな様子を見た娘たちも笑顔になるのだった。

あまりのお寿司の美味しさにもう手が止まらないお2人。「中トロ」「たい」「ひらめ」と白身のお魚まで味わっていかれるのだった。

大賑わいとなったお誕生会と歓迎会は20時にお開きとなった。最後は“3本締め”で締めくくる。この初めて見る日本の儀式に目を輝かせ、そして驚かれるお2人。

「日本の習慣は面白いです!」とそう言ってお寿司屋さんを後にされ、信子ら全員のお見送りを受け、ハイヤーに乗ってホテルへ戻られたのだった。


由美子さんのマネージャーとしての研修は若菜さんによって順調に進められていた。

新調のスーツを着込み、美容院にも行って髪形を短く整え、お化粧を習い、眼鏡からコンタクトへと外的な変化も加わり見違えるような変貌を遂げた由美子さん。日に日に変わっていく様子を間近で見守る若菜さんも驚くばかりだった。マネージャーとしての基本業務もしっかり理解でき、後は経験を積むだけの成長ぶりを見守る若菜さんだった。

「さすが、国立大卒の成績優秀者です。あっという間に業務を理解してくれています。基本的な事はもう大丈夫です。」そう信子と優太ママに報告する若菜さんに笑顔で「ご苦労様でした。」と労う2人のママだった。


5月の新入生の歓迎の意を込めた「若葉祭り」の準備に余韻がない学園の皆さんたち。穂波と里穂は新入生なのだが、どうしても歓迎する側に回ってしまう。しかし、そんなことを気にする2人ではない。自然なことだと思って納得するのだった。

そんな娘たちの中で最も大忙しなのは一番幼い胡桃だった。幼稚舎でのお遊戯や演劇に加え、音楽部でのピアノ演奏とかなりハードスケジュールで練習に精を出していた。それでも嫌な顔一つせず、楽しそうに確実に成果を上げていく胡桃に驚く3人の姉たち。

「すでにプロ根性を持っているのね!」と言って徹底的にフォローに回る3人の姉たち。そんな姉たちに支えてもらえて嬉しそうな胡桃だった。


それは幼稚舎内で起こった。

舎庭で男の子たちが言い争いとなっていた。

先生方数人が男たちの間に入ってどうしたのかと尋ねると胡桃が手を繋いでくれないと言って不満を口にした。そのため「君が乱暴だから!」「いや君の方が胡桃ちゃんに嫌がられているからだ!」と言い争いになり、他の子もそれぞれに味方してこの騒ぎとなったようだ。先生方も頷くしかなかった。確かにお遊戯の時は手を繋いでくれている。「なぜだろう?」という疑問が残るのだった。

そこで一人の先生が何時も胡桃を迎えに来る夏海に聞いてみることに。

やがて1日の舎での生活が終わり皆は迎えに来た保護者の方や送迎バスで手を振りながら帰っていく。

「胡桃ちゃん。夏海お姉ちゃんがお迎えに・・・。」と言って教室のドアを開ける先生。そしてその場に立ちすくんでしまった。一心不乱に自分の机を指で叩く胡桃の姿があったからだ。

『あら、胡桃ったら。もう私たちの真似をしているのね。』先生の後から入ってきた夏海はそう思ってしばらく胡桃の指先を見つめていた。

「胡桃、『ラ・カンパネラ』、お上手に弾けているわね。」そんな夏海の言葉に『えっ?どういうこと?』とまったく意味が分からないでいる先生。

「ピアノの真似事だと思っていました。ただピアノを弾いているふりで遊んでいると今まで思っていました。まさか音楽になっていたなんて!」

「いいえ、先生。これは私たちが行う“エアーピアノ”なんです。指先を鍵盤に合わせて弾いて頭の中でその音を響かせるんです。うふふ、胡桃ったらいつの間に・・・。」

やがて弾き終えた胡桃が後ろを振り向く。

「あっ、先生。ああーっ夏海お姉ちゃんまで!」そう言って嬉しそうに立ち上がった。

3人で歩き出す。

「あのう、実は、胡桃ちゃん、男の子たちと手を繋がないんです。それで今日は男の子たちの間で少しもめごとが。」そんな先生の言葉に驚く胡桃。

「だって、男の子たち乱暴に手を繋ぐんだもの。だから痛くなっちゃって・・・。」

そんな胡桃の発言にフォローを入れる夏海。

「先生、私たちは指をとても大切にしています。それは演奏に影響してしまうからなんです。ですから、私たちは指や手に刺激を与えすぎる行為は“NG”なんです。体育の授業でも球技はすべて見学です。まだ学生なのですが私たちは全員がプロピアニストとしての心構えを貫いています。」優しく胡桃と手を繋いで歩いている夏海の言葉に大きく頷かれる先生だった。

幼稚舎を出て音楽部の練習室へ向かう。

胡桃の手を引いて階段を上り練習室のある3階へ。

すると練習室の前で立ち話をしている3人の姿が。

「あっ!」夏海が驚く。それは穂波と里穂と立ち話をしている信子だったからだ。

「こんにちは、信子お姉さん。」そう言って挨拶をする胡桃に「いろんな曲を覚えてお上手に弾けるんだってね。偉いわあ、胡桃ちゃんは頑張り屋さんだね。」

目線を胡桃に合わせてそう言って褒めてくれる信子に照れ気味の胡桃。

「ねえ、ママ。どうしてここにいるの?」と疑問を抱く夏海に「実は先生に呼ばれてきたの。」と耳元で囁くように話し出す信子。思わず聞き耳を立ててしまう穂波と里穂。

「ママ、ひょっとして学食の件?」

「えっ?なに?学食って?」いきなりの夏海のカミングアウトに驚く信子。すると里穂が説明する。

「あのね、昨日、五平餅を買ったの。そしたら1本おまけしてくれて、それの争奪戦になっちゃったの。」

「そうそう、じゃんけんで決めようってなって夏海お姉ちゃんが勝ったの。」と穂波が説明を引き継ぐ。

「うん、勝ったのね。」と頷く信子。

「そしたらね、椅子に飛び乗って右手を大きく上にあげて『夏海!やりましたあーっ!』って叫んで周りの失笑を買っていたのよ、ね、夏海お姉ちゃん!」

里穂の報告に「それで呼ばれたんだよね?ママ、本当の事ば言うて!」そんな夏海の姿に安堵の表情を見せる信子。引っ込み思案だった夏海がこんなにも明るく伸び伸びと過ごしていることがとても嬉しい信子だった。

「やだわ、違うのよ。夏っちゃんの大学進学の件だったのよ。」

「えっ?だ、大学?」驚く夏海。

「じつは、ここの学園大学音楽部ピアノ科に推薦入学が出来ますよってお話だったの。もう夏海も3年生、さっそくの推薦入学のお誘いだったのよ。」

「えええーっ!私があーっ?」目を大きく見開いて驚いている夏海に穂波と里穂が抱きつく。

「良かったね、夏海お姉ちゃん!」

そんな様子をじっと見つめる胡桃ちゃん。

「夏海お姉ちゃん、どこかへ行っちゃうの?」と悲しげな表情を見せる胡桃に「ちがう!ちがうよ!胡桃!夏海お姉ちゃんはずっとここで一緒なんだよ!」と言う姉たちの言葉にまばゆいばかりの笑顔を見せる胡桃だった。


ゴールデンウイーク直前の土曜日、今日は美玖にとって初めてのCM撮影の日だ。

初めてとなる五代監督さんとのご挨拶。

「姉たちがお世話になっております。」と穂波と里穂の話をすると五代監督さんは「ええっ?穂波ちゃんと里穂ちゃんの妹さんなのおーっ?」と大いに喜んでいただいた。

スポンサーさんはスポーツドリンク飲料の大手メーカーさんだ。そちらの宣伝部を始めとする大勢の社員さんたちが撮影現場にいらしていた。そんな皆さんにご挨拶をして回る美玖。皆さんすでに子供さんと映画を見られたようで良く美玖のことをご存じだった。そして映画の中での走るシーンが目に留まったと話してくださった。

そのため、午前中は全力で走るシーンばかりだった。真っ白なブラウスに濃紺の吊りスカート。短めのスカートから伸びた美玖の脚は筋肉質で美しいと皆さん絶賛だった。

全力で走る美玖をレールに乗ったカメラが並走する。

某市民球場前での撮影だ。球場の方を見つめながら全力で走る美玖の姿が収められていくのだった。

大いに走って乾いた喉をスポーツ飲料を手に飲むシーンだ。あまりののどの渇きに、一気に飲み干す美玖にNGが。「美玖ちゃん少し残して飲んでください!」という演出担当者さんの言葉にどっと笑い声が上がる。

「美玖ちゃん。NGのたびに飲み干していたらお腹じゃぶじゃぶになっちゃうわよ。少しセーブして!」と若菜さんからも注意を受けて笑顔で頷く美玖。

お昼は休憩用のトレーラーハウス内でゆっくりとお弁当をぃただく。「南国で育ったせいかお肉も好きですがお魚が一番好きなんです。」と言いながら五代監督さんを含むスタッフの皆さんたちと仲良くお弁当をいただく美玖に皆さん感心され、より親しみを感じられるのだった。

「由美子さん、普通はね、主演級のひと、子役さんもそうだけど皆さんと離れて食事をされる方が多いの。それは次の演技に集中するためなんだけどね、美玖ちゃんと加奈ちゃんは全くそういうところがないの。2人とも前向きで、皆さんと最高の作品を作るんだ!という気構えを持っているからなのよ。だから決してわがままを言わない。でも、無理をしないように常に気づかってあげて欲しいの。」

若菜さんのその言葉にしっかりと頷く由美子さんだった。

午後からは野球場のスタンドへの階段を駆け上がるシーンと野球場を見つめるシーンだ。特に野球場のボードを見つめるシーンは最高の笑顔を見せる美玖。

「いいねえ、いいねえ。その笑顔を皆待っているんだよ!」という五代監督さんに最高のお褒めをいただく美玖。こうして美玖の撮影は順調のうちに終了した。


その週の水曜日、恒例のリサイタル終了後、CMの出来上がりをチェックするということで飲料会社さんの会議室へ出向く美玖。同行するのは若菜さんと由美子さんだ。

会議室へは一番乗りだった。企画部のお姉さんがお茶を出してくださり、それをいただきながら置いてあった資料に目を通す。だが、専門用語も多いため、美玖のためにその内容を若菜さんが要約して説明してくれる。

やがて企画部の皆さん方が次々に会議室へ入ってこられた。美玖は立ち上がって、お一人お一人にご挨拶をしていく。皆さんはそんな美玖に笑顔で一言二言、言葉をかけてくださるのだった。

参加者全員が揃うと企画部長さんが議長となり会議を進めていく。来る夏に向けて特化されたCMという説明がなされた。そして美玖がスポーツドリンクを飲んで「ああーっ!おいしいっ!」と満面の笑顔を見せるシーンがポスターとして切り取られるという話も出て会議の場は一気にヒートアップする。

「うん。このカットは良いねえ。」「ホント!美味しそうだわ!」と言う声が飛び交う会議室。

いよいよ出来上がったCM映像の試写となった。

天井からロールスクリーンが降ろされ、そこへCM映像が映し出される。

美玖が一生懸命走る姿に続いて球場の階段を駆け上っていく。そしてスコアボードを見つめ、続いてグランドを見つめる。そこから先は実際の野球の状況が映し出されバッターが見事なバッティングを見せ、真っ白な球が空へ舞うというシーンでCMが終わる。

「あっ!」思わず美玖が声をあげる。そのバッターの後ろ姿、背番号、それは同じ小学校の勇先輩の姿だったからだ。

「美玖ちゃん、何かありますか?」議長を務める企画部長さんの問いに、「最後のバッターの方ですが、私の学校の勇先輩だったのでびっくりしました。」

この美玖の発言に驚かれる皆さん。若菜さんと由美子さんも驚き顔で美玖を見つめていた。

「おお、そうですか。それじゃあ続編が作りやすいですね。」と笑顔で会議を締める宣伝部長さんだった。


CMがお茶の間に流れ始めると美玖のはつらつとした表情に注目が集まる。

それとは別に、美玖と野球少年の別バージョンがあるのではないかという噂がまことしやかに流れ始めた。

更にそれが暴走し、2人は恋人関係だという噂も広まっていった。

この噂話は美玖や、信子らセブンミュージックの全員の耳に入るほどとなっていた。

もはや有名税では済まない状況であると判断した信子ら大人たちは全否定の声明文を出したのであった。

だが、美玖の通う小学校内ではもっと深刻だった。

美玖の下駄箱にラブレターが入っていたとか体育館裏で2人が会って抱き合っていたとかの過激な噂までまことしやかに飛び交っていた。

そこで加奈や、仲の良いクラスメイト達がいつも一緒にいるがそんな事実はないと声をあげて噂を打ち消してくれるのだった。


水曜日のある日、市民センターの加奈と美玖の楽屋を訪ねて来てくれた男の子がいた。それは勇先輩だった。

美玖と2人きりで話がしたいと言う勇先輩。

少し不安な気持ちはあった加奈と由美子さん。

「ごめんなさい。先輩と2人きりでお話しがしたいの。」と言う美玖を残して部屋を出る。

2人きりとなった楽屋で勇先輩が口を開く。

「ごめん。変な噂が立ってしまって。でも、僕の気持ちは噂の通りなんだ。」そう切り出す勇先輩。

「えっ?先輩!どういうことですか?」驚いた美玖が尋ねる。

「うん、噂の通り、僕は美玖ちゃんのことが好きになってしまったんだ。」そう言ってテーブル越しの美玖の顔を熱く見つめる裕先輩。

「もう、やだ!からかわないでください。」

「いや、僕は本気だ。噂の通り僕と付き合ってほしい。」

勇先輩のストレートな告白にたじろぐ美玖。

「僕の彼女になって欲しいんだ。」

しばしの沈黙が流れる。そして美玖が話し始める。

「勇先輩。お気持ちは嬉しいです。私も先輩のことが大好きです。でも・・・。」

「えっ?でも?」

「はい。今はお互いに愛だの恋だの言っている時ではないと思うんです。先輩には甲子園への夢、私には音楽家への夢があります。今ここで愛や恋などをする寄り道の余裕などあるわけがありません。先輩はうちの母に言われたそうですね。『僕が甲子園の球場に立った時に私に“ああ!栄冠は君に輝く!”を唄って欲しい』と。甲子園って恋愛しながら簡単に行けるところでしょうか?皆さんなりふり構わず、人以上に努力をして汗と土にまみれて、その中の一握りの人が行ける場所だと思うんです。だから、だから、私のことなんかより自分の夢を叶えてください。このままだと私が本当に聴いて欲しい人が甲子園に行けなくなってしまいそうで・・・。」

「み、美玖ちゃん・・・。」

「私、甲子園で勇先輩に私の歌を聴いて欲しいんです!だからそのために一心不乱で野球に打ち込んでください!」美玖の泣きながらの訴えるような眼差しに目を覚ます勇先輩。

「そうだね!美玖ちゃんの言う通りだ。僕は間違っていた・・・。」

「分かっていただけたのなら嬉しいです。でも・・・。」

「でも?」

「はい。甲子園に行って、大学のリーグで活躍してプロになってください。そしてその時に私に連絡をください。それまで、私、待っています!」

「うん。わかった。必ず君を迎えに行く!約束するよ!」

そう言って握手を交わす2人だった。

勇先輩が去った後、加奈と由美子さんが関を切ったように控室へなだれ込む。

「実、美玖・・・。お断りしちゃったの?」そう言いながら美玖の元へ。そして。

2人は驚いて足を止める。

美玖は身体を震わせて泣いていた。

「美玖、よく思い切ったわね。」加奈はそう言いながらしっかりと美玖を抱き締めるのだった。


ゴールデンウイークの間、金曜日と土曜日以外の日は夏海は胡桃の家で一緒にピアノコンクールへ向けてのレッスンに励んでいた。

課題曲はあの『アマリリス』を、自由曲は『ラ・カンパネラ』を選んだ。電子ピアノにヘッドフォンをつけての練習だ。本当に便利なものが世の中に出て来たものだと思う夏海だった。お陰様で、胡桃は驚くほどの上達ぶりを見せてくれていた。


一方、美玖はあの一件以来、変わった。

本当の恋を知ったためであろうか、顔つきが大人っぽくなり、憂う表情が妖艶に見えるほどだ。

そんな美玖に新たな映画へのオファーが。

それは五十嵐監督が温めていたタイムトラベラーの物語で、現代の少女美玖が江戸時代にタイムスリップしてしまうという物語だ。

信子と優太ママは今の美玖にぴったりの企画だと仮台本に目を通すのだった。


そんな美玖もピアノコンクールに初出場する。

課題曲は『エリーゼのために』、自由曲は『ロマンス第2番へ長調』で、加奈のヴァイオリンでの代表曲なのだが、これをピアノで表現するという。

まさに恋する美玖にふさわしい選曲であった。

美玖の練習に耳を傾けていた信子。そして「恋」の力に改めて驚くのだった。美玖独特のリズムが生まれ、妖艶ささえ加わった。それは子供から少女へと変わる美玖の心を表していた。

「ねえ、美玖。勇君のことなんだけど。」思い切ったように信子は美玖に尋ねた。

ピアノを弾く手を止めて美玖はゆっくりと信子の方へ顔を向け、じっとその顔を見つめた。

「なあに?ママ。」

「うん。勇先輩のこと、無理しているんじゃあないかと思って。」

「ううん。あれでいいの。確かに生まれて初めて男の人に優しく気遣って貰えてとても嬉しかったわ。だって今まで空手で突き飛ばされ、蹴り飛ばされ、投げ飛ばされて育ってきたの。そしてそれが当たり前で、誰からにも気にも留められる事も無く自分で立ち上がって来たわ。でも、あの時、真っ先に駆けつけてくれて、そして本気で私のことを心配してくれた・・・。あの日からずっと・・・。」

「そうなのね。美玖、悲しいだろうけど、あなただけでなく勇君のことまでしっかりと考えられる、美玖、あなたを一人の人間として尊敬するわ。そして将来、きっと良いことが待っていると思うの。」

そんな信子の言葉に静かに頷く美玖をそっと抱き締める信子だった。

『美玖、あなたって身も心も本当に強い子なのね!』


ゴールデンウイーク明けの土曜日はピアノコンクールの日だ。今回は梢と里穂が仕事の関係でお休みとなってしまった。だが、夏海と加奈に加えて胡桃と美玖が出場する。

学校長さんを始めとする審査員の皆さん方は美玖の「音楽教室の全国大会第3位」という肩書を応募書類で知るだけだった。ましてや胡桃に関しては全く情報を持たれてはいなかった。信子も優太ママも一切口外することがなかったからだ。

控室では夏海と由美子さんが3人のお世話係として付き添っていた。だがそれはお世話ということではない。セブンの娘たちは自分のことはすべて自分で出来るのだ。そのため、2人の役割は他の参加者の皆さんから3人をガードするということであった。特に人気者である加奈と美玖、しかも美玖は数々の噂話の中心人物でもある。そのためのガード役でもあった。

大会委員長である学校長さんのご挨拶が続く中、美玖は携帯のメールを見つめていた。それは歌穂からのメールだった。

『美玖。あなたの決断にすごく感動しました。大人の決断ですね。まさにパパとママみたい。しっかりと未来に向かって自分の種を植えたのですね。きっと見事で奇麗な花を咲かせてくれるわよ。それまで自分の道をしっかり歩んでください。今回の演奏、残念ながら直接聴くことは出来ないけど、今までとは違う美玖を見せてくれると思っているよ。では、がんばるのだよ!歌穂より。』

この文面を加奈に見せる美玖。加奈はにっこりと笑って美玖を見つめた。

「美玖。もう2人で1人じゃあないの。1人1人で2人なんだよ。私もディフェンディングチャンピオンとして美玖、あなたを迎え撃つわ。かかってきなさい!」そう言って美玖にハグをする加奈。そんな2人をじっと見守る夏海と由美子さん。美玖に歌穂からのメッセージを見せられてお互いに笑顔で頷き合うのだった。

いよいよ幼稚園児の部が始まる。どの子もちょこんとピアノ椅子に座り一生懸命に自分の演奏を展開していく。その姿にかつての自分の姿を重ね合わせる出場者の皆さんだった。

いよいよ胡桃の番がやってきた。

小さいながらも堂々と舞台へ出ていき審査委員の皆さん方に深くお辞儀をして今度は会場の皆さん方にも同様に深くお辞儀をする。その中に信子の隣で目を輝かせる母の姿が胡桃の目に留まった。そしておもむろに笑顔を贈ったのだった。

会場からは「かわいいーっ!」という声援が飛び交う。

胡桃は静かにピアノ椅子に腰かける。きちんとした姿勢に審査員席からも「おおーっ!」という声が上がった。

『こ、この子。ただ者ではない!』学校長さんは身震いされていた。『あの頃の加奈ちゃんにそっくりじゃあないか!』

そして『アマリリス』の演奏が始まる。片手でのガイドメロディーのみの演奏に会場の皆さんは「うん、うん。」と頷かれて聴かれていた。しかし、きちんとしたリズムで弾き進める胡桃の演奏に驚き顔の審査員の皆さん方だった。

胡桃の演奏は2番に入る。すると今度は両手で見事な『アマリリス』を弾き始める。もう会場は大騒ぎだ。

「ええっ?幼稚園児だよね?」「どうしてそこまで弾けるの?」という驚きの声が聞かれるのだった。

審査委員の皆さん方も思わず姿勢を正して胡桃の演奏に聴き入っておられた。

『アマリリス』の演奏が終わると自由曲の演奏に入る。案内で演奏曲が『ラ・カンパネラ』であることが告げられると会場内は驚きのるつぼと化していった。小学生でも難しいとされるこの曲、ピアノを演奏される方はこの曲の難しさは十分ご承知のようだ。

再び胡桃の指が動く。「えええーっ!」驚きの声が会場内のあちらこちらから上がった。

「プ、プロバージョン・・・。」さすがの学校長さんも思わず絶句されたほどの驚きだった。

そんな皆さんの前で胡桃の指は華麗に鍵盤の上を舞う。当の胡桃はとても嬉しそうに演奏を楽しんでいる。心配で舞台袖で見守る夏海の姿を見つけた学校長さん。思わず「セブンミュージックの子なのか!」と叫んでしまうほどだった。

胡桃の演奏が終わると盛大な拍手に交じって声援や指笛までもがあちらこちらから鳴り響く。

そんな会場の皆さん方にもう一度深くお辞儀をして笑顔を見せ、舞台袖へ引き上げていく胡桃。

そんな胡桃を舞台袖で両手を広げて迎える夏海。その腕の中に笑顔で飛び込んでいく胡桃だった。

その時、会場内が歓声に包まれた。

胡桃の得点が発表されたのだった。それは驚愕の満点だった。初めての幼稚園児の満点に興奮の坩堝と化す会場。控室では夏海を始め加奈、美玖、由美子さんが順番に胡桃をハグしていく。そして控室の皆がその周りに集まってきてお祝いの言葉を投げかけてくれるのだった。肝心の胡桃はまだ自分の演奏結果がどうなっているのかを理解してはいないようで、涙を流して喜ぶ姉たちの顔をポカーンと見つめるだけだった。

幼稚園の部が終わると次は小学生の部だ。

人気者になった美玖の登場と美穂に次ぎ絶対王者となっている加奈に注目が集まる。

そして美玖の登場となった。

会場からは「美玖ちゃんがんばってえーっ!」という声援が飛ぶ。美玖は審査員さん方に続けてそんな会場に深く一礼をした。そしてピアノの元へ。

課題曲『エリーゼのために』が流れ始める。

すると会場内は沈黙に包まれる。あまりにも小学生離れした深みのある演奏に皆さん思わず聴き入ってしまわれたのだった。審査員の皆さんも同じだった。

『と、とても小学生の演奏とは思えない!なんて情緒的な演奏なのだろう!』『恋する乙女そのものの演奏じゃないか!』

小学3年生美玖の演奏に驚き顔の審査員の方々だった。そしてそれは次の自由曲で一気に会場の皆さんの心に染み渡っていく。

美玖の弾く『ロマンス第2番へ長調』の旋律に乗せられた美玖の恋への思いが会場内に溢れていく。

瞬く間に鼻をすする音が会場内に広がっていき皆さん目頭を熱くされるのだった。

「いやあ!演奏技術もすごいけれど彼女のあふれるばかりの感情表現がまたすごいですなあ。」審査員の皆さん方はお互いにそう言いながらやはり目頭をハンカチで抑えられていた。

控室では加奈を始めとする皆が涙に暮れていた。

「夏海お姉ちゃん、どうして悲しくなっちゃうの?」と大粒の涙を流しながら夏海に尋ねる胡桃の姿があった。

「それはね、美玖お姉ちゃんが心を込めて弾いているからだよ。」と幼い胡桃に教えてあげる夏海も涙に暮れていた。セブンの皆は美玖の気持ちを皆が共有しているからだ。あえて自分の恋心に蓋をした美玖の気持ちが良く分かる娘たちだった。

美玖の演奏が終わると皆さん涙を流しながらの力強い拍手を贈ってくださった。

そして美玖の得点も満点だった。

自分の気持ちを込めた演奏が終わりやや放心状態の美玖に「満点だよ!」と言って抱き着く加奈と夏海、そして胡桃。そんな3人を纏めて抱き締める由美子さん。その光景を羨ましそうに見つめる控室の皆さんだった。

そして小学生の部最後に登場するのは加奈だ。

課題曲は『メヌエット』だ。そしてその演奏はまさに美穂が戻ってきたのではないかというくらいの小学生離れした、流れるような優雅さに満ちた演奏だ。

思わず身震いをする学校長さん。

『美穂君を彷彿させる演奏だ。まさに美穂イズムの継承だなあ。』と感激されるのだった。

続いての加奈の自由曲は『ロンド・カプリチョーソ』だ。夏海も美玖も始めて聴く。そんな2人の耳に加奈の見事なまでの演奏が流れてくる。改めて歌穂の言う「いつでもプロになれるレベル」という言葉が2人の頭をよぎる。思わずため息が出てしまう2人だった。

演奏が終わると割れんばかりの拍手が音大大ホールを揺らす。

審査委員の皆さんは文句なしの満点をつけられた。

にっこりと微笑む加奈。そして舞台袖で迎えてくれた美玖と共に足取りも軽く控室へ戻ってきた。そんな2人を夏海と胡桃そして由美子さんが囲んで順にハグをする。

午前の最後は中学生部門だ。だが、里穂がいないせいかやや精彩に欠ける中学生部門だった。

お昼休憩は音大の食堂に皆が集合する。信子と胡桃のお母さん、音大楽団の練習に参加している美穂と航平、優太の3人を率いる優太ママ、そして個別レッスンを終えた遥香も加わり大賑わいとなった。

皆で料理の列に並ぶ。それだけで楽しそうな胡桃を皆が優しく見つめるのだった。

個室では胡桃、美玖、加奈の3人が満点を取ったこと、そして幼稚園児が初めて総合審査へ進んだことが話題となっていた。中でも胡桃の満点は音大の遥香、航平、美穂、優太の4人を驚かせていた。同じ話題は大ホールでお弁当を広げる学園の音楽部有志の皆さんたちの間でも大きな話題となっていた。特に部長さんは胡桃の満点に大喜びでこのことが学園全体に変化をもたらすと部員の皆に力説していたほどだった。

午後からは高校生の部が始まる。3年生となった夏海が登場する。各部門で参加者が最も多いのがこの高校生の部だ。前回に続いて学園高校と学院高校の参加者が目立つ。そして両高ともにレベルアップしているのがひしひしと伝わってくる。そんな中で格別な存在感を示したのが夏海だ。

課題曲は『渚のアデリーヌ』だが今までの慎重すぎる演奏に加えてテンポも速くなり、何よりもリズミカルな演奏を披露するのだった。

「前回と違って演奏が変わりましたなあ。」一人の審査員の方がそう呟かれると周りの審査員の方々も大きく頷かれるのだった。

『夏海君に何が起こったのだ?何かを払拭したような演奏じゃあないか。以前の夏海君とは全く違う!』学校長さんも夏海のあまりにも急な変化に驚かれるばかりだった。そんな夏海の『渚のアデリーヌ』にじっと聴き入る胡桃。そして加奈と美玖は気づく。

『これって胡桃ちゃんへのメッセージなんじゃあないかしら?』

続いての自由曲は『即興幻想曲』、ショパンの名曲だ。これを軽いタッチで弾いていく夏海。以前の夏海からは想像も出来ないほどの演奏法の変化だ。

審査員の皆さん方も思わず「ううーん!」とうなってしまうほどだ。

しかも夏海は笑顔で楽しそうに弾き進めていく。

「ちょっとおーっ!笑顔で弾ける曲ではないわよ!」

「弾くのが精いっぱいだよね。なんで笑顔なの?」という声が客席で囁かれていたほどだ。聞こえてくる囁き声に思わず頷いてしまう皆さん方だった。

夏海の演奏が終わると嵐のような拍手と声援が巻き起こった。生まれて初めての盛大過ぎる声援に戸惑いを見せた夏海だったが、直ぐに笑顔でホールの皆さんに感謝の意を込めてお辞儀をするのだった。

まだ拍手が鳴り止まない中、夏海の得点が発表される。

そして大きなどよめきが起きる。

満点だ!生まれて初めて楽しいと思いながら弾いた『即興幻想曲』。ずっと3位に甘んじてきた夏海はもういなかった。

控室では加奈、美玖、胡桃そして由美子さんが夏海を笑顔で迎え涙ながらに夏海に「おめでとう!」と言って抱き着くのだった。

審査員の皆さんは何も言うことが無かった。そして前回から続くセブンミュージックの面々の活躍を称賛してくださるのだった。

表彰式には4人が笑顔を並べ、幼い胡桃の手を夏海がしっかりと握っていた。

胡桃の愛らしさに加え、加奈、美玖への熱狂的な声援、夏海への称賛の声が会場から飛ぶ。それに戸惑われる学校長さん。

加奈が唇に指を立てて『お静かに!』のポーズをとると一瞬で静寂が戻った。

「加奈ちゃん!ありがとう!」の学校長さんのお礼の一言から表彰式が始まるのだった。

学校長さんは胡桃の幼稚園児らしからぬ見事なプロバージョンの演奏、美玖の憂いに満ちた小学生とは思えないほどの情緒に満ちた演奏、加奈の絶対王者としてのセブンミュージックのすべてを受け継いだと思えるほどの見事な演奏、最後に、あまりにも演奏方法が飛躍した夏海、そんな4人に触れられお礼を述べられるのだった。

2位から5位は学園大学と学院大学のお姉さんたちがそれぞれ2名ずつ受賞していた。すでに同コンクールや学園祭、学院際で顔なじみということもあり皆で入賞を喜び合うとても和やかな表彰式となった。

ロビーでの記者会見では愛くるしい胡桃が話題の中心だった。しっかりと夏海、加奈、美玖に守られながらも記者さんたちの質問にはきはきと答える胡桃。その可愛いそして透き通るような声がロビーに響くのだった。

「何時もどこで練習していますか?」

「はい。練習室です!」

「誰に教えて貰っているの?」

「お家ではピアノさん、学校ではいろんなお姉さんたちにです。」

「えっ?ピアノさん?」と首をかしげる記者さんたち。

その様子を笑顔で見つめる夏海ら受賞者の面々だった。

記念撮影のメインは胡桃と加奈、美玖だった。

この3人のショットが楽器メーカーさん、とりわけ企画部の早紀さんの目に留まった。自社の電子ピアノに触れる胡桃、それはまるで進んで宣伝をしてくれているのだ。そこでこの電子ピアノを売り出すために“新天使の3姉妹”構想が持ち上がったのだった。

これとは別に、セブンミュージックへの問い合わせの電話が殺到、事務局のある音大の電話回線がダウンしてしまう。この連絡を受けた信子は思い悩んでいた。事務局の人員が足りないのだ。

その時、由美子さんが提案する。「電話受電業務を引き受けてくれる会社があると何かで聞きました。そこに委ねてみてはいかかでしょうか?」

この由美子さんの提案は信子、優太ママ、マネージャーさんたちの全員で早急に協議され業者さん選びがスタートしたのだった。


電話回線でご迷惑をおかけしたことで学校長さんの元へお詫びに伺う信子と優太ママ。

学校長さんと事務局長さんに今後の対応策を説明するのだった。すると事務局長さんから急に届き始めた大量のファンレターの処理に困っているとの話が。

そこで2人のママは郵便局へ出向き、私書箱を設置することとした。そして届いたファンレターを事務代行の会社さんに委ねることとしたのだった。


そんな5月のある日、映画会社さんから美玖への出演依頼が正式に届いた。

また、楽器メーカー企画部長さんから“新天使の三姉妹”の構想が進んでおり、ぜひ前向きに検討をお願いしたい旨の有難い連絡をいただいた。

「胡桃ちゃんが思い切り宣伝しちゃったからねえ。」と豪快に笑う優太ママ。それに笑顔で頷く信子だった。


映画会社の会議室。信子と若菜さんは美玖を連れてその会議に臨んでいた。

企画部長さんと制作部長さん、宣伝部長さんのお3方が入って来られた。しばらくお茶をいただきながら世間話となった。お3方とも美玖の清涼飲料のCMをご覧になったようでしきりに美玖の表情を誉めてくださっていた。

「遅れて申し訳ない!」そう言いながら入って来られたのは五十嵐監督さんだった。

改めて皆でご挨拶を交わしてさっそく会議が始まる。

先ずは撮影予定の映画についての説明が企画部長さんからあった。それによるとタイムスリップした現代の少女が江戸時代で忍者として活躍するという概要だった。

具体的には、あるお姫様のお嫁入りの道中を護衛するという筋書きだ。その道中でお嫁入りに反対する武士集団と忍者集団との戦いを描くという。そこで抜擢されたのが『魔法少女カナ2』で見事なアクションを見せた美玖だった。

「そこでお願いしたいのです。美玖ちゃん、忍者って知っているかな?」という五十嵐監督さんの問いに「はい。知ってはいますがうわべだけで。」と答える美玖。

「そうだよね。信子さん、私らの頃はね、大忍者ブームでね、ブリキで手裏剣を作ったり、二階から飛び降りたりしてよく先生に叱られたものでしたよ。」そう言って笑われる五十嵐監督さんに思わず信子が言った。

「監督さん、実は美玖も今言われた通りのことをやっているんです。先日は私の目の前で校舎の2階の窓から飛び降りたんです。」

信子のこの発言に驚き思わず美玖の顔を見つめる出席者の皆さん方。

「おおっ!まさしく忍者そのもの!ピッタリじゃあないか!」

そういうことで美玖の主演が決定した。

「そこで申し上げにくいのですが、美玖君を某忍者学校にて忍術を学んでほしいのです。」企画部長さんは申し訳なさそうにそう言われた。

「良く体験入学の話は聞きます。しかし本格的に入学となるとそれ相当の期間を要すると思われますが。」という信子の質問に「はい。先方に美玖君のことを伝えましたところ約30日で本物の忍者になれるとのことでした。」この言葉に美玖の目の色が変わる。

「私に学ばせてください!」

「ただ、30日間学校をお休みしなければなりません。しかも小学生、義務教育期間でもありその辺が…。」

「そうですね。実はうちのマネージャーの中に教員免状を持っている者がおります。その辺は私共で学校側と対応させていただきます。」

「あと、映画のテーマ曲の選考をお願いしたいのですが。」と言われる五十嵐監督さん。確かに、クラッシックではこれといった曲は思い付かない信子だった。

こうして美玖の映画の件は大きく前進していくのだった。


学園では新入生歓迎の「若葉祭」が開催されていた。

各部活や同好会が自分たちの活動をアピールする場でもあり、その部や同好会も熱気があふれていた。

幼稚舎でも年長さんによるダンスやお遊戯、演劇などが披露されて大勢の舎児たちの歓声が上がっていた。

その様子を訪れた夏海、穂波、里穂の3人の姉たち。一生懸命に披露している胡桃の姿に思わず「胡桃!可愛いよおーっ!」と声援を贈ってしまうのだった。

「やだあ!私たちって思いっきり“姉ばか”だよね!」そう言って大笑いする3人の姉たちだった。

胡桃の出番がすべて終わると先生方にご挨拶をして4人で手をつないで音楽部の練習室へ。先日の音大大ホールでの出来事がまるで嘘のようなあまりにも普通の2人だった。当日欠席していた里穂に応援に駆け付け客席から一部始終を見つめていた穂波が細かく説明をしていた。そのため出場経験者である里穂はその様子が手に取るように理解出来るのだった。

練習室に入るとあっという間に部員のお姉さんたちに取り囲まれる夏海と胡桃。それに入選した大学生の2人も加わり既に文字通りのお祭り騒ぎの様相を呈していた。部員の中から4人もの入選者を出した音楽部。部長さんからの暖かいお祝いの言葉をいただき感激の夏海と胡桃だった。

そして忙しいのは胡桃だけではなかった。

穂波は音楽部以外にも「昭和歌謡研究部」「大正琴研究部」「民謡研究部」にも特別部員として参加しているからだ。それを知った里穂が目をまん丸くして驚くのだった。

音楽部の主催する「大音楽会」は大盛況だった。

ピアノコンクール入選者4名によるメドレーでの演奏に会場となった大ホールは大盛り上がりだった。

胡桃の『ラ・カンパネラ』は特に会場の皆を驚かせそして感動させた。見学にいらした幼稚舎の舎長先生や他の先生方も唖然として胡桃の演奏を聴かれていた。

次に控える里穂もあまりの胡桃の演奏に開いた口がふさがらなかった。「ちょっ、ちょっと夏海お姉ちゃん!胡桃っていつの間に?」そう言ってじっと胡桃の姿とその演奏に見入り、そして聴き入っていた。

胡桃に続いて里穂、夏海、大学生のお姉さん2人が次々に曲を披露していく。「大音楽会」は5人によるトリの演奏でまるで「音楽部コンサート」の様相を呈していた。


次の週の土曜日、今日はヴァイオリンコンクールが開催される。

ピアノ同様にディフェンディングチャンピオンである加奈。死角などあろうはずがなかった。

だが、先週の美玖の時と違い、歌穂からの応援メールは届かなかった。気落ちする加奈を一生懸命励ます伴奏役の美玖。美玖にも理由が分からなかった。

コンクール開催の数分前、控室の扉が勢いよく開いた。

控室にいた全員がその方向を見る。そして驚きの声をあげるのだった。

「う、う、歌穂お姉ちゃん!」泣きながら歌穂のもとに走っていく加奈。それに美玖も続く。

「えへへ。来ちゃった!」そう言って両手を広げて加奈と美玖を受け止める歌穂。

「でも、歌穂お姉ちゃん、どうして?」泣きながら尋ねる美玖に「美穂お姉ちゃんが用が出来たから帰っておいでっていうからなの。何の用かはまだ知らないんだけどね。」そう言いながら自分でお茶をいれてぐっと飲み干す歌穂。

「そう言えば、先週は2人とも満点だったんだって?さすがわが妹たち!」歌穂は笑顔で2人の頭を撫でてくれた。そして呆然と立っている由美子さんに「歌穂です。妹たちをよろしくお願いします。」と言って頭を下げた。由美子さんもあわてて「こちらこそ、入りたてでまだまだいたらない点が多くこれから精進してまいります。」と余りにも固すぎる答えを返してしまうのだった。

それに笑いながら歌穂が言った。

「ママから聞いているの。国大卒の超エリートなのだそうですね。ダンケーシェン!」

歌穂のドイツ語に瞬時にドイツ語で返す由美子さん。

それにほほ笑む歌穂と突然のドイツ語に目を丸くして2人を見つめる加奈と美玖だった。

そんな歌穂から漂う微かな香りに気付く由美子さん。

「クリスチャン・ディオールの『ミスディオール』なの。音大のお友達のフランス旅行のお土産に頂いたの。歌穂にぴったりだって言ってくれて、それからずっと愛用しているのよ。」

『ええっ?歌穂ちゃんってこの間12歳になったって聞いたけど、大学生?しかも香水迄つけているの?』

そう思うとなぜか歌穂が神々しく見えてくる由美子さんだった。

コンクールが始まった。だが、控室で歌穂に聴かれているということからか出場者の皆さんはプレッシャーを感じる子が多かったようだ。

いよいよトリの加奈の登場だ。伴奏を担当する美玖と一緒にステージへ向かう。そんな2人の後ろ姿を見送りながら「もう立派なヴァイオリニストとピアニストだね。2人ともウイーンに連れて帰りたいわあ。」という歌穂に「はい!私もお供します!」と元気に答える由美子さん。

「やだあ!由美子さん!冗談!冗談ですよ!」と慌てて手を小さく横に振る歌穂。だが、由美子さんは本気だった。

ステージでは加奈の演奏が始まった。

アナウンスで課題曲はパスされたという案内が。

「あら、加奈ったら王者の貫禄ね。それで何を弾くのかしら?」そんな歌穂の言葉に続いて聞こえてきたアナウンスに驚く。

「加奈さんの曲は『ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35』です。」というアナウンスが歌穂の耳に届く。

「うふふ。加奈ったらプロになる気満々だね。」そう言って一人で喜ぶ歌穂だった。

「それにしても、美玖も良く伴奏を間に合わせたものだわ。えらいわあ!」と一人ではしゃぐ歌穂をじっと見つめる由美子さん。『やはり歌穂さんって“音楽の申し子”って信子社長が言われていたけれど本当にその通りだわ!』

会場から加奈と美玖の見事なまでの演奏が聴こえてくる。それを満足そうに楽しむ歌穂。そして演奏が終わり、同時に割れんばかりの拍手が起こった。

歌穂も軽く拍手を贈る。それに釣られるように由美子さんも拍手を贈るのだった。

満面の笑みで戻ってきた加奈と美玖に交互にハグをして迎えそして演奏を称える歌穂。

すると控室にいた数人が歌穂の元へ。

「あのう、ちょっと教えて欲しいのですが・・・。」

加奈と美玖とほぼ同学年の男の子だった。

「あら、『メヌエット』を弾いた子だよね。うふふ、第3小節の入りでしょ?自信なさそうだったわよ。」

歌穂の言葉に驚く男の子。「ど、どうしてわかったのですか?」

「だって、最初っから悩みながら弾いているんだもの。そこはね、弓をこう当ててゆっくり押していくの。弓の長さを全部使うのよ。そして次の章でゆっくりと引くの。弓全体を上手に使うことがコツと言えるのよ。」

この歌穂の説明に控室の皆は思わず頷き意味を理解するのだった。

「歌穂さん、私もよろしいですか?」今度は中学生のお姉さんだ。

「はい。『愛の喜び』を弾かれましたよね。全体的に良く弾けていましたね。ただ、弓の当て方に力が均一ではないのが気になりますね。それを克服すれば格段に曲が生きてきますよ。」

なんと歌穂は控室全員の弾いた曲目を覚え、その修正すべき点までも把握しているのだった。

そして唖然としている由美子さんの横で一人一人に指導をしていくのだった。

そのおかげで小中学生の部の皆さんはにこにこ顔で歌穂にお礼を言って控室を後に帰っていくのだった。

由美子さんの携帯にメールが入った。信子からだ。学食で待っているとのことだ。

急いで音大食堂へ向かう。地下通路に3人の明るく弾む声が響く。

学食に入ると奥のテーブルで手を振る信子の姿が。そして歌穂が一緒にいることに気づくと大きな声で「歌穂おーっ!おかえりーっ!」と叫ぶ信子。

「ちょっとおーっ!ママったらあ!」と恥ずかしがりながらも「ただいまあーっ!」と叫び返す歌穂。

そんな歌穂の姿に驚く美玖と由実子さんだった。

思い思いのものを選んで信子のいるテーブルに集まる娘たち。

「歌穂!おかえり!」「ママ、ただいま。」

それさっき大声で言っていたんじゃないの?」と突っ込む加奈に「さすが関西人の加奈ちゃんやわあ!」と返す歌穂。それに皆が笑顔になる。

「いただきまーす!」と全員で声を合わせて思い思いの食事をいただく。特に歌穂は久しぶりの日本ということで“サバの味噌煮込み定食”に舌鼓を打っていた。

「ところで、マーガレットが例の2人の件、お礼を言っていたわ。本人たちから、心のこもったおもてなしを受けたと言われ、セブンミュージックがどんなところなのかが良く分かり安心したとも言っていたそうよ。どうやっておもてなししたの?」

「うふふ。何時ものお寿司屋さんだよ。歌穂、久しぶりに行く?」と信子に言われ「うん!行く!行く!」と元気に答えたのは加奈だった。

「もう!加奈ったらあ!」という美玖に皆が「そう!そう!」と言って大笑いとなるのだった。

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ああ!昭和は遠くなりにけり!!第30巻 @dontaku

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