第11話

 レオンが職務に復帰したのは、晩餐会があってからしばらく日を跨いでからだった。


 アリマ先生も言っていた。


「立てるようになったのと、働けるようになったのは違う」


 レオンは、まだまだ療養中の身。

無理に働くより、働くという意思が強い時に働く。


 そのぐらいがちょうどよかった。


 ある朝。


「今日は、…執務室に行ってみる」


 その一言が、レオンの口から漏れた。


 行ってみる。働くとは言っていない。

それだけで、十分だった。


「ええ、お連れします」


 私はレオンの手を取り、執務室まで連れて行った。


 休みながらではあるが、歩行トレーニングも続けていた。

おかげでレオンは、私のサポートも無くても、

ほぼ自分で歩けるようになっていた。


 「…、開けるよ」


 緊張の面持ちで、レオンが執務室の扉を開けた。




 そこには以前とはまったく違う、片付いた執務室があった。


 レオンが働いていた頃は、あれもこれも、王子の承認が無ければ動かなかった。

それが、各省庁や各部署の最高責任者が担えるものは担う形式に切り替えたことで…

書類トレーに置かれている書類は数えるほどしかなくなった。


 あの頃のように、レオンが追い詰められる程の仕事は、もう無い。


「……これだけ?」


 書類トレーに置かれた書類をつまんで中身を見る。


 5枚程しかない嘆願書を、信じられない、という顔で見ていた。


「はい。以前なら、これの十倍の数を、1日でこなしていたそうです」


「十倍……」


 レオンは少しだけ顔を引きつらせた。


 レオンが責任を負うべきものと、そうでないもの。

それを分けた結果が、この少なくなった嘆願書。


 さらに、書類には誰が提案したものなのか、

どの部署が責任を持つのかが明記されている。


 以前よりずっと分かりやすくなっていた。


 私が嘆願書を預かろうとした時、レオンはそれを渡そうとしなかった。


「…レオン?」


「…少し、これを見てみる」


 本来なら、ここで仕事はしなくてもよい。

それでもレオンは、働く事を選んだ。


 少しハラハラした気持ちで様子を伺う。


「無理はしなくていいですからね」


「分かってる」


 レオンは1枚目の嘆願書を手に取った。


 内容は、地方の道路整備についてだった。

雨季が遅れたことによる、道の干ばつで馬車や人が歩きづらい為

舗装をしてほしい、という内容だ。


「これは……通していいと思う」


「では、私が記録しておきます」


 レオンは1枚を私によこした。


 続いて二枚目。


「これも、大丈夫」


 三枚目。


「…これも通して良い」


 順調だった。

数が少ない事もあって、心に負担が少ないのだろう。



 だが、


 その次の書類を見た時、レオンの様子は変わった。


 書類を握る手が、わずかに震えている。


「……」


「レオン?」


 返事がない。

横目で内容をちら、と見てみる。


 5行目ほどだろうか、気になる内容が書かれていた。


『王太子殿下におかれましては、国益を第一にお考えいただき――』


 レオンの目線は、そこで止まっていた。



「…リゼ」


「…はい」


 レオンの声は、震えていた。


「……これ、承認しなかったら……どうなる?」


「え?」


「僕が、これを認めなかったら……誰かに責められる?」


 レオンの呼吸が浅くなっている。

慌てて私は背中をさする。落ち着かせようと彼に触れる。


「また……『王子なんだから分かるでしょう』って言われる」


「レオン、私を見てください」


「僕が間違っていたら……」


「レオン…!」


「王子なのに、こんなことも判断できないのかって……」


 私は書類をそっと取り上げた。


 強制的に、レオンの目線を私に向ける。


「今日は、ここまでにしましょう」


「……でも」


「ここまでです」


 ぴしゃり、と言い切り、書類トレーに嘆願書を戻した


 震えるレオンの手を握り、目を見つめる。




「あなたは、もう十分働きました」



 今日は復帰1日目。

本当なら、執務室に来るだけ。

なのに、レオンはもう働こうと意思を見せ、

実際に嘆願書を見て判断する働きを見せた。



 もう、十分だ。



 しばらくすると、レオンは小さく頷いた。


「……ごめん」


「謝らなくていいんですよ」


 そう言って、私は彼の背中を撫でた。


 もう、震えは治まっていた。



 やがてレオンの寝室に、私たちは2人で戻った。

暖かな光が、窓から差し込んでいた。


「今日はもう、お昼にしましょうか」


 それから私とレオンは部屋で2人、食事を取った。


 あの説教された晩餐会から、

私もレオンと同じく、適度に休む事にしていた。


 私も、レオンと同じようにならないために。

…もうレオンを心配させないように。


 最近ではレオンも味がわかるようになったらしく、

暖かいスープを飲んでは、笑顔を浮かべるようになった。



 食事を終えたレオンは、窓の外を眺めていた。


「……リゼ」


「はい」


「朝のことなんだけど…」


 朝のこと、嘆願書を読んで、身体が震えた事だろうか。


「ええ、大丈夫ですか?」


「…もう大丈夫…でも、聞いてほしい」


 私は少し身を寄せて、顔を見る。


「聞かせてください」


「…僕は、…書類が怖かったり、仕事が怖くなったわけじゃないんだ」


 レオンは少し迷ってから続けた。


「…あの嘆願書からは…『王子だから承認しろ』って言われた気がした」


「……」


「これを承認しなかったら、また怒られるんじゃないか。

選択を間違えたら、王子として失格だって言われるんじゃないかって…考えたら」


 レオンは胸を締め付けるように手で抑える

その手はわずかに震えていた。



「怖くなった」



 それは、大臣達から剣幕をたてられた記憶。

レオンが心を病んだ原因…。そして…。



「……あの頃の私も、同じようなことをずっと言っていましたね」




 私も、レオンを王子としか見なかった。

何かにつけて、『王子』としてしっかりしろ、と叱責した。


 …それがレオンの心にどれだけ負担をかけていたかも考えずに。



「…うん」



 レオンは頷いた、でも、私を責めなかった。


 あの頃と、同じように。


 …だからこそ、余計に苦しかった。

いっそ怒って、私に不満をぶつけて…

…自分の意見を言ってくれるなら。


 レオンの手をとり、優しく握る。



「でも、今は違います」


「……うん」


「嫌なものは、嫌だと言っていいんです」


「分かってる」



 レオンは少し笑って、私の手を握り返してくれた。


「まだ、すぐにはできないけど」


「それでいいんです」


 ふと、レオンが窓の外を見る。

光につつまれたレオンの横顔は、

病の事なんて忘れるくらい、綺麗だった。


「…リゼ」


「なんでしょう?」


「午後からは、何をするの?」


 意外にも、レオンはまだやる気があった。

嘆願書でパニックを起こしかけたが、

それでも…レオンは立ち上がろうとしていた。



「午後からは軍務省の最終監査です

バーランドが謹慎処分された件で」


「…僕も行くよ」


「わかりました…無理はせずに」



 レオンのやりたい事を、きちんと聞いて、支える。


 まだまだ難しいけれど…、共に歩んでいきたい。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 昼。


 今度は軍務省の監査に向かう。


 監査局が粗方調べて回った後ではあるが、

最終的には王子級の人間の視察が必要になる。


 王子は現在療養中のため、

王子と同等の権限を受けた私の仕事になるが、

今回はレオンも一緒だ。


 隣に歩くレオンを気にしながら、軍務省の事務所に向かう。


「レオン、体調が悪くなりそうなら、すぐにおっしゃってください」

「もちろんだ。…ありがとう」


 まだ元気がありそうなレオン。

安心して、事務所の扉を開ける。


 開けるとそこには、黒い制服に黒帽子を被った監査官が

あちこちで帳簿や書類やらと睨めっこし、

軍務省の事務は監査官に捕まり、質問責めに遭っていた。


 監査官の一人が私に気が付けば、声をあげる。


「ご苦労様です、リゼット様!…レオン様も!」


 私一人で来ると思っていたであろう監督官が、レオンの姿を見て慌てて敬礼する。

…ごめんなさい、みんな。今日急に決まったから…。


 監督官の一人が敬礼すれば、周りの監督官も敬礼してくれた。


 レオンが手で制すと、また監査に戻っていく。

きびきびと働く姿は、黒い制服もあいまって働きアリのようだ。


「順調ですか?」


「はっ、今資料にまとめているところですが…」


 一番近くにいた監査官に声をかけると、

まとめていた資料の一部を見せてくれた。


 それは謹慎中の軍務大臣について、

監査官達が屋敷や帳簿を調べた結果だった。


「…密約があった?」


「はい、ローリア帝国との暗号による密約書が。

うちの解読班が読み解いた所、

武器の輸出入について、ローリア帝国から指示を受けている証拠が」


 記憶に新しい出来事だった。

バーランドが不必要にローリア帝国の新兵器を購入しようとし

私が棄却した提案書。


 …そのせいで、レオンに危害が及ぶ事になったのだが。


 しかしきっかけで監査に入る事にもなった。

身から出た錆にも程がある。


 私は監査官に頷いた。


「わかりました、ローリア帝国にはこちらから正式に抗議文を送ります」


「よろしくお願いいたします。

資料はまた、あらためてお送りいたします」


 監査官はそのまま奥に引っ込んでいった。

おそらく、奥の部屋では資料のまとめ作業が進んでいるのだろう。


「…、ありがとう」


 不意に、レオンからお礼を言われた。


「?、何が、でしょうか?」


 私が首を傾げていると、レオンが優しく微笑みながらこちらを向いた。


「リゼがいなかったら、この国は危なかった」


「…そんな…、レオンとこの国のためを思えば…」


 頬が赤くなるのを感じていれば、つい、手で隠そうと覆ってしまう。


 しばらく待っていると遠くから声がかかる。


「あ、いた!レオンハルト殿下!」


 手を振ってやってくるのは、軍務省の若い将校だった。

深緑色の軍服に、軍帽を被った男は目の前にやってきて声をかけた。



「レオンハルト殿下、ご病気で伏せっているとお聞きしていましたが…」


「ああ、…今も療養中でね、職務復帰の訓練中なんだ」



 王子スマイルで微笑みながら応対するレオン。

私は、内心で少しハラハラしながらそれを見守る。


 監査について文句を強く言われて、レオンに負担がかかると…。



「そうでしたか、実は、レオンハルト殿下に御礼を申し上げたくて…」



 すぐに止める心構えをしていたが、将校は意外にも、お礼を言ってきた。


「お礼?何かあったの?」


「ええ、実は今回の監査のおかげで、予算が戻ってきそうなんです!」


「……予算?」


 レオンが目を丸くする。もちろん私も。

どうやらこの将校は、経理を担当する主計官のようだった。

驚いている私達を見て、将校は続ける。


「はい。軍務大臣が私的に流用していた分が発見されたんです!」


 詳しく話を聞けば、それは酷いものだった。

受け取った予算の金額を、

将校には少なく提示し、

余剰分をかすめる盗人行為。


「これが元に戻ると、予算が戻って…我々の会議もかなり円滑に進みそうです」


「…そうか」


 レオンは複雑そうな顔をしていた。


 この監査自体偶発的なもの。


 レオンのおかげかと言われれば、難しい所ではあった。


 将校は懐から1枚の紙を取り出す。


「それともうひとつお礼を言いたいのが…」


 それは以前、レオンが棄却した嘆願書。

隅にはバーランドの名前が書かれている。


 内容は、海の向こうにある国、タルマ共和国との合同軍事訓練。

それにおける嘆願書。


「これ……」


 レオンの顔が強張った。

苦い記憶が蘇ったのだろう。


 将校もそれを察したのか、頷いて言った。


「バーランドが強行しようとしていたのは知っています」


「…」


「…これの裏では、戦争を起こそうと画策する動きがありました」


「…戦争?」


 私とレオンは、またしても目を見開いた。

中身は間違いなく軍事訓練の嘆願書。

その裏で、戦争?


「タルマ共和国はローリア帝国から侵攻を受けています。

そこでアルヴェリア王国とタルマ共和国が合同訓練を行う事で、

ローリア帝国が抗議と同時に兵を国境に置き、

バーランドは、誤ったフリをしてローリア帝国の兵を攻撃。

戦争を開始する、と」


 私は絶句する。


「そんな……」


 レオンは目を伏せた。


「…戦争ビジネス、か」


「まさしく。…恐らくローリア帝国に利がある形にする予定だったかと」


 将校は頷いた。

バーランドは戦争をアルヴェリア王国に起こさせ、

なんらかの形で、ローリア帝国に利を与えるつもりだった。


 この1枚の嘆願書には、そこまでの計画があった。


「ですが」


 将校が深く頭を下げた。


「殿下が以前、この計画を何度も止めてくださっていた。

そのおかげで、実行には至っておりません」


「僕が……」


「…レオンハルト殿下、この度は…ありがとうございます!」


 頭を下げたままの将校は声をあげる。


 そして、レオンは報告書を見つめた。



 きっと、あの頃の判断を反芻しているのだろう。


 バーランドからの圧を受け、

自分の判断が間違っているのではないかと、何度も悩んだだろう。



 それが、報われた。

アルヴェリア王国を救っていた。




「……よかった」




 レオンが小さく呟いた。




「僕、間違ってなかったんだ」




 安堵した溜息が、レオンの口から漏れた。



「はい」



 私は隣から、レオンの顔を覗き込んだ。



「ちゃんと、王子の仕事をしていたんですよ」



 レオンは一瞬だけ固まった。

けれど今度は、もうその言葉に怯えなかった。



「……そっか」



 少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうだった。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 夜。


 今日最後の仕事として、届いた手紙に目を通すことになった。


 私は手紙を整理していると、意外な名前があることに驚いた。

その手紙を持って、レオンの部屋に向かう。


「レオン」


「いるよ」


 私は扉を開けて、手紙を差し出した。


「セレスティア王国のアレクシス王子からです」


「アレクシス王子?」


 セレスティア王国、レオンのおかげで条約締結になった王国。

その記念パーティで出会った王子だ。


 レオンと友人であろうとした、あの王子。

…私に、レオンの良き理解者であれと言ってくれた人。


 レオンは封を開け、中の折りたたまれた紙を広げて読んだ。


 しばらくして読み終えたレオンは、ふっと笑った。


「……忘れてなかったんだ」


 私は隣から覗き込む。


「何だったんですか?」


「食事のお誘いだったよ」



 そう言って手紙を差し出すレオン、

私は手に取ってそれを読む。


 丁寧な筆跡で書かれた手紙だった。



『また食事でもしましょうと申し上げながら、

お手紙を書くのが遅くなりました

妻のセリーナもお二人に会いたく思っております。

もしよろしければ、お食事の機会をいただけませんか』



「…よき友人、ですね」


「ああ」


 レオンが嬉しそうに、引き出しから紙とペンを取った。


 そしてしばらく考えたあと、手紙に返事を書いた。


『ぜひ、食事をしましょう。いつでもお待ちしております。』


 たったそれだけ。

でも、それは王子としての外交文書などではなかった。


 レオン個人として、返す手紙。



「…これでいいかな」


「ええ、問題ありません」



 優しい笑顔で私に手紙を見せるレオン。

嬉しそうに、封筒にその手紙を入れていく。



「今日は、これで全て終了です」


 私が告げる。

レオンの王子としての1日は、ようやく終わりを告げた。


「うん」


 レオンは椅子から立ち上がった。

大きく伸びをして、強張った体をほぐす。


 不意にレオンは私に訊いた。



「明日は?」



 それは、明日は仕事があるのか、という質問だった。


 だけど…。


「明日は、お休みにしましょう」


「……そっか」


 今日は頑張った。

なら、明日は休みにしても構わない。



 王子なら、それが自由だ。

…それが、レオンの父、アルベルト殿下の言葉だった。


 私も、それに従う。


 休みを言い渡されたレオンは少し考える。


 ――王子は明日、お休みです。何をしますか?


 アリマ先生の質問を思い出していた。

心が病に蝕まれ、精神を追い詰められていたレオンは…

何も、答えられなかった。



「じゃあ、明日は何をしようかな」



 レオンは窓の外を見ながら、そう呟いた。

その言葉が、私は何より嬉しかった。



 明日への希望。

それがあるだけで、人はきっと生きていける。



 私は、レオンの明日を、守っていく…

レオンの背中に、静かに誓った。

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