第2話 桜舞うキャンパスの片隅で、拒絶された男の反撃


 ​春の柔らかな陽光が、私立星央学園の広大なキャンパスを優しく包み込んでいた。


 正門から校舎へと続く並木道には満開の桜が咲き誇り、淡いピンク色の花びらが春風に舞い散る。

 真新しいスーツやブレザーに身を包んだ新入生たちが、期待と不安の入り混じった表情でキャンパスを歩いていた。

 俺──逢坂透真おうさかとうまは、黒髪に染め直した頭で、その華やかな風景の中に立っていた。


​「……ふう、悪くないな」

 耳に光っていたピアスを外し、派手だった金髪を黒く染め上げてから数週間。

 鏡に映る自分の姿は、かつての竿役・透真という不穏な影を綺麗に拭い去り、どこにでもいる真面目な大学生のそれになっていた。


 前世の記憶と、この世界での新たな決意を胸に、俺は一歩一歩しっかりとアスファルトを踏みしめながら、大学の敷地へと足を踏み入れた。


 ​周りでは、早くも新しい友人を作ろうと声を掛け合う学生たちの賑やかな声が飛び交っている。

 桜の木の下で記念写真を撮るグループ、サークルの勧誘チラシを配る上級生たちの威勢のいい声。

 すべてが眩しく、そしてどこか懐かしい、青春のワンシーンだった。

​ 春風に揺れる薄紅色の花びらが、アスファルトの地面にハラハラと舞い散る。

 正門をくぐり抜けていく新入生たちの足取りは一様に軽く、これからのキャンパスライフへの期待に胸を膨らませているのが見て取れた。


​ 前世の大学時代、俺は自分の才能に傲り、仲間とのすれ違いからすべてを崩壊させた。

​ 自分の力だけで何でもできると思い込み、周囲の忠告を無視し続け、気付いた時には信頼も、創りかけの夢も、すべてが手から零れ落ちていた。

 あの時味わった絶望と後悔の苦味は、今でも脳裏の奥底に生々しくこびりついている。


​ でも、この世界では違う。

​ あの日の失敗をやり直すチャンスを与えられた今、俺の傍らには、まだ出会っていなくとも、やがて交わるはずの才能豊かな仲間たちの気配がある。

 そして何より、俺の頭の中に宿るこの「ステータスウィンドウ」という絶対的な指針が、過去の過ちを二度と繰り返させないための盾となってくれる。

​ 前世では果たせなかったゲームクリエイターになるっていう夢を叶えるために、俺はすべての運命を書き換えてみせる。


​ 孤独に朽ち果てたかつての自分に別れを告げ、俺は深く息を吸い込むと、新たな未来が待ち受けるキャンパスの奥へと力強く足を踏み出した

​ けれど、運命の歯車は、そう簡単に俺を平穏な道へと歩かせてはくれなかった。


   §



​ 入学式が滞りなく終わり、講堂からあふれ出た学生たちがそれぞれのオリエンテーションへと向かう中、俺はキャンパスの中央庭園のベンチに腰掛け、これからの動きを頭の中でシミュレーションしていた。


​ 【カノン・アフェクション】の原作知識によれば、この日の入学式こそが、すべての物語の起点となる重要なポイントだった。

​ 

 原作の主人公である上條新かみじょうあらたは、入学式のその瞬間から動いていた。

 彼は、大学に入学したら絶対に本格的なゲーム制作サークルを立ち上げると心に決めていた。

 ただのサークルノリの馴れ合いではなく、プロのインディーデベロッパー顔負けの技術と情熱を持った精鋭を集め、世界をあっと言わせるようなマスターピースを作ることを目標に掲げている男だ。


​ 原作の知識通りなら、新は今頃、キャンパスのあちこちに特設された勧誘ブースや掲示板を回り、優秀なプログラマーやデザイナーを探し回っているはずだ……。


​ 俺がぼんやりとそんなことを考えていると、少し離れた掲示板の周りに、やけに人だかりができているのが目に入った。


 野次馬に混じって近づいてみると、そこに貼られていたのは、真新しい模造紙に手書きで書かれた一枚の大きなポスターだった。


​『本格派・インディー志望:ゲーム制作サークル【カノン・エッジ】新規メンバー大募集!』


 その​ポスターの下部には、こう書かれていた。

 

 ​UnityやUnreal Engineをバリバリ使いこなし、Steamでのリリースやインディーゲームフェス(BitSummitやIndie Live Expoなど)での入賞、コミケでの本格的なパッケージ頒布を本気で目指す技術・作品重視のサークルです。

 ​中途半端な気持ちでの参加はお断り。スキルに自信のある人は、今すぐ中央棟の会議室へ!


​「お、なんだこれ。めちゃくちゃ本格的じゃん」

「インディーゲームフェスで入賞目指すってマジかよ……グラフィックとかシナリオ担当も募集してるらしいぞ」


​ 周りの新入生たちがざわめきながら、興味津々でポスターを眺めている。

 その中心に立っていたのは、すっきりとした黒髪に、どこか鋭い知性を宿した目を した一人の青年だった。

 ​あれが、上條新。この世界の主人公だ。

​ 新は集まった学生たちに向かって、淀みない、けれど熱のこもった声で語りかけていた。


「俺たちが作りたいのは、ただ暇つぶしに遊ぶだけのゲームじゃない。プレイヤーの魂を揺さぶり、一生忘れられない体験を刻むような、本物の作品だ。そのためには、妥協のない技術と、同じ志を持った仲間の力が必要なんだ。スキルに自信のあるやつは、ぜひ俺のところに来てくれ!」


​ その言葉には、かつて前世の俺が持っていたはずの、しかし途中で見失ってしまった純粋な情熱と絶対的な自信が満ち溢れていた。


​ ……行くべきか?

 俺はしばらくその様子を遠巻きに眺めながら、心の中で葛藤していた。


 新が立ち上げるサークル【カノン・エッジ】に加われば、強力な開発リソースや優秀なメンバーの技術力を借りることができる。

 それに、原作の知識を持つ俺が加われば、物語の悲劇を回避しつつ、最高クオリティのゲームを世に送り出せるかもしれない。


​ だけど、同時に不安もあった。

 今の俺は、前世の記憶とステータスを見通す能力を持っている。もし新に近づいたとき、彼の目に俺がどう映るのか。


​ いや、じっとしていては始まらない。声をかけて、一緒にやろうと持ちかけてみよう。


​ 俺は決意を固め、人混みをかき分けて新の目の前へと歩み出た。


 新は、手元のメモ帳に何やら書き込んでいた顔を上げ、俺の姿をとらえた。


 その瞬間、俺は新のステータスを確認しようと、無意識に視線を向けた。

 けれど──。


【ステータス読込エラー】

 ​対象: 上條新

 ​詳細: 主人公権限により、ステータスを閲覧できません。


​「……っ!」


 ​脳内に直接流れてきた赤い警告文字に、俺は思わず息を呑んだ。

 主人公である新に対しては、モブやヒロインのように簡単にステータスを覗き見ることができないらしい。さすがは物語の中心人物だというべきか。


​ 俺が言葉に詰まっていると、新は少しだけ首を傾げた。


「どうかしたのかい? 何か、俺の顔に何かついてる?」


​「いや……なんでもない。あのさ、上條君。俺もこのサークルに入って、一緒にゲームを作りたいんだ。プログラミングの腕には自信があるし、企画やシステム設計のアイデアもある……俺も入れてくれないか?」


 ​俺がそう言って手を差し出すと、新はわずかに目を細めた。

 彼の表情から、先ほどまでのフレンドリーな笑みがすっと消え、冷ややかな警戒の色が浮かび上がる。

 新は俺の顔をじろりと観察するように見つめると、低く通る声で言った。


​「君、逢坂透真くんだよね。……噂は、あちこちから聞いてるよ」


​「……は?」


​「中学・高校時代はずいぶんと派手に遊び回って、校内では不良グループの真似事をしていたって聞いたけど。それに、高校の卒業間際まで金髪にピアスで、素行不良で有名だった男が、急に黒髪なんかにして『ゲームを作りたい』なんて、虫が良すぎやしないか?」


​ 新の言葉に、周囲の空気が凍りついた。

 周りにいた新入生たちが、ひそひそと俺の顔を見ながら囁き合う。


​「え、あの人、元ヤンなの?」


「うわ、関わらないほうがよさそうだな……」


 ​俺は血の気が引くのを感じた。


 そうだった。

 俺がこの身体に転生する前、この世界の逢坂透真は、筋金入りの不良であり、素行の悪さで周辺の学校にまでその名を知られていた札付きのワルだったのだ。

 どれだけ自分で綺麗に黒髪に染め直し、ピアスを外して真面目ぶってみたところで、染みついた竿役・透真としての悪評は、簡単に消えるものではなかったのだ。


​「うちは遊び半分や、ただの箔付けで入るようなサークルじゃないんだ。本気で命を削ってコードを叩き、作品のクオリティだけに執念を燃やす奴らの集まりなんだよ。だから──」


​ 新は冷たく言い放った。


​「悪いけど、君の入部は断らせてもらうよ」


​「……そうか」


​ 喉の奥から絞り出したその声は、春の暖かな陽気とは裏腹に、凍てつくように冷たかった。


 新はもう俺の方を見ようともせず、「次の希望者の方、どうぞ!」と別の学生へと笑顔を向けていた。


​ 俺はそれ以上その場にいることができず、踵を返してキャンパスの隅へと足早に歩き出した。

​ 周囲の華やかな笑い声や、桜の花びらが風に舞う光景が、今はやけに遠く、そして残酷に感じられた。


 ベンチに腰掛け、頭を抱える。


​「くそっ……! 当たり前だろ……!」


​ 俺は自分の膝をぎゅっと握りしめた。


 前世の自分がどれだけ無様だったか。そしてこの世界の透真という男がどれだけ周囲から信用されていない不良だったか。

 ゲームの知識があり、最高の企画書を作ったところで、肝心の信用という土台がなければ、誰も仲間になってくれないし、誰にも相手にされない。

 新の態度は冷たかったけれど、ある意味では当然の判断だった。不良の噂が立つ男に、大切なゲーム制作の命運を預ける馬鹿なんていない。


​「竿役としての悪い噂のせいで、主人公の立ち上げるゲーム制作サークルへの入部を断られる……か」

 

 ​原作の知識を過信していた自分への怒りと、どうしようもない無力感が胸を締め付ける。

 せっかくこの世界に転生し、ゲームクリエイターになると誓ったのに、最初の関門で早くもこうして足止めを食らってしまった。

 でも、そこで俺の中で別の感情がむくむくと頭をもたげていた。


​ ……待てよ。新のサークルに入れなかったからって、ここで諦めるのか?

 前世の記憶が、脳裏でチクチクと痛む。

 前世でも、俺は他人のペースに合わせ、サークルの雰囲気に流され、最後にはすべてを他人のせいにして挫折した。

 もし新のサークルに入っていたとして、俺はまた彼の引き立て役か、あるいは都合の良い下働きとして使われていただけかもしれない。

 本当に作りたかった物語は、他人の看板の下では作れなかったかもしれない。


 ​顔を上げると、青空の向こうにふわりと白い雲が流れていた。


​「しかたがない。こうなったら、自分でサークルを立ち上げることにするさ」


 ​俺は立ち上がり、スーツの襟をしっかりと整えた。


 新の【カノン・エッジ】が技術とスピードを重視する尖ったサークルなら、俺が作るべきは、もっと泥臭くても、一人ひとりの温もりと魂がこもった場所だ。


​「見てろよ、上條新。お前のところなんかより、ずっと素晴らしい最高のゲームを、俺の力で形にしてやるからな」


 ​誰に聞かせるわけでもなく、俺は強く心に誓った。


 桜の木の下を離れ、俺は新しいサークルの設立に向けた第一歩を踏み出すべく、学内の学生課へと足を進めるのだった。


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