第六話:第二の津波と、望まぬ戦

 アルベルト男爵領の軍港に、帝国の黒き軍靴が鳴り響いてから、すでに十日が流れていた。


 アルベルト陣営の夜襲は失敗。両軍は睨み合いとなっていた。

 オルティジア軍はアルベルト陣営の城を包囲し、兵糧攻めの構えを見せる。


 「クッ…あと三日…あと三日耐えれば…。」


帝国軍の援軍、ギュンター中将率いる精鋭三万

は、目前にまで迫っている。

しかし城内の食料は底をつき、城内の兵士たちは軍馬を潰して飢えを凌いでいる。


「今一斉攻撃を受ければ、その攻撃に耐えるだけの力はもはや残されてはいない。」


男爵は焦りを募らせた。



それからさらに三日。


男爵は絶望のあまり頭を抱えた。

穀物庫は空っぽ、夜襲は空振りし、城は未だ包囲されている。もはやこれまでか、と城壁から水平線を睨みつけた、その時だった。


「……間に合った……お味方じゃ……!」


朝靄を切り裂き、海を割るようにして現れたのは、一隻や二隻ではない。

地平線を、水平線を、文字通り漆黒の影で埋め尽くすほどの輸送船団。帝国陸軍の精鋭が、オルティジアを目指して航行してくる。

さらに驚くべきは、その船団の半分以上が山のような食料や資材を積載した輜重艦隊であることだった。



オルティジア軍は、男爵の立て籠もる城の包囲を解き、一旦陣を引き上げた。


「――帝国軍三万、男爵領での兵站( 基盤の構築を完了。……想定よりも三日早い。すでに男爵領周囲に侵攻を開始。」


王宮の会議室。


情報部を統括する官僚の声には、隠しきれない疲労と色濃い焦燥が滲んでいた。先の海戦から間髪入れずに始まった、陸からの第二の津波。一万五千の王国軍に対し、敵は倍の三万。


しかも今回は、海の上で溺れさせるようなハメ技は通用しない。


「……やはり、王都レムに籠城して迎え撃つか……」


重々しく口を開いたのは、騎士団長のレオンだった。

オルティジア東部から王都へ至るルートには広大な穀倉地帯、オルティジア平原が横たわっている。


当初、血気盛んな若手将校たちは「平原で敵の補給線を断つゲリラ戦を」と息巻いていたが、レオンはそれを一蹴した。


「我が一万五千が平原に散れば、数の勝る帝国の鉄甲兵に各個撃破されるのがオチだ。新兵器魔導多連装砲の威力は凄まじいが、遮蔽物のない平原では、敵の騎兵に回り込まれれば砲座ごと蹂躙(じゅうりん)されかねん。……戦うならば、この王都だ」


レオンの言葉に、円卓を囲む重臣たちが深く頷く。


王都での籠城、あるいは王都周辺の地形を活かした防衛戦。一見無謀に思えるこの作戦には充分すぎる勝算がある。オルティジア王都には、『二つの絶対的な切り札』が存在するからだ。


一つは、王都の地下遺跡から魔力を供給されることでしか駆動しない、防衛専用のゴーレム――魔導兵千五百体。アルテが統括するこの不死の部隊は、意識を持たず、恐怖を知らず、ただ王都に侵入する敵を機械的に圧殺する、陸戦における最凶の壁。


そしてもう一つ。


王都の中央塔の最上階に据え付けられた、オルティジア王国が誇る国家級の戦略兵器――サジタリアス=レイ。

膨大な魔導兵の魔力と引き換えに、地形ごと敵を薙ぎ払う究極の防衛機構。


これらがある限り、王都は三万の大軍を相手にしても十分に耐えうる、文字通りの『不落の要塞』となるはずだった。


「……はぁ」


だが、その円卓の上座で、俺は、ただ深く、溜息をついていた。


(王都で迎え撃つと、東部から王都までの間の都市はどうなる?)


アルテが続く。

「しかし、レオン卿。王都に籠城するということは、帝国軍の我が国の横断を許すと言う事です。」


確かにその通りだと俺は思った。


魔導兵が千五百体? サジタリアス=レイ? 確かに強力な兵器だが、それを使う前には、オルティジア領土が帝国によって蹂躙され、多くの街が焦土と化す可能性もある。


俺の生存本能(ヘタレ心)が、全力で赤信号を点滅させていた。


「籠城はだめだ。一時的に勝てはするだろうが、その後の民はどうなる?」


ぼそっと、俺はつぶやいた。


「「「えっ!?」」」


と皆が一斉に振り向く。


「……レムを出て、平原で迎え撃つ。」


ラインは震える手で、切実に、しかし周囲には「冷徹な決断」に聞こえる声音で告げた。


「な……っ!?」


レオンが弾かれたように目を見開いた。


「ば、陛下……!? 敵と正面から戦うとおっしゃるのですか!? ここには千五百の魔導兵も、サジタリアス=レイもあるのですよ!? この不落の要塞を出て、あえて平原へ出るなど……!」


だが、連日の寝不足と極限の胃痛のせいで、彼の顔は死人のように青ざめ、目は血走り、客観的には「自らの絶対的な戦略に口を挟むな」と言わんばかりの、凄まじい覇王の威圧感を放っていた。


「……っ!!」


その俺の怒気に満ちた表情を見た瞬間、隣に控えていたアルテが、衝撃を受けたように身体を震わせた。

彼女の明晰な脳細胞が、またしても最悪のバースト(勘違い)を引き起こす。


「……そういう、ことだね。ライン。 」


(((いや、俺今日は変なこと言ってねえ自信あるんだけど!!)))


ラインの心臓が恐怖でバクバクと跳ね上がるが、アルテの暴走は止まらない。


「レオン将軍、まだ分からないのですか? 陛下が、魔導兵もサジタリアス=レイもあるこの王都から打って出るとおっしゃった真意が!」


「真意……? 籠城を捨てることに、一体どんな利があるというのだ、アルテ殿!」


アルテはフッと冷徹な笑みを浮かべ、地図の『王都』と、その周囲に広がる『大平原』を指差した。


「帝国の智将グスタフは、いえ、帝国軍には、我が王都の魔導兵やサジタリアス=レイの存在を知っています。知った上で、それを無力化する、あるいは消耗させるための大軍なのです。我々が王都に籠もれば、敵は包囲網を敷き、王都を残してオルティジア領は帝国に蹂躙されるでしょう」


レオンがゴクリと息を呑む。アルテはさらに言葉を重ねた。


「だからこそ、陛下はその敵の『籠城戦の手図』を初手で叩き割られたのです! 我々が王都を出て平原に陣を貼れば、敵はどう動くでしょう? 決戦兵器(サジタリアス)の脅威がない平野で、数の勝る我が軍を叩き潰そうと、必ず全速力で平原中央へと進軍してきますわ!」


「む……! 確かに、平原であれば敵は数の優位を活かせる。王都を無視して、全力で我が軍を追ってくるだろうな……。だが、それでは平原で圧殺されるだけでは……」


「いいえ! それこそが陛下の罠です!」


アルテは瞳を爛々と輝かせ、拳を強く握りしめた。


「敵の三万が、我が軍に向けて王都の周辺へと足を踏み入れた、その瞬間――! ライン様は、王都に残した千五百の魔導兵を遠隔で起動し、敵の背後を急襲。さらに、中央塔から放たれる【サジタリアス=レイ】の砲撃によって、遮蔽物のない平原に誘い出された敵三万を、上と後ろから一方的に『挟み撃ち』にして塵に換える……! 籠城という防衛兵器を、あえて平原での『最大火力の殲滅兵器』へと反転させる……これぞ、聖王ラインの戦術ですわ!!」


「なぁぁぁっ!!???」


会議室に、文字通り天を突くような衝撃が走った。

レオンをはじめとする将軍たちが、己の浅はかさを恥じるように頭を抱え、同時にラインへの狂信的なまでの崇拝の目を向けた。


「なんという……なんという恐るべき男だ……! 王都の防衛機構を、あえて王都を出ることで攻勢兵器として平原へ投射するだと……!? 敵は、サジタリアス=レイの射程外から安全に攻めるつもりが、ライン陛下に誘い出されて、自らその絶対死の射程圏内へと足を踏み入れることになるのか……!!」


「流石は聖王ライン陛下……! 陸の戦いにおいても、その軍略は神の領域か……っ!!」


「全軍、王都を退去! 大平原を南へ強行軍! 敵を絶対死の平原へと誘い出すぞぉぉぉーーーっ!!」


「「「オオオオオオオオッ!!!」」」


部屋を包む、割れんばかりの歓声と熱気。


「いや、俺そこまでは言ってないぞ?」


俺の言葉は完全に無視され、会議室は熱狂の渦に包まれるのだった。



それから、十日の月日が流れた。


オルティジア平原、中央。

ラインの意図とは裏腹に、行軍速度を部下たちによって不自然にコントロールされ、結果として「完璧な待ち伏せの陣形」を平原中央に敷くことになってしまった王国軍一万五千。


男爵領から、周囲の都市を掌握しつつ進軍してきた帝国の三万が、ついに地平線の向こうから姿を現した。


ザッ、ザッ、ザッ、ザッ――。


大地を黒く染め上げるようにして進む、帝国軍の指揮官は、陸軍卿グスタフの右腕であるギュンター中将。遮るもののない大平原に、帝国の圧倒的な武の津波が押し寄せてくる。

馬車の窓からその光景を見たラインの胃は、ついに限界を迎えて消滅しそうになっていた。

敵の先陣を率いるギュンター中将は、平原の中央で堂々と不敵な陣を敷く王国軍を見つめ、獰猛な笑みを浮かべた。


「ふっ……王都での籠城を捨て、あえてこの平原で我が三万の鉄甲を迎え撃つか、もやしっ子ライン。……面白い。魔導兵もサジタリアス=レイも恐れぬその不遜な戦術、我が陸軍の圧倒的な力で正面から踏み潰してくれよう」


平原を舞台にして、一万五千 vs 三万の部隊がついに、開戦の火蓋を切るのだった。

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