第三章
第14話 蓋の音
地面が鳴った。
低く。
腹の底へ響くように。
俺は目を開けた。
天井は暗い。
隣の部屋から父の寝息が聞こえる。
夜中だ。
夢かと思った。
もう一度。
ご、と。
今度は棚の皿が小さく触れ合った。
「……地震?」
前世の言葉が口から出る。
この世界へ来てから、地面が揺れた記憶はほとんどない。
俺は起き上がった。
右手が熱い。
掌の黒い秤。
何かを奪ったときの熱ではない。
もっと鈍い。
遠くから引かれているような感覚。
『起きたか』
ノアの声が頭へ落ちた。
「今の、灰坑?」
返事がない。
「ノア」
『戻せ』
「何を」
『石を』
そこで声が切れた。
俺はしばらく掌を見た。
「……説明が足りない」
返事はなかった。
*
一季の猶予を買ってから、三日目だった。
朝になると、村のあちこちで夜中の揺れが話題になっていた。
「棚から粉袋が落ちた」
「うちは犬がずっと吠えてたぞ」
「山鳴りじゃないか?」
村人たちは不安そうだったが、まだ誰も灰坑とは決めつけていない。
俺は決めつけていた。
というより、ノアがほとんど答えを言っている。
戻せ。
石を。
「兄ちゃん、また穴?」
朝飯の席でミナが聞いた。
「まだ分からない」
「たぶん?」
「……たぶん」
ミナが頬を膨らませる。
「たぶん嫌」
前にも聞いた。
母がため息をつく。
「レオン」
「分かってる。今回は先に話す」
父が匙を止めた。
「今回は、って言い方が気になるな」
「俺も言ってから思った」
「何があった」
俺は右手を握った。
ノアのことまでは言わない。
でも。
第二章で覚えたことがある。
自分だけが持っている情報で、他人の選択肢を勝手に狭めない。
「夜中の揺れ、多分灰坑だと思う」
父の顔から眠気が消えた。
「理由は」
「……灰晶」
そこまで言ったところで、外から鐘が鳴った。
一回。
間を空けて、もう一回。
緊急ではない。
招集だ。
*
集会所へ行くと、村長が机の上へ灰晶を一つ置いていた。
残り五箱のうちの一個だ。
第二章で第三運搬路から持ち帰ったもの。
「触ってみろ」
言われて指先を置く。
震えている。
ほんの僅か。
石の中で虫でも動いているみたいに。
「昨夜からだ」
村長が言う。
「全部ですか」
「五箱ともだ」
エルシアもいた。
まだ領都へ戻っていない。
灰坑の安全点検報告をまとめるため、数日は村に残る予定だった。
「領都で保管している灰晶に、こういう現象が出た記録は?」
「私の知る限りありません」
エルシアが石へ手を翳す。
恩寵は使わない。
第二章の一件以来、俺の前では特に慎重だ。
「熱は?」
「ありません。ただ……」
「ただ?」
「脈みたいですね」
俺もそう思った。
一定ではない。
弱く。
強く。
また弱く。
右手の秤が、同じ間隔で疼く。
言うか迷った。
結局、言った。
「俺も、変な感じがする」
村長が見る。
「遺物か?」
第一章で俺がついた嘘を覚えているらしい。
「……似たようなものです」
「便利だな、お前の壊れた遺物は」
「俺もそう思います」
「壊れたんじゃなかったのか」
「一部、生きてるみたいで」
「嘘が下手になってないか?」
「成長期なので」
エルシアがこめかみを押さえた。
「二人とも、その会話は後にしてください」
正しい。
「ノ――」
危ない。
口に出しかけた名前を飲み込む。
「古い記録で、灰晶を坑内へ戻す話はありませんか」
父が眉を寄せた。
「戻す?」
「昔の決まりとか」
「何でそんなことを思う」
「勘」
村長が鼻を鳴らす。
「お前の勘は最近、高くつく」
否定できない。
俺は灰晶から手を離した。
「だから今回は、俺だけで行かない」
父が俺を見る。
「灰坑を確認したい」
「駄目だ」
「父さんも来て」
「……何?」
「オルグさんも。エルシアも、できれば」
エルシアが少し驚いた顔をした。
俺も少し驚いている。
第一章の俺なら、絶対にこんなことは言わなかった。
知りたい。
だから一人で行く。
それが普通だった。
今は。
知りたい。
だから、知ったあとに困る人間も連れていく。
少し面倒になった。
悪くない。
*
午後。
第三運搬路の旧集積所へ戻った。
父。
オルグ。
エルシア。
そして俺。
ダンは入口側で待機している。
全員、恩寵は使わない。
灯りも松脂灯だ。
「三日前より湿ってるな」
父が壁を触る。
「水脈か?」
「違う」
オルグが即答した。
「石が汗かいてる」
「違いが分かるの?」
「四十年穴の近くで生きりゃな」
「俺も四十年後には分かるかな」
「その前に穴から離れる癖を覚えろ」
耳が痛い。
旧集積所へ入る。
前回は灰晶の箱ばかり見ていた。
箱を運び出したあとの床は広い。
そこで初めて気づいた。
「……これ」
床に長方形の窪みが並んでいる。
一つ。
二つ。
三つ。
規則的に。
箱を置いた跡ではない。
石を固定するため、床そのものを削ってある。
オルグがしゃがむ。
指で縁をなぞった。
「箱の大きさと合う」
「倉庫なら、わざわざ床を掘らない」
父の声が低い。
エルシアが壁を見る。
「前は灰晶がここへ?」
「多分」
俺もしゃがんだ。
右手を近づける。
秤が熱くなる。
今度ははっきりした。
《奪える》
文字が浮かびかける。
俺は手を引いた。
「どうした」
父が聞く。
「触らない方がいい」
「理由は」
「まだ分からない」
前なら、分からないから触った。
今回は触らなかった。
その判断に少し安心した。
そのとき。
オルグが一つの窪みの奥へ手を入れた。
黒い粉を指につける。
「これ、灰晶の削れカスじゃねえ」
「何です?」
「焼けてる」
エルシアが灯りを寄せる。
窪みの底。
黒い線が走っていた。
第二章で見た未知文字と同じ色。
俺は息を止める。
オルグが立ち上がった。
「坊主」
「何」
「お前ら、ここを旧集積所って呼んでたな」
「帳簿にはそう書いてあった」
「帳簿が間違ってる」
オルグは床を見回した。
「それ、倉庫じゃねえぞ」
地面が。
ゴ、と鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます