第22話
第三皇子が再び前線へ戻ってから、十日ほど後。
第一皇女も、一時的に皇都へ戻ってきた。
任務を終えたわけではない。
《カルミナ》の整備と部隊の補充。
それに、次の配置について軍と調整するための短い帰還だった。
「姉さま!」
姿を見つけた瞬間、妹が駆け出した。
「ちょっと、走ったら危ないわよ」
そう言いながらも、第一皇女は笑って両腕を広げる。
飛び込んできた妹を、そのまま受け止めた。
「おかえり!」
「ただいま」
「怪我してない?」
「してないわよ。ほら」
第一皇女が両手を広げて見せる。
妹は本当に怪我がないか確かめるように、その身体を見回した。
「ほんと?」
「本当」
「よかった……」
安心したように、妹が第一皇女へ抱きつく。
第一皇女は困ったように笑いながら、その頭を撫でた。
少し離れたところで、ノアもその様子を見ていた。
「おかえりなさい、姉上」
「ただいま、ノア」
「無事で何よりです」
「もう少し喜んでくれてもいいのよ?」
「十分喜んでいますよ」
「顔に出てないけど?」
「姉上には言われたくありません」
「私、結構分かりやすいと思うけど」
「そうですか?」
いつもの調子だった。
それだけで、少し安心する。
ただ、近くで見ると以前とはほんの少し違っていた。
「姉上」
「何?」
「ちゃんと寝ていますか?」
「……帰ってきて最初に言うことがそれ?」
第一皇女が呆れたような顔をする。
「少し疲れて見えます」
「失礼ね」
「違います?」
「……少しだけよ」
否定はしなかった。
「航路警戒って、何も起きていない時間の方が長いの。そのくせ何かあればすぐ動かなきゃいけないから、意外と疲れるのよ」
「なら今日は休んでください」
「そのつもり」
「本当に?」
「あなた、私の母親みたいになってない?」
「姉上が心配させるからでしょう」
「はいはい」
第一皇女が笑う。
前と同じ笑顔だった。
それでも、戦場へ出る前とは少しだけ違って見えた。
何が変わったのかと聞かれれば。
ノアにも答えられない程度の違いだった。
◇
第一皇女が戻ってきてから。
彼女のもとを訪ねる人間は、以前より増えていた。
「またですか?」
「またよ」
第一皇女が机へ突っ伏しそうな顔をしている。
帰還から三日。
その日も朝から何人もの訪問が続いていた。
「軍から二人。補給関係の官僚が三人。午後は貴族の方もいらっしゃるそうです」
「人気ですね」
「他人事だと思って」
「他人事なので」
「可愛くない」
ノアは少し笑った。
戦争が始まる前から、第一皇女を訪ねる者は多かった。
軍人や官僚。
貴族。
相談や報告を持ち込む者もいた。
だが、補給航路での護衛戦以降は少し違う。
彼女へ直接、礼を伝えに来る者が増えていた。
「私一人で守ったわけじゃないのに」
「分かっていますよ」
「だったら、部隊の皆にもちゃんと同じように評価が伝わってるといいんだけど」
「姉上が心配しなくても、分かっていると思いますよ」
「そうだといいけど」
第一皇女は本気で気にしているらしい。
自分だけが評価されることより。
一緒に戦った者たちの働きが見落とされる方が嫌なのだろう。
その時。
扉が叩かれた。
「殿下。次の方がお見えです」
「どうぞ」
第一皇女が姿勢を直す。
入ってきたのは、四十代ほどの軍人だった。
ノアはその顔を見て、僅かに目を細めた。
「……またか」
「何か言った?」
「いえ」
第一皇女へ向き直った軍人が、深く頭を下げる。
「第一皇女殿下。このたびは、お時間をいただきありがとうございます」
「気にしないで。座って」
「いえ。長居するつもりはありません」
軍人は、もう一度頭を下げた。
「先日の護衛戦について、どうしても直接お礼を申し上げたく参りました」
「お礼?」
「殿下が守られた補給艦隊。その物資の多くは、我々の部隊へ届きました」
第一皇女の表情が少し変わる。
「そうだったの」
「はい。予定通り補給を受けられたおかげで、機体の整備も弾薬の補充も間に合いました」
軍人は深く頭を下げた。
「部下を代表して、感謝いたします」
「顔を上げて」
第一皇女が困ったように言う。
「私だけの成果じゃないわ。護衛にいた人たちも、補給艦を動かしていた人たちも、それぞれ仕事をした。その結果よ」
「承知しております」
「なら、その人たちにも同じように言ってあげて」
「もちろんです」
軍人が笑った。
「ですが、殿下にも申し上げたかったのです」
「……そう」
第一皇女は少しだけ照れたように視線を逸らす。
「ありがとう」
少し離れた場所で、ノアはそのやり取りを見ていた。
あの軍人を知っている。
一度目。
別の戦場で、彼の部隊は敵に包囲されかけていた。
そこへノアが救援に入り。
撤退路を作った。
その後も何度か共に戦い、男は少しずつノアの周囲へ来るようになった。
一度目では、自分が助けたことで生まれた縁だった。
今は違う。
第一皇女が守った補給艦隊。
そこから届いた物資によって、この男の部隊は助かった。
そして今。
彼は第一皇女の前で頭を下げている。
以前から。
似たような顔は何人も見てきた。
一度目に自分の近くにいた人間が、今は第一皇女の近くにいる。
そして。
その数は少しずつ増えていた。
「ノア?」
「え?」
第一皇女の声で意識が戻る。
「どうしたの?」
「いえ。何でもありません」
「そう?」
軍人はノアにも一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
第一皇女が息を吐いた。
「ほら。こういうのよ」
「いいことじゃないですか」
「ありがたいけど、慣れないの」
「そのうち慣れますよ」
「嫌よ」
「皇女でしょう」
「あなたも皇子でしょう?」
「俺のところには来ませんから」
さらりと言うと。
第一皇女が少しだけ眉を寄せた。
「……それ、気にしてる?」
「まさか」
ノアはすぐに答える。
「姉上が頼られているだけでしょう」
「それが落ち着かないのよ」
「なら、慣れるしかありませんね」
「結局そこに戻るの?」
「他にないので」
第一皇女が呆れたように笑った。
その時。
次の訪問者を知らせる声がして、話はそこで終わった。
◇
その日の軍議。
一時帰還中の第一皇女も出席していた。
「姉上。お疲れさまでした」
第一皇子が声をかける。
「ありがとう」
「補給航路の件も聞きました。いい判断だったそうですね」
「皆がちゃんと動いてくれただけよ」
「その皆を動かすのも指揮官の仕事でしょう」
「あなたに言われると嫌味に聞こえるわね」
「褒めたつもりですが」
「分かってるわよ」
第一皇女が笑う。
第一皇子も僅かに笑った。
「次の配置については、後ほど軍から説明があるはずです」
「またすぐ前線?」
「今の状況では、仕方ありません」
「あなたも休んでないでしょう」
「私は慣れていますから」
「そういう問題じゃないわよ」
「姉上にだけは言われたくありませんね」
「何よそれ」
そこで、軍議開始を告げる声が入った。
二人は自然に会話を切り上げ、それぞれ席へ向かう。
ノアも少し離れた位置から、その様子を見ていた。
いつも通りだった。
それ以上。
気にすることもなかった。
◇
第一皇女が戻ってきている間も。
ノアは訓練を続けていた。
五百キロ。
自分も標的も静止した状態。
以前より、明らかに当たる回数は増えている。
まだ外す。
だが。
何発撃ってもまともに当たらなかった頃とは違う。
少しずつ、この距離にも慣れ始めていた。
それ以上は急がない。
戦場へ行く予定はない。
必要なのは。
もしもの時に生き残れるだけの力。
それだけだ。
訓練を終え。
皇宮へ戻る途中。
ノアは昼間に見た軍人のことを思い出していた。
一度目。
自分の周囲にいた人間。
今は、第一皇女のところにいる。
他にも。
同じような顔を何人か見てきた。
一度目では。
自分へ向けられていた信頼が。
今は第一皇女へ向いている。
「……これでいい」
ノアは小さく呟いた。
人が集まるのは、自分ではない。
第一皇女なら。
頼ってくる人間を粗末にすることもないだろう。
何より。
自分は一度目と同じ場所に立っていない。
それこそが。
ノアが望んでいたことだった。
一度目とは違う。
その変化を。
ノアは良いものだと思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます