死にぞこない魔導師は図らずも ~死にぞこなった魔導師ですが、敵国の冷徹イケオジ騎士団長に護られています~

縁代まと

第一章 クロエの第二の故郷

第1話 帰る場所、護る場所

 帰ったらメリーナが作った美味しいクルミパンを食べたかった。

 メリーナは先月の戦いで土の魔法が直撃して死んだ。


 帰ったらハルジオが作った猫と犬が主役の絵本を試読したかった。

 ハルジオは一昨日、敵地で括り罠にかかって死んだ。


 帰るために、心を奮い立たせるために母のお守りを握り締める。

 亡き母のお守りは敵の黒い雷撃を防ぎきれず燃えた。


 戦地で心の支えにしていたものが次々と消えていく。


 帰るために支えにしていたのに、それが存在しない場所に帰って一体何になるんだろうか。――そんなことを思っても私はベルマンド王国の魔導師クロエで、祖国のために戦わなくてはならない。

 たとえ死ぬかもしれなくても。


(でもこれは想像してなかったな……)


 敵の注意を引き付けるために敵地の奥へと少数精鋭で突入する。

 ここで大暴れして指定の時刻になったら撤退、味方と合流して王国へと戻る手筈になっていた。

 撤退まで考えられているのは助かるけれど、八割は死ぬだろうなと思いながらここまで来た。……でもその覚悟は敵に殺される覚悟だ。


 敵国、エレメルクの騎士団と交戦が始まった時、私は死角から脇腹を刺された。

 激痛に呻いている間に魔法の炎が塊になって激突する。


 何が起こっているのかわからなかった。

 しかし強い痛みと苦しみのおかげだろうか、頭の中はやけにハッキリとしている。


 今この状況では死角に敵はまだ入れない。

 私は後衛なので騎士団員が近づけば他の仲間が反応する。

 そしてこの魔法には見覚えがあった。――つまり、私は死角にいた仲間に刺されて炎で焼かれたのだ。


 心当たりはある。

 少し前に城内で迷い、空き部屋から人の気配がしたので侍女か従者かと思って声をかけようとしたのだ。すると音の主は王子と宰相の娘で、ふたりは空き部屋で白昼堂々ド派手にまぐわっていた。


 うっかり野良犬の交尾を見た時の感覚に近い。

 しかし頭の中で警鐘が鳴っていた。なにせ王子はすでに婚約済みで、近々王太子になる予定だったのだ。もちろん相手は宰相の娘じゃない。


 その時は走って逃げた。後日王子と顔を合わせることがあっても何も言われなかったので、見なかったことにすれば――何もなかったことにすれば良いんだと解釈していたのだけれど。

 この様子だと戦のどさくさに紛れて殺すように命じたらしい。


 ああ、死にたくない。


 やっぱり王国なんてもう帰る場所じゃないんだ。

 思い出の場所は大きな家が建ってしまったし、母と見た時計塔は経年劣化で壊れてしまったし、恩師は亡くなったし、魔法学校には良い思い出がなかったし。


 こんなことなら。


(……エレメルクで、暮らしたかった、なぁ)


 エレメルクの騎士団とは何度も交戦した。

 激しい戦いだったからヘラヘラしている人はいなかったけれど、みんな目に希望が宿っていた。帰る場所がある人間の目だ。

 それにきっと、その帰る場所は護りたい場所でもあるんだろう。


 それが羨ましくて泣きたかった。

 しかし涙すら出ない。涙腺が焼けてしまったんだろう。

 それでも僅かに残った視力が角の生えた兜を捉える。いつの間にか地に伏した私の傍らに厚いマントをはためかせた甲冑の男が立っていた。


(この特徴は、……騎士団長、アグニス)


 何度も戦って煮え湯を飲まされてきた人物だ。

 魔法を使えない剣士なのに年齢を感じさせない身体能力でベルマンドの人間を何人も屠ってきた。

 戦場で一番に警戒するべきは彼だという認識が私たち全員の中にあったと思う。


 うん、そんな人に引導を渡されるならそれも良いかもしれない。

 最後の晴れ舞台としては合格だろう。


 でもほんのひと欠片のプライドがあった。

 帰る場所はもうないけれど、それでも戦い続けてきたことへのプライドだ。

 ここですべてを簡単に諦めたら頑張ってきた私が可哀想じゃないか。


 だから黒煙を立ち昇らせる腕を持ち上げ、最後の足掻きとして意図的に魔力を暴走させて周囲の人間を巻き込んでやろうとした時――アグニスが私の手を握った。

 すでに暴走しかけた魔力で私の体温は急激に上がり、手袋越しでも触れれば火傷して強い痛みが走っただろう。


 それでもアグニスは手を離さなかった。

 低く、重く、しかし耳によく届く声で彼は言う。


「やめておけ。もう苦しむ必要はない」


 それは私を殺してやるという意味だろうか。

 なのに……なのに声が優しくて、どうにもそうは思えない。

 これはきっと私が誰かに助けてほしかったからだ。


 そう自覚した時、涙の代わりに血が目から溢れた。


 いったい何をするつもりなのか問うよりも先に視界がどんどん白く染まっていく。

 こういう時って暗転するんじゃないんだな、と場違いな感想を抱きながら私は痛みと後悔にまみれた意識を手放した。


     ***


 はっと目覚めた時、再びこうやって目覚める機会があるとは思っていなかった私はとても混乱した。

 急激に脈拍が早まったせいでもう一度気を失いそうになったくらいだ。


 酷く喉が渇いている。

 しかしこれは火傷や出血多量の影響ではなく、単に長いあいだ口から水分をとっていないから、というのが正解のようだった。


 程なくして部屋に入ってきたふくよかな女性が私の様子に気がつき「少し待っていてくださいね」と優しく声をかけて出ていく。かと思えば複数の女性……さっきの人もそうだが、服装から見てメイドたちがやってきて私の身なりを整えた。


 その際に見えた体には薄い火傷の跡しかなく、私は首を傾げるばかりだった。

 ついでにわけのわからない状況に冷や汗が流れてくる。


「あ、の。一体ここは……」

「我々よりもご主人様からお聞きになったほうが良いはずです」


 少々規模は大きいけれど、部屋は戦場にあるような即席の病院ではなく普通の屋敷のようだった。つまり屋敷の主がいるということだ。

 使用人も勝手に答えるわけにはいかないのだろう。

 ご主人様と呼ばれる人物と会えたら改めて尋ねてみよう。そう決めた瞬間。


 ノックの音が響き、部屋へと入ってきたのは――燃えるような赤い短髪にルビーのような瞳、そして露出している肌のすべてに走る傷跡をものともしない整った顔立ちの中年男性だった。

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