16.ロザリオと帳簿


 三日後。


 ティナコンサルタント事務所には、依頼人であるマリアの姿があった。聞きたいことがあると言って、ティナが呼びつけたのだ。


 応接用ソファの向かいに座る彼女は、「私にわかることならなんでも聞いてください」とやる気十分だ。


 ティナはアルが淹れてくれた紅茶で喉を潤してから本題に入った。


「教会に飾られている聖遺物――ロザリオについて、詳しくお伺いしたいのです。あれが見つかった時のことを教えていただけませんか?」


「もちろんです。あの時は大騒ぎになりましたから、よく記憶に残っています」


 そう言うとマリアは、ロザリオ発見当時のことを事細かに教えてくれた。


 ――今から五年前のことである。


 金策に苦しんでいた教会は、少しでも資金を集めるために、所有している未整備の土地を開拓し、運用しようと試みた。強い日差しが照り付ける、真夏のことだった。


 なけなしの金を注ぎ込み土地の整備を進める中、作業員が土の中から銀製の箱を発見する。その中に、これまた銀でできたロザリオが入っており、教会は騒然とした。


 箱の隙間が蝋で塞がれていたおかげか、ロザリオの保存状態は極めてよかった。これまで見つかったどの聖遺物よりも、当時の状態を保っていたのだ。これには調査に訪れた歴史学者たちも「カタリナ教の歴史に残る大発見だ」と口を揃えて興奮した。


 ロザリオの価値が認められたのち、司祭のドレイク・デズモンドとウェストポート辺境伯、そしてイースティア王城の面々を交え、本格的に議論が行われた。この聖遺物の取り扱い方についてだ。


 歴史的に極めて価値の高い聖遺物を、国宝として厳重に保管すべきではという意見も、当然ながら出ていた。


 しかし、聖女カタリナが遺したロザリオである。信徒の誰もが一目見たいに決まっていた。


 国の宝物庫に眠らせておくよりも、教会に飾り、信徒がいつでも見られるようにした方がずっといいのではないか。結局のところ、そちらの意見に軍配が上がった。


 そうして、喧々諤々の議論の末、ロザリオは街の教会に飾られることに決まったのである。


 最終的に、聖遺物の話が国中へ、そして大陸全土へ行き渡った今、教会には各国から熱心な巡礼者が訪れるようになったのだ――。


「私が知るのはここまでですが、お役に立てましたでしょうか……?」


 不安げなマリアに、ティナは満足そうにうなずいてみせた。


「はい。とても助かりました」


 とはいえ、まだ情報が足りない。ティナは質問を続ける。


「知識不足で恐縮なのですが、これまでに発見された聖遺物も、同様に銀製の箱に入れられていたのでしょうか?」


「ええ。そうですよ。ただ、蝋で封がされていたという例は今回が初めてです。だからこそ、あそこまで綺麗な状態で見つかったのでしょうけれど」


「ロザリオが入っていた銀製の箱は、今はどこに?」


「教会の宝物庫に保管されています。穴も開いておらず形は綺麗に保たれていたのですが、長年ロザリオを守ってきたとあって、表面が真っ黒で。見栄えが悪いからと、ロザリオだけ祭壇の奥に飾っているのです」


「銀製の箱は一重でしたか? それとも、銀製の箱にさらに違う金属箱が入っていて、ロザリオはその中に入っていた、とか」


「いいえ。銀製の箱はひとつだけです。その中にロザリオが入っていたと聞いています」


 なるほど、とティナは相槌を打つ。


 マリアは、この情報で一体何がわかるのか、と言いたげな表情だ。ティナの隣に座るアルも同様である。


 二人は「ロザリオにまつわる重要な事実」に気づいていないようだが、ティナは違った。違和感と違和感が結びついた結果、ティナの中ではとある結論がすでに出ている。それが司祭の不正に結びついているとみて間違いないだろう。


「何かわかったのですか?」


 たまらず尋ねてきたマリアに、ティナはうなずく。


「ええ。デズモンド司祭が何かしらの不正をしている可能性は、極めて高いでしょう」


「…………っ」


 マリアは目を大きく見開き、息を飲んだ。しばし驚愕の表情で固まっていたが、次第に落胆の表情に変わる。


「……予感が当たってしまって、とても残念です」


「心中お察しします」


 マリアは俯いてしばらく沈黙していたが、やがて何かを決意したように、バッと顔を上げた。彼女の真剣な瞳が、まっすぐにティナに向けられる。


「慧眼の魔女様。デズモンド司祭の罪を、どうか白日の下に」


 マリアの痛いほどの思いが伝わってくる。しかし、彼女の願いをすぐには叶えられない。


「そうしたいのは山々なのですが、残念ながら、まだ決定的な証拠が足りません。そこで、マリアさんにひとつ協力していただきたいことがあります」


「なんでしょうか? 私にできることであれば、なんでもやります!」


 前のめりになるマリアに、ティナはにこりと微笑みながら言う。


「教会の帳簿を盗ってくることはできますか?」


「えっ」


 短く声をこぼしたマリアは、途端に体をこわばらせた。まるでおぞましいものでも見るような、そんな視線をティナに浴びせる。


「盗むなんて、そんな……!」


 敬虔なカタリナ教徒の彼女のことだ。窃盗の罪を犯すなど、もってのほかだと思っているだろう。


 しかし、帳簿がないと始まらない。


「では、ほんの少しだけお借りすることは?」


「お、お待ちください! デズモンド司祭に帳簿を借りたいなんて言えば、絶対に怪しまれます」


 マリアは青い顔で「それに」と続ける。


「帳簿の収支は綺麗に揃っていると以前にも申し上げました。確かに寄付金額は少ないように見えましたが、それで決定的な証拠になるとはとても……」


「収支が揃っているのは当然です。査察が入った時に不正がバレては困りますからね。しかし、帳簿にはおかしな点が必ず隠れているはずです。私はそれを暴き、決定的な証拠としてデズモンド司祭に突きつけます。逆に、証拠がなければ言い逃れされる可能性が高いでしょう」


 ティナは人差し指を立てると、マリアの目をじっと見つめて「一晩」と言った。黄金色の瞳から放たれるティナの力強い視線を前に、マリアは動けなくなっている。


「一晩で構いません。夜に帳簿を拝借し、朝には元通りの場所に返す。それであれば、ご協力いただけますか?」


 マリアの目が泳ぐ。


 罪の意識と不正を暴きたいという思いがせめぎ合い、葛藤している様子だ。帳簿を盗む実現可能性についても考えているのかもしれない。


 マリアはしばらく唇を震わせたあと、ようやく声を出した。


「や、やはり私にはできません……!」


 マリアはブルブルと首を横に振り、ついには俯いてしまった。


「僕が行こうか?」


 アルが耳元で提案してくる。


 彼は騎士としてだけでなく、こうした裏の活動も得意とする。サモンズ商会の依頼で商人ギルドに告発状を投げ入れた件もそうだ。


 こうした裏工作は騎士にあるまじき行為だと批判する者もいるだろうが、アルは気にしていないようだった。彼の騎士道精神は、一般のものよりずれているらしい。


「それは、最後の手段ね」


 アルに小声で返す。別にアルに盗ってきてもらってもいいのだが、教会内の構造を熟知するマリアに頼んだ方がより確実だろう。


 ティナはマリアの隣に移動し、徐に彼女の両手を握った。ハッと顔を上げた彼女の瞳を覗き込む。


「いいですか、マリアさん。デズモンド司祭が寄付金の横領をしているのです。これは由々しき事態です。聖女カタリナと神の名の下に、あなたがデズモンド司祭の罪を暴き、教会としての正しいあるべき姿を取り戻すのです」


「あるべき姿を……取り戻す……」


「そうです。帳簿がなければ、デズモンド司祭に罪を認めさせることはできません。それともこのまま不正を暴かず、司祭への疑念を抱えたままでよろしいのですか? そんな状態で、素直な心で神に祈ることができるのですか?」


「そ、それは……」


 マリアの儚げな瞳が揺れた。


 ティナは彼女の手をぎゅっと握り直し、最後の後押しをする。


「であれば、確固たる証拠である帳簿を入手し、デズモンド司祭の罪を白日の元にさらしましょう。それができるのは、マリアさん。あなただけです。あなただけが、教会を正しい道に導けるのです」


「…………」


 最後の言葉が決定打になったようだ。マリアの目は決意に満ち、力強く頷いてくれた。そして、今晩にでも帳簿を持ってくると言って、彼女は帰っていった。


 二人でマリアを見送った後、アルがくすりと苦笑する。


「ティナが一瞬、悪徳詐欺師に見えたよ」


「失礼ね。私はただ、彼女を説得しただけよ」


 ティナが目を眇めて笑うと、アルは肩をすくめていた。

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