9.私、魔女ですから
翌日、ティナとアルは、依頼人であるイーノックに港を案内してもらっていた。
ティナは日傘を差し、白いワンピースに身を包んでいる。アルも爽やかな白シャツに紺のスラックスというラフな格好をしていた。
アルが帯剣しているのを見て、イーノックは最初驚いた様子を見せたが、元騎士であると伝えると、簡単に納得してくれた。
「潮風が気持ちいいわねえ!」
本日は雲一つない晴天。さわやかな青空ときらめく海が見事な情景を生み出している。
真夏でないとはいえ、日傘がないと肌が焼けそうだ。
隣を歩いていたイーノックが、シルクハットを抑えながら目を細める。
「いいところでしょう。私は生まれも育ちもこの街なのですが、港が一番好きな場所でねえ」
「本当に素敵なところですね。ウェストポート港の歴史は二百年以上と聞きます」
この港は、イースティア王国の建国とほぼ同時期にできたという。時間の経過と共に徐々に発展し、今では大陸屈指の貿易港として知られている。
「ええ。代々ウェストポート辺境伯家が守り抜いてきた重要な港です。しかし、十年ほど前までは、少し経営が危うかったのですよ」
「ああ、その話は聞いたことがあります」
ティナは王太子の婚約者として、近隣諸国の情報を常に頭に入れていた。
先代のウェストポート辺境伯家当主は大層なお人好しだったらしく、方々の商人や貴族に騙されては金をむしり取られていたというのは、ウェスノール王国でもそこそこ有名な話だった。
六年ほど前に元当主一家が突然の事故で亡くなり、その弟が領地を継いでからは、経営状況が劇的に改善。以前にも増して栄えているとか。
「今のご当主はとてもいい方ですよ。貴賤に関わらず、商人相手にも平等に接してくださる。ティナさんも、一度お会いしてみるとよろしいでしょう」
「いえ、私のような者が辺境伯閣下に謁見など、とてもとても。はは……」
ティナは曖昧に笑ってこの話題を終わらせた。
実を言うと、ティナは数年前、母国の夜会で現ウェストポート辺境伯と会っている。
ウェスノール王城で開かれたその夜会は、イースティア王国の王太子や姫をはじめとした主要貴族を招いたもので、ウェストポート辺境伯はウェスノール国王の学友として招待されていた。なんでも、辺境伯は科学を学ぶためウェスノール王国に留学しており、国王とは貴族学校時代からの友人らしい。
ティナがウェストポート辺境伯と会ったのはその一度きりなので、顔を覚えられているかは怪しいが、会わないに越したことはない。
「さて、着きました」
イーノックは船着き場で足を止めた。ティナとアルは、揃って目の前の大型商船を見上げる。ちょうど荷卸しをしているところのようで、大柄な男たちがせかせかと動き回っていた。
波止場には他にも多くの商船が並んでいる。
「港に着いた品物はここで荷揚げされ、倉庫に運ばれます。多くの商人は他所と共有の倉庫を使っていますから、そこに品物を運んでもらって、商人ギルドの職員が計量と荷物検査を行います。その後、売買契約といった流れですね」
イーノックは港に並ぶ倉庫を指さした。似たような構造の建物が、遠くの方までずらりと並んでいる。
「スタンベック商会もそうですが、一定以上の規模になると私有倉庫を持っている商会が多いです。その場合も計量は商人ギルドの職員が行うので、港の計量時でも不正は不可能だと思いますよ。港の秤と分銅にも抜き打ちで検査が入りますから」
うちも昔は私有倉庫を持っていたんですがね、とイーノックは自嘲気味に笑った。
実は港に来る前、ティナとアルはサモンズ商会に立ち寄り、昨日買った黒胡椒の重さを確かめてもらっていた。しかし残念ながら、黒胡椒はピッタリ十グラムで、スタンベック商会の秤と分銅には不正がなかったことがわかっている。
次はずらりと並ぶ倉庫のうちの一つに入り、計量と荷物検査の様子を見学させてもらった。
巨大な秤に、正方形の木箱と分銅が対になって置かれている。こげ茶の木箱には、葉模様が描かれていた。同じ木箱が他にもずらりと計量を待っている。
「あの木箱は、恐らくバックウェル紅茶店の茶葉ですね。この街であの量の茶葉を仕入れる紅茶店は、あそこぐらいですから」
計量が終わると、商人ギルドの職員と思しき男たちが、木箱の中身の確認に取り掛かっていた。密閉された木箱が開けられ、隙間から茶葉がちらりと見えたかと思うと、蓋がすぐに閉められる。
「茶葉や香辛料といった、香りが飛びやすく品質管理が難しい商品に関しては、すべてを検査するわけではなく、無作為に選んで中身を確認します。もちろん新規の取引などは全数確認することもありますが、ある程度の信頼を得れば、それほど検査に時間は要しません」
仕入れ量が多いと全数検査していてはそれだけで日が暮れてしまいますからね、とイーノックはやはり自嘲気味だ。
「港の秤って、各倉庫に置かれているのでしょうか? それとも、一つを使いまわしているのですか?」
「各倉庫に置かれていますよ。流石に重すぎて、そう簡単に運べませんから」
「なるほど」
ティナが鷹揚にうなずくと、イーノックの目に期待の色が浮かんだ。
「何かわかったんですか!?」
「怪しい点はいくつかありますが、不正をしているかまでは判断がつきません。これ以上調べるなら、潜入捜査をするくらいしか方法はないでしょう」
「……そうですか」
イーノックがあからさまに肩を落とした。先ほどまで凛とした佇まいで「気品あふれる老紳士」という風情だったが、途端に老け込んで見える。
気落ちしたイーノックに、ティナは「でも」と、不敵な笑みを浮かべた。
「ひとつ考えがあります。どういう結果になるかは私も読めませんが、何かしらの形で結論は出るはずです」
「考え?」
イーノックの問いにはあえて答えず、ティナはアルを見上げた。自分に話が振られると思っていなかったようで、アルはその目をぱちくりとさせている。ライトブルーの瞳が背景の空と重なって美しい。
「ねえ、アル。この後、家に帰ったら書簡を書くから、こっそり商人ギルドに投函してきてくれないかしら? 署名は書かないから、誰にもバレないように、ね」
ティナがいたずらっぽく笑うと、アルが苦笑する。
「もしかして、悪事の片棒を担がされようとしてる?」
「まさか。真相を突き止める手伝いをしてもらうだけよ」
ティナはわざとらしく肩をすくめた。
母国で数多くの貴族の不正を摘発してきたティナの功績の裏には、アルの活躍が大きく関わっている。昔からティナの無茶ぶりに慣れている彼は、面白がるようにクツクツと喉の奥を鳴らし、「わかったよ」と頷いた。
置いてきぼりのイーノックは、怪訝と不安が入り混じった顔で尋ねる。
「何をするつもりなんですか? 先ほど、不正をしているかはわからないと仰っていたのに」
「不正をしているかどうかが判別でき、もし不正をしていた場合はそれを正せるという、一石二鳥の手を使います」
「そんな、魔法みたいなこと、できるのですか……?」
目を丸くするイーノックの言葉に、ティナは苦笑してしまった。
(魔法、ね。どこへ行っても、あの二つ名からは逃げられなさそうだわ)
この世界に魔法などというものは存在しない。
魔法とは、物語の中にしか登場しない、人間が生み出した空想や幻想に過ぎない。しかし、どこの国でも、超常的な現象が起こると「魔法」と例えられることが多い。
母国のウェスノールでは、魔法は悪であり、魔女や魔法使いは人を惑わす存在として忌避の対象となっている。童話などでも、人間の敵として描かれることが多い。
一方で、ここイースティアでは、魔法は神秘的なものであり、魔女は崇める対象だ。この国で魔女と噂されても、例えば魔女狩りといった恐ろしい目には合わないだろう。
ティナは胸を張り、目を眇めて笑った。
「ええ、できますとも。私、魔女ですから」
これは自虐ではない。これからコンサルタントとして名を広めていくための、戦略である。
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