魔女と忌み嫌われた追放令嬢は、隣国の相談役となり母国を亡ぼす。
雨沢雫
1.すべては私の手のひらの上
「ヴァレンティーナ・ブラックウッド公爵令嬢! 今日この時を持って、私は君との婚約を破棄する!」
朗らかな陽気に包まれた春の日。
貴族学校の卒業パーティー会場に、ルシアン・ファン・ウェスノール王太子殿下の声が高らかに響き渡った。
参加者の注目を浴びて満足そうな彼の隣には、ストロベリーブロンドの髪が特徴的な、小柄でかわいらしい少女がいる。
ルシアンは勝ち誇った表情で続ける。
「そして、私の隣にいるミランダ・ブラックウッド公爵令嬢と婚約を結び直すことを、ここに宣言する!」
ルシアンが言いきると同時に、わあっ、と会場が湧いた。卒業生や教員たちは揃って拍手をし、二人に祝福の眼差しを向けている。
ルシアンはさらに満足げな顔になり、一方で、めでたく王太子と婚約することになった少女――ミランダは、わかりやすく申し訳なさそうな顔をしていた。
ミランダは、婚約破棄を告げられたヴァレンティーナに憂いの視線を向ける。
「ごめんなさい、ティナお義姉様。わたくしがルシアン様を愛してしまったばかりに……!」
「何を言うんだ、ミランダ。僕たちは結ばれるべくして結ばれたんだよ。君は何も悪くない。すべてはティナが悪いのさ」
「ルシアン様……」
見つめ合う二人に、周囲から「ほう……」と、うっとりした溜息がこぼれた。ルシアンもミランダも見目がよく、二人並ぶと確かに絵になる。
(……婚約破棄してくれてありがとう、殿下)
一方、ティナという愛称で呼ばれたヴァレンティーナ・ブラックウッド公爵令嬢は、婚約破棄を言い渡され、婚約者を奪った義妹から謝罪の言葉を受けるというあまりに惨めな状況にもかかわらず、完璧な微笑を浮かべていた。
なぜなら、この婚約破棄はティナ自身が意図的に引き起こしたものだからだ。
そうとも知らず、周囲は新たな王太子の婚約者誕生に沸き、当の二人は自分たちの世界に浸っている。
(でも、この茶番はさっさと終わらせて欲しいわね。空気が甘すぎて胸やけしそうだわ)
ティナが微笑の裏でそんなことを思っていると、周囲からひそひそと声が聞こえてくる。
「ヴァレンティーナ様がさっさと身を引けば、お二人はもっと早く結ばれたというのに」
「半年前にはお二人の仲にお気づきになっていらっしゃったのでしょう? 愛し合う二人が憎らしいからって、頑として婚約者の立場を退こうとしなかったとか」
「少し頭がいいからって、調子に乗っているんだよ。やはり未来の王太子妃は、一歩引いて男を立てる慎ましやかさがなければね。その点、ミランダ様は素晴らしい」
(聞こえてる聞こえてる)
参加者のほとんどが祝福の視線をルシアンとミランダに向けているが、一方で侮蔑の視線をティナに向けている者も何人かいた。
本人たちはこそこそと話しているつもりなのだろうが、すべての会話が見事に届いており、ティナは心の中で苦笑してしまう。
ティナとミランダは義理の姉妹関係にあり、ティナはブラックウッド公爵家の長女、そしてミランダは、二年前にティナの父親が再婚してできた二つ下の義理の妹であった。
皆の中でティナは「ルシアンとミランダの仲を引き裂く性悪姉」という認識なのだろう。
ティナが周囲からここまで嫌われているのには訳がある。その容姿のせいだ。
ここ、ウェスノール王国では珍しい黒髪を持つティナは、その見た目から「魔女」と呼ばれている。もちろん、本人がいないところで、だが。
実の父でさえもティナの容姿を忌み嫌っており、国王や王妃も同様だ。彼らはティナのことを政治の駒だとしか思っておらず、ティナが「頭脳明晰な公爵令嬢」でなければとっくに捨てられていただろう。
ただしここ数年は、ティナが公務の中でこれから起こるであろう国の問題を見事言い当てたり、貴族の不正を次々に暴いたりということが重なり、「彼女には過去も未来もすべて視えているのではないか」、「本物の魔女ではないか」と周囲から気味悪がられるようになった。
ティナ本人としては、ただ仕事を全うしているだけなので、とんだ言いがかりである。
中でも父の再婚相手の継母は、ティナに対する当たりが極めて強く、ティナの存在自体を嫌っていた。そして義妹のミランダも、実を言うとティナに対していい感情を抱いていない。
先ほどの申し訳なさそうな表情の裏には、きっと口には出せない醜悪な感情が隠れているに違いなかった。
すると、ティナの後ろに控えていた騎士服の青年が、不意に小声で話しかけてくる。
「ティナ様。もう目的は果たしました。これ以上この場にいては、怒りのあまり全員を斬ってしまいそうです」
腰に佩いている剣の柄に手を置き物騒なことを言う彼――アルジャーノン・ウォッターズ侯爵令息に、ティナは小声で制止を求める。
「そう言わないで、もう少し付き合ってちょうだい、アル。この国最強の剣士がパーティー会場で暴れたら、大変なことになってしまうわ。剣は抜かないでね」
ティナがそう言うも、アルジャーノンは納得のいかない様子だった。
アルジャーノンは、ティナが「アル」と慕う、ティナの専属騎士だ。
アルはティナの二つ年上の幼馴染であり、この場で唯一の味方でもある。この国でティナの味方をしてくれるのは、彼の家――ウォッターズ侯爵家くらいだ。
ただ一人、ティナの容姿を褒め、『美しく輝く金色の瞳が、まるで夜に浮かぶ満月のようだ』と言ってくれたのもアルだった。
「私が悪者にされたまま出て行くのは
「……そういうことであれば」
アルはようやく納得してくれたようで、再び後ろに控えた。
ティナは、ミランダに熱い視線を注いでいるルシアンに目を向ける。
(あなたはどこで道を違えてしまったのかしらね。ルシアン殿下)
――ティナがルシアンの婚約者となったのは、五歳の時だ。
ルシアンと同い年であるティナは、彼のよき理解者であると共によきライバルでいるようにと、国王と王妃から言いつけられ、ルシアンの隣で同じ教育を受けてきた。
(私は淑女教育もあったから、ルシアン殿下より大変だったのだけれど、それはまあいいでしょう)
ティナはなんでもそつなくこなしたのに対し、ルシアンはお世辞にも優秀とは言えなかった。特に頭脳に関しては、ティナが圧倒的だった。
最初は悔しさからティナに食らいついていたルシアンだったが、いつしかティナにテストで負けることを恐れ、自身のプライドを守るために勉学から逃げるようになった。
国王と王妃はティナに対して、「婚約者を負かすとは何事か」と叱責した。
ティナは随分と理不尽だなと思ったが、ルシアンを支えるのが自らの役目だ。ルシアンが外交で他国の王子と話すときや、夜会で貴族と政治の話をするときなど、彼が会話に困る場面では必ず助け舟を出し、フォローに回るのが常だった。
その後、二人が貴族学校に入る頃、ルシアンが正式に王太子となった。この国に王子は一人しかおらず、残念ながら頭の足りない彼がなる他なかったのだ。
陰で「この国の将来が心配だ」と嘆く貴族がいなかったのは、ティナのこれまでのフォローのおかげである。彼は一応、国内では「優秀な王太子」で通っているのだ。もちろん、国王や王妃、身近な者にはバレているが。
ルシアンが王太子となってから、これまで以上に大変な日々が始まった。彼が王太子としての公務を全て放棄し、ティナに押し付けたからだ。
おかげでルシアンの分と王太子の婚約者としての公務を両方こなさなくてはならず、ティナは分刻みのスケジュールに追われた。
当然ながら、授業に出席する時間などない。学校はテストで赤点を取らなければ卒業できるので、テストの日だけは顔を出した。ティナは毎回必ず、全教科満点だった。
ちなみに、ルシアンは王族という立場を利用し、テストを免除してもらっていたらしい。テスト結果が出れば最後、「優秀な王太子」の皮が剥がれてしまうからだ。
そして、一年生の終わりごろに父が再婚し、ティナに継母と義妹ができた。彼女たちは元々、男爵家の家柄だったそうだが、夫と死別した継母は、ミランダを連れて実家に戻ったらしい。夜会で父が継母を見初め、結婚に至ったという。
ティナはその時すでに王城に居を移していたので、継母やミランダと会うことはほとんどなかったが、たまに家に帰ると、父と継母には露骨に嫌そうな顔をされた。
ミランダからも、「お義姉様より私の方がずっと優秀でかわいいわ」、「お義姉様が帰ってくると、お屋敷の空気が淀む気がする」といった、棘のある言葉をいくつも浴びせられた。
一方で、ミランダは対外的にはティナと仲が良いように振る舞った。ティナに会いに来たという理由で王城に出入りすることもしばしばだった。
最初はどうしてわざわざ嫌いな相手に会いに来るのか見当も付かなかったが、結局のこところ彼女の目的は、ルシアンに近づいて見初められ、ティナから婚約者の座を奪うことだったらしい。
そうとも知らず、ティナは公務に邁進していた。
その後、ルシアンの浮気に気づいたのは、今から半年ほど前だ。
その頃にはミランダも同じ貴族学校に入学しており、密会の場所が王城から学校へと移っていた。どうやらミランダとは一年以上前から恋仲になっていたようだが、公務に忙殺されていたティナは全く気がつかなかった。
仕事を婚約者に押し付け、自分は他の女と密会するルシアン。
自分の方が義姉より上だと豪語し、愚かにも王太子を誘惑したミランダ。
実の娘を蔑ろにし連れ子を愛でる父と、明確な敵意を向けてくる継母。
――ああ、もういっか。
自分の中で何かがプツリと切れた。
そうしてティナは、婚約破棄を誘発させることにしたのだ。
「ルシアン殿下」
ティナはよく通る声で、ルシアンとミランダの甘い空気をぶった切った。
会場がシン、と静まり、ティナに注目が集まる。
ルシアンは「邪魔をするなよ」と言わんばかりの不機嫌そうな視線をティナに向け、ミランダは変わらず申し訳なさそうに眉を下げていた。しかし、その口角はかすかに上がっている。
ティナは腹部に力を入れ、声をホールに響かせる。
「婚約破棄の件、承知いたしました。最後に、婚約破棄の判断に至った理由をお聞かせいただけないでしょうか」
ティナがそう尋ねると、ルシアンは眉を跳ね上げた。何をわかりきったことを、と言わんばかりだ。
「君が公務を放棄したからに決まっているだろう! 未来の王太子妃としてあってはならないことだ! 大臣たちから公務が滞っているから何とかしてくれと、苦情が入っているんだぞ!」
ティナは心の中で不敵に笑った。
すべて、私の手のひらの上。シナリオ通りだ。
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