4. 約束
いつものようにゲームをしていた。
午前2時半。フレンド欄をスクロールする。まだオンラインになってる人間が何人かいた。ほとんど知らない名前。Xのフォロワーとかフォロワーのフォロワーとか、いつの間にかフレンドリストに入ってたやつら。声も覚えていない。でもIDだけは見覚えがある。深夜にずっとオンラインになってるやつは、だいたいいつも同じ。
一つ、目に入った。「TK_yuu2005」。
あー、こいつ。名前なんだっけ。ゆうた? ゆうすけ? たしかXで募集した時に来たのが最初で、何回かカジュアルを回したことがある。声が小さくて、報告も遅くて、正直あんまり上手くなかった記憶がある。でも文句は言わないし、こっちが指示出せば動くタイプだったから別に不快ではなかった。ソロマスって言ってた気がするけど、一緒に回した感じだともうちょい下手だった。エイムだけでマスターまで来ました、みたいな。
暇だったから招待を送った。理由はない。ほかに良さげなやつがいなかったのと、もう一戦やりたかったのと、一人でカジュアル回すのが面倒だったのと、そのくらい。
数秒で入って来た。
「あ、えっと……お久しぶりです」
ヘッドセットから聞こえてきた声は、記憶より小さかった。ちょっとくぐもっていて、唾を飲み込む音が混じる。緊張してるのがそのまま伝わってくる。こいつ、前もこうだったな。
「おー、ひさしぶり。やる?」
「はい、あの、大丈夫です」
大丈夫ですってなんだよ。やるかやらないかを聞いてるんだけど。まあいい。二人でデュオを回すことにした。
3戦やった。こいつ、前より上手くなってる。
エイムは相変わらず悪くない。ウィングマンでヘッショ抜いた時は「おっ」と思った。でもそれより立ち回りが変わってた。前はこっちが「右行って」って言わないと動かなかったのに、今日は自分で射線を作ってた。カバーのタイミングも前より早い。2部隊に挟まれた時、壁裏に引いてシールド回復してからピークしてたのは、ちゃんと考えてる動きだった。
「上手くなったね」
「え、あ、ありがとうございます……」
声が裏返った。褒められ慣れてない声だ。こういう反応する人間は、だいたい普段褒められてない。
「ランクどこまでいった?」
「今シーズンはマスターくらい……です」
「へえ。ソロで?」
「はい。でもそこから全然上がんなくて……」
ランクの話になると少しだけ喋れるようになる。ゲームの話だけは自分の言葉で話せる。それ以外の話題を振ると途端に黙るか、「あー、はい」しか返ってこない。前に「仕事何してんの」って聞いた時、5秒くらい沈黙があってから「大学生……です」って返ってきたのを覚えてる。それ以上は聞かなかった。聞く気もなかったし。
4戦目のロビーで、ロード画面を眺めながら、なんとなく聞いた。
「てか彼女いんの?」
沈黙。画面にはチャンピオンの紹介が流れていて、ダブハン爪痕のレイスがバナーでポーズを取っている。
「…………いないです」
「いたことは?」
「…………ないです」
声がさらに小さくなった。恥ずかしいのか、触れてほしくないのか。たぶん両方。
「ふーん」
それだけ返した。興味があったわけじゃない。ロード時間が長くて、沈黙を埋める話題がそれしか思いつかなかっただけ。でも頭の片隅で、ぼんやりとした輪郭が見えた。20歳、大学生、彼女いない歴イコール年齢。ゲームの時間は夜中の3時まで。声は小さくて、おどおどしてて、褒められると声が裏返る。
知ってる。こういうタイプ。店にもたまーに来る。
コンカフェにふらっと来て、他の客にも嬢にもまともに目を合わせられない。でも席に着いたら着いたで、こっちが何を言っても「はい」「そうなんですね」しか返ってこなくて、会話のキャッチボールにならない。指名もできない。チェキも恥ずかしがって断る。それでも月に何回か来る。来るたびにちょっとだけ馴染んでいって、3ヶ月目くらいでようやく「今日の衣装かわいいですね」とか言えるようになる。そのくらいの距離感に何ヶ月もかかるタイプ。
降下が始まった。わりと静かな場所に降りて、漁りながら会話を続けた。
「童貞なの?」
聞いた瞬間、ヘッドセットの向こうで何かが落ちる音がした。
「え……あ、その……」
「いいよ別に。そうなんでしょ」
「……はい」
蚊の鳴くような声だった。かわいそうとは思わなかった。むしろ面白かった。この手の人間をいじると予想通りの反応が返ってくるのが、ちょっと楽しい。性格が悪いのは自覚してる。
「私さ、コンカフェで働いてんだけど」
「あ、はい。知って……ます。Xで、見ました」
「見たってなに。チェキ?」
「衣装の写真とか……。あ、やらしい意味じゃなくて――」
「別にやらしくてもいいけど」
Xに自撮りを上げるのは私の趣味みたいなもんだった。店のアカウントとは別に、自分のアカウントで。「今日の衣装」って一言添えて、鏡越しの全身を撮って上げるといいねがついてリプが来る。『かわいい』『えっちだ』『最高です』。知らない男たちが画面の向こうで興奮してる。それがわかるのが気持ちいい。顔も出してないのに、身体だけで数字が回る。承認欲求を一番手軽に満たせる方法がこれだった。
沈黙。こいつ、冗談が通じないのか本気にしてるのかわからない。まあどっちでもいい。漁りながら、なんとなく口が滑った。
「ねえ、プレデター獲れたら筆下ろししてあげよっか」
自分でも、なぜそれを言ったのかわからなかった。暇だったから。こいつの反応が見たかったから。深夜のテンションで口のフィルターが外れてたから。言った瞬間は軽かった。エナドリの空き缶を蹴飛ばすくらいの軽さだった。
5秒。
10秒。
ヘッドセットからは呼吸の音しか聞こえない。荒くなってる。鼻で吸って、口で吐いてる。動揺を隠そうとして、余計に隠せてない。
「……え?」
「プレデターだよ。今シーズン中に。維持しなきゃだめだからね、一瞬タッチしただけじゃなくて。それできたら、1回だけ、してあげる」
「あの……それ……本気で……」
「さあ?」
笑った。意地悪く。自分でもわかるくらいの、底意地の悪い笑い方だった。どうせ無理だから言ってる。ソロマスとプレデターなんて、そこには銀河くらいの距離がある。マスターの上位750人が辿り着く場所に、こいつが行けるわけがない。だから安全な賭けだった。負けない賭け。私は何もリスクを取ってない。
「が、頑張ります……」
「え、マジで目指すの?」
「は、はい……。頑張り、ます」
声が震えてた。でも、さっきまでの小ささとは少し違ってた。こいつが初めて、自分から何かを宣言したのを聞いた気がした。
「ウケる」
それだけ返した。本気にするな、とは言わなかった。
「じゃ、おつかれ」
軽く言った。いつも通話を終わらせる時に使う単語。ランクマ回した後も、カジュアルでふざけた後も、全部この一言で閉じてきた。
「あ、お、おつかれさまです……」
声が裏返ってた。最後の最後まで敬語。こいつはほんと、崩し方を知らない。
通話を切った。Discordの通話終了音がヘッドセットの中で鳴って、静寂が戻ってきた。
---
通話を切った後、ベッドに寝転がってアイコスを吸った。天井の染みを眺めながら、蒸気をゆっくり吐き出す。
言っちゃったな……。
でも後悔はしてない。どうせ無理だから。ソロでプレデターを維持するなんて、あいつのレベルじゃ絶対に無理。100パーセント無理。ここで保険をかけて「冗談だよ」って言い直すほうがダサい。言いっぱなしにしておけばいい。あいつがちょっと頑張って、でも結局マスターの壁で止まって、いつの間にかこの話も流れて、何事もなかったことになる。そういう話。
でも。
もし――本当にやるとしたら。
アイコスを咥えたまま、考え始めた。別に考える必要はなかった。ないのに、頭が勝手に動いた。
ゴムはこっちで用意する。これは絶対。あいつに任せたら付け方がわからなくてもたつくか、最悪そのまま入れようとする。童貞ってそういうもんでしょ。知らないけど。薄いやつがいいな。厚いのはこっちの感覚が鈍る。サガミの0.01。
たぶん一瞬で終わる。早いのは確実。30秒かもしれない。1分もてば上出来。まあそのほうが楽だけど。全部こっちがリードすればいい。変な注文もつけてこないだろうし、比較対象がないんだから、何やっても「すごい」って思ってくれる。それは――正直に言えば、ちょっと面白い。普通のセックスだったら相手の経験値を気にしなきゃいけないけど、童貞相手ならそれがない。私が全部で、私だけが基準。
終わった後に告白されたらダルい。でもあいつ、そういうタイプじゃないような気がする。多分。多分だけど。
目を閉じた。
……まあ、ないけどね。
頭の中でそう呟いて、アイコスを置いた。その隣にはまだ昨日のウーバーイーツの紙袋が転がっていて、ケチャップの匂いとアイコスの加熱された匂いが混ざって、自分の部屋の匂いになっていた。
スマホを持ち上げた。画面にはXの通知が一件。TK_yuu2005からのDMだ。
『今日はありがとうございました。本気で頑張ります。おやすみなさい』
丁寧すぎて笑ってしまった。「おやすみなさい」って。私はさっきまでこいつに「童貞なの?」って聞いてたのに、この距離感。でも不快じゃなかった。既読だけつけて、スマホを伏せた。
頬の筋肉が少しだけ動いていたのを、自分で気づいていた。
笑ってたのか、にやけてたのか、それとも――。
考えるのをやめて、目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます