ヘタクソな小説。これはある意味、上手な小説と同じくらい難しいものである。
何を隠そう、大半の作品は「棒にもかからない」からである。ヘタクソだと認識されるには読まれないといけない。独自の味が出てくると「ヘタウマ」とも呼ばれ、むしろ一筋の星にもなる。
そんな中で作者が提案した再現性のある下手とは――
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目の付け所に大いに読まされた一作。
ただ、惜しい点もある――端的に「巧い」のだ。
三題噺によって作られた例文、この時点で巧い。その例文の壊し方にもやはりセンスがある。
なんだろう。体育教師が逆上がりが出来ない子に向けて、「君は今こうなってるんだよ」と出来ない風逆上がりをしているような、そういう安心感がある。
という点もあって、腕の立つ人物が仕上げた時点で「ヘタクソな小説」ではないのだと思われるが、それでも下手さは生み出せる。
例えば村上春樹先生がこういったテーマを出した場合どうなるか。きっと、とても話題になって、結果的に星やフォロー数が他作品の半分くらいになるだろう。
そういう点では「下手」というものは、積み上げたものを薪にすることを指すのかもしれない。