No.2 一日目・秘書「預かった手紙」

俺はふと大切なことを思い出す。


ここに到着し、年代物で立派な造りの屋敷と広大な庭、そして時代錯誤な執事に気を取られ、うっかり忘れていた。

やはり夏季休暇中ということで、頭がオフに切り替わっているようだ。

このように切り替えられるのは、ビジネスマンとして悪いことではないと、自分では思っている。

あの眼鏡執事のように、常に仕事モードでいるのは非効率で、パフォーマンスの低下に繋がる原因だから。


執事がインターホンの対応に出ている間に、俺は10日間を過ごす客間へ戻り、スーツケースから白い封筒を取り出す。

廊下を戻ると、執事は食堂のテーブルクロスの上にこぼれたクロワッサンの屑を、小さな箒でご丁寧にかき集めていた。

スラリと背が高く、手足が長い男は、全ての動作が大仰に見える。

そんなもの、クリーナーか何かで吸えばいいだろうに。

美しい所作を見せつけたいのだろうか。


「で、何の用件だったんだ?」


インターホンを指差し尋ねる。


「あぁ、お隣の奥様がご近所付き合いの件で。何か町内会長さんに口添えしてくださるそうで」


「ご近所付き合い?」


「えぇ。お祖父様も、お祖母様も、地域の皆さんを大切にされてきましたから。私もそれを見習わなくてはなりません」


「いや、CEOに近所付き合いをするような時間は無いぞ」


「だから、私がフォローさせていただくのです」


執事は嬉々とした表情で、そう言い切った。

俺は呆れながらも、白い封筒を綺麗に片付いたテーブルの上へ置く。


「これは?」


「CEOから預かってきた。俺たち二人宛だ」


「……どうして、アナタに預けたのでしょう?」


執事は顔を顰める。

内容よりもまずはそこに引っかかるのかと、笑ってしまいそうになりながら、俺は「開けてみろよ」と彼を促す。

もし、手紙を託されたのが執事だったら、秘書の俺は同じように引っかかりを覚えただろうから、せめてもの気遣いだ。


彼は白い封筒から、四つ折りの紙を取り出して、黙ってその文面を見つめている。


「おい。なんて書いてあるんだ?」


「ぼ、坊ちゃんは本当にお優しい」


(トゲトゲした表情しか見せなかった眼鏡執事が、そんなうっとりとした顔になるなんて、CEOはどんな魔法を使ったのだ?)


俺は男が見つめたままの紙を奪った。

手紙にはCEOの手書きの美文字が並んでいて、俺は声に出してそれを読み上げる。


「えーと。『僕の執事の好きな食べ物は、麺類(特にナポリタン)。僕の執事の得意なことは、丁寧な掃除で清潔を保つこと。僕の執事の意外なところは、武術を習得しているところ』なんだこれ?」


「坊ちゃんに私の好物などお伝えした覚えはないのに、きちんと知ってくださっていたなんて……。それに掃除の腕を認めてくださっていたとは。私、涙が出そうです」


感激している眼鏡執事を無視し、続きを読む。


「『僕の秘書の好きな食べ物は』おっ、今度は俺の番だ。『好きな食べ物はプロテイン(うそ。本当は餃子)。僕の秘書の得意なことは、センスのいい食事が手配できること。僕の秘書の意外なところは、料理が得意で何でも作れるところ。というわけで、二人で仲良く美味しいものをたくさん食べ、夏を満喫してください』だってさ」


俺のデータも正確だった。

秘書の役割は多岐に渡るけれど、食事は仕事効率を上げるため特に大事にしなければいけない、というのが俺の信条だ。

口に入ったものが身体およびメンタルを支えているのだから、ケータリングや会食の店選びにはかなり気を遣っている。

CEOはそんな俺の努力を、見てくださっていたのだろう。

これは確かに、感激してしまう。


つまりこの手紙で、俺たちが二人で快適に過ごすためのデータを、共有してくださったということか。


「なぁ、CEOがおっしゃるように、俺はこう見えて料理が得意なんだ。無駄に凝ったりせず、効率よく美味いものを作ることができる。手作りするだけじゃなく、臨機応変に対応することも可能。だからこの10日間、仕事を分担しないか?俺が朝昼晩の食事担当。アンタが掃除その他の担当。庭の水やりは二人で手分けをして行う」


執事は、俺の手から手紙を奪い返し、何度もそれを読み返している。


「おい、聞いてるのか?分担、これで決まりでいいな?」


「えぇ。私は掃除が得意ですから、それで結構です」


CEOの手紙のおかげで、俺たちの共同生活が平穏に幕を切った。


—


俺は近くにある大型スーパーへ、オレンジ色の愛車で買い物に出かける。

まだキッチンの使い勝手が分からないから、まずは少量の食材を購入し、近いうちにまとめ買いをしに来ようと思う。


出掛けに執事からクレジットカードを渡された。


「これで購入し、レシートを提出してください」


ここにいる間の食事は必要経費扱いのようだ。

だからスーパーでは、二人で食べるものとは別会計で、自分用のプロテインと好物のチョコレートを購入した。


俺の10日間の夏季休暇。

本音を言えば、CEOに同行して豪華客船に乗り、旅をサポートしたかった。

クライアントが出資している船だったため、俺が手配を請け負ったからよく知っている。

CEOの母方のお祖母様と、そのお姉様をご招待されての船旅で、バルコニーのついたスイートルームを二部屋予約。

ただ、二人ともご高齢のため、ご本人たちは船旅を直前まで迷っていらした。


「もしお二人が行かなかったら、キャンセルするのはもったいないし、キミと執事を誘おうかな」


CEOは冗談交じりにそう笑っていたが、実際そんなことになった場合、あの執事と同室で10日間の旅など果たして楽しめただろうか……。

そう思えば広い屋敷での留守番で、まだよかったのかもしれない。


—


スーパーから屋敷への道を車で走っていると、真っ白で毛足の長い大型犬が俺の車と並走するように、歩道を駆けていた。


「え?サモエド?」


舌を出し、暑そうにハッハッと息をしながらも、その表情はうれしそうに見える。

首輪はついているがリードはついておらず、飼い主らしき人物もいない。

逃げ出したのか、迷子になったのか。

気になったので、行く末を見届けようと思ったが、犬はなぜか俺と同じ目的地へ辿り着いた。


門扉に向かって立ち上がり、「ワンワン」と吠えている犬。

俺は、門扉を自動で開閉するリモコンを執事から預かっていたが、とりあえず車から降り、インターホンを鳴らす。


「はい。どうしました?もうご自分で開けられるでしょう?」


モニター越しに俺の顔が見えているだろう執事は、CEOの前では絶対にしないだろう不機嫌な声を出す。


(危うく舌打ちしそうになったじゃないか。試されているのか、俺は?)


「犬がさ、ここにいるんだ。真っ白い大きな犬。サモエドかな?迷子だと思うんだけど、暑そうだから、水を飲ませてやりたい。屋敷に入れていいか?」


「白くて大きな犬?……まさか」


門扉が開くと、犬は玄関ロビーを目掛けて駆けていく。

俺は愛車を路上駐車したまま、犬の姿を追って屋敷へ入った。


—


状況はよく分からないが、クーラーのよく効いた居間の、高級そうな絨毯の上で犬は寝そべっている。

執事は、何度もどこかへ電話を掛けているが、相手が出ないようで溜め息をつきながら、ウロウロとしていた。

どうやら眼鏡執事は、犬が苦手らしい。

俺が車を駐車場へ入れ、買い物してきた食材をキッチンに運ぶ間も、彼は落ち着かない。

それでも、「暑くはないですか」「もう喉は乾いていないですか」と、やたら犬に敬意を示そうとしていたのが、面白かった。


「おい、ナポリタンができたぞ。犬も落ち着いてるみたいだし、温かいうちに食おうぜ。好物なんだろ?」


「えぇ、まぁそうですね」


執事はケチャップとコンソメで味付けしたピーマン多めのナポリタンを、絶賛こそ口にしなかったが、目を丸くし美味しそうに咀嚼する。


(美味いなら美味いと言えばいいものを。素直じゃない男だな)


眼鏡は綺麗に平らげ「ごちそうさまでした」と頭を下げたので、俺としては満足だった。

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