もし、同じ教室にいる全員が同じ顔になったら。
美人も、醜いと蔑まれてきた人も。
人気者も、嫌われ者も。
誰かを虐げてきた人も、虐げられてきた人も。
その瞬間から、人はもう誰かを見分けられなくなるのでしょうか。
そして――それでも私たちは、誰かを好きになり、嫌いになり、差別することができるのでしょうか。
『テセウスゲーム』は、そんな少し覗いてはいけないような問いから始まります。
目を覚ますと、そこにいたのは同じ顔、同じ声をしたクラスメートたち。
その中央には、顔の潰れた一つの死体。
与えられた最初のゲームは、
「その死体が誰なのかを特定せよ」
ただ、それだけ。
……のはずなのです。
けれど読み進めるほど、私は奇妙な感覚に陥っていきました。
顔が同じになったはずなのに。
むしろ、それまで見えていなかった一人ひとりの「違い」が、どんどん浮かび上がってくるのです。
立ち方。
話し方。
癖。
誰を気にしているのか。
何を恐れているのか。
そして、その人が胸の奥に隠しているもの。
外見という分かりやすい「個性」が消えるほど、その人をその人たらしめているものが露わになっていく。
それが、とても不気味で、とても面白い。
さらに、この物語は一人の視点だけでは進みません。
同じ出来事を別の人物の目から見た瞬間、それまで何気なく通り過ぎていた言葉や行動の意味まで変わって見える。
「あのとき、この人は何を考えていた?」
「私が見ていたこの人物は、本当にその人のすべてだった?」
一度見たはずの景色なのに、視点が変わるたび、その下から別の顔が覗くような感覚がありました。
そして本作は脚本形式で描かれています。
私はこれが、この作品の不穏さととてもよく噛み合っているように感じました。
場所が変わる。
表情が映る。
誰かの言葉が入る。
そして、場面が切り替わる。
読者にすべてを説明してから進むのではなく、目の前に差し出された映像を一つずつ見せられているようで、
「今の表情は何だった?」
「なぜ、この場面を見せられた?」
と、こちらまで観察する側へ回されていくのです。
これは、死体の正体を当てるだけのゲームではないのだと思います。
――顔をなくした人間に、それでも残るものは何なのか。
善意。
悪意。
愛情。
偏見。
執着。
恐怖。
全部同じにしてしまえば、人間は平等になるのか。
それとも――
外側を剥がしたからこそ、もっと見たくなかったものまで見えてしまうのか。
人間というものを、一枚ずつ剥がして確かめていくような、少し禁忌めいたゲームです。
奇妙な話ほど、なぜか覗いてみたくなる。
そんな方はぜひ、この白い部屋へ足を踏み入れてください。
そして、ご自身で確かめてみることをお勧めいたします。
――顔を奪われたあとに残る「その人らしさ」とは、一体何なのかを。