『第一部 二十話までのレビューです』
数多の歴史小説、漫画、アニメを見続けたのですが、
この物語は、本当に衝撃を受けました。
読者に興味を持たせる為、主人公のカッコよさをの引き立たせる作品が多い中、
敢えてそのスタンスは取っていません。
事実を、淡々と、無駄のない文章で、表現されている。
ただ、着実に、作者のメッセージが、深く刻まれている。
童門冬二のような題材やテーマ性を扱い、成功者の思惑や、栄華、衰退の過程、
一人一人の心情の変化も事細かに描かれています。
その中身が、一見、遠いように見えて、
実は、自分や周りの人間、ニュースで見る輝かしい経歴を持つ人たちの状況にも当てはまっている。
人はどういう状況になろうとも、葛藤したり、今の地位を守ろうとしたり、疑惑に駆られたり、自分が脅威だと思ったものを排除しようとする。
それが、あからさまな人もいれば、スマートに周りに気づかれないように行動する人もいます。
松永久秀のやり方が、成功する上で、一番手っ取り早いです。
ただ、それを選択する人は数少ないです。
多くの人は、そのやり方を、自分の心の中で、良しとしないからです。
義と欲を天秤にかけた時、人はどうするのか?
知と武の大切さ。コミュニケーションの大事な役割。
生きる上で、必要な事を教えてくれ、目標に近づくための近道を示してくれる、
相棒のような懐深さのある物語です。
第二十六話 夢の終わりまでを読んで。
戦国時代を題材にした作品では、どうしても信長・秀吉・家康といった後世に広く知られた人物が中心になりがちです。
しかし、この作品の主人公である三好長慶は、そうした「歴史の勝者」の陰に埋もれがちな人物です。
その長慶を、作者は「微笑み」という一つのモチーフから描いています。
幼い頃、父を失った長慶が、悲しみを表に出す代わりに浮かべた笑み。
侮られることを利用し、相手の懐に入り込む笑み。
政敵を欺くための笑み。
そして、堺で商人たちと接するときに見せる、仮面ではない笑み。
同じ「笑み」でも、その意味が少しずつ変わっていくのが面白いところです。
特に印象的だったのが、長慶が堺で商人たちと接する場面でした。
戦国大名としての威圧感ではなく、荷車を押し、商人の揉め事を裁き、南蛮渡来の品に目を輝かせる。
そこには「天下人」という肩書きとは別の、一人の人間としての長慶がいます。
そして、この堺での姿があるからこそ、政の場で見せる「仮面」との落差が効いています。
長慶は単純な策士として描かれているわけではありません。
天下を目指す野心がありながら、その根底には父を奪われた幼少期の記憶があり、さらに弟たちとの絆や、乱世そのものへの複雑な感情まで抱えている。
「天下を取ること」が目的なのではなく、「なぜ天下を望むのか」というところまで掘り下げようとしている作品だと感じました。
そして、長慶を語るうえで欠かせないのが松永久秀です。
この二人の関係が、非常に面白い。
久秀は長慶を支える忠臣であると同時に、長慶と同じく「笑みの下に何かを隠す」人物でもあります。
長慶にとって久秀は頼もしい刃なのか、それとも自分自身を傷つける刃なのか。
一方の久秀も、長慶への敬意と、自分自身の計算高さとの間で揺れていく。
単純な「主君と家臣」ではなく、互いに相手の危うさを理解しているからこそ成立する関係になっているのが印象的でした。
そして物語は、長慶個人の栄光だけを描いて終わりません。
弟たちの死、そして冬康をめぐる疑念によって、これまで長慶が積み上げてきたものが少しずつ崩れていきます。
特に、根拠の曖昧な一通の書状から疑念が膨らみ、久秀自身もその情報をどう扱うべきか葛藤する展開は、この作品の「人を疑うことの恐ろしさ」をよく表していると思います。
最初は「人を操る側」に見えた長慶が、いつの間にか「疑念に操られる側」へと変わっていく。
ここに、作品タイトルの『円環の蜃気楼』という言葉にも通じるものを感じました。
そして冒頭に戻ると、本能寺で信長が自らの過去を振り返りながら、三好長慶と松永久秀を思い出しています。
長慶の夢、久秀の野心。
その二人の歩みを見た信長が、自分もまたその続きを歩いているのではないかと考える。
つまり、この物語は三好長慶の一代記であると同時に、「天下を目指した者たちは、何を残し、何を次の時代へ渡していったのか」という物語でもあるのだと思います。
歴史上では結果だけを知っている人物たちが、この作品では、その結果に至るまで何を考え、何を恐れ、誰を信じ、そして何を失ったのかという人間として描かれています。
三好長慶や松永久秀にあまり詳しくない方でも、戦国時代の「表に残った歴史」ではなく、その裏側にある人間ドラマを楽しめる作品だと思います。
逆に、三好長慶を知っている方なら、「こういう人物として描くのか」と楽しめる部分が多いのではないでしょうか。
「天下人」という言葉の裏側にある、一人の男の笑み。
その笑みが、最後には何を意味するのか。
それに伴う、新興勢力の台頭。
歴史の教科書では数行で終わってしまう人物の人生を、ここまで長く追いかけてみたくなる作品でした。
この作品は、三好長慶という人物を単なる戦国時代の英雄として描くのではなく、権力を手に入れるために身につけた生き方が、やがて本人を追い詰めていくところに魅力がある作品だと思います。
特に印象に残ったのが、幼い長慶が父・元長を失ったことで、感情を表に出さず「笑み」を仮面として身につけていくエピソードです。相手に侮らせ、心理を読み、その裏をかくことで成長していく姿には説得力があり、その後の長慶の政治や戦い方にもきちんと繋がっています。
また、弟たちを次々と失った末に、最後に残った冬康まで裏切っているのではないかと疑い始める展開も印象的でした。本当は弟を信じたいのに、一度生まれた疑念を消せない姿は、それまで人の思惑を読み続けてきた長慶だからこそ重く感じられます。
人を疑い、その心理を利用することで天下へ近づいた人物が、今度は自分自身の疑心暗鬼によって大切な人まで信じられなくなっていく。この構造には皮肉と人間らしさがあり、単なる歴史上の出来事の再現ではなく、一人の人間が権力と孤独の中で変わっていく物語として描いているところが、この作品の強みだと感じました。
松永久秀との関係も、互いの危うさを理解しながら能力を認め合うという独特な距離感があり、この二人が今後どのような形で物語に影響していくのかも気になります。
序盤までの紹介となりますが、長慶が築き上げたものと、その裏側で少しずつ失っていくものがこの先どのように描かれていくのか、これからも追いかけて行きたいと思います