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  • かーすけさん、遅くなってすみません、ここまで拝読させていただきました。

    三島由紀夫は代表作は全て読んでいますし、三島の晩年の思想についてもかなり深く考えたことがあるので、大変興味深くここまで読みましたが、率直に言って、三島に対しての言及は今のところですが、少ないと感じました。とは言え、作品としては十分成り立っていると思うのですが、高度経済成長のさなかの群像劇といった印象なんですよね、ここまでは。これから三島の市谷での決起と自殺が起こり、美智子の心情にも大きく影響してくるのだと思いますが、平凡な主婦と言える美智子にどんなケミストリーが起こるのか、とも思っていたりします。どうなるのでしょうか。

    私は三島の最期は「戦後生き残ってしまった疚しさ、申し訳なさ」によるものだと思っています。彼が殉じたかった大日本帝国は滅び去った。300万人の英霊に何を顔向けが出来ようぞ、と思い詰めたのじゃないかな、と「憂国」など読んで思いましたね。大枠の解釈はあっていると思いますが、本作に於いては三島の「私の中の25年」を引用してほしいな、と思います。ほぼほぼ三島の予言は当たったでしょう。日本はなくなって、ニュートラルな、中間色の、抜け目のない、空っぽな、富裕な、とある経済大国が極東の片隅に残るのであろう、と。それでもいいと思っている人達とは口をきく気にもなれないでいる、と。この文章に美智子は何を感じたか、など書いてみて欲しいなと思います。

    がんばって続きを書いてください、応援しています。それでは失礼します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    三島の著作を全て読まれ、晩年の思想にまで深く向き合ってこられた方に読んでいただいていること、大変光栄で嬉しい限りです。

    「高度経済成長の群像劇」というご感想は、まさに第14話までの意図でもあります。三島は、ここまで美智子たちの物語の「遠い地平」に置いてきました。それが11月25日以降、突然「足元の現実」として現れる、その衝撃の落差こそを書きたいと思っています。
    美智子が「平凡」であることは、意図的な設定です。大きな言葉に殉じられなかった者、殉じなかった者の側から、あの日を描きたいのです。

    「戦後生き残ってしまった疚しさ」という三島解釈に、深く共感します。
    この作品に登場する修平という人物は、ある意味でその問いの裏面を担わせた人物です。「行けなかった男」の苦悩と、三島の問いかけは、鏡合わせの関係にあると思っています。

    「私の中の二十五年」はこの作品を書き始めた際の指針となった文章のひとつです。「日本はなくなって、その代わりに・・それでもいいのか」という一節を、美智子の目を通してどう描けるか、真剣に検討しています。引用を盛り込める形を見つけたいと思っています。
    引き続き、よろしくお願いいたします。