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  • 当時の若者には、今の若者には見えない何かがあったのかもですね。

    ドイツのベルリンの壁が壊れて出てきたものは怪物🧌でした、、、。

    作者からの返信

    菜の花のおしたしさん、深いご感想をいただき、本当にありがとうございます!
    「今の若者には見えない何か」・・まさにその通りですね。当時の若者たちが追いかけていた「大きな言葉」や「理想」は、熱狂を生むと同時に、修平たちのような深い影も落としていきました。

    ベルリンの壁の向こうから出てきたのが「怪物」だったという表現、すごくハッとさせられました。理想の壁を壊した先に待っていたのがユートピアではなく、現実という怪物だったというのは、歴史の深い皮肉を感じます。
    修平や竜介が見ようとしていた壁の向こうにも、もしかしたら同じような怪物が潜んでいたのかもしれませんね。
    彼らがその怪物とどう向き合っていくのか、引き続き見守っていただけると嬉しいです!

  • 高校生の時に和文タイプライターの授業や検定試験を受けましたよ。
    あれね、重いんです。
    カチカチというより、「バンバン」と音がします。笑笑
    いいタイプライターに当たると文字が掴みやすいんですが、、、。
    硬いやつだと「おらーーっ!」と。
    懐かしいです。

    作者からの返信

    菜の花のおしたしさん、またまた素敵なコメント、ありがとうございます!
    和文タイプの授業や検定試験まで受けられていたとは、まさにプロフェッショナルですね!
    「カチカチ」ではなく「バンバン」、そして硬いやつには「おらーーっ!」という気合いが必要だったというリアルなエピソード、思わず吹き出してしまいました(笑)。
    何千もの活字の海から一文字を拾い上げる作業は、本当に体力勝負だったんでしょうね。美智子の細腕で「バンバン」打ち込んでいる姿を想像すると、なんだか急に頼もしく思えてきます。
    もしかすると美智子も、徹夜の時には心の中で「おらーーっ!」と叫びながら打っていたかもしれませんね(笑)。
    当時の空気を感じながら楽しんでいただけたら嬉しいです!

  • 公害問題、色々ありましたね。

    私の勤めていた病院では、喘息の患者さんが非常に多かったです。
    小児喘息の子供達は見てても胸が痛かった、、、。

    作者からの返信

    菜の花のおしたしさん、続けての応援コメントありがとうございます!
    看護師として現場にいらした方からのお言葉とても重いですね。
    竜介たち記者がペンで戦っていたその裏で、菜の花のおしたしさんたちが最前線で子供たちの命と向き合い、共に戦ってくださっていたんですよね。
    小さな体で喘息と闘う子供たちの姿は、本当に胸が痛むものだったと思います。竜介の書いた記事が、少しでも皆様の戦いの援護射撃になっていれば嬉しいのですが。
    現場の戦士である看護師さんを心から尊敬しつつ、徹夜続きの竜介(と作者)の健康管理もぜひお願いします(笑)。
    彼らの熱い日々を、一緒にお見守りください。

  • 美智子と言う名前がこの時代、女の子につけられましたね。

    活版印刷でしょうか。
    街の印刷屋さんで面白くて観てた記憶があります。

    かーすけさんは同じ年代でしょうかねぇ、、、。

    作者からの返信

    菜の花のおしたしさん、コメントありがとうございます!
    活版印刷のガチャンという音やインクの匂い、なんだか懐かしいですよね。街の印刷屋さんの風景、私も大好きでした。あの手作業ならではの「活字の重み」を感じていただけて嬉しいです。

    実は「美智子」という名前ですが、昭和を象徴する響きであると同時に・・内緒ですが、私の初恋の人の名前でもあったりします(笑)。作者の特権で少しだけ役得させてもらいました。
    私が同年代かどうかについては・・ふふふ、ご想像にお任せしますが、多分、同年代です!
    美智子たちの歩みをゆっくり見守っていただけたら幸いです。

  • かーすけさん、遅くなってすみません、ここまで拝読させていただきました。

    三島由紀夫は代表作は全て読んでいますし、三島の晩年の思想についてもかなり深く考えたことがあるので、大変興味深くここまで読みましたが、率直に言って、三島に対しての言及は今のところですが、少ないと感じました。とは言え、作品としては十分成り立っていると思うのですが、高度経済成長のさなかの群像劇といった印象なんですよね、ここまでは。これから三島の市谷での決起と自殺が起こり、美智子の心情にも大きく影響してくるのだと思いますが、平凡な主婦と言える美智子にどんなケミストリーが起こるのか、とも思っていたりします。どうなるのでしょうか。

    私は三島の最期は「戦後生き残ってしまった疚しさ、申し訳なさ」によるものだと思っています。彼が殉じたかった大日本帝国は滅び去った。300万人の英霊に何を顔向けが出来ようぞ、と思い詰めたのじゃないかな、と「憂国」など読んで思いましたね。大枠の解釈はあっていると思いますが、本作に於いては三島の「私の中の25年」を引用してほしいな、と思います。ほぼほぼ三島の予言は当たったでしょう。日本はなくなって、ニュートラルな、中間色の、抜け目のない、空っぽな、富裕な、とある経済大国が極東の片隅に残るのであろう、と。それでもいいと思っている人達とは口をきく気にもなれないでいる、と。この文章に美智子は何を感じたか、など書いてみて欲しいなと思います。

    がんばって続きを書いてください、応援しています。それでは失礼します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    三島の著作を全て読まれ、晩年の思想にまで深く向き合ってこられた方に読んでいただいていること、大変光栄で嬉しい限りです。

    「高度経済成長の群像劇」というご感想は、まさに第14話までの意図でもあります。三島は、ここまで美智子たちの物語の「遠い地平」に置いてきました。それが11月25日以降、突然「足元の現実」として現れる、その衝撃の落差こそを書きたいと思っています。
    美智子が「平凡」であることは、意図的な設定です。大きな言葉に殉じられなかった者、殉じなかった者の側から、あの日を描きたいのです。

    「戦後生き残ってしまった疚しさ」という三島解釈に、深く共感します。
    この作品に登場する修平という人物は、ある意味でその問いの裏面を担わせた人物です。「行けなかった男」の苦悩と、三島の問いかけは、鏡合わせの関係にあると思っています。

    「私の中の二十五年」はこの作品を書き始めた際の指針となった文章のひとつです。「日本はなくなって、その代わりに・・それでもいいのか」という一節を、美智子の目を通してどう描けるか、真剣に検討しています。引用を盛り込める形を見つけたいと思っています。
    引き続き、よろしくお願いいたします。