第15話 託された半身

​管理棟の検査区画の奥、冷たいコンクリートの鍵付の隔離室へ、真琴は投げ出されるようにして押し込められた。白く冷たい蛍光灯の光線が、影を削ぎ落とした床板を平坦に照らし出している。


​「あと一日遅れていたら搭乗資格を抹消されていたのよ!」

「非適性者と隠れ住んで、何を考えているの」


母親の張り詰めた金切り声と、防護服を着た職員たちの怒号が鼓膜の表面を滑り落ちていく。


「戻して! 教室につむぎさんがいるの! あの人を連れてきて!」

「何度言ったら分かるんだ。資源が限られている中、非適性者を入れる余裕は無い!」


職員の平坦な声とともに、真琴の肩が乱暴に突き放された。床板に爪先が引っかかり、よろめいた背中へ母親の冷ややかな苛立ちが叩きつけられる。

「あんたのせいで止まっていた手続きをしてくるから、大人しく待ってなさい!」


​大人達が退出すると重い鉄扉が閉ざされ、外側から硬い施錠音が落ちた。

分厚いコンクリートに囲まれた部屋に、冷たい静寂が沈殿していく。


荒い呼吸を整えようと胸元を押さえた真琴の指先が、ダウンジャケットの深いポケットの底で、硬い紙の縁に触れた。

​引き抜くと、銀塩の粒子の上に浮かび上がるつむぎの柔らかな微笑み。

ファインダー越しに、自らの指でシャッターを押し込んで捉えた、あの日の姿。

その像を裏返すと、白い紙肌の上に、迷いのない細い筆跡が黒鉛の線となって連なっていた。


​『あの星空の下で話したカストルとポルックスのように、私の命をあなたに託します。

あなたが未来へ行って、光の下で息をしてくれるなら、私はあなたの中で永遠に生き続けるから。

私の半分を連れていって。……お願い、生きてね、真琴ちゃん』


​文字の輪郭をなぞった瞬間、真琴の喉の奥で息が完全に詰まった。


指先から全身の血液へと、氷の針を刺されたような冷たい悪寒が駆け抜けていく。

(なんで、こんな…)


​引き返したい。今すぐこの扉を蹴破って、あの冷え切った教室へ戻りたい。

けれど、紙の繊維へ刻みつけられた文字が、冷たい枷となって両手両足を縛りつける。

つむぎは、自分ひとりを凍え死ぬ星に残してでも、真琴を未来へ逃がすために自ら通報ボタンを押したのだ。


理科室の青暗い光の下で聞いた、星空の物語が耳の奥で蘇る。

死んだ兄の命を半分引き取り、生き続けることで星座になった弟。

​つむぎは自分の命を真琴へ託し、その中で永遠になろうとしているのか。


​(​託した命を無駄にするなと、そうやって縛りつけるの? でも、つむぎさんを置いて生き延びるなんて…)


重ねた唇を離したあと、痛々しいほどの満足を湛えて真琴の境界線へ深く沈み込んできた、あの華奢な重み。

つむぎな孤独に凍えるはずだった人生の最後に真琴の熱い肌を抱きしめ、自ら納得して終止符を打ったのだ。


彼女がすべてを差し出し完成させたその幕引きを、いまさら引き剥がしに戻ることなど許されるのか。泣き叫び滅びを共にすることは、彼女が命懸けで手に入れた最後の幸福を台無しにするだけの、身勝手な冒涜ではないのだろうか。


​激突する衝動に胸郭が軋み、真琴は床板に額を押し当てて激しく嗚咽した。

​だが、世界は真琴が考える時間を満足に与えない。

乱暴に扉が開かれ、職員によって無機質な検査室へと連れて行かれる。


真琴はその部屋に隔離され、何時間も、一切の休む間もなく検査を続けさせられる。


繰り返される生体スキャン、何種類も注入されるワクチン。極度の疲労と焦燥が、感覚を麻痺させていく。


​『生体識別及び最終チェック完了。適性問題無』


​全ての検査を終え、機械音声が告げる宣告。

ストーブの脇で胸を掻きむしり、酸素を求めて細い喉を震わせていたつむぎの冷ややかな体躯。

それに引き換え、自らの胸板の奥では、心臓が皮肉なほど強く脈打っている。


つむぎが諦めた健康な身体。

それを自ら投げ捨てた上で、つむぎの必死の願いを切り捨てることは、果たして正解なのだろうか。重い鉛となって胃の腑へ沈殿していく。


​検査台から降ろされた瞬間、母親が真琴の腕を骨がきしむほどの力で締め上げた。


「検査終わったでしょ!早く来なさい!あなたが搭乗出来なかったら私達だって巻き込まれるのよ!」


​母親の鬼気迫る形相と、耳元を打つヒステリックな怒号。自分に残された健康な身体。

つむぎの遺した言葉。逃げ場のない壁が、真琴の呼吸を完全に奪い去っていく。

​

​真琴の膝から力が抜け落ち、視界の色がぼやけ、褪せていく。

叫び続けた喉からは、もはや擦れた空気しか漏れ出さない。


自分の意志をすべて手放し、ただ肋骨の裏で規則正しく跳ねる心臓の拍動だけに四肢を預けた。感覚の失われた足先が、床板を擦るようにして前へと進み始める。


​頭上のスピーカーが無機質な最終案内を響かせる。

『――全居住区画の搭乗ゲート最終閉鎖まで、残り1時間。残った搭乗者は立ち止まらず、メインデッキへの連絡通路へお進みください』


​真琴は、手首を母親に掴まれたまま搭乗通路へと押し出された。


​継ぎ目のない合成樹脂の白い壁。影を作らない均一で無機質な光。


空調ダクトから吐き出される空気は完全な無臭に保たれ、外の雪の匂いも、あの教室を満たしていた現像液の匂いも何一つ残されていない。


​手首を締め上げる母親の強い牽引と、背後から途切れることなく押し寄せる数千人分の圧力。


踏みとどまろうとしても、背中へ容赦なくぶつかる見知らぬ誰かの荷物と、無言のまま前進し続ける無数の肩の波がそれを許さない。


​思考が追いつかぬまま、真琴の足裏は床板を打つ幾千もの均一なリズムに巻き込まれていた。

前方で、巨大な乗船ゲートが開いているのが見える。


真琴はポケットの中の紙片を握りしめたまま、船内へ押し寄せる群衆の波に、ただ静かに押し流されていった。

​(第十五話 完/残0日)

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