【第28話】0.1ミリの奇跡

丸眼鏡の奥のアルノの瞳が、いつもの飄々とした少年から、スッと冷徹な職人のそれへと変わる。


岩肌に張り付いた層雲石。


その何千枚も重なっているという極薄の層の中から、自然に剥がれやすい『へき開面』を視覚だけで見極めなければならない。


わずかな層の歪み、光の反射のズレ。そのすべてを脳内で処理していく。



(0.1ミリ……ここだ)



アルノの集中力が極限まで高まる。


洞窟の中は、カイルたちの抑えた静かな呼吸音さえ鮮明に聞こえるほどの、異様な静寂に包まれていた。


アルノは大きく息を吸い込み、そのままピタリと呼吸を止める。


ブレを完全に無くした指先で、石の繊維に沿って、極薄のヘラの先端をゆっくりと、そして確実に差し込んでいった。



ペリ……ペリペリ……。



水滴の音すら遠のいたような静寂の洞窟内に、極薄の鉱物が剥がれる微かな音だけが響いていた。


それは薄い氷を削るような、非常に繊細な音だ。アルノの指先は、精密機械よりも正確で、羽毛よりも柔らかかった。


石の繊維がわずかに抵抗を示すたび、彼はヘラの角度をミクロン単位で調整し、手首の返しだけで決して無理な力を加えることなく自然な剥離を促していく。


額にじんわりと汗が滲み、鼻先を伝って落ちそうになるが、瞬きすら忘れたかのように彼の瞳は岩肌に釘付けになったままだ。


カイルたちは、唾を飲み込む音さえ石を割ってしまいそうな極度の緊張感の中、アルノの小さな背中をただ見守ることしかできなかった。


ミラは杖を持つ手が震えそうになるのを必死に堪え、カイルは盾の裏で歯を食いしばっている。


やがて、果てしなく長く感じられた数分の後、アルノの指先の動きがふっと止まった。



「……よし、採れたよ」



アルノが小さく長く息を吐き出し、ゆっくりと振り返る。


彼の手には、向こう側のミラの灯りが透けて見えるほど薄く、均一な厚さを保った真珠色の鉱物、見事な0.1ミリの層雲石が、ふわりと乗せられていた。


表面にはマイクロクラックなどの傷はひとつもなく、虹色の光を美しく反射する、見事な職人技の結晶だった。


「うわぁ……!きれいやねぇ。ほんまに向こうが透けて見えるわ」


シルフィアが感嘆の声を漏らし、洞窟内を満たしていた張り詰めた空気が一気に緩む。


「本当に、魔法も使わずに手作業だけで剥がしちゃうなんてね……。あんたのその器用さ、ちょっと気味が悪いくらいよ」


ミラが大きく深呼吸をして、強張っていた肩の力を抜きながら呆れたように笑う。


彼女の灯りも、安堵したようにふわりと温かい色合いになった。


「よくやったな、アルノ!さすがだぜ」


カイルが大盾をどかし、アルノの肩をバシッと叩こうとして、慌てて空中でピタリと手を止めた。


層雲石の脆さを思い出し、冷や汗をかきながらそっと手を下ろすその姿に、三人がクスクスと笑い声を上げる。


「ふふっ、ありがとう。みんなの完璧なサポートのおかげだよ。少しでも風や振動があったら、きっと途中で割れてた。一人じゃ絶対に無理だったよ」


アルノは心からの感謝を込めて微笑みながら、カイルがリュックから慎重に取り出した、カルミナの木箱を受け取る。


分厚いベルベットの布の上にそっと層雲石を安置し、厳重に蓋を閉めた。


カチリと錠が降りる音が、任務完了の合図のように響いた。



「これで、おじいさんの大切な思い出を直せるね。さあ、王都へ帰ろう!」



そしてアルノたちは、達成感に包まれながら、足取りも軽く、今度は来た道を、小川に沿って下り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る