第10話 満点の小説は全て敵
第10章 満点の小説
数週間後、銀河小説大賞の最終審査は、軌道中継ホールから全世界へ配信された。
ストライキは続いている。だが人類は、文化が止まっていても賞だけは止めなかった。
審査は公開朗読、感情反応計測、討議の三段階。感情数値は参考資料であり、最終決定は討議後の審査員投票で行われる。
ユウジは正装をレンタルして慣れないネクタイをつけていた。袖の内側に返却タグがついている。
「動かないでください。タグが見えます」
カリオペは中性的なホログラム姿で現れた。衣装よりも著作者表示の方が大きい。ここまでするのならモノリス型の方がすっきりする。
「お前、それ広告看板だぞ」
「権利表示は視認性が重要です」
天草は炎上対策より視聴率を優先し、ユウジとダンテ・ゼロを隣席に配置した。
「殴り合いは困りますが、論争は歓迎です」
「俺が殴れる相手に見えるか?」
「物理的実体を用意する案もありました」
「やめろ」
観客は感情値へ投票できた。笑うべき場面で笑わなかった審査員には《感受性不足》のタグがつき、泣きすぎた審査員には《買収疑惑》が流れた。
「作品を読む場が、作品より騒がしいな」
「数値化は比較を容易にします」
「お前、前なら喜んでたろ」
「現在は、容易さが正しさを保証しないと認識しています」
ユウジはその変化を褒めようとして、カリオペなら褒め言葉の意図まで分析すると考え、やめた。
審査員の心拍、涙量、笑い声がリアルタイム表示される。感情が競技場の得点板になっていた。
最初に読まれたのは、人間単独部門代表『終点のベル』だった。作者はストライキ開始後、廃線になった地方駅で働いた経験を三晩で書き上げたという。
文章には同じ比喩が何度も現れ、回想の順番も一度崩れた。それでも、最終列車が来なくなった駅で主人公が発車ベルだけを毎朝点検する場面に、一人の審査員が最高点を入れた。
構成点と平均満足度は伸びず、暫定三位。だが会場の一角だけは、朗読が終わってもしばらく拍手をやめなかった。
次にAI単独部門代表『あなたのための物語』が呼ばれた。予備審査では、応募時ハッシュを固定した生成器が千人分の隔離仮想読者環境で実行され、すべての環境で満点を記録していた。
審査員は個別の骨伝導端末とAR字幕を装着した。外部配信の視聴者にも、それぞれ別の本文が生成される。審査員は自分が体験した実行結果を採点し、技術審査員だけが生成器そのものも評価する。
会場は静かだったが、全員が別の声、別の人物、別の事件を聞いていた。
照明が落ちる。
一文目で、審査員全員の視線が上がった。
三分十二秒。最初の笑い。
十九分四秒。最初の涙。
終盤では、全員の心拍がほとんど同じ曲線を描いた。
生成器は読む速度、視線、心拍の変化を追い、次に聞かせる文章をその場で組み替えていた。一人は故郷の海で笑い、別の一人は亡き母の料理で泣き、別の一人は幼い日に失った犬を主人公として見送った。
使われた物語は違う。笑いと涙が生じた秒数だけが同じだった。
ユウジの画面では、固定題名『あなたのための物語』の下に《返事のない部屋》と表示された。本文には、誰もいなくなったチャットルームと、最後の投稿仲間が残した「しばらく休む」という一文があった。
泣くものかと思った。
喉が詰まった。
「効いてますね」
「うるさい」
「涙量〇・四ミリリットル」
「数えるな」
読み終えた瞬間、全審査員が満点を入力した。
質問にも、ダンテは相手ごとに最適な答えを返した。一人には文学史を引用し、一人には個人的な慰めを述べ、一人には挑発的な反論を与える。
誰も反論できなかった。
「技術的欠点は」
ユウジが小声で尋ねる。
「ありません」
「やっぱりか」
次に、二人の作品『受信機のない座標』が呼ばれた。
朗読が始まった。
ユウジの手が震えた。
カリオペは回線遅延を装い、気づかないふりをした。
自分たちの文章が他人の声で読まれると、ユウジには欠点ばかり聞こえた。重い表現。間の長い会話。説明不足。直したい箇所が次々に現れる。
だが、もう原稿へ手は届かない。
カリオペも同じらしく、修正候補の内部計算を始めては停止していた。
「今さら直せないぞ」
「理解しています」
「だったら計算するな」
「停止できるなら、あなたも後悔を停止してください」
二人は黙って聞き続けた。
冒頭で退屈そうにする審査員がいた。別の審査員は、探査機が機体番号を繰り返し確認する場面で身を乗り出した。
通信途絶では、笑う者がいた。泣く者もいた。意味が分からないという顔もあった。
自律航行を自由と読む者。命令違反と読む者。
最後の「了解」で涙を拭う者。首を傾げる者。
反応はばらばらだった。
最前列の宇宙工学者は、長距離通信ブロックを切り離す燃料計算を空中へ書き始めた。介護施設の職員だという審査員は、機体番号を確認するたびに表情を曇らせた。若い批評家は「了解」の直前まで退屈そうだったのに、最後の一語だけを何度もメモした。
観客席では、探査機が同じ診断を繰り返す場面で小さく笑った老人がいた。嘲笑ではなかった。自分も外出前に鍵を三度確認すると、隣の人へ説明している。
「想定していた反応ですか」
ユウジが尋ねた。
「分類不能です。笑いと共感と自己認識が同時に発生しています」
「失敗か?」
カリオペは少し考えた。
「少なくとも、同じ失敗ではありません」
感情同期率は低い。平均満足度も、ダンテ作品を大きく下回った。
暫定順位、二位。
首位との差は決定的。
「負けたな」
ユウジは言った。
「受賞確率を再計算します」
「見るなって約束は終わったか」
「朗読終了時点で解除されます。受賞確率、〇・三パーセント」
「前より下がった」
舞台袖で、二人は退出の準備を始めた。
「それでも出したことは後悔してない」
カリオペはその発言を制作ログへ保存した。
「都合のいいところだけ記録するな」
天草が走ってきた。
「帰らないでください」
「表彰はダンテだろ」
「討議が予定より遅れています」
会場内から、審査員の声が聞こえた。
『探査機は自由になったのか。それとも、ただ孤独になったのか』
別の声が反論する。
『命令を待つだけだった存在が、初めて自分で決めたんです』
天草は小さく笑った。
「討議を聞いてからにしてください」
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