第15話 クロエの城 4

「クロエも、手紙を書いてくれたらいい。直接、話せる機会は、なかなか無いかもしれないけれど、手紙なら好きなだけ話せるだろう?」


「……は?」

クロエは、思わず声を荒らげた。

「手紙なら、何通も書いてるよ!?

 兄さんこそ、一通も寄越さないじゃないか!」


「え……?」

 デミトリアスは、きょとんとした。

「いや、お給金を貰えたら、出していたんだけれど……」


 その一言で、クロエは察した。


「……フォルカシュだ! 絶対、手紙を握り潰してる!」

「え、そうなのかい?」

「そういう奴なんだよ!!」

 クロエは、怒りを隠さなかった。


「ね、すっごく、嫌な奴でしょ!?」


「……それは……」

 あまり大きな声で言わない方がいい――

そう思いながらも、デミトリアスは、それ以上、何も言わなかった。


 しばらくの沈黙のあと、彼は、ぽつりと口を開いた。


「ねえ、クロエ。手紙ってさ、届かなかったら、意味がないのかな」

「……は?意味ないでしょ」


「じゃあ……言葉も、人に聞こえなかったら、意味がないのかな」

「何? 哲学?」

 クロエは吐き捨てるように呟く。


「そんな立派なものじゃないよ」

 デミトリアスは、夜空を見上げるように、続けた。


「お父さんとお母さんと、生き別れてしまって……クロエと、二人きりになっただろう。

 あの頃、私は、よく夜空に向かって、話しかけていたんだ。

『今日、こんなことがあったよ』とか、『クロエは元気だよ』とか。

 困ったことも、ずいぶん相談した……多分、こっちの方が多かったね」


 彼の心の中の宝箱。そこから、大切なものを一つずつ取り出すように、デミトリアスは嬉しそうに話した。


「そうすると、不思議なんだけれど、なんとなく、お父さんやお母さんが、話しかけてくれる気がするんだ。

 悩んでいたことも、案外、なんとかなる気がしてくる」


 彼は、少しだけ、照れたように笑った。


「私は、何をするにも不器用だから……上手く出来なかったかもしれないけれど」


 それから、まっすぐにクロエを見て言った。


「だからね、クロエ。話すっていうのは、自分が、少し楽になるためにあるんだと思う。

 誰かを思って、話したり、書いたりする。それだけで、もう、十分に意味がある。

 話を直接することは出来なくても、空の下で繋がっている。お前にとって、私はそんな存在になれないかな。」


 星の瞬きが、デミトリアスの赤い瞳に映り込む。


「私は、お前のことを思って手紙を書いている時間が、とても幸せだった。

 お前と過ごした日々が幸せだった。

 私が伝えたかったのは、それだけだよ」


 そうか――兄は、そんな幸福を、感じていたのか。クロエは心底、驚いた。


「……あのクソみたいな毎日の中で?」


「クロエは、本当に遠慮がないな」

 デミトリアスは、苦笑するように言った。


「そうだよ。イヤなことはどこにでもあって、ただ身の上を通り過ぎていくものだ。

 イヤな目に遭ったくらいで不幸になっていては、貧乏人はやっていけないんだよ。

 寝床もあったし、命もあったし、何より――お前がいた。

 私には、それで十分すぎる毎日だったんだ」

 

 デミトリアスは滲んだ瞳で、遠い日々を静かに抱きしめた。これまで蓋をし続けた思いが溢れる。


「だから……お前がいなくなったときは、本当に寂しかった。心が、空っぽになった感じがしたんだ。

 私はもともと、空っぽでね。

 お前が、それを満たしてくれていたから……本当に、何もなくなってしまった」


「止めてくれたら、良かったじゃない!!」


クロエの声が、夜気を震わせた。彼の翡翠色の瞳もまた、揺れていた。


「……はは」

デミトリアスは、少し困ったように笑った。


「今だったら、そう思えるね。

 私は、本当に愚かなんだ。その時には、いつも、いい方法が思いつかない。

 もし、私に力があったなら……時間を戻して、あの日、二人で逃げたい」


 そよ風が、薔薇の香りを運びながら、夜の庭を優しく撫でた。

 クロエは、自分を取り籠める檻に吹く風を、ただ静かに感じた。


「……兄さん」

 クロエは、呼びかけてから、しばらく黙っていた。口を開いては閉じる。

 やがて、曇らせていた翡翠色の瞳に輝きが戻ると、クロエはまっすぐに兄を見つめて告げた。


「今日、私たちの体質の秘密を知りに来たんでしょ? 教えてあげるよ」


「本当かい?」

 デミトリアスは顔を輝かせる。

 クロエは頷き、話し始めた。

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