その6.メシでも行くか!(参照:本編第33話)

まえがき

 本編第33話『猪熊、死す(社会的に)』より。

 「メシでも行くか!」の後日譚です。

――――――――――――――――――――






 仁が皆を連れてきたのは、繁華街から一本外れた路地の奥だった。

 色褪せた暖簾を木戸に掲げたその店は、看板の文字も既に半分ほど消えかけている。


「……先生」


 緋見ひみ 朱音あかねが、店と仁を交互に見た。


「これ、本当に営業してるんですか……?」

「失礼だなお前。こういう店が美味いんだよ」


 戸を開けると、油と出汁と焼き物の香りがふわりと鼻をくすぐった。


「らっしゃい――お、仁じゃねえか!」


 カウンターの奥から、白髪交じりの大将が顔を出す。


「久しぶりだな。生きてたか?」

「勝手に殺すなよ。今日、入れるかい? ちょっと多いんだけど」

「それなら奥空いてるぞ」


 店の奥に進んで、仁は足を止めた。

 案内されたのは座敷だが、せいぜい四人掛けだ。

 それに対し、こちらは仁、文月、七瀬、緋見、夕凪の五名。


「ちょっと足りねえなあ。カウンターから椅子借りても――」

「いらない」


 大将に頼もうとした仁の言葉を、不意に夕凪が言った。


「ん?」


 仁だけでなく、全員の視線が小柄な少女へ集まる。

 夕凪は何も説明せず、さっさと座敷へ上がっていった。




------




「……こういうことかよ」


 数分後。

 仁は、自分の膝の上にちょこんと収まった夕凪を見下ろしていた。


「お、朧さん……! 今すぐ降りてください……!」


 隣に座る文月が、眼鏡の奥からじっと睨む。


「先生はダンジョン帰りで疲れてるんですよ! 朧さんが乗ると太ももに筋疲労が溜まってしまいます!」

「ぱぱ。ゆうなぎ、おもい?」


 夕凪がちらりと振り返る。


「大して重くはねえけど……飲む時に邪魔ではあるな」

「なんだ。それなら」


 夕凪が膝の上で、くるりと向きを変えた。

 今度は仁と真正面から向かい合う。


「これなら、いい?」

「どういう理屈だよ!」

「ゆうなぎが、のませてあげる」

「いや、いいって! いいから前向け! 前!」

「そうですよ朧さん! 私が悪かったです! その姿勢は流石にあまりにもすぎるので……せめて前向きで……!」


 俺たちの必死の抗議を受け、夕凪はこてんと首を傾げた。


「……わがまま」


 こっちのセリフだ。

 仁が額を押さえると、向かいの七瀬と緋見が堪えきれず吹き出した。


「御影先生、完全にお父さんじゃないですか」

「あのなあ……俺はまだ結婚もしてねえっつの」


 そこへ注文していた飲み物が届いた。

 仁は生ビール。

 文月はレモンサワー。

 朱音はハイボール。

 七瀬はコークハイ。

 そして夕凪にはメロンソーダ。


 仁は諦めてジョッキを持ち上げた。


「……今日はよくやったな」


 七瀬と朱音の表情が、ほんの少しだけ変わる。


「ま、堅い話は抜きだ。お疲れさん。――乾杯!」

「「「「かんぱーいっ!」」」」


 グラスが鳴った。




------




 二時間後。

 仁は、自分の見通しの甘さを痛感していた。


「らから先生はれすねぇ! ほんっろにつめらいんらから!」

「わ、分かった分かった。文月ちょっと近いってば」

「四年れすよ!? 四年! 連絡のひろつもよこさないれ……!」

「悪かったって! 揺らすな! 首がもげる!!」


 すっかり出来上がってしまった文月に肩を掴まれ、仁の頭がガクガク左右に揺れる。

 その胸元では、夕凪がすやすや眠っていた。

 酒どころかメロンソーダしか飲んでいないのに、誰より早く寝た。

 一方、向かいでは七瀬と朱音が妙な空気になっていた。


「お前さぁ……良かったぞ、今日」

「……何よ、急に」

「いや、いつも気に食わねーって思ってたけどさ……仲間になったら、こんなに頼もしい奴はいねーなって」

「っ……そ、そんなこと言ったら、アンタだってそうじゃん……! アタシは、アンタがリードしてくれるから得意なことに集中できるって言うか……」


 二人とも、ぽっと頬を染めている。

 それはアルコールのせいなのか、果たして。


「か、カッコよかった……かも」

「な、何言ってんだよ馬鹿!」

「うるさいわね! 事実よ事実!」

「それなら、お前もマジで綺麗だと思った!」

「なぁ!? あ、アンタ冗談を――」


 仁はブレる視界の中でぼんやり二人を眺めながら、うむうむと頷いていた。


「先生ぇ!? 聞いれますぅ!?」

「聞いてる聞いてる。だから揺らすなって」


 文月は止まらない。

 夕凪は起きない。

 七瀬と朱音は、喧嘩しているようでずっと褒め合っている。


 仁はぬるくなったビールへ手を伸ばし、そして静かに決めた。


 次にこういう機会があったら、絶対に、あと二人くらい大人を呼ぼう。

 酒に強くてこいつらの面倒を見てくれて、できれば、自分の代わりに全部引き受けてくれるような奴を。


「先生ぇ!」

「分かったから揺らすなぁ!」


 古びた居酒屋の奥で、仁の悲鳴が夜更けまで響いていた。

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