第28話 深層より響くもの
第一室の奥。
簡素な休憩台の上で、リナは小さな寝息を立てていた。
「すぅ……すぅ……」
いつもと変わらない寝顔。
その隣に座る直人だけが、まったく落ち着いていなかった。
ズ……。
足元から、ごく小さな振動が伝わる。
気のせいと言われれば、そう思える程度。
だが。
もう直人は知っている。
地下で何かが起きている。
「……ただ壁を塞ぎたかっただけなんだけどな」
管理画面には、昨夜から消えない警告が残っていた。
《地下鉱脈・深層監視》
《ロック・イーター:追跡中》
《旧深層坑道:接続危険》
《未確認生体反応:複数》
《管理権限:なし》
最後の一行が、特に気に入らない。
管理権限がない。
つまり。
何かが起きても、直人のダンジョン機能だけですべてを制御できる保証はない。
「自分のダンジョンなのに、地下は俺の物じゃないってことか」
正確には。
直人が作った地下鉱脈と、元から存在した旧深層坑道が偶然つながりかけている。
だから、その先は別物なのだ。
直人はリナの毛布を掛け直した。
「ここまで来るなよ」
誰に言ったわけでもない。
ロック・イーターなのか。
旧坑道の何かなのか。
それとも。
まだ正体すら分からないものなのか。
本人にも分からなかった。
◇
「いいか。まず状況を整理する」
地下鉱脈の浅層管理区画。
直人の前にはドルガン。
その横ではコボルト・サーベイヤーが床へ耳を近づけている。
少し離れた場所にはマイナーとポーター。
スケルトン・ガードたちは支柱周辺で待機していた。
「ロック・イーターは生きている」
「クゥ」
「それで旧深層坑道の方向へ掘り進んでいる」
「クゥッ」
「その先には、昨日の時点で複数の反応があった」
ドルガンが腕を組む。
「問題は、その反応が何かだな」
「ああ」
魔物なのか。
動物なのか。
もっと別の何かなのか。
分からない。
「サーベイヤー。今はどうだ?」
「クゥ……」
コボルトは測量ロッドを床へ突き立てた。
金属の先端が岩床へ触れる。
耳が動く。
右。
左。
前方。
そして、ぴたりと止まった。
《深層音響解析》
《ロック・イーター掘削音:確認》
《距離:遠》
《移動継続中》
《旧深層坑道方向への進行を確認》
「そこまでは昨日と同じか」
表示が切り替わった。
《周辺空間反響を解析》
《新規空洞反応:あり》
《規模推定――》
《再計算》
「何だ?」
《規模:大》
直人の眉が動いた。
「昨日は中規模だったよな?」
「地図に出た場所はな」
ドルガンが答える。
「その先にもっと広い空間があるってことだろ」
《既知坑道図面との照合》
《一致なし》
《北小鉱山旧図面との一致なし》
《未登録大空洞》
「旧坑道ですらない?」
「たぶんな」
ドルガンの表情が険しくなる。
「坑道ってのは、人が掘った道だ」
「じゃあ、これは?」
「元からある穴かもしれん」
「地下洞窟?」
「それならまだいい」
「まだいいって……」
サーベイヤーの耳が震えた。
「クゥ……!」
《生体反応解析》
《前回検知:複数》
《現在検知――》
一瞬。
表示が止まった。
《増加》
「……増加?」
直人が画面へ顔を近づける。
《微弱振動源:7》
《微弱振動源:9》
《微弱振動源:12》
「待て待て待て」
数が変わっている。
ドルガンも黙った。
《個体判定:不能》
《活動状態:低》
《ただし、一部反応に変化あり》
「目覚めてるってことか?」
《判定不能》
答えは出ない。
ただ。
昨日までほとんど動かなかった反応が。
ロック・イーターが近づくにつれて、一つずつ変化している。
「掘削音に反応してる?」
「可能性はあるな」
「冬眠中の魔物を太鼓で起こしてるみたいな話じゃないだろうな」
「知らん」
「そこは否定してくれよ」
「知らんもんは知らん」
いつものドルガンだった。
だが。
その顔は笑っていない。
「管理人」
「何だ」
「もう訓練場の話じゃねえぞ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃねえ」
「じゃあどんな顔すればいいんだよ」
「逃げる準備をしてる顔だ」
直人は黙った。
逃げる。
その言葉が現実味を持ち始めている。
地下鉱脈だけではない。
第一室。
第二室。
リナ。
ゴブリンたち。
そして。
今日もダンジョンへ来るかもしれない冒険者たち。
「……今日は地下を閉める」
「全部か?」
「少なくとも地下鉱脈は完全封鎖」
直人は管理画面を開いた。
《地下鉱脈・営業設定》
《通常営業》
《縮小営業》
《緊急封鎖》
「緊急封鎖」
《地下鉱脈への冒険者進入を禁止します》
《実行しますか?》
「実行」
《地下鉱脈:緊急封鎖》
《冒険者進入:禁止》
《所属個体のみ移動可能》
「これで客は入らない」
だが。
問題は地下だけではなかった。
サーベイヤーが突然、顔を上げた。
「クゥ?」
「どうした」
コボルトが鼻を動かす。
耳を立てる。
「クゥゥ……」
《環境変化を検知》
《地下鉱脈深層》
《温度変化あり》
「温度?」
直人が追加情報を開く。
《浅層温度:18度》
《深層推定温度:31度》
《旧深層坑道方向:上昇中》
「昨日こんなの出てたか?」
「いや」
ドルガンが画面を見る。
《32度》
《33度》
「上がってる……」
直人の背筋に冷たい汗が流れた。
「マグマ?」
「この辺りに火山なんぞねえ」
「じゃあ何だよ」
「だから知らん」
「そればっかりだな!」
「知らんもんを知ったふりする奴よりマシだろ」
それはそうだった。
《深層温度:35度》
「速くないか?」
ドルガンが床へ手を当てた。
「ここは変わってねえ」
「つまり深いところだけ?」
「そうだな」
直人は管理画面を切り替える。
《地下環境》
《気流》
《湿度》
《温度》
《有害成分》
《有害成分検知:現在なし》
「毒ガスはまだない」
「まだ、な」
「言い方」
「地下じゃ熱よりガスのほうが怖い場合もある」
ドルガンが真顔で言った。
「見えねえ。匂わねえ。そのまま倒れる」
直人の手が止まった。
知らない空洞。
温度上昇。
未知の生体反応。
そこから地下鉱脈へ空気が流れ込んだら。
「換気を……」
直人は設備画面を開いた。
《換気設備》
《通常運転》
《強制換気》
《区画隔離》
すぐ最大出力にしようとして。
指が止まる。
「待て」
「どうした」
「向こうが何か分からないのに、こっちへ空気を引っ張ったらまずくないか?」
ドルガンが直人を見る。
「……少しは考えるようになったな」
「昨日からずっと失敗してるからな」
深層に毒や熱気がある。
そこで強制換気すれば。
逆にそれを自分たちの区画へ引き込む可能性がある。
「まず切り離す」
《地下鉱脈環境制御》
《深層側換気路:閉鎖》
《浅層独立循環:開始》
《第一室・第二室との空気循環:維持》
「これで深いところの空気は入ってこない」
《警告》
《深層監視能力が一部低下します》
「構わない」
見える情報より。
今いる者の安全が優先だ。
「サーベイヤーは?」
「クゥ!」
「音なら壁越しでも拾えるか」
《可能》
「じゃあ監視は音だけにする」
ドルガンが小さくうなずいた。
「それでいい」
◇
だが。
地下で何かが起きていることは、完全には隠せなかった。
「おい」
ダンジョン入口。
朝から並び始めていた冒険者の一人が、入口表示を見て声を上げた。
《本日の地下鉱脈》
《緊急点検のため利用停止》
《第一室・第二室は通常営業》
「地下、閉まってるぞ」
「昨日まで使えたよな?」
「事故か?」
「崩れたんじゃないか?」
ざわざわ。
列が揺れる。
案内係のゴブリンが困ったように直人を見る。
「ギ……」
「大丈夫」
直人は入口へ出た。
冒険者たちの視線が集まる。
「地下鉱脈で異常を確認した」
一瞬で静かになった。
「崩落か?」
「今のところ、営業区画で崩落は起きてない」
「じゃあ何だ?」
「分からない」
ざわめきが戻る。
「分からないから閉じた」
直人は続けた。
「安全だと確認できるまで、地下には入れない」
「いつ再開する?」
「未定」
「今日の採掘依頼は?」
「中止」
「報酬目当てで来たんだけど」
「それでも中止」
不満そうな顔もある。
当然だ。
ダンジョンへ来ることを予定に入れている者もいる。
地下鉱脈で訓練するために準備してきた者もいる。
だが。
「危険かもしれない場所に、金を払う客を入れるわけにはいかない」
直人ははっきり言った。
「第一室と第二室は通常通り使える。嫌なら今日は帰ってくれていい」
「……」
数秒。
一人の冒険者が肩をすくめた。
「まあ、何も言わずに入れられるよりマシか」
「俺は第二室だけ行く」
「地下再開したら知らせてくれよ」
「分かった」
列は完全には消えなかった。
数人は帰った。
だが。
残った者たちは第一室へ進み始める。
《本日来場者》
《一部離脱》
《営業継続可能》
直人は表示を見た。
「全部止めなくてもいいのか」
地下鉱脈を閉めた。
しかし第一室と第二室は動いている。
客もゼロではない。
すべてを守ろうとして全部閉めるのではなく。
危険な部分だけ止める。
安全な部分は動かす。
「これも管理か」
以前なら。
事故の可能性が出た時点で、全部閉じていたかもしれない。
あるいは逆に。
利益を惜しんで営業を続けていたかもしれない。
今は違う。
分ける。
止める場所を決める。
残す場所も決める。
そして。
情報が変われば、判断も変える。
「面倒くさいな」
だが。
嫌いではなかった。
◇
昼前。
地下監視区画へ戻った直人を、サーベイヤーの鋭い鳴き声が迎えた。
「クゥッ!」
「何だ!」
《深層音響データ更新》
《ロック・イーター:停止》
「止まった?」
地図上の赤い反応。
それまで少しずつ進んでいた点が、動かなくなっている。
「死んだ?」
《生体反応:あり》
「じゃあ何で止まった」
サーベイヤーが床へ伏せる。
耳を押しつける。
「クゥ……」
《新規音響を検知》
《分類不能》
「新しい音?」
《周期性あり》
《発生源:未登録大空洞》
直人とドルガンが顔を見合わせる。
「どんな音だ?」
当然。
管理画面に音声そのものは出ない。
だが波形が表示された。
低い。
一定間隔。
大きく。
小さく。
大きく。
小さく。
「……何かに似てないか」
直人が言う。
ドルガンは答えなかった。
サーベイヤーだけが、耳を後ろへ伏せている。
「クゥ……」
怖がっている。
今までにない反応だった。
《音響パターン解析》
《自然崩落:不一致》
《地下水流:不一致》
《掘削音:不一致》
《既知魔物:一致なし》
《推定》
《大型生体活動音の可能性》
「大型……」
直人の喉が鳴った。
ロック・イーターは中型。
では。
その中型個体が掘るのを止めるほどの何かが。
向こう側にいる?
《深層生体反応》
《再解析》
《微弱反応:複数》
《大型反応:解析中》
「大型もいるのかよ」
ドルガンが低く言った。
「静かにしろ」
「?」
「サーベイヤーに集中させろ」
直人は黙る。
坑道で作業していた魔物たちも止める。
《地下鉱脈》
《一時作業停止》
カン。
コン。
それまで響いていた作業音が、一つずつ消えた。
やがて。
地下鉱脈は、完全な静寂に包まれた。
サーベイヤーが耳を澄ます。
「クゥ……」
一秒。
二秒。
三秒。
そして。
ビクッ。
全身が跳ねた。
「どうした!」
サーベイヤーが深層方向を見つめた。
歯を見せる。
低く唸る。
「グルルル……」
《大規模振動検知》
《未登録大空洞》
《発生》
ドン。
遠い地下から。
何かが響いた。
直人にも聞こえた。
「……今の」
地響きではない。
岩が落ちた音でもない。
何かが。
向こう側から。
一度だけ。
壁を叩いたような音だった。
ドン。
二度目。
《深層温度:38度》
《39度》
《40度》
「上がってる」
ドルガンがハンマーを握る。
「何かいる」
「分かってる」
「違う」
ドルガンの声が低い。
「あれは、動いてる」
ドン。
三度目。
サーベイヤーが後退する。
《大型生体反応を確認》
《解析精度:低》
《規模推定――》
表示が乱れた。
《測定不能》
「測れない?」
《観測範囲を超過》
「おいおい」
直人の背筋を汗が伝う。
だが。
その直後。
別の変化が起きた。
《ロック・イーター反応》
《急速移動開始》
「逃げてる?」
赤い点が、さっきまでとは逆方向へ動いている。
旧深層坑道から離れる方向。
「……あいつ」
ドルガンが呟く。
「何だ」
「ロック・イーターが逃げてる」
直人も同じことに気づいた。
昨日まで。
壁を壊し。
岩を食い。
障害物など気にせず進んでいた魔物。
そのロック・イーターが。
逃げている。
「何から?」
答えは。
考えるまでもなかった。
直人は大空洞の表示を見る。
「……向こうにいる奴から?」
誰も答えない。
ドン。
四度目。
今度は少し近い。
《警告》
《未登録大空洞内で地形変化を検知》
《大型反応:移動開始》
「動いた」
直人は即座に管理画面へ手を伸ばした。
「全員、地下から出す」
「マイナーたちもか?」
「全員だ」
《地下鉱脈所属個体》
《緊急退避命令》
「ポーター!」
「ギッ!」
「全員連れてポータルへ!」
「ギギッ!」
ポーターが走る。
マイナー。
整備係。
スケルトン・ガード。
残っていた全個体へ退避命令が出る。
昨日設置した非常用ポータルが青く輝いた。
《緊急状態認定》
《簡易ポータル開放》
「クゥ!」
サーベイヤーだけが動かない。
「お前も来い!」
「クゥゥ……!」
まだ聞いている。
「監視は後だ!」
直人が抱えるようにサーベイヤーの肩を押した。
「クゥ!」
「死んだら監視もできないだろ!」
サーベイヤーが一瞬だけ直人を見る。
そして。
ポータルへ飛び込んだ。
最後にドルガン。
「お前も行け」
「直人は?」
「閉鎖確認したら行く」
「一人で残るな」
「管理画面は俺しか操作できない」
「だったら十秒だ」
「分かった」
ドルガンがポータルへ入る。
直人は地下鉱脈を確認する。
《所属個体》
《残存:1》
「俺だけ」
《深層大型反応》
《移動継続》
ドン。
また。
近づいた。
「……来るなよ」
直人は地下鉱脈への通路を閉鎖した。
《物理隔壁》
《閉鎖》
《深層換気》
《完全遮断》
《地下鉱脈》
《全区画緊急封鎖》
そしてポータルへ飛び込む。
◇
第一室。
青い光から直人が転がり出る。
「うわっ!」
「ナオト!」
ドルガンに腕を掴まれる。
《地下鉱脈》
《所属個体:0》
《完全退避を確認》
《簡易ポータル》
《閉鎖》
青い光が消えた。
「間に合った……」
直人が息を吐く。
だが。
まだ終わっていない。
管理画面はつながっている。
《地下鉱脈・遠隔監視》
《深層音響:継続》
直人は映像を開いた。
「カメラ……」
「何する気だ」
「向こうが何なのか見る」
「行くのは無しだぞ」
「分かってる」
危険区域に人を送らない。
魔物も送らない。
なら。
目だけ送る。
《観測設備》
《簡易偵察オーブ》
《小型浮遊式》
《映像送信》
《耐久性:低》
《必要DP:15》
《現在DP:170》
「これだ」
「壊されるぞ」
「十五DPなら、人を送るより安い」
ドルガンが何も言わなくなった。
「召喚」
《15DPを消費しました》
《現在DP:155》
地下鉱脈の封鎖区画。
小さな球体が現れる。
拳ほどの大きさ。
中央に、一つのレンズ。
《簡易偵察オーブ》
《操作権限:管理者》
「深層へ」
オーブが動き出す。
誰もいなくなった地下鉱脈を進む。
壊れた支柱。
崩落地点。
ロック・イーターが掘った穴。
そして。
旧深層坑道へ続く亀裂。
「入れるか?」
《通行可能幅を検知》
《進入可能》
「行け」
「おい」
「見るだけだ」
球体が亀裂へ入った。
映像が揺れる。
狭い。
岩だらけ。
ロック・イーターが削った跡が残っている。
壁面には、噛み砕かれた鉱石。
鋭い爪痕。
「こんなところを掘ったのか」
さらに進む。
やがて。
映像の先が暗くなった。
「空洞だ」
狭かった穴が突然途切れる。
その向こうに。
巨大な空間があった。
「照明」
《照明:起動》
偵察オーブから淡い光が放たれる。
岩壁。
天井。
地面。
「……広い」
光が届かない。
天井すら見えない。
巨大な地下空洞。
床には古い木材。
「坑道の跡?」
ドルガンが画面へ近づく。
「いや……」
腐った支柱。
錆びたレール。
崩れた荷車。
確かに。
人がいた痕跡が残っている。
「旧坑道か」
「一部はな」
だが。
その先。
人工物では説明できない巨大な空間が続いている。
そして。
「止めろ」
ドルガンが言った。
「何だ」
「右」
直人がオーブを向ける。
「……何だ、あれ」
地面に。
いくつもの丸い影。
一つ。
二つ。
三つ。
十。
もっと。
岩?
「違う」
ドルガンが低く呟く。
「卵……?」
直人が息を止める。
丸い物体。
表面は石のように硬い。
だが。
その一つが。
わずかに。
動いた。
《生体反応検知》
《複数》
「昨日の反応……」
これだ。
眠っている。
何かが。
大量に。
その瞬間。
オーブの映像が揺れた。
「何だ?」
《振動検知》
ドン。
画面の奥。
闇の中。
巨大な何かが動く。
「照明を向けろ」
「やめろ」
ドルガンが止める。
「でも」
「気づかれたらどうする」
「もう音出してるだろ」
「だからってこっちから光を当てる必要はねえ」
直人の手が止まった。
「……分かった」
オーブを下げる。
「端だけ見る」
光の範囲を絞る。
床。
卵のような物。
岩壁。
そして。
何か。
太い。
黒い。
岩壁から突き出している。
「根?」
「分からん」
表面が動いた。
「……違う」
ドルガンの声が掠れる。
「生きてる」
ゆっくり。
巨大な黒いものが持ち上がった。
岩肌に見えた表面。
そこに、節がある。
「腕?」
太すぎる。
ゴブリンなど簡単に包み込める。
いや。
人間ですら。
その何かが、わずかに動く。
偵察オーブの光が一瞬だけ表面を照らした。
石のような皮膚。
深い亀裂。
そこから。
赤い光が漏れている。
「……」
直人は言葉を失った。
《対象解析》
《該当データなし》
《未登録生体》
《規模》
《測定不能》
ドン。
巨大な何かが床へ触れた。
卵のような物体が震える。
《周辺生体反応》
《活動状態上昇》
「まずい」
「戻せ」
「ああ」
直人は即座に命令を出した。
《偵察オーブ》
《帰還》
オーブが反転する。
その瞬間。
映像の端。
空洞の奥。
暗闇の中に。
赤い点が一つ浮かんだ。
「……?」
直人の指が止まる。
赤い点が。
開く。
「目……?」
次の瞬間。
画面いっぱいに。
巨大な何かの影が動いた。
《警告》
《対象が観測装置を認識》
「戻れ!」
映像が激しく揺れる。
偵察オーブが全速力で狭い坑道へ向かう。
背後。
ズズズズズ――。
何かが動く。
「速く!」
《帰還経路》
《残り23メートル》
《19メートル》
《14メートル》
ガッ!
画面が傾いた。
《機体損傷》
「まだ動ける!」
《9メートル》
《6メートル》
突然。
画面が真っ暗になった。
《映像信号消失》
《簡易偵察オーブ:破壊》
静寂。
直人はしばらく画面を見つめていた。
《偵察結果》
《未登録大空洞を確認》
《複数生体反応を確認》
《大型未登録生体を確認》
《対象詳細:不明》
《警告》
《大型生体の活動状態が上昇しました》
「……」
ドルガンが頭を抱えた。
「ナオト」
「何だ」
「掘る相手を間違えたな」
「俺が掘ったんじゃない」
「ロック・イーターを起点にすりゃ同じようなもんだ」
「それを言われると痛い」
直人は深層地図を見た。
未知の大空洞。
大量の生体反応。
そして。
巨大な未登録個体。
《旧深層坑道》
《危険度》
《算定不能》
《管理推奨》
《接触回避》
《監視継続》
「倒せとは出ないんだな」
「倒せる相手か分からんからだろ」
「だよな」
直人は一度。
第一室の奥を見る。
リナがいる。
冒険者がいる。
ゴブリンがいる。
今ある日常がある。
「……戦わない」
ドルガンが直人を見る。
「今はな」
直人は言い直した。
「何か分からない。強さも分からない。何をする奴かも分からない」
だから。
「深層は完全封鎖」
《設定》
《旧深層坑道》
《接触禁止》
《偵察》
《遠隔観測のみ》
《地下鉱脈》
《再開条件》
《深層反応の安定確認》
《安全経路再構築》
《有害環境なし》
「知らないものを、知らないまま殴りに行く必要はない」
「まともだな」
「弱い魔王だからな」
真正面から勝てない。
だから。
観測する。
距離を取る。
逃げ道を作る。
守る場所を決める。
そして。
必要になるまで戦わない。
「でも」
直人は画面に残る赤い警告を見た。
「向こうから来たら話は別だ」
その言葉を待っていたかのように。
管理画面が切り替わった。
《深層音響監視》
《新規振動を検知》
《大型生体》
《移動方向を解析》
直人とドルガンが同時に画面を見る。
《移動方向》
《旧深層坑道入口方面》
「……おい」
大型個体が。
こちら側へ向いている。
《警告》
《接近ではありません》
「え?」
《大型生体は現在位置を維持》
《ただし――》
表示が一度消える。
《周辺小型生体が移動を開始しました》
《方向》
《ロック・イーター掘削経路》
直人の顔から表情が消えた。
「大型じゃない」
ドルガンがハンマーを握る。
「ああ」
起きた何かが。
自分で来るわけではない。
その周囲に眠っていたものを。
こちらへ動かし始めている。
《未確認生体反応》
《1》
《3》
《5》
《8》
《掘削経路への進入を確認》
一本道。
ロック・イーターが掘った。
直人が塞ごうとして。
逆に旧坑道へつながりかけた道。
その道を。
今度は向こう側から。
何かが使い始めていた。
「閉じるはずだった道が」
直人は拳を握る。
「向こうからの入口になったのか」
訓練所として作った地下鉱脈。
そこへ、本物の事故が入り込み。
事故に備えるため専門職を増やし。
危険を観測したことで。
さらにその向こう側の存在まで知ってしまった。
最弱魔王の城は。
未知の領域へ進出したのではない。
未知の領域のほうから。
こちらを見つけてしまったのだった。
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