2章 これ書けばいいの?
制作8
あの著名脚本家で、常識はあれど、どちらかといえば変わった側の人間である羽屋川あゆりの考えていることが、私にわかるはずもない。そういうケースばかりある。
何故二時間ドラマを書いておきながら、二時間ドラマを否定するのか。
何故こんなテレビ局と関わっているのか。
何故私なんかを巻き込んだのか。
何故、自ら生み出した牛島仁に「醜い自殺」なんてさせようとしているのか。
一週間後、ロケの休憩中だった。大した番組ではない。私のいる撮影班が、二時間ドラマの片手間に制作しているバラエティ番組のロケが、朝からあった。ここでは私は、便利な粗製濫造脚本マシーンではなく、雑用AD扱いに戻る。どちらが良いかどうかは、その日の気分に因って変わった。今日は別に、AD扱いに不満は無かった。
休憩場所として、ロケ地の近くにあるホテルの、催し物で使われるホールが押さえられており、ホテルの人間は有り難そうに準備を手伝ってくれたが、空調が効いておらず、暑いだとか寒いだとかより、なんとなく不快な空気が充満していた。湿気が強いのだろうか。しかし、現場を指揮する保木が何も感じていないからか、誰も換気をしようだとかを言い出せなかった。
今日作っているのはバラエティ番組だが、その内容は今度放送される(私がしくじらなければ)牛島最終回の番宣を兼ねていた。まだ脚本も上がっていないドラマの番宣なんて気が早過ぎるとは思ったが、まあこの番組は牛島役、つまりあの中津が時折出演するのが売りになっていた。あの男、きっと特撮だとかサスペンスより、バラエティの方が向いてるんじゃないだろうか。
出演者はレギュラーメンバー(なんとかいう芸人とタレントが数名)と中津と、牛島最終回で主人公の琴音役に内定している中堅女優、柘榴エリコだった。あんまり好きじゃない女だったが、柘榴は誰に対しても媚びない孤高の役者だった。みんなに嫌われて孤立している、とも言える。
休憩時間は流石に暇なので、私は設置された机とテーブルで、羽屋川からの脚本を睨み、次の展開を考えようとしていた。
それでも、すっきりと考えたいって言うのに、「牛島の自殺」と記されたメモが頭にチラつく。いっそ、羽屋川に直接尋ねられるような豪胆さが、私にあれば良かったのだけれど、そうすることが出来なかったほど、心が動揺していたのも事実だった。
今も、あの時の文字列が、私を苛んでいる。
自殺を、私の脚本で止めるのが最良の方法だろう。わかっている。問題なのは、その方法がさっぱりわからないこと。作中で牛島が自殺するような原因も、羽屋川の考えもわからない。
「ねえ、中津」私は、近くの椅子でスマートフォンを眺めていた、中津に声を掛けた。
「なに姉ちゃん?」中津は画面を見たまま答えた。動画でも観ているのだろうか。
「牛島仁の末路って、聞いてる?」
「末路って?」中津は、面白そうな話が来たな、なんて顔をして、ようやくスマートフォンから顔を上げた。「ああ、そろそろ誰かとくっつくんじゃないかって? それはあるかもね。牛島をやってると、自分が、浮気の達人になったような気分になるんだよね。俺、恋人もいないのに、そういう女遊びの経験値だけが、何故か牛島を演じることで溜まってるんだよ。絵で言うと、CMYK変換にだけ詳しいみたいな」
「なに、その喩え……」私は、首を傾げた。
「いや、俺も良く知らないけど、花代さんがたまに言ってる。変なことにだけ詳しくなってる状態のこと、みたいだよ」
「あー、そういえば花代、たまに言うかも……」私は言う。「じゃなくてあんた、牛島の末路を、なんにも羽屋川先生から聞いて無いってこと?」
「先生だって、俺に話したってしょうがなくない? あの人、現場にもあんまり来ないし、あの人にとって、俳優なんてロケ地と扱いは同じだよ。カメラに写るものでしか無い、って点で同じだって」中津は、呆れたみたいな顔をした。「まだ柘榴さんの方が、末路を聞いてる可能性あるよ。あの人、羽屋川先生と仲良いでしょ。それに、すこぶるプロの役者だ。長いシリーズの、最終回の主人公を演じるっていうのに、あの人が下調べしないわけないと思うけど」
「あんたは、そういう仕込みはしないの?」
訊いてから思い出す。中津は、この牛島役を得るまで、ろくに二時間ドラマすら知らなかったらしく、私は彼と一緒に、予習という名目で、牛島仁の過去作を何作か観た記憶がある。だというのに、彼としてもピンと来ていなかったらしく、未だにサスペンスに対しての心構えが、悲しいほどに低かった。
「なるようになる、としか、ね」中津は、へらへらと笑った。「もちろん、事務所が取ってきた仕事だからやるけど、柘榴さんみたいに、命を賭けるほどじゃなくない? こういう現場とか芸能界って、ありのままの俺が評価されてるんでしょ? 変に役を作り込むのは、逆に失礼じゃない? 騙してるみたいで」
「それ、何もしたくない時の言い訳に使われる文言の、代表的なやつよ」
「あはは。姉ちゃんは厳かだな」中津はまた、スマートフォンに視線を戻した。「別に、俺だってちゃんと売れたいと思ってるし、演技は好きだよ。でも、そんなに真剣に仕込むタイプじゃないってこと。俺は俺のまま評価されたい! って感じ」
「それ、自分を天才だと思い込みたいから、表面的に天才の振る舞いをしてるってだけよ。狂人のフリしてなんとか、の逆バージョン」
「ほんと厳しいよなあ、姉ちゃん」中津は、遠くにいる柘榴を横目で見た。「でも、あれが理想の演者の姿か?」
「それは……言えてるけど」
柘榴エリコの神経質さは、飛び抜けて悪い方向に、業界内で有名だった。保木なんかは柘榴を「あのめんどくさい陰険女」と陰で呼んでいるのを聞いたことがある。一度録音してやろうか。
私は、ふと柘榴の方を見た。今彼女は、椅子に座って本を読んでいる。どうせ、役作りのためのな何かだろう。
柘榴エリコ。もちろん芸名。彼女の本名は知らないが、なんとなく芸名として付けるのにちょうど良い感じの名前でだな、と思った。氷室京介と同じぐらい隙のない芸名だ、と私は常々感じていた。結構肉感的というか、端的に言うとエロい見た目で、それを補強するようなメイクをしていることから、そのエロティックさに自覚的なのだろう。彼女が琴音のイメージにぴったりなのかは知らないが、その性格のエキセントリックな部分は、確かに適役だな、私はこっそりと思った。髪は長く整えられおり、身長も高めで、スタイルも服の趣味も、鼻につくくらいにベターだった。年齢は、おそらく三十代。
かの主人公、琴音もどういうわけか、主人公とするには妙な性格をしていた。それは、私が最近リレー脚本をやっているうえで、かなりの苦労を感じている点だった。
琴音はキレやすく、信じられないようなわがままを、平気でよく言う。行動理念がよくわからず、不倫の背徳感でトリップしている一方で、それを悪びれる様子が、あったりなかったりする。典型的なまでに、私、もとい視聴者があまり好きになれないキャラクターだと思った。とにかく動かしづらく、出すと不快感すらあった。この女のパートを全部カットしてやろうか、と本気で検討してしまうくらいだった。羽屋川先生が、何を考えてこの女を主人公にしているのか、私は、未だ少しの理解も出来ていなかった。そういう意味では、あの嫌味な柘榴エリコにぴったりだった。
そうやって、柘榴の顔を見て心の中で悪態をついていると、柘榴はこちらの視線に気づいたのか知らないが、立ち上がってのしのしと、こちらに歩んできた。
怒られるんじゃないか、と心配をしていたが、予想に反して彼女は私に挨拶をした。中津のことは、完全に無視を決め込んでいた。
「お疲れ様。えっと、あなただっけ」柘榴は、澄ました調子でそう話した。空気清浄機で清められた空気でしか発音したくない、とでも言いたげな声だった。「羽屋川先生とリレー脚本をやってるっていう子」
柘榴にまで知れ渡っているのか。私は、保木を頭の中で虫みたいに潰した。
「野沢茉莉乃、です」仕事で、何回か一緒になったことは当然あるが、こんないちADなんて覚えてないだろうと思って、私は丁寧に名乗った。「今度の牛島最終回では、よろしくお願いします」
「知ってるわよ、茉莉乃さん、ね」柘榴は、私を値踏みするように見て、脚本の方に視線を持っていった。「これが、今度の脚本の原稿なのね。へー」
「柘榴さんは」私は、話題を切り出した。「羽屋川先生とは、知り合いでしたっけ」
「まあ、仕事で時々ね、一緒になるっていうだけ。あとは、今度のこの牛島最終回があるから、どういう役か尋ねに行った。リレー脚本をやってるってのは後から知ったけど、大変そうね。羽屋川先生は難航するって言ってたけど、もしかして、座礁の可能性も考えたほうが良い?」
「私がしくじれば、当然」なんでわざわざ、そんなことを意識させるんだろう。「柘榴さん、羽屋川先生から、なんか聞きました? 牛島をどうする、だとか」
「妙な質問ね。はっきりヒントが欲しい、とでも言ってくれた方が好感触だったわよ」柘榴は嫌味を言った。「リレー脚本としては、そんなのはフェアプレイに欠けるんじゃないの?」
「雑談ですよ、これ。時間つぶしに最適なんです」
「……まあいいわ。私は何も聞いてない」柘榴は、折れたように話した。「琴音って役がどういう感じか聞いて……嫌な女だなと思って、それから、牛島のシリーズの例に則って、牛島……そこの中津が演じる、ってのも教えてもらったけど、そいつといい感じの仲になるって流れは決まってるって。あとは、殺人事件と、命を狙われることと……そんなもんね。最終回だってのに淡々と説明されて、逆に怖かったわ」
「どうやってシリーズが終わるかとかは、なにも?」
「そんなの、主人公より牛島役のほうに説明するんじゃないの?」柘榴は、そう言って中津を見た。「ね、中津くん」
「何も知りませんよ、俺は」中津が、さっきと同じことを説明する。「羽屋川先生と親しいわけでもないですし、あの人、現場に来ないでしょ? 俳優にはなにも思い入れ無いらしくて、俺は何も知りません」
「って、牛島仁が言ってるけど」柘榴が私を見て、言う。「茉莉乃、あなたこそ何も知らずにリレー脚本を?」
「そうです。犯人も当てろ、って無理難題を押し付けるんです、あの女」
「ああ、そんな話も聞いたわね、確か……ガチで茉莉乃に推理させてるんだ、なんて喜んでたっけ、あの人……」柘榴は、そうして自分のスマートフォンで時計を確かめて、「そろそろ休憩も終わりね。まあ、頑張ればいいわ。どうせ無理でしょうけど」
「バレました? 無理だとは思ってるんですよ」
「無理そうでも、出来るって盲信しなさい」
柘榴は戻っていった。
そのついでに彼女は、大口を開けてうたた寝をしていた保木を叩き起こして、「換気か空調でも回してくれない? なんか暑いし」と伝えた。
ゆるくエアコンが回り、打って変わって快適な空間になる。
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