「泥水遊び」と追放されたアラフォー品質管理技士、辺境の火山灰と石灰石で『古代魔法コンクリート』を再現し、魔王軍が諦める最強要塞都市を築き始める
未検査の樽、規格外の砂、不在の発注記録――「手順と記録」が暴く決壊の真実
未検査の樽、規格外の砂、不在の発注記録――「手順と記録」が暴く決壊の真実
「先生、樽に検査の印がありません」
トトの声が、記録小屋に響いた。
夜更けの灯りが、棚に並ぶ樽の影を長く伸ばしている。
灯りに照らされた樽の木肌に、指先を這わせている。
ケンジは焼き印の照合表から顔を上げた。
「印がない、とは」
「本体に使われた減水剤の樽、全部で七つあります。でも検査済みの焼き印があるのは六つだけです」
「残り一つは」
「それが、七番です。決壊した区画に使われた樽と、同じ番号です」
「未検査のまま、現場に回されたということか」
「はい……普通なら、検査を通さないと本体には使えないはずですよね」
「使えない。手順書にもそう書いてある」
「でも実際は、使われてました。誰かが、印を飛ばして回したことになります」
「飛ばしたのが手違いか、故意か。そこはまだ分からない」
「手違いだったら、まだ救いがあるってことですか」
「救いというより、罪の重さが違う。だから急いで決めつけるな」
「分かりました……でも先生、六つには全部ちゃんと印があるんです。七番だけないのって、変じゃないですか」
「変だ。だからこそ、お前が見つけたのは大きい」
「村長には、まだ言うなよ。証拠が一つじゃ足りない」
「分かってます……あの、先生。皆、もう疲れてます。証拠なんかいいから終わりにしろって」
「誰に言われた」
「今朝、水汲みのところで三人くらいに。もう関わるな、危ないぞって」
「そう言われても、調べるのをやめるわけにはいかない」
「僕もそう思います。だから、他の樽も全部数え直します」
「頼む。数字は、疲れても嘘をつかない」
「先生、僕が見つけたこと、間違ってたら……怖いです」
「間違っていたら、間違っていたと言えばいい。恥じることじゃない」
「そう言ってもらえると、少し楽になります」
トトは樽を一つずつ棚に戻し、灯りを吹き消した。
◇
「これを見てくれ」
バルガスが崩れた断面から取り出した石片を、ケンジの前に置いた。
指先でつまんだ粒が、灯りの下で灰色に光る。
ざらついた感触が、爪の先にまで伝わってくる。
崩れた区画の周囲には、まだ湿った土の匂いが立ち込めていた。
「これが、何か分かるか」
「粒が大きいな。うちの灰より粗い」
「そうだ。村の灰はもっと細かい。これは違う場所の砂だ」
「違う場所の、砂……」
「わしは石工だ。石の粒の顔くらい、見りゃ分かる。これは川原の砂じゃない、山向こうの砂だ」
「山向こうというと、王都の方角か」
「かもしれん。断言はできんが、少なくともうちの村の材料じゃない」
「粒が粗いと、何がまずいんだ。素人にも分かるように言ってくれ」
「粗い粒は隙間ができやすい。隙間があれば、そこに水が入り込んで弱くなる」
「なるほどな。粒の大きさひとつで、強さが変わるってわけか」
「そのとおりだ。均一な細かさこそが命綱になる」
「その証言、記録してもいいか」
「ああ、構わん。だがな、ケンジ」
「なんだ」
「村の連中は、もう聞く耳を持ってないぞ。今日も三人に囲まれて、いい加減にしろと言われた」
「聞いてる。だからこそ、証拠を積む」
「積んでどうする。あの澄まし顔は、また言い訳するだけじゃないのか」
「言い訳できない形にする。それが今日やることだ」
「わしにできることがあれば、いつでも言え」
「もう十分だ。あんたの目が、動かぬ証拠になった」
バルガスは石片をケンジの手のひらに握らせ、無言でうなずいた。
◇
「発注の記録が、ありません」
リリアーナが、書状の束を机に広げた。
指先が、封蝋の跡をなぞる。
紙の端がわずかに震え、蝋の欠片が机に落ちた。
窓から差し込む朝の光が、書状の文字を白く浮かび上がらせている。
「伯爵家に届いている王室からの正式発注書、全部確認しました。減水剤という品目自体が、どこにも出てきません」
「クラインが来る前に、王室から発注があった形跡もない、ということか」
「はい。彼が来てから初めて、あの樽の存在が出てきます」
「王室の贈り物にしては、手順が変だな」
「変です。本当に王室が発注したものなら、必ず伯爵家を経由する決まりですから」
「経由していない」
「経由していません。つまり……」
「つまり、あれはクライン個人が持ち込んだものだ」
「王室の名を借りた、彼だけの判断ということになります」
「その線、伯爵家の記録だけで言い切れるのか。見落としはないか」
「三度確認しました。写しも取ってあります。抜けているのはあの一件だけです」
「そこまで言い切っていいのか。あんたにとっては、王室を疑う話になる」
「怖くないと言えば嘘になります。でも、記録が語っているなら、私はそれに従います」
「その姿勢、ありがたい」
「役に立ちましたか、私」
「十分すぎるほどに」
「よかった……数えることしかできない私でも、ちゃんと届いているんですね」
「届いてる。今度も、ちゃんと届いた」
「私、まだお役に立てますか」
「これで終わりじゃない。次も頼む」
「はい……次も、数えます」
リリアーナは書状を丁寧に束ね直し、胸に抱えた。
◇
翌朝、村長の家の前に四人が並んだ。
集まった村人の視線が、値踏みするように四人を見ていた。
土埃の混じる風が、四人の足元を吹き抜けていく。
「村長、証拠が揃いました」
ケンジが、三つの物証を順に並べる。
記録板と石片と書状が、朝日の下に横一列に並んだ。
「未検査のまま回された樽。村の灰と違う粒の砂。そして、王室の正式な発注記録の不在」
「本当か、それは」
村長の眉間が、深く寄る。
「トトが樽の焼き印を全部照合しました。バルガスが断面の砂を見分けました。リリアーナ様が伯爵家の記録を確認しました」
「先生一人の考えじゃない、ってことか」
「俺一人なら、状況証拠で終わっていた。三人がそれぞれの持ち場で見つけたから、繋がった」
「王室の使者を、村ぐるみで告発するっていうのか……そんなことをして、後が恐ろしくないのか」
村人の一人が、震える声で割り込んだ。
「恐ろしい。だが、黙っていたら次はまた同じことが起きる」
「証拠とやらが、本当に確かなのか。俺たちには判断できん」
別の村人が、腕を組んだまま言った。
「だから、言葉だけで信じろとは言わない」
「じゃあ、どうしろってんだ」
「もう関わりたくない。王室に睨まれたら、村ごと潰されるかもしれん」
「睨まれるとしたら、黙って壊れた堰を放っておいた時だ」
「屁理屈を言うな……」
「屁理屈じゃない。次の襲撃まで、もう四十日もない。壁がなければ、村ごと呑まれる」
村人たちのざわめきが、一段と大きくなった。
「それで、どうするつもりなんだ、先生」
村長が、絞り出すように問う。
「証拠は揃った。だが、これを突きつけて終わりにはしない」
「終わりにしない、とは」
「同じ条件で、もう一度作ってみせる」
「もう一度……本体を、もう一回打つ気か」
「見せなければ、証拠だけでは信じてもらえない相手だ」
「またあんな決壊が起きたら、次は取り返しがつかんぞ」
村長の声が、低く沈んだ。
「今度は同じ条件で、正規の材料だけを使う。壊れないことを、この目で見せる」
村長は、しばらく黙ったまま四人を見比べていた。
「……分かった。もう一度だけ、機会をやろう」
その声に、村人たちのざわめきが小さく揺れた。
誰かが小さく息を吐き、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
ケンジは記録板を握り直し、四人の顔を順に見た。
「今度こそ、証明する」
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