0-8

 下校時間を迎えた頃、千咲の携帯が振動した。


「お母さんからだ。学校の前にいるみたい。細野は今日、電車?なら送るけど」

「いいなあ。ボクも乗せてってほしい」

「いいけど。あなたの家って、どの辺だっけ」

塩尻しおじりのほうなんだけど」


 自転車通学の寺下と別れ、本郷と二人、彼女の母の車に同乗することになった。


 正門の前に停まっていたのは、真っ赤なメルセデスだ。以前に見たときは、確かフランス車だったはず。また買い替えたらしい。


 後部座席の扉を開けると、強めの香水の匂いが外気に混じった。


 千咲の母は、いつ見ても派手な服装に、おそらくは自社製品だろう、目立つアクセサリーをふんだんに身につけている。


 今井には気の毒だが、そんな女性に育てられた一人娘が、倹約家の人間と相容れられないのは、仕方がないのだと思う。


 歩き慣れた岡谷おかや駅への経路。車で通るのは初めてだ。


 普段とは違う目線の高さに新鮮さを感じて、ふと気づいた。大庭家とは、小学校の頃からの付き合いだが、学校に迎えに来たことなどあっただろうか。


 記憶をさかのぼっていると、運転席からその理由が知らされた。


「最近、このあたりで気味の悪い事件が起きてるみたいなのよ」


 千咲は助手席で携帯をいじっていて、本郷は、まだ新車の匂いが残る革のシートの感触を楽しんでいる。残る敦哉しか、反応できる人間がいないようだ。


「それって、今井さんが捜査協力することになったって話してた、辰野町の事件ですか?」

「あら、よく知ってるわね。それより前に、諏訪すわでもあったみたいなの。それで、しばらくの間、毎日とはいかないけど、時間が合うときはなるべく来るようにしようと思って」


 諏訪市の事件は、三月の終わりだ。被害者が、住んでいたマンションの屋上から落下、死亡したというような報道だった。自殺という表現は使わず、警察が捜査を継続するという内容に、違和感を覚えたことで、記憶に残っている。


 辰野町の事件については、寺下の家の近くということもあり、千咲の家でニュースを見たあと、気になって調べていた。


 ネットには、あと少し詳細が記されていて、被害者は、刃物で傷つけられるより先に、歩いているところをうしろから車にはねられたのだそうだ。


 敦哉と千咲が住んでいるのは岡谷市。車なら、諏訪も辰野も三十分かからないほどの距離にある。


「何かわかってること、あるんですか?」

「一人目は三十代の女性で、二人目は四十代の男の人だって。無差別っぽいでしょう。それで心配になっちゃって」

「警察署に泊まりになるとかって――。大がかりってことですよね?」

「捜査員の規模とかまではわからないわ。最初に事件が起きたのが諏訪だったから、そっちが捜査本部になったみたい。通えない距離じゃないけど――手当てとか周りの目とか、大人の事情もあるのよ」


 捜査本部は、管轄の警察署に設置される。殺人であれば一課が担当だ。ただ、人数には限りがあり、同じ署内で人手が足りない場合は、近隣の所轄から応援が出されることも珍しくはないのだと、千咲の父親が存命のとき、聞いたことがあった。


 今回、犠牲者は二人。それでも重大事件と判断されたということか。


 そこまで考え、ある一つの疑問が浮かんだとき、車が停まった。中央高速が遠くに見える。本郷の家の近くだ。


 高い声で挨拶をした彼を降ろし、車は向きを変えた。サイドミラーに映る友人があっという間に遠ざかる。


「捜査本部が設置されたってことは、さっきの二つの事件に、関連があるってことですよね」

「詳しいことは私も教えてもらってないんだけど、手口が似てるみたいよ」


 それから彼女が声を落として語った内容に、背筋がひんやりした。


 遺体の状況から、どちらの事件も、すでに息絶えていた被害者の体を切り刻んだことが明らかだというのだ。


 まさに猟奇殺人ではないのか。


「二つ目の辰野町のほうは、車を使ったって何かで見たんですけど、もしそうなら、きっと追跡は可能ですよね」

「Nシステムね。それ以外にも、防犯カメラにドライブレコーダーとか。以前に比べて、今は捜査の精度が格段に上がっているそうよ」

「大丈夫でしょ。ひき逃げの犯人が逃げ切ったなんて話、聞いたことないじゃない」


 子供の頃から凄惨な事件にも耐性があるのだろう、千咲は携帯から目をそらすことなく、簡単に言い放った。


 確かに――。もし二つの犯行が同一人物の仕業であるなら、遠からず犯人は捕まる気がする。そもそも、いくら身近な出来事とはいえ、岡谷と諏訪を合わせれば十万近くの人がいるのだ。


 凶悪犯罪が未解決のまま、敦哉や周囲の人間に何かの影響を及ぼすことなど、あるはずもなかった。

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