白い花をあなたに

花瀬

第1話 関

--暗い。


見渡す限り、闇しかない。


一歩踏み出す。


だが、足が何かを踏んだ感覚はなかった。


地面があるのか、自分が進んでいるのかさえ分からない。


走る。


どれだけ駆けても景色は変わらない。


息は乱れず、疲れもしない。


声を上げる。


叫んだはずだった。


しかし、何も聞こえない。


音がないのか、自分に耳がないのか、それすら分からなかった。


ふと、恐ろしくなる。


自分とは何だ。


人なのか。


生き物なのか。


それとも、この「自分」という意識だけが、闇の中に取り残されているだけなのか。


時間という概念も失われていた。


一瞬だったのか。


永遠だったのか。


もう判断する術はない。


やがて、考えることすら苦痛になった。


それでも意識だけは消えてくれない。


--その時だった。


遥か彼方に、小さな光が灯る。


初めて見る色だった。


暗闇しか知らない自分には、それは世界のすべてより眩しく映った。


次の瞬間、抗う間もなく、その光へと引き寄せられていた。


--ゆっくり瞼を開けた。


眩しい。


思わず目を細める。


見慣れた天井。


窓から差し込む朝の光。


そしてスマホから聞き慣れた音楽が流れている。


夢だったのか。


そう思った瞬間、胸の奥に溜まっていた息を吐き出した。


気づけば天井を見上げたまま、両手を胸の上で固く握りしめていた。


まるで死人じゃないか。


自分で自分にそうツッコミを入れる。


体は妙に重かった。


何日も寝込んでいた後のように関節が軋み、起き上がるだけで力がいる。


だが、その重さが妙に心地よかった。


痛みも重さも感じる。


生きている証拠だった。


それとは裏腹に憂鬱な気持ちがゆっくりと胸を満たしていく。


夢から覚めたからではない。


現実に戻ってきたからだ。


そして、ようやく思い出す。


今日は--翠(すい)の葬式だった。


--海風が香る故郷に戻り、実家で喪服に着替え、葬儀場へ向かう。


炎天下の中、翠の葬式に翠の親戚が多く集まっていた。


家族葬で行う予定だったらしいが、翠の母さんが最後に見送って欲しいと連絡をもらい、翠の最後の死に顔を拝みにきた。


子供を助けようとして車にはねられたらしい。

あいつらしいな。


優しいところが。


最後に会ったのは、四日前のことだった。


仕事の愚痴を言いながら居酒屋で浴びるほど酒を飲んでいた。


翠「関、お前は俺がいないと何もできないんだから、こうやって会いにきてやってんだぞ!今日はお前の奢りだな。ご馳走様です。」


関「翠、お前酔いすぎだよ。とりあえずこれ飲めよ。」


翠「もうちょい、飲もうぜ。と思ったが、確かに飲み過ぎたな。水.ありがとう。」


グラスを口に運び、ぐいっと飲む。


数秒の沈黙。


顔をしかめたかとおもうと、目を見開いて関の方へ指を指す。


翠「お酒、原液やないか!ふぁー!おまえ!」


関「そんな怒んなよー。残り飲んでやるからさ。うわ!これ濃いなー。めんご!」


そんなやり取りが心地良かった。


中学からそうだった。


どんな悪戯をしても最後に笑って許してくれる。


そこが翠のいいところだった。


ほんと、あいつのいいところだった。


花「お兄ちゃん。ほら、翠にお別れしよ。」


泣きながら声をかけてくれたのは、妹の花。


俺は中学時代、翠と花と自分の三人でよく遊んだ。


特に夏休みの花火は今でも覚えている。


地元の海辺でロケット花火を撃ち合い、俺と花で翠を狙った。


翠は『ふざけんなよ!』と叫びながら、菓子缶を盾にして逃げ回っていた。


白い煙と花火の色が混ざり合う幻想的な景色の中、三人とも心から笑っていた。


翠は綺麗な顔で目を閉じていた。


頭周辺は白い花が飾られている。


本当は寝ているんじゃないかと疑ってしまう。


翠の死を心ではわかっているつもりなのに、体は受けつけていないのか、涙すら出ない。


なんで死んだんだよ。


その問いには誰に聞いてもわからない。


神なんて信じないけど、もし聞けるなら教えて欲しい。


最後に話した内容ってどんなことだったかな。


翠と別れ際に謎の呟きをしていたことをふと浮かんだ。


翠「これが最後なんだよなー。」


関「え。なんて?」


翠「こっちの話だよ。ありがとうな。付き合ってくれて」


あれ、どういう意味だったんだと思いながら、最後の別れを告げようと思い、白い花を翠の顔の横に添えようとした。


その時だった。


閉じていた瞼がゆっくりと開く。


--え。


覗いた瞳は、不自然なほど鮮やかな翠色だった。


人の目とは思えないほど透き通った色。


思考が追いつかない。


目を凝らした、その瞬間。


俺も反射的に瞬きをした。


--カラン。


氷の音がした。


気づけば目の前にはビールジョッキ。


翠「じゃあ、俺そろそろ帰るわ」


翠が笑っていた。


関「翠!」


大声で叫んでしまい、店内の客達が一斉にこちらを見た。


翠「なんだよ!いきなりどうした?酔っ払いすぎじゃないか?」


翠は苦笑いを浮かべると、


翠「こいつ酔っ払ってるんですよー」


と説明しながら一緒に外に出た。


あれ、俺、今まで葬式にいたよな?


なんだこれ。


胸の奥がざわつく。


いや、それだけじゃない。


胃の中からこみあげる感じ。


…そうだ。この日、飲み過ぎて盛大に吐いたんだった。

 

--次の日、昨日の粗相の罪悪感と、二日酔いで起き上がる気力がなかったが、我に返る。


飛び上がるように体を起こし、葬式のことを思い出した。


あの記憶はなんだったんだ?


一旦落ち着くため、水を飲み、頭の中を整理し始める。


まずは花に電話で確認をした。


花「どうした?寂しくなって電話したの?」


昨日葬式があったとは思えないほど、普段通りの会話だった。


関「昨日は…。そう、翠と飲み会やってるから、来いよって連絡したけど、返事なかったよな?」


変な心配をかけないために葬式の話ではなく、別の話で現状確認を試した。


花「昨日は、久々の空手の練習で身体が筋肉痛でいけなかったんだよ。本当についてない。兄貴の奢りならいってたかもね。」


それを聞いて思い出した。


飲み会を終えた次の日、今日があいつの死んだ日だということを。


とりあえず、翠に今どこにいるのかとLINEで聞いてみる。


しかし、既読にならない。


試しに電話しても留守電になる。


会社を休み、翠の働く仕事場へ。


翠の勤める会社に電話してみるものの、今日は休暇をとっているとのこと。


一旦、翠の葬式で聞いた話や噂などを整理して、気になることが一点。


葬式場で、中学の時に遊んでいた公園で事件があったとか噂しているおばさんたちがいたっけ。


急いで、公園へ向かった。

 

--夕方、公園に着くと3人の子供達がいた。


その内の1人はスマホの動画をみながら、最近の流行りの踊りを真似して残りの2人は笑っている。


特に物騒なことは起きていない。


日中は炎天下だったため、水を買ってベンチで休憩をとる。


あたりが暗くなり、子供達も帰ろうとした時、翠が現れた。


なぜここにと思いつつ、声をかけようとしたとき、後ろから猛スピードで走る車がこちらに向かってきている。


この時、なぜかとてつもない頭痛が起きた。


2人の子供は横断を終え、残りの1人はスマホに気を取られ、道の真ん中を横断している。


誰も車の存在に気づいていない。


翠が、それを察し子供に向かって走り、道路を渡りきれていない子供を助けようとする。


しかし、子供との距離があり、間に合わない。


俺の方が近いと思い、子供の方へ走った。


俺でも間に合わないか?


無我夢中で子供を両手で歩道へ突き飛ばした。


次の瞬間、バン!と車にぶつかる音と激しい痛みが走り、地面に全身が打ちつけられるのが伝わった。


痛みと同時に気を失った。

 

--また、あの暗い世界に戻ってきた。


でも前回とは様子が違う。


手足があるのを感じる。


辺りを見渡してみると、1つの小さな光があった。


あの時と同じように綺麗な光だ。


もう一度歩いて光の方へ向かう。

 

--薬品の匂いと翠のいびきで起きた。


頭が包帯で包まれており、腕にも大きな絆創膏が貼られていた。


翠からの説明によると、俺は車ではねられたことに、間違いはなかった。


幸い正面からではなく、車の側面にぶつかったらしく、擦り傷で済んだらしい。


車を運転した人は逃げたらしく、警察が行方を追っているらしい。


関「翠、何か見えなかったのか?」


翠「一瞬だけだけどな。運転していたのは女だった」


関「若かった?」


翠「いや……よく分からない。ただ、妙に落ち着いてた」


関「落ち着いてた?」


翠「普通、人を轢いたら慌てるだろ」


翠は首を傾げた。


翠「でもあいつ、そんな感じじゃなかった。そういえば、なんであんなところにいたんだよ。今日会社だろ?」


関「お前こそ、今日ズル休みしたんだろ!俺と同じで二日酔いだったのか?てか、なんであの公園にいたんだよ。」


翠「中学時代の友人が結婚式で思い出の場所として、あの公園の写真を撮ってきてと頼まれて。」


照れ臭い感じでこうも言った。


翠「また助けられたな。ありがとな」

 

--会社に事故に遭ったことを報告し、数日休暇をもらい、実家に帰ることにした。


入院してから3日ぶりに自分のアパートに帰ってきた。


事故で体が汚れていたため、風呂に入る。


髭を剃りながら鏡を見てみると、自分の目が赤茶色になっていることに気づいた。


少し赤くなっていたので、事故でなんらかの症状が出てきたのではと思い、後で再診しに行こうと考えつつ、帰省する。


外では遠雷が低く唸るように響いていた。


--家に着くと、何故か誰も迎えに来てくれず、電話が鳴る。


関「かあさん?家に着いたけど、どこにいるの?」


電話に出たのが、親父だった。


関の父「関、落ち着いてきけ。」


親父の声が震えている。


関の父「花がな…さっき、通り魔に襲われて。」


数秒してから口を開いた。


関の父「亡くなった。」


何が起きたのか、分からず、崩れ落ちた。


持っていたスマホ画面の日にちが目に入る。


画面に表示された日付は翠の葬式の日と一緒だった。

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